49.月の守護者
「沙月さん、起きてください」
「ぅ……いつつ」
とんとん、と肩を叩かれた神谷は覚醒する。
床に寝かされているようだった。
「ここは……」
「さっきいた場所から少し離れたところにあるショッピングモール……の、屋上です」
倒れたまま、周囲を見渡す。
元の世界で一度か二度ほど来た覚えがある。9階建てで、屋上は駐車場になっていた。
しかし今は車のひとつも置かれていない。もしかするとそこらに散らばった鉄くずが慣れの果てなのかもしれない。
「さてと」
園田は神谷の意識が戻ったことを確認すると、立ち上がり歩き出す。
「ちょ、ちょっとどこ行くの」
「時間稼ぎです。沙月さんのペナルティが終わるよりあのウサギのプラウの耳が回復する方がおそらく早いでしょうし、足止めに行かないと」
「ダメだよ! あいつ本当に強い。今のうちにみどりは出来るだけ遠くに逃げて――――」
「逃げませんよ」
強い意思を宿した瞳が神谷を射貫く。微風になびくグレーの髪が、月の光を受けて閃いた。
園田はもう止まるつもりがない。それが見てわかった。
「それに逃げたとして、その後はどうするんですか。そんなことをしたら神谷さんがあいつに見つかってゲームオーバー……違いますか?」
「それは…………」
「これが最善なんです。なんとか沙月さんの復活まで持たせますから」
そうじゃない。
神谷は歯噛みする。
園田の言い分は理解している。
だがそれでも彼女を一人で行かせたくなかった。
(……ああ。きっとみどりもこんな気持ちだったんだろうな)
誰かが危険な場所へと赴こうとしている。
それを止めたいという気持ち。
きっと、このゲームに挑む神谷へ抱いた園田の想いも同じだったのだろう。
「わかった。でも絶対無理はしないで。そしたらわたしが終わらせてみせるから」
「信じてます」
「ありがとう。じゃあ、手短に――――」
それから二人は二言三言交わすと、頷いた園田は屋上から飛び降りていった。
「……………………」
首を動かし左手の赤い数字を見る。残り4分と少し。
それは短いようで長い。
少なくとも園田はそれだけの時間、ひとりぼっちで戦わなければならない。
あの苛烈という言葉が形になったような敵を相手に。
「…………くそ」
唯一動く右手でコンクリートの床を叩く。
悔しかった。
弱い自分が。
結局園田に全てを委ねないといけない自分が誰より腹立たしかった。
右腕しか動かないこんな身体では、這いずることすらろくにできない。
だから足手まといにしかならない。
ゆえにここでただ待っているのが最善策だ。
だがそれが一番悔しかった。
「くっそ…………!」
もう一度床を叩く。
その後何度か無人の屋上に鈍い音が響いた。
プラウと園田は、先ほどの瓦礫の山があった場所で向かい合っていた。
「……戻ってきたのはお前か」
「不服ですか?」
「当たり前だ。イレギュラーだけでは俺を満足させるには足りない。さっきは不覚を取ったがな」
確かな怒りに顔を歪めるプラウの耳からは赤い血が一筋流れている。
思ったよりもハウリングが効いたようだが、聴力は既に戻りつつあるようだった。
「楽しもうと思っていたが……もういい。お前を殺して、すぐにあの小娘も終わらせてやる」
「そうは行きませんよ。私が死んだらあの人を悲しませてしまうので」
「ハッ! 随分な信頼だな!」
「いいえ、信頼ではありませんよ」
静かに双銃を構える。
相対するプラウは両手の炎を燃え盛らせた。
「これは願望です。もし私が死んだら、あの人が悲しんでくれたらいいな――と。そう願っているだけです」
「…………だったらお前を殺して確かめてみるとしよう」
身をかがめたプラウのしなやかな脚の筋肉が膨張し、地面を蹴る。
獣のごときその突進は一瞬でトップスピードへと達し、園田へと肉薄した。
プラウの振るう燃え盛る拳は赤い軌跡を引き――園田の側頭部に吸い寄せられるようにヒットした。
声も上げられずに吹っ飛んだ園田はそのまま道路標識に背中を打ち付ける。
「まだ息があるな」
右手を手刀の形にするとそれは赤く変色した。高熱によって白煙が立ち昇る。
プラウはよろめく園田に駆け寄ったかと思うと、首目がけて手刀を左から右へ振り抜いた。
「…………!」
とっさにしゃがみ込んだ園田の頭上スレスレを手刀が通過する。
少し遅れて、代わりに焼き切られた道路標識が固い音と共に倒れた。
