第44章 不安〜エドモンド王子視点(11)〜
久しぶりにセーラに対してだけヘタレなエドモンド王子の、正直な心情がわかる章です。
最後の方にチャーリーが登場しますが、彼はなかなかのやり手で、今後の展開で大活躍します!
セーラ嬢は、第一王子である僕の婚約者が自分であると、バーバラに知られることを酷く恐れていた。
しかしそれは、彼女自身がバーバラに何かをされると怯えていたからではない。彼女は十一歳の頃から護衛騎士になろうと訓練を重ね、今ではもう立派な護衛騎士になっていて、自分の身を守るくらいは何でもなかったのだから。
しかし、性格破綻しているバーバラが、自分が見下している従妹に王子を取られたと思ったら、何をしでかすかわからない、そう思っているからだろう。
そう、実際のところあの女の標的が誰になるのか、正直予測がつかないから王家の影を付けているのだ。
セーラ嬢は僕だけでなく、彼女の周りの人々を大切に思っている。そして守りたいと思っている。しかしそれと同時に、自分一人だけでは守れないこともわかっているのだろう。だから不安になっているんだ。
僕からすれば、彼女が守りたいと思っている対象者は、エメランタ嬢以外みんなかなり腕に覚えがある連中なんだけど。
彼女は昔から強そうで弱く、しっかりしていそうで頼りないところもあった。
しかしやり直しをしてからの彼女はそれを自分でちゃんとわかっている。結局人間という生き物は、一人きりでは大切な人どころか己自身も守れないと。
僕と彼女はそんな苦い教訓を、最初の人生において得ていたのだ。
ただしそうは言っても、やっぱり誰しも打ち明けられない悩みがあるのが普通なんだろう。人間なんて誰しもそんなものだと思う。
大体あの冷酷無比なルイード卿だって、婚約発表の場に素顔のキャリーナ(キャリー)嬢を他の男どもに見せたくなくて連れて行かなかったくらいだからね。
あそこでの発言は冗談などではなかったと思う。
この僕だって、少しばかりの安心が欲しくて、想い人に地味顔の化粧させていたのだから本当に最低な男だよね。
留学中、セーラ嬢はキャリー達の厳しい指導の成果なのか、不安や哀しみを一切面に表さずにいつも完璧な笑顔を浮かべていた。
けれど本当は、ぼくが他の女性達と親しげに接するのを嫌がっていたのを知っていた。ずっと不安で苦しい想いをしていたことも。
だって僕だって辛かったし、そんなことは本当はしたくなかったんだから。
それでも社交辞令でご令嬢やご婦人方に愛想笑いを浮かべ、ダンスをしたり、お喋りをしないといけなかった。
僕は彼女を再び失うわけにはいかない。だから同じ失敗をするわけにはいかなかったのだ。
だけど、セーラ嬢に嫌な思いをさせているんじゃないか、誤解させてはいないだろうかと、僕はずっと気が気じゃなかった。
隣国では恋人や結婚相手に対して、アースレア王国ほど容姿には重きを置いてない。
顔の美醜よりも本人の性格や能力に価値を見出している。自国にも是非見倣ってもらいたい。
しかし正直なところ、当時はそんなのんきなことは言っていられなかった。
何故ならそんな実力重視の隣国において、セーラ嬢はまさに理想の女性だったからだ。
性格は素直で優しくて真面目。頭が良くて発想力があって語学力もある。淑女としても完璧で、その上美人で強い! 文句無しの満点だ。
うん。本当にセーラ嬢は素晴らしい。だから誰かに見初められたりしないか、奪われたりしないか心配だった。
いや違う。セーラ嬢から嫌われたらどうしようと、不安で不安で堪らなかった。
最初の人生で、散々彼女に女性問題(浮気ではない)でやきもきさせて苦しめたのに、やり直しをしても同じ思いをさせているんだから、嫌われない方がおかしいのだ。
僕は時々心が折れそうになった。だけど何故か不思議なことに、僕が不安に襲われていると、必ずセーラ嬢が僕を見つけてくれた。そして、僕の頭を両手で優しく包んで、彼女の胸に引き寄せてくれたのだ。
そこは温かくて柔らかくて優しい香りがして、すぐに僕の心から不安を取り除いてくれたのだ。
そうすると僕はまた頑張れた。今度こそ二人で幸せになるために。
ねぇ、セーラ嬢。
僕達は一度人生に失敗したからこそ、自分達が弱い人間なんだと気付けたし、素直にそれを受け止められたんだよね、きっと。
弱いからこそ僕らは言葉にしてお互いの思いを伝え合って、信じ合うことができたんだよ。
だから、目の前に再び恐ろしい敵が現れても、僕達二人なら今度は逃げずに立ち向かえると思うんだよ。そしてそいつをやっつけられる。
僕達には仲間だってたくさんいるしね。
