第35章 二度目の誓い
神殿での婚約式は厳かな雰囲気の中、無事に終了した。宰相様とカーネリアン公爵が証人になってくれたので、たとえ国王夫妻でも文句は言えないだろう。
それに元両親は単なる伯父伯母になっているのだから、尚更異議など申し立てられる訳がない。
薄化粧を施していたとはいえ、私の素顔を見たチャーリー殿下はニコニコしながら、前国王陛下夫妻にこう言った。
「ほら、僕が言った通り、セーラじょうはとってもおきれいな方だったでしょう? おじいさま、おばあさま」
「ええ、本当に綺麗でかわいいわ」
「全くハリスツイードに瓜二つだというのに、何故こんなに愛らしいのだろうな」
陛下、それは褒め言葉ではございません。それにしても、王家の方々は美しい人や物ばかりを見ているせいで、却って一般の人とは美的感覚が違うのでしょうか。
エドモンド殿下は私を見つめて目尻を下げて、綺麗だ綺麗だと何度も呟いていたし。
婚約式の儀式が滞りなく全て終わった後、私が不敬にもそんなことを考えていたら、フランお兄様が私の耳元でこう言った。
「僕がいつも言っているだろう。美の基準なんて人それぞれだと。それに、貴い方々は表面的な美よりも、内面から滲み出る美しさを好むものだ。
現に例の侯爵令嬢は高位貴族のご子息には相手にされていないようだしね。下位の者とは違って彼らは自分で付き合う者を選択できるからね」
「そうなの?」
例の侯爵令嬢とはもちろんお兄様の実の妹バーバラのことだ。
「休暇が終わって学園へ戻ったら、友人達に苦情を言われたんだ。
『コールドン侯爵令嬢に追いかけ回されて迷惑している。従兄ならなんとかしてくれ』
ってさ。彼らには悪いと思っているよ。だけど、あいつに近づくわけにはいかない。たとえ自分が望んだことだろうと、上手くいかないとすぐに人のせいにするやつだからな。
だからせめてもの罪滅ぼしに、あいつから逃げる方法を友人達には伝授しておいたよ。まあ、あんな馬鹿女に引っ掛かったり罠に嵌る者は僕の周りにはいないから心配ないけど」
お兄様の周りにはいないということは、それ以外にはいるってことなの? それって国王派の貴族のご令息達のことかしら?
つまり、その彼らならバーバラと共倒れになっても構わない。いやむしろそうなって欲しいということ?
う〜ん。さすが前国王陛下のお眼鏡に適っただけあるわ、お兄様。少し怖いけど。
それにしてもあの美人のバーバラが相手にされていない?
もしかしてそれは実の兄レックスと同じ理由だろうか。両親の結婚の時のスキャンダル……
うーん。もしそうだったとしたらバーバラに悪かったかしら。子爵令嬢のままだった方がお相手をもっと広い範囲から選べたのかしら。
王宮に戻ってからその話をすると、エドモンド殿下は呆れた顔をして私を見た。
「お人好しもそこまで来ると考えものだよ、セーラ嬢。
彼女が侯爵令嬢になったのは本人の意志で、君に強制されたわけじゃない。自分が望んだことなのだから責任は自分で持つべきだ。
それに彼女が子爵令嬢のままでも結果は同じだったと思うよ」
「でも巻き戻る前の世界では、彼女はとても人気があって、いつも男性に囲まれていましたよ」
「確かに彼女はいつもたくさんの男を周りに侍らせていたよね。だけど、それは下位貴族の令息がほとんどだったよ。伯爵以上の家の者は彼女のことなんて相手にしなかった。
確かに彼女は容姿が良かったかもしれないが、教養がなく品がなかった。まあ、最低限のマナーはできていたが、高位貴族の夫人になるには不十分だったのだ。
それにあんな身持ちが悪い令嬢を相手にするわけがないよ」
殿下はとても嫌そうにその麗しい顔を歪めてそう言った。
そういえば殿下にとってバーバラは天敵だ。麻薬を嗅がされて体の自由を奪われて、人前で無理矢理私との婚約破棄発表をさせられ、付き合ったこともないのに彼女との婚約発表をされかけたのだから。憎んでも憎み足りない相手だろう。
「彼女はね、下位貴族の令息達をまるで下僕のように扱っていたんだよ。自分の体を与えてね。
そのせいでいくつかの婚約が破談になった。コールドン子爵は婚約解消になったご令嬢達に誠心誠意謝罪して慰謝料を支払っていた。
