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第30章 化粧


 エドモンド殿下の誕生日から一週間後、なんと私は、静まり返る王宮の中を家族の後ろからエドモンド殿下と共に歩いていた。

 

 巻き戻ってから王宮というか王城の中に入るのは初めてだ。しかし、巻き戻る前は十二歳から亡くなるまでの五年間通った、勝手知ったる場所である。

 

 ただし懐かしいかといえば、それは違う。私にとってここは苦しく辛い場所だった。

 国王陛下や王妃殿下には冷たくされ、ご婦人方やご令嬢方からは罵られ貶され、暴言を吐かれ続けた。

 そして人の見えないところで足を踏まれたり蹴られたり、水をかけられたりもした。

 

 唯一心が癒やされたのは王太后様から受けるお妃教育の時間と、第二王子のチャーリー殿下とのほんの僅かの触れ合いくらいだった。

 エドモンド殿下とは週に一度、ほんの短い時間お茶をご一緒するくらいで、しかも使用人の目を気にして、プライベートの話はほとんどできなかった。

 

 もちろんエドモンド殿下のことは好きだったし、早く結婚したいとは思っていた。夫婦になればさすがに二人きりになれると思ったから。

 しかし私はその日を迎えることはなかった。飛び級で二人揃って一年早く学園を卒業して、結婚式まであと半年というところで開かれた国王主催の夜会の日に、私はこの世を去ったからだ。

 

 そして私の命が消えた薄暗い階段下の側まで来た時、流石に足が震えて私はよろめきそうになった。

 するとそれを予見していたかのように、エドモンド殿下が即座にしっかりと私の腰を支えて下さった。

 おそらく衛兵には気付かれなかっただろう。しっかりしなければ、と私は心の中で自分を鼓舞し、歯を食いしばって歩き続けた。

 何せ私とエドモンド殿下は、コールドン子爵家の侍従と侍女の振りをして王城内に侵入していたのだから。

 

 それにしても目立たぬように夜会の日を選んで登城し、そこから王宮に入り込んだのはいいけれど、これでは前国王ご夫妻やチャーリー殿下にはお会いできないのではないか?

 そう尋ねたら、祖父母にはちゃんと連絡を取ってあるから大丈夫だとエドモンド殿下は言った。ということは、お二人はこっそり夜会を抜け出して来られるのかしら?

 

 やがて私達は王族の私的住居スペースに入った。私が入ったことのある部屋はサロンと王太后様のお部屋だけだ。私は王妃殿下にエドモンド殿下やチャーリー殿下のお部屋へ入ることを禁じられていたので。

 

 侍従長に案内された部屋は、どうも前国王陛下の私的なサロンのようだった。

 そしてそこには既にチャーリー殿下がいて、お父様を見つけるとソファーから立ち上がって飛び付いてきた。

 

「ごきげんよう、殿下」

  

 お父様は殿下を軽々と抱き上げてニッコリと微笑むと、殿下もソバカスだらけの可愛らしい顔を綻ばせた。

 

「コールドンししゃく、久しぶりだな。会いたかったぞ。夫人も元気そうで何よりだ」

 

「ありがとうございます、チャーリー殿下。殿下も少しお会いしないうちに、また背が伸びられましたね」

 

「そうか! 僕は早く大きくならねばならないから、たくさん食べて、たくさん運動しているんだ。

 おじいさま、おばあさま、そして兄さまを守らないといけないからな」

 

 懐かしいチャーリー殿下の姿を見て、そして健気な言葉を聞いて、私は思わずホロリとして涙が溢れそうになった。近頃涙脆い。二十歳をとうに過ぎて(実際生きた年数)大人になったからかしら。

 

 するとエドモンド殿下が口を開いた。

 

「慌てることはないよ。ゆっくり大きくなってくれ。僕達を守ってくれる人は今はもうたくさんいるのだからね」

 

 チャーリー殿下は一瞬キョトンとした顔をした後で、顔を歪めて泣き出した。

 

「兄さま、兄さま、兄さま……」

 

「ただいま、チャーリー。ずっと会いに来られなくてごめんね」

 

 エドモンド殿下はお父様からチャーリー殿下を渡されると、しっかりと抱っこをされて、その金色の綿毛のような頭に顔を埋めた。

 

 その様子に私は今度こそ涙を零してしまった。チャーリー殿下はかつての私と同じ。

 周りにたくさんの人がいて、たとえ彼らとの間に信頼関係があったとしても、幼い子供にとって、無条件に愛してくれる肉親が側にいないことは、とても寂しくて辛いものなのだ。

 長く生きた今では、血が水より濃いだなんて全く思わなくなっていたけれど。

 

 

 ソファーに腰を下ろしてからも、チャーリー殿下はエドモンド殿下の膝の上から離れず、離れていた間の出来事についてずっと話をしていた。

 そしてエドモンド殿下もその話を優しい目で見つめ、頷きながら聞いていた。

 しかし、チャーリー殿下が最近読んだという騎士の本を話題にした時に、エドモンド殿下がこう口を挟んだ。

 

「ねぇチャーリー。騎士って国によってその在り方が違うって知っているかい? 

