これから始まる~おかえり!
「来月また帰るから」
「...分かった」
夢のような時間が終わり、今日は1月4日の朝。
兄さんが下宿先に戻る日。
ゆっくり過ごせたのは元日の1日だけ(しかも昼から)だったけど悔いは無い。
念願の兄さんと恋人同士になれたんだから。
「ほら彩希、泣かないの」
「泣いてないよ」
母さんは私の背中を擦る、そんな事したら本当に泣いちゃいそうだ。
結局兄さんと出来たのは初詣デートだけだったし。
「ごめんな、塾のバイトを入れちゃっててさ」
「ううん」
兄さんは大学近くで塾講師のバイトをしている。
責任が有るんだよね、私だってバイトをしているから分かるよ。
「このまま直接バイト先に行くの?」
「うん、夜の8時までね」
母さんが兄さんに改めて聞いた、今午前8時だから昼からのバイトって事かな。
「途中で食べなさい」
「父さんありがとう」
兄さんに手提げ袋を手渡すお父さん。
中にはお父さんお手製のお弁当、兄さんの大好物が一杯入っている。
「彩希、バイトが終わったら連絡するから」
「うん」
扉を開けた兄さんは振り返り、携帯を見せて笑った。
ドアの向こうには待たせているタクシー、そのまま新幹線の駅に直行する予定。
連絡先は教えて貰った、いつでもお話出来るんだ。
寂しくなんか無い、寂しくなんか...
「...兄さん」
兄さんが出て行った。
扉が閉まったと同時に抑えていた涙が溢れ出す。
力が抜けて、立ち上がる事が出来ない。
「行っちゃたね」
母さんがポツリと呟く。
「駅まで見送らなくて良かったのか?」
「良いの」
駅のホームで泣きじゃくったら兄さんに余計心配を掛けてしまうじゃない。
「リビングに戻ろう、ここは寒い」
「彩希、冷えちゃったからコーヒーをお願い」
「はい」
リビングに戻ってコーヒーを準備する。
豆を挽くミルは確かここに...
「焙煎したてを兄さんに飲んで貰うの忘れてた」
そうよ、兄さんに焙煎したての豆でコーヒーを淹れる約束だったんだ。
元日に寝過ごして、そのままになってた。
「...兄さん」
ダメ、また涙が...
「彩希、悠太と何かあった?」
「何って?」
何の事だろう?母さんの言葉の意味が分からない。
「だから、昨日も一昨日も、バイトのお迎えに悠太が行ったでしょ?」
「うん」
確かに、兄さんは2日続けて迎えに来てくれた。
「その後よ、私達は家に居なかったでしょ?」
「ええ」
帰ったら、お父さんとお母さんは居なかった。
書き置きしてたな、[朝まで帰りません]って。
「あなた達、何も無かったの?」
「あ!」
そういう意味だったのか!
私と兄さんの時間を作る為に2人は、そうとも知らず、私達はのんびりおしゃべりしてただけだった。
何も無かったよ。
肩を抱かれる事も、キスも...その先も...
「呆れた」
「まあ仕方ないか」
呆れ顔の2人だけど、そんな気を使うなら、書き置きに何かヒントが欲しかったよ!
「悠太も踏み出さないとな」
「そうね、彩希も黙って待ってたら何年経っても孫は見れないわ」
孫って、そんな。
あんな事や、そんな事まで....
「彩希、今日と明日はバイト休みよね?」
母さんが真っ赤な顔でうつ向く私に優しく聞いた。
「うん、マスターが休みなさいって」
年末年始頑張ったからね、バイト代も弾んでくれた。
「お父さん」
「分かった」
お父さんは立ち上がり、何やら準備を始めた。
「何を?」
「いいから、彩希は座ってなさい」
「はい」
有無を言わせぬ態度のお母さん、大人しく従おう。
1時間後、私はお父さんの運転する車に乗っていた。
お母さんはニコニコ笑顔、これって?
5時間後、私は母さんから預かった鍵で扉を開く。
部屋の中は洗った洗濯物が無造作に置かれていた。
「よし!」
洗濯物を畳み、箪笥に仕舞う。
掃除機をかけている私の頭は妄想で全開。
「次は...と」
持参した荷物を開ける。
小さなキッチンでコーヒーの準備。
焙煎機から立ち上る香ばしい香りが部屋を包んだ。
「ん?」
ポケットの携帯が...
[彩希、もうすぐ着くから、待っててくれ]
「うん待ってるよ」
兄さんのメールに笑みが止まらない、直ぐに返事を返す。
[はい]
短いけど、これで十分。
「あれ?電気が、消し忘れたかな?」
玄関が開く。
兄さんの焦った声に、私は駆け出す。
「おかえりなさい」
「あ、え?彩希?」
玄関で出迎える私に、荷物を肩に掛けたままの兄さん。
事態が飲み込めない様だ。
「お父さんに送って貰ったの」
「どういう事?」
「お泊まりの用意もバッチリだよ!」
「へ?」
部屋には私の荷物、着替えからパジャマ、毛布まで、母さん達が準備してくれた。
「父さんと母さんは?」
「近くにホテルを取ったって、明日そのまま帰るそうよ」
「あの夫婦は全く」
呆れた様子の兄さん、鞄を床に下ろして中に入った。
「まさか掃除も?」
「うん、洗濯物もバッチリだよ」
「はぁ...」
溜め息を吐く兄さん、大丈夫だよ。
「何も触ってないから」
「それは何があったか知ってるって事だろ?」
「まあね、そんな事より座って」
赤い顔の兄さん、背中を押してテーブルの椅子に座らせた。
「はい」
兄さんの前に置いたのは、もちろん
「いい匂いだ」
立ち上る淹れたてのコーヒー、ちょうどのタイミングで用意したんだよ。
「美味しいよ、ありがとう」
「どういたしまして」
綻んだ笑顔、これよ、この瞬間を待ってたの!
「改めて、お疲れ様」
少し疲れた様子の兄さんに微笑んだ。
「ただいま彩希」
兄さんは私を優しく抱き締めて...
...キスをした。
ファーストキスはコーヒーの味、幸せ...この幸せを決して離すもんか!
「おかえり!」
もう一度キスをする。
『絶対に離れないよ!』
そう心に誓った。
ありがとうございました。
後日エピローグと番外編(ifストーリー等)を別途あげます。