元日の朝に~浜田真弓の話。
「...はい、分かりました...それでは伺いますので」
通話が終わり、携帯をポケットに押し込む。
イヤな汗がマスクを伝い、口の中に流れ込んだ。
帽子を目深に被り、サングラスで目元を隠す姿は異様に映るだろう。
元日の朝からこんな格好で出歩きたく無い。
本当は、この街にだって帰ってきたくは無かった。
「でも行くしか無い」
溜め息が出るが、今から会わねばならない、共に悪夢へ堕ちた1人の女性と。
『はい』
目的の家にあるインターホンを押すと中から返って来た声、懐かしい筈だが、今は聞きたくない人の声。
「...浜田です」
「どうぞ」
「失礼します」
扉が開き中から顔を出したのは山本友加里、高校時代の同級生。
余り親しくした記憶は無い、彼女は私と違い目立たない人だった。
「利香さんは?」
「昨日倒れてね、さっき病院から戻って来た所」
「倒れた?」
「家を飛び出して、ハンバーガー屋の店内で気を失って救急車で運ばれたの」
「そうですか」
利香が阿久津に自分の忌まわしい画像を流出されて大学を中退し、実家に連れ戻された事は聞いていた。
私と同じだ、阿久津に再び関係を迫られて拒否したのだろう。
「ここよ、今は落ち着いてるけどね、さっきまで暴れて大変だったわ」
部屋の前で友加里は立ち止まる。
振り返った彼女の瞳に、憎しみと懇願の色が滲んでいた。
「下で待ってるから終わったら来て、私の家族も貴女の話を聞きたいの」
「分かった」
「お願いします」
声を震わせ友加里は静かに立ち去る。
不気味な空気が部屋だけでなく、この家を包み息が詰まりそうだ。
正月の朝なのに何の臭いも、物音1つしないのだから。
「いいかしら?」
「...はい」
扉をノックする、中から返事が、久し振りに聞く利香の掠れた声。
「開けるわね」
扉を開けるとベッドから上半身を起こした利香が死んだ目で私を見ていた。
何も映してない瞳、血の気の無い顔、窶れた身体は昔の利香とは完全に別人だった。
「何しに来たの?」
扉を閉め、あまりの変貌に立ち尽くしていると、利香が呟いた。
「話をしたくて」
「話す事なんか無いよ」
利香はそう言うと私から視線を外す。
私だって話たくない、忌まわしい過去なんか思い出したく無い。
「悠太に会いに行ったんだって?」
『悠太』その言葉に利香の身体は震えた。
「今の私達に会う資格は無いのよ」
「ふざけるな!」
利香は手元のクッションを掴むと、私に投げつける。
クッションは私のサングラスを直撃し、床に落ちた。
「あんたは悠太の恋人でも無ければ幼馴染みでも無いくせに!
私と悠太の傍をチョロチョロとしてた女が!」
「...そうね」
その通りだ、私は悠太の周りをチョロチョロして利香の邪魔をしていた邪魔者だった。
落ちたクッションの上に座り、視線を利香に合わせた。
サングラスの下にある私の目を利香に見せる為に。
「...嘘...真弓さんなの?」
「ええ、浜田真弓よ。クズに裸の画像を流されて自殺まで考えた浜田真弓」
マスクも取る。
利香は何も言えず、口を大きく開け固まってしまった。
「整形を」
「整形?」
「クズが流した画像は貴女の物と比べ物にならない程に鮮明だった。
あっという間に、私の画像だって知られてね」
「...そう」
「私も一緒、大学に居られなくなった。
そのまま実家に連れ戻されてね、大学に入り直す前に...親に言われて」
涙が頬を伝う。
二重だった私の目は腫れぼったい一重に...鼻だって大きな団子鼻。
一目じゃ誰も私と気づかないだろう。
「...ごめんなさい」
利香は視線を逸らしながら呟いた。
白い顔が震え、怯えている。
「良いの、私は自分からクズに近づいたから」
どうして私はクズに近づいてしまったのか。
後悔しても、しきれない。
クズの悪評は聞いてた、生徒会長の私があんなにアッサリ騙され...
「肯定されたかったのかな」
「肯定?」
「ええ、彩希の存在ね。
あの子は本当に悠太の...伊藤君の事が大好きだったでしょ?
勝負しても勝てない、女として肯定されたかった」
「それで」
「甘い言葉にのせられて...本当滑稽ね。
ハーレムなんかで私が幸せになれる訳無いのに」
「それは私も!」
利香も疑心暗鬼になっていたんだ。
でも彩希は自分を殺していた、悠太も彩希に向ける感情は紛れもなく妹に対する物。
何より利香が大好きな事は間違いなかった。
...あの時点では。
「結局、私達はクズに踊らされて自滅したのね」
「...ええ」
涙を流す利香、彼女の場合恋人を裏切ってしまった分、後悔が私より大きいかもしれない。(過失も大きいが)
「クズには報いがあった」
「報い?」
「ええ報いよ、クズは車に跳ねられて首から下が動かないそうよ、更に顔に硫酸を」
「死んだの?」
「残念だけど死ななかった、いや死んだ方が楽だったかな」
自分でも驚く程、冷酷に話せる。
「まさか先輩が?」
「違うわ、そりゃ自分がしたかったけど」
さすがに出来ない。
あんな奴の為に傷害で捕まるのは真っ平だ。
「じゃあ誰が?」
「さあね、犯人は捕まって無いし...周到な用意がされてたみたいで」
実際、クズを恨んでた奴は多かった。
私も事情聴取を受けた。
利香は地元を離れていたから知らないか。
「そんな所ね」
「そうですか」
スッキリはしないだろう、私もだ。
「大丈夫、あんな画像じきに埋もれていくから」
「そうでしょうか?」
「ええ、知り合いに頼んで貰ってね。
凄く有能な団体が削除に乗り出してくれたの」
「...はあ」
不安そうだ、私もだけど。
『一旦流出した画像は無くなる事は無い』ハッキリと言われた。
でも頻度は減るだろう。不安に怯える日々は続くが仕方ない。
「私もいつか顔を取り戻すよ、だから利香、頑張って生きましょう」
「でも私...もう全て失って」
「純潔は失ったけど、だから女の幸せは失って無い。
恋人が浮気して別れた女は幸せになれないの?
子供を持った母親が旦那の浮気で別れたら、もう終わりなの?」
「...それは」
詭弁、自分でも分かるくらいの欺瞞な言葉。
でも言うように頼まれた、あの人達に。
「そういう事、後は裏切らない事が大事よね」
「先輩!」
真っ赤な顔で叫ぶ利香、成る程効果的だな。
単純で羨ましいよ。
私の時は違う励ましだった。
世間体を気にする余り、徹底的に整形させた両親を、あの人達は叱り飛ばした。
『ここまでする人がありますか!?
プチ整形や化粧でいくらでも誤魔化せるのに!』
「どうしました?」
「なんでも」
あの光景を思い出すと希望が湧いてくる。
他人の為にあれ程真剣に向き合ってくれる人も居るんだって。
「...先輩は凄いです」
「そうですか?」
「ええ、私死ぬ事ばかり考えてましたから」
「死んじゃ駄目よ」
「分かってます」
利香は力強く頷いた。
こんなに上手く行くなんて。
あんな両親に育てられた彩希に勝てる訳無かった。
小さな溜め息を吐くのだった。