「ち、時間稼ぎか。つまらんな。そうやって逃げてるだけでは何も起こらないぞ!」
「…………何か勘違いしてるみたいですね」
「何?」
園田は落ちた道路標識を静かに拾い上げ、薙刀のように構える。
「私はあなたを倒すためにここへ来たんですよ!」
一気にプラウの脳天目がけて振り下ろす。
しかし片手で簡単に押し留められた。
「イレギュラーが……調子に乗るな!」
燃え盛る炎が道路標識の掴んだ部分を溶断する。
それは支えを失ったことを意味していて――園田は突然の事態に前へつんのめる。
「まず……っ」
堅く握られた拳が腹部に炸裂した。
肌どころか骨、内臓まで焼かれたのではないかというほどの痛みが襲う。
「あ……く、うああああああっ!」
アスファルトの上を転げまわり叫ぶ。
一発一発が凄まじい威力。これとまともに神谷は戦っていたのか。
「……貴様はいったいなんだ。そう弱くて、どうして戦う」
純粋な問いを園田へと投げかける。
強さこそが唯一の価値観であるウサギのプラウには、その行動原理が理解できなかった。
脆弱な目の前の少女に疑問を抱いたのだ。
「この戦いはお前にはひとつの利益すらもたらさない。それがわかっているのか? この『ゲーム』はな、あの小娘のためだけに創られたものだ。お前には何の関係もない」
異能の行使による負担、そして敵の攻撃によって、すでに園田の意識は混濁し始めていた。
焦点が合わず、視界は霞む。
「それを何故かこの世界に侵入し、どこから手に入れたのかわからん異能まで使い戦うなど……理解できん」
「…………言、っても、どうせわからないでしょう、あなた、には…………」
ふらつく脚を気力で伸ばして立ち上がる。
誰がどう見ても戦えるような状態ではない。
だが。
「あの人の願いは私の願いです。私がやりたいことです。それを邪魔するのなら誰が相手だろうと、万難を排して打ち倒します」
神谷は救いだ。
彼女がいなければ今の自分はない。
だから戦うのだ、と園田みどりは叫んでいる。
恩返しというわけでもない。
ただ、神谷のために戦いたい。彼女を守りたい。
そんな自らの意思に従いここに来たのだ。
「――――だから私はここにいるんです!」
叫びと共に空中を自由自在にに飛ぶ貫通弾――《ホーネット》を撃ち出す。
「二度も通じんぞ!」
だがプラウは既に見切っている。
さっきは軌道に騙され直撃してしまったが、どういった攻撃なのかわかっていれば反応が間に合う。
「《スパイダー》!」
だが《ホーネット》が着弾する前に続けて撃ち出したのは8本の竜巻。
それがプラウに絡みつき自由を奪う。
動けなくして《ホーネット》を命中させる算段だ。
「なに!? くおおおッ!」
だがそれもすでに見た技。
拘束された直後、炎と腕力で竜巻を引きちぎる。
すぐさま飛来した貫通弾を、全身から発したドーム状の炎で防ぐ。
「……残念だったな。一歩届か――――」
「――――《イーグル》」
炎のドームを分かち、その弾丸は現れた。
翼を広げた鳥のような形状。それは風の刃だ。
プラウの猛炎をものともせず、その右脚を切り裂いた。
「があっ! こいつ…………!」
思わず膝をつき、目の前に立つ銃の少女を睨みつける。
明らかに消耗している。
精神的にも肉体的にも限界が近いのは見てわかる。
身体に芯が通っていない。本来はとっくに倒れているだろう。
だが。
その灰色の瞳だけはぎらぎらと強い光を放っている。
神谷への想いだけが、園田という少女を支えていた。
「だが! それでも俺が上だ!」
右手を掲げるプラウ。
ふらつく頭を上げた園田は見た。
いくつもの赤い炎が夜空に浮かび上がっている。
「避けられるものなら避けてみせろ!」
再び無数の火球が降り注ぐ。
とっさにバリアを張るが、限界が近い園田には、枚数も強度も確保できず――いくつかの火球がそれを突破した。
着弾。
地上を焼き尽くす炎とそれに伴う爆風が、容赦なく園田を空中へと舞い上げる。
「――――とどめだ」
そしてプラウもまた跳躍。
空中でキックの体勢へと移行すると共に、背中からバーニアのように噴射した炎で推進力を生みだす。
まるで炎の矢。
滞空する園田目がけて、空を翔ける赤い流星が炸裂した。
打ち抜かれた少女は灼熱に抱かれ、落ちて――――。
神谷沙月が復活するまで、あと1分。




