第19章 愚兄
いつもより長い散歩を終えて別棟へ戻ると、なんとそこで私達は、両親と兄の出迎えを受けた。
三人とも昨夜は元コールドン侯爵家の屋敷だった、あの共同住宅のゲストルームに泊まっていたのだ。
「ずいぶんとゆっくりデートをしていたのね。一緒に朝食を取ろうとずっと待っていたのよ」
「全くだ。お腹ペコペコだよ」
「デートなどではありません。日課にしているただのお散歩です」
デートという言葉に私が焦ってこう言うと、母や兄に続いて父までがこう言った。
「アルフレッド様から話は聞いたのだろう? ん? 誤解が解けたのならもう二人は恋人同士だ。なら、ただの散歩もデートということだろう、なあセーラ?」
「お、お父様。そんな単純な話ではないのです。それはお父様もよくご存知でしょう?
男のお父様には乙女心がおわかりにはならないかもしれませんが」
ねぇ、お母様、と母に同意を求めるように視線を向けると、母は三日月のような目をして妙な微笑みを浮かべた。
「あら、そもそも恋愛なんて単純なものなのよ。
相手のことなんて何にも知らなくても一瞬で恋に落ちて、そのまま仲良く一生添い遂げる夫婦だってざらにいるのだから。
それに比べてセーラは巻き戻る前の人生で、二度も同じ相手に恋をしていたのでしょう?
二度あることは三度あるっていうでしょ。貴女達が恋に落ちるのは自然なことよ。いいえ、もう落ちているのではなくて?」
「エーッ!!」
いつにない母ナタリアの強引な話に、私は驚きの声を上げてしまった。しかし隣のアルフレッド様はニコニコしている。エーッ!!
た、確かにアルフレッド様やエドモンド様から愛されていたというのが真実ならば、私は失恋していなかったことになる。けれどもそれはやり直し前の人生のことで、今は別の人生を生きているのだ。
そう頭で考えながらも、そもそも別の人生だと私が割り切れていたのなら、もう恋なんかしない、誰とも結婚しないだなんて頑なに主張する必要は無かったのだ。
そんな当たり前のことにようやく思い至った私は、ダイニングテーブルの椅子にヘタヘタと座り込んだのだった。
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遅めの朝食を取った後はコーヒーを飲みながら、そのままダイニングで話し合いが始まった。
父がテーブルの上に書類の束を置いた。
「先日アルフレッド様から依頼された調査結果です。貴方の記憶されている方々の現在の状況が記してあります。
セーラとバーバラの入れ替わりや、貴方が既に国王派の多くの悪事を暴いて処分したことで、昨夜お聞きしていた話とは多少状況が変わってきているようです。
しかし、諸悪の根源である連中はほとんど変わっていないようですね。彼らは叩けばいくらでも埃が出てきそうですよ」
「ありがとうございます、子爵。お手数をおかけします」
「とんでもない。記憶にはありませんが、どうせ以前の私も貴方の仲間として行動を共にしていたのでしょう?