 武具や戦い方も我がアースレア王国と他国ではずいぶんと異なっているんだよ」

 

「へえ、そうなんだ。それじゃあ、それを知らないと、戦った時に困るね。もちろん(いくさ)なんてない方がいいけどね」

 

 チャーリー殿下はまだ八歳だというのにかなりしっかりしている。さすがエドモンド殿下の弟君だ。以前も思っていたのだが、どうやら兄弟揃って隔世遺伝らしい。

 それに気付かない国王派はよほど見る目がないのだろう。というか、チャーリー殿下の演技力が素晴らしいせいなのだろうか。

 

 

 

 そういえば、エドモンド殿下の変装も凄かった。あっという間に別人になっていた。しかもご自身で着替えて化粧もしていた。

 侍女((影))アイリスさん直伝で、幼い頃から練習させられてきたらしい。

 

 そうそう、侍従に変装する前に、アルフレッド様から一旦エドモンド殿下に戻った。この時ようやく、巻き戻ってから初めて元?婚約者の素顔をマジマジと見つめた。

 聖水という名の鉱泉露天風呂の効果で、ツヤツヤ美肌のとても美しいご尊顔を。

 私だって聖水のおかげでツヤツヤ美肌ではあるが、元の造形が違い過ぎる。わかってはいたが、確かに皆さんに言われた通り、私と殿下は不釣り合いだわ、と改めて納得してしまった。

 

 すると、側にいたアイリスさんにこう言われた。

 

「セーラ様。明日王都のコールドン子爵家の屋敷に向かいますが、セーラ様も服装だけではなくお顔を変えてみるのはいかがですか?」

 

「あっ、そうですね。私の顔を知る者は誰もいないと高を括っていましたが、元の家族と遭遇しないとも限りませんよね?」

 

「ええ。それにこれから殿下と行動を共にされるのならば、本格的な変装の仕方を覚えた方が宜しいのではないですか?」

 

「はい、教えてもらえるのなら嬉しいです。アイリスさんが教えてくださるのですか?」

 

「もちろんお化粧の方は私がお手伝いをさせて頂きます。そして仕草や振りなどという演技の方は、キャリーが担当させて頂きます」

 

「ありがとう。よろしくお願いします」

 

 そうか。エドモンド殿下のお手伝いをするのなら、私もエドモンド殿下に合わせて変装や演技をする必要があるわけね。頑張らないと。

 私は心の中でそう意気込みながら、アイリスさんの手の動きをよく観察して、必死に手順を覚えようと試みた。しかし化粧などろくにしたことがなかったので、途中で諦めてしまった。

 そして、仕上がった自分の顔を鏡で見て絶句した。何とそこには絶世の美女の姿があったのだ。

 

「誰、この人?」

 

 思わずこう口にしてアイリスさんとキャリーさんに笑われてしまった。彼女達が笑うのを初めて見たような気がする。

 それにしてもアイリスさんの腕が凄過ぎるわ。まるで別人。私じゃないわ。

 

「アイリス、なんだその化粧は!

 ただでさえセーラ嬢は綺麗なのに、それよりもっと綺麗にするなんて、みんなの注目を浴びてしまうじゃないか! 男どもにセーラ嬢が言い寄られたらどうするんだ!」

 

 エドモンド殿下の発言に私は目が点になっていたと思う。だって、殿下は化粧をする前の私を綺麗だと言ったのだから。

 

「セーラ様、これでおわかりになったでしょう?

 殿下にとってセーラ様が一番美しいのです。美醜など結局のところ個人の好みなのですよ。

 それに、客観的に綺麗だと言われている方々だって、それは大方が化粧で化けているだけなのですよ。実践されてご理解できたと思いますが」

 

「ええ、びっくりしたわ。こんなにも変わるなんて。巻き戻る前にこのことを知っていたら、あんなに嫌味を言われることもなかったかもしれないわね」

 

 エドモンド殿下はご自分の七人の影の方達には、巻き戻りのことを話していた。彼らをとても信用し、大切な仲間だと認識していることがよくわかる。

 

「化粧無しで美しい人なんてそうはいませんよ。

 セーラ様は運が悪かったのですよ。王家同様、コールドン侯爵家の皆様も素でお綺麗ですからね。

 お肌のための基礎化粧品くらいは使用されていたのでしょうが、化けるという意味合いで化粧するという考えがなかったのでしょう。

 そうでなければ実の娘を罵倒するだけで、何の対策もとらなかったなんておかしいですもの」

 

 アイリスさんはそう言ったが、そもそも両親は私に関心がなかったからどうでも良かったのだと思う。

 もし愛情があったら、どうにかして私を理想に近付けようと、何かしら対策をとった筈だもの。

 そう。一言侍女にでも命じていればよかった、それだけなのだから。

 

「あの子を綺麗にしてやって頂戴」

 

 と。

 そうすれば、侍女はアイリスさんとまではいかなくても、一通りの化粧を私に施してくれただろう。周りに罵られなくて済む程度くらいには。

 しかし両親にとって私は、地顔が美しくなかったというだけで、既にもう何の価値もなかったのだろう。

 

「簡単な化粧でここまで変われるということは、つまりそれだけセーラ様が元々お綺麗だという証ですよ」

 

 アイリスさんは、私にもっと自信を持てと言ってくれているのだろう。卑屈になるなと。

 

 そう簡単に自信は持てそうにもないが、エドモンド殿下は化粧をしない私の素顔が好きだと言ってくれた。私はそれが涙が出るほど嬉しかった。


 

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