60.君の知らないラブレター
園田みどりは寮の玄関の沓脱に座り込んでいた。
じっとりと熱のこもったスマホを握りしめ、少し前の会話を思い出す。
『私が行ってくる。園田はここで待っていてくれ』
レインコートに身を包んだ北条はごついスニーカーを履く。
神谷が飛び出していったのを、呆然と見送ったその後の話である。
『そんな……私も行きます!』
『ダメだ! 今のお前は冷静じゃない。アカネと神谷だけじゃなく、お前までいなくなったらどうにもできない』
『…………っ』
図星だった。
神谷が飛び出したことで、頭に血が上っているのが自分でもわかる。
だが、それでも譲りたくはなかった。
『私が行かないといけないんです……!』
『頼むよ……』
聞いたことも無いようなか細い声に園田はびくりとした。
北条は奥歯を噛みしめ苦悶の表情を浮かべている。
本当は彼女も余裕がないのだ、と気付く。
それでもわざわざ説得しているのだろう、園田のために。
『……わかりました』
だからもう折れるしかない。
北条は出ていく前に、先にあいつらが帰ってきた時はスマホにかけてきてくれという指示を残した。
それにしても、なぜ北条もあそこまで余裕を無くしていたのか――と園田はふと思う。
彼女もまたカガミを失くした者のひとりであることを、園田は知らない。
そんな回想に身を浸していると、玄関の外に人の気配がした。
思わず顔を上げると、ドアが開く。
「……み、みどりごめん……ちょっと助けて」
そこにいたのは――だらんと力が抜けた神谷に肩を貸しているアカネだった。
「――――はい、はい……今さっき二人帰ってきまして、ええ、はい。怪我とかはないみたいなんですが……」
通話中の園田に視線を向ける。相手は北条らしい。
「はい、とりあえずお風呂を沸かして……ええ、入ってもらおうと思います。北条さんもお気をつけて」
「あの人、なんて言ってた?」
「とりあえず無事なら良かったって。あと、帰ったらお説教があるそうです」
「…………さすがにここまで大ごとになったら仕方ないわよね」
「私からもありますけど」
「まじ?」
「……それは後にします。それよりお風呂行ってきてください。私は神谷さんを部屋に運びます」
神谷は明らかに顔が赤く、息が荒かった。
気を失った状態で無理に入浴させるわけにもいかず、濡れた服を脱がされ身体をタオルで拭かれた状態だ。
「こいつ、大丈夫なの?」
「……たぶん風邪だと思います。冷えと疲労で……」
「そうじゃなくて」
先ほど公園で会ったときの異様な様子を思い出す。
『おいてかないで……』
どう考えても正気ではなかった。
自分が知らない間にいなくなっていた――それだけではこうはならないだろう、とアカネは確信していた。
だから尋ねる。
「こいつに何があったのよ。何があったらこうなるの」
「……それも後で話します」
園田の視線は、眠る神谷にだけ向いていた。
神谷の部屋に三人が集まっていた。
園田とアカネと、ベッドに寝かされた神谷。
例のゲームに関わりを持つ少女たちが揃っていた。
「神谷さんの家族は……血の繋がらない育て親、ただひとりだったそうです」
カガミという女性が彼女の親代わりだったということ。
そしてそのカガミが一年前、失踪してしまったということ。
神谷を取り巻く事情を、園田はぽつぽつと語った。
当人に無許可で話してもいいものかとは思ったが、神谷の傷の片鱗を見た彼女には知る権利があるだろう。
アカネはゆっくりと口を開く。
「……そう。なるほどね、だから『願いを叶えるゲーム』――か……あいつ、そのカガミってやつに会いたいのね」
「ええ」
先ほどの様子はその失踪が原因だと得心がいった。
ただひとりの家族が突然いなくなれば、嫌な思い出などで済む話ではない。それこそ一生ものの傷にだってなりかねない。
「こいつの事情はわかった……でも、じゃあみどりはなんで戦ってるの? 前聞いた話だとこいつの願いしか叶わないのよね?」
「この人をひとりで行かせたくなかったから――というのが半分。もう半分は……好きだからそばにいたかった。ただそれだけです」
真っすぐな光を灯した瞳だった。
もうとっくに意志は固まっているのだろう。
すでに自身を定義している。
強い子だ、とアカネは思う。
「…………ばかね」
「はい」
苦笑するアカネに、園田は満面の笑みで返した。
自信に満ちた笑みだった。
ならば園田に対して言うことは無い。
あるとすれば、
「こいつの過去を聞いて、思ったことがあるわ」
「なんですか?」
「こいつが寝てるから言うけどね――あたし、カガミってやつが許せない」
アカネは憤っていた。
カガミという人物のことはよく知らない。
神谷にこれ以上なく慕われていたことと、それに値するほど優秀な人物であったことを今しがた聞いただけだ。
だからこれが勝手に抱いたイメージでしかないことは重々理解している。
それでも言わずにいることはできなかった。
「親の無いこいつを預かって、それなのに放り出して。それでこいつはこんな風になっちゃった。人生が歪んだと言ってもいいわ。今回のことはあたしにも非があるし反省はするつもりだけど……そもそもこいつがここまでボロボロなのはカガミがいなくなったからでしょう」
アカネが外出していなくとも、神谷は最初から追い詰められていた。
器に注がれた大量の水が、ギリギリのところでバランスを保っていただけなのだ。
だから少し揺らされただけで決壊する。
「なんでこいつは普段平気な顔してるのよ――全然そんなことなかったんじゃない! 自分でも気づけないくらいに、無意識に誤魔化さないといけないくらいに痛くてしょうがなかったくせに……!」
アカネの前ではそんなことおくびにも出さなかった。
【TESTAMENT】のことは説明しても、何のために挑んでいるのかは頑なに言わなかった。
自分の事情は明かさなかった。
それに激昂しながらも、アカネは冷静に考えていた。
――――ああ、あたしはこいつに寂しいって言ってほしかったんだ。
――――言ってくれなかったことを寂しいって思ってるんだ。
「こいつが今カガミのことをどう考えてるのかは知らない……でもね、今もどこかにいるはずのそいつは、こいつがこうなっているのを知らずにのうのうと過ごしてるんでしょ。もし事情があったとしても――それがあたしは許せないのよ」
「私もです」
ぐちゃぐちゃの感情を、想いのまま吐き出したアカネに……園田みどりは静かに同意した。
そう。
神谷沙月のことをいつだって第一に想っているこの少女が、元凶ともいえるカガミに対して何も感じていないわけが無かったのだ。
はっきり言って憎んでさえいた。
今まで誰にも言わず内に秘めていた、あのゲームに挑む第三の理由――それは、カガミに面と向かって怒りをぶつけるためだった。
それは神谷すらも知るよしは無い。
カガミを許せないのは園田みどりも同じだったのだ。




