四月の海は、冷たいだろうか
私は、"想像"することが好きだ。
たとえば。
今朝、ベランダに干してきた洗濯物。
今日は四日ぶりの晴れだ。あたたかいお日さまと、優しい風に揺られて、シャツもスカートも今ごろぱりっと乾いていることだろう。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
出窓に置いた、花の鉢植え。
今朝、少しだけ蕾が膨らんでいたから。
今日のこのお日さまを浴びたら、花を咲かせているかもしれない。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
昨日、揉み込んで漬けておいた、唐揚げのタネ。
冷蔵庫の中で今まさに、タレの味をぐんぐん吸い込んで……
それはそれは美味しい唐揚げになっていることだろう。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
今日はもう、何もしたくなくなっちゃったから。
このまま会社を無断で休んで、どこか遠くへ行ったら。
同僚たちは、どんな顔をするだろうか。
困るだろうか。怒るだろうか。
それとも少しくらいは、心配してくれたりするのだろうか。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
今、電車の窓から見えている、広い海。
この水の中には、数え切れないほどの生き物がいて。
大きいものも、目に見えないくらい小さなものもいて。
すごくすごく深い、光の届かないような場所には、きっとまだ誰にも見つかっていない魚がいて。
私には考えつかないような姿かたちで、生を紡いでいる。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
この海の向こうには、私の行ったことのない、よその国があって。
そこでは今、この瞬間も、その国の人たちが違う言語で話し、違う文化の中で、違う生活を営んでいて。
だけどきっと、同じように泣いたり笑ったり、争ったり、抱き合ったりしている。
それって、なんだかとても不思議。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
私が、今からこの海に入って。
この、スーツのまま入って。
いなくなったとしたら。
私を振ったあの人は、どう思うだろうか。
悲しむだろうか。苦しむだろうか。
あんなこと言わなければよかったと、後悔するだろうか。
どんな顔をして……私のことを、想うのだろうか。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
私がそのまま、海の藻屑と化したら。
私に、金の無心をしていた親は、どう思うだろうか。
金ヅルがいなくなったと。
明日からの生活はどうしようかと。
もっと従順で優秀な子どもが欲しかったと、後悔するだろうか。
そのまま、少しくらいは……悲しんでくれるだろうか。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
昨日の夜、残業から帰る直前。
部長のデスクに、爆弾を仕掛けてきたわけだけれど。
今ごろ、爆発しているだろうか。
セクハラを拒絶した私に、理不尽な嫌がらせをしてきたこと。
少しは、後悔するだろうか。
いや、後悔する前に爆発四散するだろうか。
あのハゲかけの毛髪もすべて、灰燼に帰すだろうか。
そうだったらいい。ぜひ、そうであってほしい。
それを、"想像"するのが、好き。
たとえば。
このまま、頭の先までとぷんと、海に沈み込んだら。
一体どのくらいで、死ぬことができるだろうか。
苦しいだろうか。苦しいだろうな。
けどきっと、その後に。
ふわっと、楽になるはずだ。
浮くのかな。沈むのかな。
確かしばらくすると、体内のガスがパンパンに膨らむんだよな。
だからきっと、浮くんだ。うん。
浮いた私の身体に、海鳥が羽休めに留まったりして。
それで、身体に湧いた蛆虫をつついたりして。
そしたら、面白いな。それは、とても面白い。
それを、"想像"するのが、好き。
嗚呼、だけど。
それらはすべて、ただの"想像"。
そんなことを考えている内に、通勤電車の窓からは海が見えなくなり、無機質なビルが建ち並ぶ風景へと変わる。
そうして、今日も職場の最寄り駅に、辿り着いてしまった。
──ICカードをかざし、改札を出ると、駅前がなんだか騒がしかった。
サイレンがあちこちで鳴っている。
慌ただしく走る消防車や救急車を横目に、会社を目指し歩く。
すると。
私の職場である会社のビルから、もくもくと、黒い煙が上がっていた。
ビルの周辺には黒山の人だかり。
焦げ臭い匂いが辺りに充満し、消防士さんたちが懸命に避難誘導をしている。
「五階でいきなり爆発だってよ」
「窓が割れてるってことは、窓際に仕掛けられていたのか?」
「部長、いつも三十分前には出社しているよな? あの位置で爆発って……やばいんじゃねーの?」
同じ会社の人が、深刻そうに話すのが聞こえてくる。
私は、真っ青な空に、真っ黒な煙が立ちのぼるのを眺めながら。
嗚呼、今日は本当にいい天気だなぁ。
洗濯物、よーく乾いているだろうなぁ。
と、ベランダで揺れる白いシャツを"想像"してから。
踵を返し、再び電車に乗り込んだ。
この時期の海はきっと。
まだ、とても冷たいのだろう。
しかし、それもまた"想像"でしかないから。
"想像"が、"現実"かどうか。
この足でちゃんと、確かめに行かなくちゃ。