61.フラジャイル・コーション
…………あつい。
呼吸は荒く、頭の中がぐちゃぐちゃして、とにかく暑かった。
どれだけ走っても、求めるものは同じだけ遠ざかっていく……そんな夢をずっと見ていたような気がする。
ずっと息が苦しくて、いつもどこか疲れていて、全く未来が見えなかった。
このところはそれを忘れられていた気がした。
どうしてだろう。
…………あつい。
どうしてわたしを置いて行っちゃったの。
どうして何も言ってくれなかったの。
そんなことばかり考えていたが、答えは当然出なくて。
いつしかわたしは自分が悪いんだと思うようになっていた。
…………あつい。
でも。
あのゲームを起動して。
会えるかもしれないという希望が見えた。
前へ進んでいればいつか会えるのだと。
そのためならどんなことをしても構わない。
何を犠牲にしたって願いを叶える。
絶対に。
「…………違うっ!」
ばね仕掛けのように起き上がった。
頭がぐらぐらして、全身が燃えるように熱い。
自分のいる場所が寮の自室であることを理解するのにしばしの時間を要した。
神谷はふらふらと視線を揺らすと、驚いた顔で固まっているアカネを視界に入れた。
ベッドのそばで神谷の机から持ってきた椅子に座っている。
「びっ……くりした……。いきなり起きないでよ……」
「アカネ……? アカネだ……あれ? ここどこ? アカネってどこにいたんだっけ……」
どうも記憶が曖昧だった。
アカネがいなくなったと聞かされたところまでははっきりと覚えているが、そこからが判然としない。
「あんた、雨の中あたしを探しに来たと思ったら目の前で倒れたのよ。そのまま気絶して熱出すし」
「え……あっ、そういえば頭痛いし死ぬほど暑いし寒気するし口の中が風邪ひいたときの味する……」
そう言えば窓の外が真っ暗だった。
そんなに寝てたのか……と自分に呆れる。
とにかく身体がだるくて、起きていられる元気もなかったので、ベッドに背を降ろす。
「はあ……あんた今食欲ある? 今みどりがレトルトのお粥作ってくれてるけど」
力無く首を横に振る。
お腹は空いていなかったし、そもそも食べるという動作ができるほどの体力がなさそうだった。
「……あーんしてくれたら食べるかも……」
「しないわよ、どうしてもっていうならみどりに頼みなさい。喜んでやってくれるでしょうし」
「冗談だよ……ね、陽菜は?」
「寝かせた。起きてるって言って聞かなかったんだけど、どう見ても部活で疲れてそうだったから」
「そっか……」
アカネは神谷と一週間ほどしか過ごしていないが、今の神谷がいつもと違うことはわかる。
甘えた態度をいつもほど隠していない。一緒にいてくれる誰かを求めているようだった。
もちろん体調を崩しているというのもあるだろうが、それを含めても変化があからさまだ。
気分が変に高揚しているのか、さっきから神谷はどこか蕩けるような笑顔のまま表情が動かない。
この少女は今、どのような精神状態にあるのだろうか……。
「……もう寝なさい。あたし、みどりにあんたが起きたって行ってくるから……」
立ち上がろうとしたアカネの手を、神谷の手が掴んだ。
熱した鉄かと思うほどに熱いその手を思わず振り払おうとしてやめた。
縋るような瞳と目が合う。
「大丈夫だから。二人でまたここに来るし、いなくなったりしないわ」
「……あは。優しいとこあるんだね、アカネ」
「別に優しくないわよ、普通よ普通。いくら嫌いでも体調悪い時にまで突っかかったりしないっての」
「でも……看病まではしないと思うよ」
「それは、あたしも昔……むか、し……」
アカネは口をつぐんだ。
不安げに視線をさまよわせた後、諦めたように肩を落とす。
まるで落とし物を見つけようとして失敗したような仕草だった。
「……わかんない。あんたが風邪ひいたのはあたしが勝手に外出したせいでもあるし、それに――」
「……それに?」
「あたしみたいだったから。大事なものを失くして泣いてるあんたが、今のあたしに似てて……じゃなくて! あーもうなしなし! 深夜テンションって怖いわ」
「アカネ…………」
少し嬉しかった。
アカネも自分と同じことを思っていたから。
自分たちの境遇は似ている。
お互いに、何か大事なものを失くしている。
「もう寝る! これ以上は優しくしてあげないからね!」
「……ふふ、結局優しくしてるんじゃん」
「っ、あんたのそういうとこが嫌いなのよ」
肩を怒らせながら部屋を出ていくアカネを静かに見送る。みどりのところへ行くのだろう。
ふう、とまだ熱い息を吐いて天井を見上げる。
もどかしい。
身体がろくに動かせないのがもどかしい。
そして――今すぐあの世界に行けないのがもどかしい。
今の神谷の頭はほとんどカガミで占められていた。
少し前、【TESTAMENT】を起動する前に戻ってしまったかのようだった。
会いたくて仕方がない。
そして、寂しくて仕方が無かった。
布団にくるまれているはずなのに寒い。
それは風邪だけが原因ではない。
心を冷たい風が吹き抜けているようだった。
「…………はやくクリアしないと」
そうすれば全てが解決する。
やっと真っすぐ歩いていけるようになる。
そのはずだ。
その思いに呼応したのか――枕元に置かれた白いゲーム機が、少しだけ震えた。




