大晦日、そして新たな...
「ただいま!」
玄関に置かれた兄さんの靴を確認して、私はリビングへと駆け込んだ。
「彩希お帰りなさ...」「兄さんは?」
母さんの言葉を聞き流し、私は兄さんの姿を探した。
「悠太は自分の部屋だ、少し落ち着きなさい」
「はい」
お父さんに叱られてしまったけど仕方ない、何しろ1年半も会ってないんだよ。
あのバカが私を襲ったりしなかったら兄さんと離れずに済んだのに。
「おかえり彩希」
「....兄さん」
兄さんが優しい笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
変わらない笑顔、少し痩せた?
以前より引き締まった身体と表情は兄さんの魅力を一層増していて...
「兄ちゃん!」
「わっ!」
もう我慢が出来ない、出来る筈が無い!
「兄ちゃん...兄ちゃん」
胸に顔を埋め、身体を押し付ける。
駄目、涙が...
「それくらいにしなさい」
「そうよ、悠太が困ってるじゃない」
「うん」
両親の声に身体を離す、少し落ち着いたから良しとしよう。
「お蕎麦にしましょ」
「そうだな、早速作るとしようか」
父さんはキッチンに向かう。
以前レストランの料理長だったお父さんは馴れた手つきで料理を始める。
お母さんも料理が出来ない訳じゃないけど、お父さんには敵わない。
お母さんは食器を用意しながら、お父さんの傍を離れない。
本当にアツアツだ、羨ましい。
「父さんの料理久し振りだな」
蕎麦を啜りながら呟く兄さん、1年半振りだしね、気持ちは痛い程分かるよ。
私は横目でチラチラ兄さんを見る、味なんか分からない(父さんゴメン)
「ごちそうさま」
蕎麦を食べ終え、食器を片付ける。
今度は私の出番!
「コーヒーで良いかな?」
「彩希が淹れるのか?」
「うん、バイト先で空いた時間に練習させて貰ってるの」
「へえ...」
兄さんは驚いた顔、でも自信あるんだ。
この時の為にバイト先をコーヒーが美味しいと評判の喫茶店決めたんだから。
「まあ見てなさい」
「そうよ、彩希ったらバイト代をコーヒーの器具と豆の購入にしか使わないんだから」
「ちょっと!」
なんで先に言っちゃうの?
そりゃ何回も味見して貰ってるけど。
「はいお待たせ」
豆は持って帰ってきた、店の物を使った。
マスターに無理を言って分けて貰った最高のコーヒー豆。
焙煎や挽いたりもマスターがしたんだけど。
「...旨い」
「本当にね」
「こりゃ大したもんだ」
兄さんの言葉、最高の賛辞、全ての努力が報われた!
「明日は私が焙煎した豆で淹れたげるね」
焙煎の道具も買ってある、何度も練習したから完璧だ。
「ありがとう彩希」
「はう!」
兄さんの笑顔が私を魅了する。
なんて素晴らしい一時なんだろう。
和やかな時間、コーヒーはあっという間に飲み干された。
「彩希、少し良いかな?」
「はい?」
お代わりのコーヒーを淹れると、父さんと母さんの空気が変わる。
どうしたんだろ?
「今年の内に話しておきたい」
「ええ」
父さんと母さんに続いて兄さんも頷いた。
なんだろ、まさか兄さんとの交際は反対とか?
冗談じゃない、こんなに我慢してきたのに!
「あの事件の事だ」
「あの事件...ってまさか?」
「そうよ、利香ちゃんと浜田さんの」
血の気が引くのを確かに感じる。
1年半前、私は襲われた。
バカが突然私を自宅近くで車に拉致を企てた。
それまで何度もバカは私を口説いて来たが、利香を兄さんから寝取った話を聞いていたので、バカには嫌悪感しかなかった。
業を煮やしたバカは強行手段に訴えた。
仲間の男数人と図り犯行に...
「あの時は間一髪だったな」
「兄さんが私を見守っていたからね」
兄さんが私の手を握ると震えが止まる。
でも複雑だったんだ、兄さんの部屋から呻く声を何度も聞いてたから。
『畜生...利香...バカ野郎』って。
車に押し込まれようとしている私に兄さんは殴り込んだ。
昔から空手で鍛えていた兄さんは瞬く間に男達を叩きのめし、私は助かった。
警察にも通報して事件は一件落着した筈だけど。
「阿久津ってのが厄介な奴でな」
「厄介?」
「ああ、ズル賢いとでも言えばいいのかな」
少し言い澱むお父さん。
あの事件の詳細は聞いた、阿久津には余罪があって少年院に収監されて、その後は聞いて無かった。
「『いつか悠太に仕返しを』そう少年院で嘯いてると聞いてね、潰すのに時間が掛かったって事よ」
冷えきった目で話すお母さん。
お母さんの実家は地元でもかなりの力を持っているって知ってたけど...怖いよ。
「心配するな、少し手助けしただけだ」
「手助け?」
父さんの言葉に首を捻るしかない、誰の手助けをしたの?
「バカの被害者、そんな所だよ。
随分恨まれていたようだな、だから俺は姿を隠したんだ」
「そうなの?」
気持ちの整理を着ける為だけじゃなくって?
「俺がここに居てバカに何かあったら俺が疑われるだろ?
だから離れた大学にしたんだ」
「それでも言ってよ!」
どれだけ寂しかったか!
いきなり遠くの大学にいっちゃうんだから!
「ごめんな」
兄さんの胸を叩く私の手を握りしめた、なんて力強いんだろう。
「気持ちの整理をしたかったのも本当だ。
本当に利香が好きだったし」
「兄さん...」
辛そうな顔...私ったら何てバカなの!
「でも今は何も感じない、母さんから聞いたよ。
アイツのバカな映像が流出したんだって?」
「うん」
利香がバカと撮った画像はネットに流出した。
誰が流したかは分からない。
バカは自慢気に見せびらかしていたそうだから。
利香はバカが捕まると逃れる様に地方の大学へ去ったが、流出した画像には利香の顔がハッキリと映っていた。
そしてバレたのだ、利香の大学の知り合いに。
「馬鹿よね」
「ああ」
本当に利香は馬鹿だ。
諦めてたんだ、だって利香姉さんは私にとっても大切な幼馴染みだったのに。
「話は以上だ、後はお前達だけで話しなさい」
「彩希頑張ってね」
「ち、ちょっと!」
父さんと母さんは笑顔でリビングを出ていく、その手はしっかり握られている。
「...彩希 」
「兄さん...」
長い沈黙、除夜の鐘が聞こえる、新しい年はこうして始まるのだった。