第20章 不運
エメランタ様とはカーネリアン公爵家のご令嬢で、前の人生の時、愚兄レックスのせいで引き籠もりになってしまった公女様だ。
そして、唯一私に優しくして下さったご令嬢だった。
巻き戻ったこの世界で、もしまだあの兄がエメランタ様に接触していないのなら、今度こそ絶対に接触させてはいけない。
自分のことだけで精一杯で、すっかり彼女のことが頭からすり抜けていた。私はそのことに酷い罪悪感を抱いた。
「「「エメランタ様?」」」
私の家族三人はキョトンとしたが、アルフレッド様はすぐに私の言いたいことがわかったようだった。
「私の二つ年上の又従姉です。カーネリアン公爵家の……」
「お体が弱くてほとんどお屋敷からお出にならないという、公女様のことですか?」
母の問いにアルフレッド様が頷いた。そして説明し辛い私の代わりに、エメランタ公女様とあの馬鹿兄に纏わる話をしてくれた。
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現カーネリアン公爵のご母堂様は、アルフレッド様のお祖父様である前国王陛下の妹で、元王女様だった。
だから現公爵様と国王陛下は従兄弟同士であり、エメランタ公女様はエドモンド殿下の又従姉になるわけだ。
前国王陛下と前カーネリアン公爵夫人はとても仲の良い兄妹だったので、王家とカーネリアン公爵家の関係も昔は良好だった。
そのためにエドモンド殿下とエメランタ公女様も幼い頃からの付き合いで、幼馴染みのような関係らしい。
公女様の方が年上とはいえ、それも僅か二歳違いだったので、本来ならばこのお二人の間で婚約の話が出てもおかしくはなかっただろう。
高貴な血筋でありながらも程良く血も離れていたし、お二人は共に見目麗しく、その上優秀なお子様だったので、そうなっていたらさぞかしお似合いだったろう。
ところが、実際にはそんな話は一切出なかった。その理由は、お生まれになった時からエメランタ様が病弱だったからだ。
エメランタ様は公爵家の領地、しかも屋敷の中だけで生活し、表舞台に出ることはなかった。
家族や親類の者達は、エメランタ様は一生そのまま、領地でひっそりと暮らしていくしかないと思っていたらしい。
ところが成長と共に公女様は少しずつ丈夫になっていき、十五歳の学齢期を迎えた頃には、無理をしなければ学園生活も可能になるくらい元気になっていた。
しかし却ってこれが、カーネリアン公爵令嬢エメランタ様の不運の始まりとなった。
授業以外は図書室で過ごし、昼食は王族関係者だけが使用できる特別室で取っていたエメランタ様は、本来ならば二つ年上のコールドン侯爵家の出来損ない令息とは、接触することがなかった筈だった。
しかし天変地異が起きたのか、レックスはかつて一度も訪れたことのなかった図書室を訪れた。そしてそこで彼は、読書をしていたエメランタ様を見初めてしまったのだ。
エメランタ様はとにかく美しい人だった。ほとんど外へ出なかったので雪のように白く透明な肌に、煌めく金糸のストレートヘアー、透明感のあるアクアブルーの瞳……
愚兄レックスは努力をすることと、頑張ることが何よりも嫌いだった。
しかも特に何か才能があるわけでもないのに、何故か自分は選ばれた人間だと思い込んでいて、人のことを見下していた。
恐らく溺愛して育てたあの両親のせいだろう。
そんな兄ではあったが、唯一突出しているものがあるとすれば、それは審美眼を持っていたことだろう。それ故に彼は、エメランタ様を一目見て夢中になったのだ。
とはいえ普通の神経、いや一般常識を持ち合わせていたなら、王家の血筋を引く公爵令嬢に気安く声をかけたりはしなかっただろう。
ところがレックスは、毎日毎日図書館に通ってはエメランタ様に声をかけ続けた。
レックスをよく知るご令嬢達ならば、複数人でなら彼に近付いても、単独では話そうとはしない。それくらい兄はご令嬢達から警戒されていた。
侯爵である両親や兄は勘違いをしていたようだが、貴族にとって容姿や地位の高さはもちろん重要な要素ではあったが、それが一番だというわけではなかった。
容姿の良さは、あくまでも本人の能力に付属するもので、肝心の本人自身に能力がなければ、何の意味も成さない。人格や能力に長けていなければ、貴族の厳しい競争社会を生き抜いてはいけないからだ。