ここまで来るのは、本当に長かったけど、一月後には、僕はみんなの前で堂々と君を婚約者として紹介できるだろう。
そして今度は神だけでなく、仲間や臣下にも君への愛を誓うつもりだ。
そして結婚式の予行練習のためにも、君を抱いてバルコニーへ連れて行こう。
大丈夫。前回より体を鍛えているから、ぐらつかずに君を運べるから安心してね。
✽✽✽
コールドン子爵家に三日ほど滞在した後、僕はルイード卿やフランシス卿と共に王都へと向かった。
一月後に王都で逢えるのを楽しみにしているよ、という言葉をセーラ嬢に残して。
四年前、僕はひっそりと隠れて隣国へ留学した。しかし帰国はあの時とは打って変わって、堂々とした華々しいものとなった。
近衛の騎馬隊に前後を守られながら、大きな窓の立派で華やかな王家の紋章入りの箱馬車に乗り、街道で手を振りながら声援を送ってくれる市井の人々に、笑顔で手を振りながら。
この派手な演出は、かつて病弱かつ引きこもりだった第一王子が、こんなにも元気に逞しく成長しましたよ、とアピールするためだとルイード卿は言っていた。
しかし、道すがらキャアキャアと女性達の黄色い声援がずっと聞こえてきて、正直僕は本当に頭が痛くなってきて、耳を手で塞ぎたくなった。それを僕は必死に堪えていた。
ところが僕の後方に座っていたルイード卿とフランシス卿は、にこやかに微笑んでずっと手を振り続けていた。
凄い。おそらく引きこもりだった自分とは違って、この二人はこんなことはもう慣れっ子なのだろう。
それにしてもこの二人、本当は狐と狸なのに、よくもまあこんな聖人か使徒みたいな振りができるよな。僕も長いこと色々と偽装してきたが、まだまだだなと反省した。
そしてセーラ嬢と共にもっと特訓をしないと駄目だなぁ、なんてことを考えてしまったのだった。
王宮に入ると両親や祖父母、そして弟のチャーリーが皆満面の笑顔で迎えてくれた。
ただし、苦虫を噛み潰したような顔をして出迎えた宮廷貴族達もいた。それは国王派の人間で、弟である第二王子チャーリーを傀儡の王にしようと企てている輩だった。顔は覚えている。
以前のチャーリーなら会うとすぐに抱きついてきたものだが、彼ももう十二歳。思春期に入っていたので、嬉しそうにはしていたが、飛びついてくることはなかった。
それが感慨深くもあり寂しくもあった。
毎日厳しい鍛錬をしているのだろう。自分の十二歳の時と比べると、ずいぶんと堂々とした体格をしていた。それに……
「ずいぶんとソバカスが減ったんじゃないか」
四年振りに掛ける言葉にしては少し…と思ったが、思わずこう言ってしまった。
するとチャーリーはむしろ嬉しそうに頷いた。
「セーラ嬢に頂いた化粧水を毎日つけていたら、ソバカスが徐々に減っていったんです」
「えっ? セーラ嬢からって、もしかしてその化粧品って『ヴァイカントの雫』のこと?」
母である王妃が弟に掴みかからんばかりに近づいてこう尋ねた。
弟がアッケラカンと頷くと、母は信じられないという顔をした。
「どうしてセーラ嬢が貴方に? というか、彼女とは知り合いだったの?」
「四年ほど前に王宮でお会いしました。ああ、母上は父上とご一緒に外遊にお出かけになっていた時ですね。
彼女は僕と同じく騎士を目指していて、騎士についてとても詳しかったので、色々とお話をしました。それ以来のお付き合いです。まあ、僕にとっては先生のような、姉のような方ですね。
だから、僕の誕生日にも毎年贈り物を送って来て下さいました。去年、僕がソバカスで悩んでいると手紙に書いたら、誕生日の贈り物として、『ヴァイカントの雫』を下さったのですよ」
チャーリーは淡々とそう説明した。もう、セーラのことは隠さなくていいと、事前に伝えておいたからだ。
すると、母は瞠目していた。そうだろうな。母がコールドン領で作られている『ヴァイカント』シリーズの化粧品を欲しがっているのは知っていたから。
あの化粧品は王妃だって自由に手に入らないくらいのプレミアな物で、おそらく美を求める者達にとって垂涎物なんだろう。
だけどあの化粧品は本来……
「ねぇチャーリー。貴方からセーラ嬢に『ヴァイカントの雫』を譲って欲しいとお願いしてみてくれないかしら」
母は猫なで声でチャーリーにそうお願いした。すると、彼はにっこりと、昔と同じ可愛らしい笑顔を作ってこう言ったのだった。
「『ヴァイカントの雫』は薬用化粧品で、本当に必要な人にしか売ってもらえないんです。ですから母上は売って貰えませんよ。
だって母上はその化粧品を使わなくても若くてお美しいのですから」
四年ぶりに再会した弟は、そのタラシの力をさらにパワーアップさせていたのだった。
読んで下さってありがとうございました!




