第16章 誘い
アルフレッド様の誕生日の翌日、私は朝の散歩に誘おうとして、いつものように別棟のアルフレッド様の元を訪ねた。
するとアルフレッド様もいつも通りに身支度をして待っていてくれたのだが、目の下にクマができていて酷く顔色が悪かったので驚いた。夕べはとても元気そうだったのに。
「体調が良くないのなら今朝の散歩は止めておきますか?
すぐにハッサン先生に来て頂きましょう」
と私は言った。
かつてコールドン侯爵家の主治医だったハッサン先生は、二年前の私とバーバラの入れ替わりの件の後、侯爵家の主治医を辞めていた。侯爵家に強い不信感を抱いたからである。
そしてその後ハッサン先生は、新しい父であるコールドン子爵の推薦で王宮のかかりつけ医となった。
王宮医師団長が父の学園時代の友人だったのだ。
ところが最近になってハッサン先生は、その宮廷の医師団長から薬草研究所の所長を任じられた。長年患者を診る傍らで進めていた薬草の研究が、多くの医師達から認められたからだ。
そしてその研究所というのが、コールドン子爵領近くの国有地にあった。そのため父はハッサン先生に、アルフレッド様を定期的に診察して欲しいと依頼したのである。
「先生に診て頂かなくても大丈夫です。目の下にクマができているのは、単なる睡眠不足ですから」
「まあ! お誕生日会で興奮して眠れなかったのでしょうか。
今からでもまた横になられた方がいいのでは? ホットミルクを飲むと眠れるそうですよ。すぐにお持ちしますから」
私が慌てて別棟を出て本館の調理室へ向かおうとすると、アルフレッド様に手首を掴まれた。
「興奮したのは確かですが、眠れなかったのは、今日貴女に話すことを色々と整理して考えていたからです」
アルフレッド様の意外な言葉に私はキョトンとしてしまった。私に話したいこと?
何か珍しいご本でも読んで、それを聞かせたいのかしら?
それとも最近の国際情勢や経済についてかしら?
何もそんなことで前日から悩まなくてもいいのに、なんてことを考えていたら、アルフレッド様が私に片手を差し出して、
「散歩をしながら話そう」
と言ったので、私は素直にその手を取って頷いた。
朝の眩しい木漏れ日の中を歩きながら、アルフレッド様は何度も深呼吸しながら、ようやくこう口を開いた。
「セーラ嬢、僕は来月隣国へ留学することにしました」
「まあ、それはおめでとうございます。これからは生きた学問が学べますね。
近頃ずいぶんとお元気になられていましたから、もうお体の心配はいりませんね」
アルフレッド様がここへ療養に来た時には、体調が元に戻るまでには二年はかかるだろうと言われていた。それを考えるとずいぶんと回復が早い。本当に良かった。
ただでさえ十三歳といえば、前の人生ではその一年前には帰国していたのだから、本来より三年も遅れての留学になるのだ。
まあ考えようによっては十歳で留学するより、今の年齢で行った方がずっと身になるかも知れないけれど。
私がそんなお節介なことを考えていたら、名前を呼ばれたので顔を上げると、アルフレッド様の顔が私の息がかかるほどすぐ近くにあった。そして真っ直ぐに私を見ていた。
私が驚いて離れようとすると、アルフレッド様に正面から両手をきつく握られてそれは叶わなかった。
「アルフレッド様?」
「セーラ嬢、僕と一緒に隣国へ留学してくれませんか?」
「えっ? 何故私が?」
「だって貴女は僕の護衛騎士なのでしょう?」
「どうしてそれを?」
「子爵様に昨夜伺いました。貴女はずっと剣や武術を習っていて相当な腕前だそうですね」
「確かに私はまだ正式な護衛騎士ではありませんが、師匠からは准騎士同等の力があると言って頂きました。
ですが、今回私がアルフレッド様の側にいたのは、私が護衛騎士に向いているかどうかの適性テストも兼ねていたからです。
もっともあんなに素晴らしいお付の皆さんがいるのですから、私の護衛なんて必要なかったでしょうが。
ですから、もしこのテストに合格したら、大変申し訳無いのですが、私は母や将来兄の妻になる方の護衛をしたいのです」
「隣国の学園は学生でない者は中に入れないのです。だから護衛や侍従を連れて行きたい場合は、その者も学生として学ぶ者でなくてはいけないらしい。
しかし、留学試験に合格できるほど優秀で、しかも護衛ができる同年代の者を見つけることは難しい。
元々こちらを保養先に決めたのも、コールドン子爵令嬢が大変優秀で、しかも剣や武道を習っていると知ったからなのだ。
それに貴女は隣国バーストン王国の騎士学校に入学を希望していると聞いています。
その騎士学校は僕の入る予定の王立学園と同じ敷地内にあって、ダブルスクールも可能だそうです。君にとっても悪い話ではないと思う」
それを聞いて私は驚愕した。
お父様に嵌められた!