確かにレックスは見かけだけは飛び抜けて良いし、次期侯爵だ。しかし、本人は女好きの遊び人で、学業成績も剣術の腕もいまいちだ。
しかもあのスキャンダル塗れの両親の息子だ。
多くのご令嬢達はレックスを囲みながらもそんな風に彼を見ていた。
妹の私が第一王子の婚約者になったことで今は自由気儘、我が物顔で振る舞っているが、そのうち何かやらかすに違いない、と当時の私は心配していた。
ところがエメランタ様は、学園に入学するまで一切社交をしていなかった。そのせいで、レックスのことは第一王子エドモンドの婚約者の兄だ、という認識しかなかった。
そうは言っても、レックスが尊敬できる人間でないことは直ぐに気が付いたらしい。
しかし話を途中で打ち切ったり、その場を逃れたりするといった、相手を上手く躱す方法を公女様は知らなかった。
それでも五日間ずっとレックスに纏わりつかれると、エメランタ様も流石に辟易とした。
調べ物があるから図書室に来ているというのに、何故友人でも何でもない男が喋る下らない話を、自分が一方的に聞かなくてはならないのかと。
「ここは静かに読書をしたり調べものをする場所です。お話がしたいのなら外へ出て行ってもらえませんか? 皆様にご迷惑がかかりますから」
ついにエメランタ様ははっきりとこう口にした。彼女からすればサッサとここから出て行け!という意味合いだった。
ところが言われた男はそうは受け取らなかった。
「そうだよね。じゃあ中庭で話そうよ」
そう言うと、レックスはエメランタ様の手首を掴むと勢いよく歩き出した。
「えっ?」
エメランタ様は驚いているうちに図書室から引き摺り出され、あっという間に中庭に連れて来られてしまった。
そこには小さな噴水があり、その周りにはいくつものベンチがあって、多くの学生達がのんびりと昼休みのひと時を過ごしていた。
そこはエメランタ様の憧れの場所だった。あんな明るい場所で友人達と会話を楽しみたいと。しかしそれは叶わない夢だと諦めていた。何故なら……
「手を離して!」
エメランタ様は淑女としてはあるまじき金切り声をあげて、レックスの手を振り解いたという。そして急いで建物内に戻ろうとした。
しかしそんな彼女の周りを数人の男子生徒が取り囲んだという。
「ねぇ、何をそんなに怖がってんだよ。こんな人目につく場所で悪さなんかしないから心配しないでくれよ」
男子生徒の一人がこう言ったので、エメランタ様はその生徒を睨みつけながら言った。
「私に一体何の用があるのですか!」
「へぇ! 病弱公女様だという噂だったから、てっきり大人しい子なんだろうと思っていたんだが、見かけによらず気が強いんだな」
「僕達は、孤独で寂しそうな公女様の話し相手になって差し上げようとしているだけですよ。誤解しないで下さいね」
「私は孤独でも寂しくもありません。私は図書室で調べたいことがあるので戻ります。そこをどいて下さい」
エメランタ様は早くその場から離れたかった。しかし彼らの作った人壁からはなかなか抜け出すことができなかった。
公女様が困っているということは、近くにいた生徒達にも一目瞭然だったので、皆助けに行きたいと思った。
しかし彼女を取り囲んでいた生徒達全員が、飛ぶ鳥を落とす勢いの国王派の高位貴族の令息達であったので、皆が二の足を踏んでいた。
それでも誰かが呼びに行ってくれたらしく、やがて二人の教師が飛んできた。
「何をやっているんだ君達は!」
「先生、何を慌てているんですか?
僕達は公女様と楽しく話をしているだけですよ」
「楽しくだと! ふざけた事を言うな! カーネリアン公爵令嬢をよく見てみろ!」
教師に怒鳴られて公女様に目をやった男子生徒達は、一様に絶句した。
何故ならエメランタ様の真っ白でスベスベの陶磁器のような顔が、それはもう真っ赤になっていたのだ。いや、よく見るとそこには、まるでまだら模様のように濃い赤と薄い赤色の斑点ができていた。
しかも顔だけではなく、首元や手首や掌にまで。
その時、レックスの叫び声が辺り一面に響き渡ったのだ。
「何だ! この醜女は!」
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