嫌いな祖母の死んだ話。
私は祖母が嫌いでした。
なぜなら、祖母が私のことを嫌いだったからです。祖母は私のことを悪く言いました。お前は悪い子だよ。とよく言われました。対して、兄と妹は祖母に好かれていました。お年玉の金額は兄、妹、私の順番でした。私は次男だったので、田舎の祖母の古臭い価値観からは一番優先度が低い存在だったのでしょう。
小学生の頃、祖母のところへ帰省するのは憂鬱でした。祖母の家にいるときは、毎朝私が朝食を作っていました。6人分のベーコンエッグとみそ汁をよく作っていました。普段は朝食を作ることはめったにありませんでしたので、祖母に認めてもらいたいという気持ちが少しあったのかもしれません。掃除や洗濯なども率先してやりました。それでも私は悪い子でした。とても健気ですね。
兄と比べられることが多かったです。昔の兄は輝いていました。兄の通知表はほぼ最高評価でした。私も優秀でしたが、昔の兄には敵いませんでした。成績だけではなく、色々な所で兄には敵わず、落ち着きのない私はよく叱られていました。兄と比べられて、叱られることがあっても、兄を嫌いになることはありませんでした。兄をとても尊敬していたからです。私が嫌いなのは祖母だけでした。
昔の妹は間抜けでした。時計の針が小学三年生になっても読めなかったのです。とんでもないことです。それでも妹は誰からも怒られませんでした。私は怒りました。
私が中学生になった頃、祖母は大腸癌になりました。私は祖母が嫌いだったので、驚きはしましたが、全く悲しくありませんでした。
祖母が癌ということは、親戚同士で話し合った結果、告知しないということになりました。当時の田舎の病院では、告知しないことも許されていたようです。祖母はしばらく入院することになりました。
三か月ほど入院した後、一時退院をしました。久しぶりに会った祖母は人工肛門になっていました。昔は畑仕事をするくらい元気だったのに、寝ていることが多くなりました。
そして、私を叱ることは全く無くなりました。逆に、○○は優しい子だねとかいい子だね。と私に対して言うようになりました。私はこれを聞いたときに嬉しいと感じるよりも、怖いと感じました。癌になってしばらく入院すると、弱々しくなって認知症のようになってしまうのかと恐怖を感じたのです。祖母は軽い認知症になってしまいました。
親がいないときに祖母と妹とテレビを見ているときがありました。その時、がん保険のCMが流れました。すると祖母が、なんかここから保険が出るみたい。と言いました。私は、ハッとしました。私はテレビから目を離さず、へーと言いました。どうやら、叔母が手続きする過程で知ったようなのです。私はへーと言いました。私は子供なので、何も知らない子供のふりしかできませんでした。ぼーっとしている妹を見て少し安心しました。
それから、三か月ほどして、祖母は死にました。予想よりはるかに早かったので、とても驚きました。それから、病院で白い布をかけられた祖母を見ました。それから、お通夜をしました。祖母のことは相変わらず嫌いだったので、まったく悲しくありませんでした。ただ、雰囲気がとても暗く、頭が重かったです。
それから、葬式がありました。会場はとても大きく、たくさんの知らない人が来てました。葬式中は早く終わらないかなと思っていました。そんな時、棺に入った祖母を見に行くことになりました。面倒くさかったですが、皆が順番で行くので、行くことにしました。
そして、初めて、死んだ祖母の顔を見ました。私には長く見ることはできませんでした。目を閉じて白くなった祖母は、少し微笑んでいた気がします。
それから、急いで自分の席に戻りました。私は顔を上げて歩くことができませんでした。席に座ると、後ろに座っていた母方の祖母から大丈夫と声を掛けられました。その時、私は泣いてしまいました。声を殺しきれず、ぐっぐっと言って泣きました。私はどうして祖母が嫌いだったんだろうとか、どうして癌のことを教えてあげなかったんだろうとか、もう会えないんだとか考えてしまいました。
下を向いて泣いていた僕に、隣の妹がどうしたの?と聞いてきました。私は何も言えませんでした。そして、泣いているのは自分だけでした。私はさらに悲しくなりました。どうして、嫌われていた僕がこんなに悲しんでいるのに、好かれていた妹は全然悲しそうじゃないんだろうと思いました。自分のことを嫌いな人の葬式で泣いてしまう自分が惨めで、また泣きました。
死んだ祖母のことを思い出すと、この恥ずかしい、情けない自分を思い出します。
だから、私は祖母のことが嫌いです。