そして娘を修道院へ入れようとしたんだ。だけどそれを兄であるコールドン侯爵が邪魔をしたらしい。
彼女を政争の道具として利用しようとしたのだろう。実際にそうしたしね。
あいつらは容姿だけでなく性質も本当によく似ていた。あっちが本当の家族みたいだった。
だから巻き戻って今度は本当に家族になれたんだから、彼らは幸せだろう。
それに、元の世界のことを鑑みると、彼女が侯爵令嬢になったことで、多くの人が救われることになると思うよ」
「下位の貴族のご令息達がバーバラの毒牙に掛からずに済むという意味ですか?」
「ああ。基本彼女は自分と同等かそれ以上の爵位の者しか相手にしない。その質は変わらないみたいだからな。
図々しくもまた僕を狙ってきたが、僕が倒れて王太子にはなれないのではないかと噂が流れてからは手を引いたよ。チャーリーも年が離れているから眼中にないらしいし。
それで侯爵家や公爵家に狙いを定めたみたいだけど、それはフランシス卿とルイード卿がなんとかしてくれるだろう。
それにそもそも高位貴族の令息達にはハニートラップはあまり効かない。訓練されているからね。そう。麻薬でも使わないと」
「・・・・・」
「君は高位貴族の令嬢達に騙されたんだよ。
彼女達は君とバーバラを比較して蔑ろにしたり貶めたりしていたようだが、実のところ彼女達は、優秀で僕に愛されている君のことを嫉妬していたんだ。バーバラのことなんて本当は軽蔑し見下していたのに。彼らは狡猾なんだ。
ごめん。それをわかっていながら守れなくて。国王派ばかりに目がいって、足元の派閥の者の動向に気づけなくて。
お祖母様も側妃様のフォローに神経を使っていて君を疎かにしてしまったと、酷く後悔していた」
側妃様とは、巻き戻る前の世界にいた国王陛下の形式上のお妃様で、社交しかできない王妃殿下の代わりにその実務を行っていた方だった。
そして巻き戻ったこの世界にはいない方だ。非人道的過ぎると、エドモント様が前国王陛下と徹底抗戦をしてその婚姻を阻止したと聞いた。
側妃様とは似て非なるというか、私とは複雑な立ち位置にいたので、ほとんど会話をすることはなかったが、心の中ではシンパシーを抱いていた。
それにしても、新たに知った過去の真実に、私はショックを受けて何も言えなかった。
まさか自分が嫉妬で虐められていたとは思わなかった。幼い頃から両親や兄から蔑ろにされ、馬鹿にされ、無視されていたから、いくら祖父母には可愛がられていたとしても、いつも自分に自信がなかったのだ。
初恋のアルフレッド様にも相手にもされなかったし。
とはいえ当時の私は、仮にも王太子の婚約者に選ばれたのだ。何故もっと気高く堂々と振る舞わなかったのだろう。たとえ両想いだとは知らなかったとしても。
自信があろうがなかろうが、毅然と相手をすれば良かったし、するべきだった。やはり元の私は、将来の王妃になれる器ではなかったのだろう。
黙り込んだ私を見て、エドモンド殿下は不安そうな顔をした。私が王太子妃になることに怖気付いたと思ったのだろう。
確かに魑魅魍魎の貴族社会は怖い。
しかし、やり直しをしている今は、私には愛する人、愛してくれる人がいることをちゃんとわかっている。そしてこちらが手を伸ばせば、必ず握り返してくれる人がいることも。
だからもうエドモンド殿下から逃げ出したりしない。戦いもせずに負け犬になって、あの暗い階段下で一人惨めに死ぬなんて絶対に嫌!
「エドモンド殿下、先程私達は神殿で誓約をしましたよね。幸せな時も苦しい時も悲しい時も寄り添い、互いを信じて進むと。
私は貴方を愛し信じています。だから逃げずに貴方と前に進みます」
私はエドモンド殿下の手を取ると、今度は神様ではなくエドモンド殿下にそう誓った。すると、エドモンド殿下は涙を滲ませながら、それでも嬉しそうに微笑んでこう言ったのだった。
「僕も貴方を愛し信じています。だからたとえどんな困難があっても、決して逃げずに貴方と共に立ち向かいます」
そしてその日から、私達の呼び方が変わった。
「セーラ」と「エドモンド様」に。
読んで下さってありがとうございました!