私は亡き父同様に隠れ前国王派ですからね」
「ええ。参謀として先頭に立って頂いていました。フランシス卿にもね」
「えっ! 僕もですか?」
フランお兄様が思わず聞き返した。
「ええ。貴方は僕の側近でした。貴方はとても優秀な方でしたから、僕がお願いしたのです。
父である国王は貴方の従兄であるレックスを押してきましたが、さすがに断固拒否しましたよ。
あの男にこちら側を探る能力があるとはとても思えなかったけれど、だからといってアレに余計な配慮をするのは面倒でしたからね。それに正直そんな無駄な余裕はなかったしね」
元兄レックスに対する物言いが段々と雑になっていくことに、フランお兄様と私は苦笑いをするしかなかった。
確かにアレは鬱陶しくて邪魔な存在で、なるべく関与したくない人だった。
何せ能力が人並み以下なのにプライドだけが異常に高くて、とにかく面倒くさい男なのだ。
その上話し合いをしようにも全く会話が通じない。まるで異世界人のようで相手をするのがとても疲れると皆が言っていた。
もっとも、あの元兄にとって不細工な私の存在は、妹でも何でもない無の存在だったらしいが。
だから彼にはいつもスルーされ、直接のコミュニケーションは皆無だったので、私自身はむしろとても楽だったのだけれど。
コールドン侯爵夫妻は最初の子で、しかも父親のマックスに瓜二つの嫡男レックスの誕生に狂喜乱舞したそうだ。
というのも、二人の結婚は周りから祝福されたものではなかったからだ。何せ父には婚約者がいたのに母と浮気をして子供まで作ったのだから。
しかも、
「あんな阿婆擦れの産む子なんて誰の子なのかわかったものじゃないわ。
もし毛色の違う子供が生まれてきたら、ただでさえ能無しの長男のマックス卿なんて廃嫡になるのじゃないの」
「ご次男のアンドリュー卿が跡を継いだ方がお家安泰なのにね。
あの方は容姿だけでなく文武両道で、性格もお父上の侯爵に似て人格者ですものね。
生まれ順が逆になれば良かったのに、本当にコールドン侯爵ご夫妻がお気の毒だわ」
こんな世間の噂に晒されていたのだから、二人は子供が産まれるまで針の筵だったろう。
だからこそ父親似の長男誕生に、彼らは舞い上がったというわけである。
しかしこの長男の誕生が、却ってコールドン侯爵家の凋落の始まりとなったのだから
皮肉なものだ。
息子をただ溺愛し、猫かわいがりをして真っ当な貴族教育、いや人としての家庭教育をしなかったために、レックスはただプライドだけ高いナルシストになってしまった。つまり、父親同様の能無し非常識な男に。
もっともいつもご令嬢に取り囲まれていたために、本人はもてているつもりだったようだ。しかし実際は違っていた。
元兄レックスの存在は、ご令嬢達にとっては、単なる飾り物に過ぎなかった。
つまり美しい人形や舞台俳優と同じだったのだ。ただ眺めている分にはいいが、頼り無さ過ぎて夫には向かない。
いくら背が高くスタイルが良くても、全く体を鍛えていないので、恋人や妻が隣でよろめいても支えることさえできないだろう。
あの当時とある人気のお芝居の影響で、若いご令嬢達は皆、パートナーにお姫様抱っこされることに憧れていた。
つまり、ただ美しいだけではなく、筋肉がちゃんと付いていて、なお且つ細身の男性が人気だったのだ。
そう。エドモンド殿下やフランお兄様のような。しかも二人は容姿だけでなく頭脳明晰で武道に長けた人格者だ。
レックスはなまじこの二人の側にいたせいで余計に粗が目立っていた。だから彼は高位貴族のご令嬢達の結婚相手の対象からは外されていた。
それ故に、たとえコールドン侯爵家から申し込んだとしても、レックス様とだなんて釣り合いが取れないのでご遠慮させて下さいとやんわり断られていたのだ。
もちろん彼らは、自分達が断られているということに気付きもしなかっただろうが。
私がエドモンド様の婚約者に選ばれた時、両親はこれで兄にもっと良い縁談が来るのではないかと期待を膨らませていた。
しかし、実際は当然そんなことにはならなかった。そのことで私はずいぶんと両親から詰られたものだ。今思えば理不尽な話だ。
「貴女は第一王子殿下の婚約者なのだから、王族に近い高位貴族とも親しくなれる立場でしょ。それなのに何故そこのご令嬢に自分の兄を紹介しないの?
えっ? お付き合いがないですって! 貴女はまともな社交もできないの? なんて情けない子なの。本当に貴女は役に立たない子ね。
できないなんて弱音を吐かないで、愛する兄のために努力をなさい!」
たとえ私がどんなに努力をしても、兄と高位貴族のご令嬢の縁が結ばれることはなかっただろう。何故なら努力が必要なのは私ではなく、レックスお兄様自身だったのだから。
それに、そもそも私は兄を愛してなどいなかったので、あの男のために努力するなんてあり得なかったが。
それにあんな人間を紹介して、他所様のご令嬢を不幸にしたくはなかった。たとえもしそれが、私を虐めていた性悪な方だったとしても。
そんな元兄に関する忌まわしい過去を振り返っているうちに、私はとても大切な友人のことを思い出した。何故今まで思い出さなかったのかしら。そして思わず大声を上げてしまった。
「お父様、エドモンド様、エメランタ様は今どうされていますか?」
と。
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