私が一生結婚したくないから護衛騎士になりたいと言った時、お父様はお母様やお兄様のようには反対しなかった。だから一応認めてくれているのかと思っていたのだが。
ん?
あれ?
それとも結婚しないことを認めてくれたからこそ、私がアルフレッド様の護衛になるように仕向けたのかしら? 一緒に留学できるようにと。令嬢が一人で留学するなんてあまり聞いたことがないし。
『娘に護衛をされるなんてとんでもない。母親とは子供を守るためにいるものなのよ!』
『妻を守るは夫の役目だ。そしてかわいい妹を守ることもな!』
お母様とお兄様はずっとこう言い続けているから、私はコールドン家の護衛騎士にはなれないかもしれない。
それを最初から見越して、お父様はアルフレッド様の依頼を受けたのかも知れない。
将来本当に護衛騎士になるかどうかはともかく、隣国へ留学して色々なことを学べば、きっと将来役に立つと考えてくれたのかも……
確かに留学して幅広い知識と人脈を得られれば、将来領地のために役立つかも知れない。さすがお父様。
しかしそうは言っても、お父様はあまりにも乙女心がわからなすぎる。
今は会うのが平日の日中だけだったから、まだどうにかなっているのだ。
それが一日中ずっとアルフレッド様の側にいることになるのは、無理がある。辛過ぎる。
しかも留学期間は二年ではなく、その倍の四年を予定しているというではないか。
そんな長い期間共に過ごして無心でいられるわけがない。巻き戻る前の時には、会わなくなってからアルフレッド様を好きだと気付いたが、今回は好きだったという過去の記憶を既に持っているのだから。
きっとすぐにまた私はアルフレッド様を好きになって、また報われない思いに苦しむに決まっている。そんなのはきっともう耐えられない。
私は震える自分の体を自分の両手で抱きしめながら、アルフレッド様を見つめて言った。
「お誘いありがとうございます。しかし、私には身に余るお役目ですのでお断りさせて頂きます」
「何故? 君は自由に好きなことを勉強していいんだよ。子爵は優秀な君に勉強の機会を与えたいと思っていらっしゃるんだ。
この国の女性は高位貴族でないと普通、留学ができないから。
経費はもちろんこちら持ちだよ。僕の護衛をお願いするのだから」
お父様の気持ちはありがたいし、嬉しく思う。けれどそれでも……
「僕の側にいたくないから貴女は断るの?
僕が嫌いだから……」
アルフレッド様が悲しい顔をして呟いた。その顔を見て胸がギュッと苦しくなった。
何故そんな切なそうな顔をするの? 今迄ずっと私とは目も合わさず、いつもよそよそしい態度をとってきたでしょう? 私が怖くていつもビクビクしていたでしょう?
それなのに今更一緒に留学しようだなんておかしいでしょ。いくら世話になったお父様に頼まれたとしても。
無言の私に、それを肯定と捉えたのだろう。アルフレッド様は泣きそうな顔をして右の手でクシャリと側頭部の髪の毛を掴んだ。
それを目にして私は瞠目した。何故ならその仕草が、かつての婚約者の癖によく似ていたからだった。
読んで下さってありがとうございました!