132.マスターアップ・テスタメント
紅音と呼ばれるあの少女に切り伏せられ、空間の裂け目に落ちたわたしは、長い間どこかへと運ばれる感覚を味わっていた。
ウォータースライダーのように、曲がりくねったトンネルを摩擦のない状態で通っているような。
ただ腕の中で脈打つ何かの鼓動が少しずつ大きくなっていく感覚だけがわたしの全てだった。
そして。
一瞬のようで、無限のようにも感じられたその時間は終わりを迎える。
遠くから響くざわついた喧騒で目を覚ましたわたしは、最初自分がどこにいるのかわからなかった。
薄暗くて湿っている地面の感触。ここはどこかの街の路地裏らしい。
ひどく身体が怠く、重い。どうやらあの一撃でわたしの力の大半は削ぎ落とされてしまったようだ。
創造の力も全盛期に比べるとひどく弱々しい。
しかし……喧騒?
そんなものあるはずがない。
人類は滅びたはずだ。街は残っていようとも、そこに生きる者たちはもういないはずなのに、と。
だがそこで気づく。
ここは別の世界だ、と。
わたしが生まれた世界とは平行に位置する、どこか別の世界。
何かの要素がひとつだけ違った結果分かたれた、分岐先の世界。
その要素は何か、と考え――すぐに思い当たる。
ここには『ルナ』がいない。人類の共食いを抑制する観測ユニットが存在しない。
人類の統合意志がわたしを生み出さなかった――ここはそういう世界だ。
だが、わたしがいなくて人類は生存できるのか?
その当然の疑問を抱え、この世界に生きる人口を計測し……愕然とする。
わたしがいた世界――わたしが宣戦布告する前のだ――と、この世界の人口はほとんど変わりがない。一切が同じとはいかないが、数値としては誤差の範囲だ。
そこで気づいた。気づいてしまった。
前の世界とこの世界の違いは、正真正銘わたしの有無以外無いのだと。
つまり、ルナはいらなかったということ。
わたしがいなくとも人類は変わりなく営みを続けられたということ。
わたしの存在が、生まれたこと自体が間違っていたということ。
「そう、か……」
ごろりと横たわる。
壮絶な無力感と――一抹の喜びがわたしの中を駆け巡っていた。
だったらわたしは人類をいたずらに滅ぼしただけか。
でも、わたしがいなくてもいいなら、よかった。
後悔と安堵を抱えて、ならこのままここで朽ちるのも悪くない――そう思っていた時だった。
もぞり、と傍らで動く何かがいる。
「……? なに……?」
それは赤ん坊だった。
親指をくわえ、ぐっすりと眠っている――おそらく2、3歳程度の幼児。
それがどういう存在か、すぐにわかった。
わたしの切り離された力が独自に成長し、ひとつの生命として確立された存在だ。
本来はもっと長い時間をかけないとそうはならない。しかしあの空間の裂け目――あの中は時間の流れがねじれている。だからすでにここまで成長しているのだ。
他の力の欠片も、いつかこうして成長し、個の生命となるだろう。
あの時飛散した力は、この子を合わせて七つ。
七つ星を意味する『the plough』――プラウと名付けることにした。
しかし――なんだ、これは。
まるでわたしの分身ではないか。それにこの子の力……まるでプラウを集めるためにあるような……。
「……そういうことか。全く、わたしはどこまで残酷なんだ……」
『人類を滅亡させる』という使命はまだ続いている。
それはおそらく、あの紅音という少女が生きているから。それに加え、平行世界の存在……そこに生きる人類の存在を認識してしまったことに因るものだ。
だからわたしは無意識にこの子を、その目的を果たすための道具として成長させたのだろう。
本来は力が失われたわたしでは使命を果たすことは叶わなかった。
しかしこの子がいれば。この子をうまく使えばプラウたちを収集できる――と。そういうことだろう。
「くそ……ふざけてる……!」
わたしはそんな使命を生まれたばかりのこの子に課してしまうのか。
そしてそれを止めることもわたしにはできない。一度動き出したわたしは完全に消滅するまで止まることはできない。
なぜなら、そういうふうに作られているから。
どうにかできないのか。
わたしの使命に逆らうことなく、この生命をわたしから解き放つ方法は。
最終的に、わたしはこの子を我が身に取り込むことになるだろう。そうなればこの子は自我を失いわたしに溶けて一体化する。そんなのは死んだも同然だ。何かないのか。
他のプラウはおそらくどうにもならない。彼らが吸収されるのはもう避けられない。
だが、この子だけはどうにか救うことはできないのか――と。
ひとつだけ、あるにはある。
この子がわたしを越えるという道が。
だがそれは不可能だろう。
この子がわたしに吸収されることはもう決まっている。わたしがそう行動すると、すでに決定づけられているからだ。
そこからどうやって逆転するというのだ。
どうしても思いつかない。
だが……それまでは。
その時が来るまでわたしは、この子を育てよう。
人間として、人間と同じように育てよう。大切に、幸せな人生を歩めるように。
今のわたしにできることはそれくらいしかない。
ゆっくりと立ちあがり、寝ている子どもを抱え上げる。
成長すれば、おそらくわたしとそっくりになるであろう顔立ち。わたしの白とは違う、黒い髪。
これがわたしの子どもか。
親の実感――人間と一緒にいた時に何度か聞いた言葉だが、こういうものなのかと腑に落ちた。
「諦めないぞ、わたしは……絶対に」
決意の言葉と共にわたしは、路地裏の出口へ……光の差す方へと歩いて行った。
それからは、わたしはこの世界での生活を確保しようと奮闘した。
なけなしの創造の力を駆使し、この世界に割り込むような形で住居などを手に入れた。
だが……それはわたしの身体をだんだんと衰弱させていった。
三日に一度、一時間。それだけの頻度で月の光を浴びなければわたしは消滅してしまう。それほどにわたしは弱くなっていた。
そんな中、わたしはあの子ども――神谷沙月という名を与えた――に育て親として接した。
この子は何も知らない。ならば人間として、最大限の幸せを与えてやらねば。
当たり前だったが親になるのは初めてだったから、それはもう悩まされた。
まず食べられるものから調べなければならなかったし、夜泣きもした。今のわたしは睡眠――というより、スリープモードにならなければ次の日の活動に支障をきたすレベルに弱っていたので、沙月が泣くたび起こされて……それ以外にも苦労の連続だった。
なにしろ自分の時間のほとんどを、この小さくか弱い生き物に捧げなければならないのだ。
だがそれでもわたしは幸せを感じていた。こんなわたしが、こんな幸福を享受していいのかと罪悪感を覚えるほどにだ。
沙月が愛おしくて仕方なかった。
少しずつだが確実に成長していく彼女を見るのが嬉しかった。
初めて言葉を発した時。
初めて自分の足で立ち上がった時。
初めて歩いた時。
そんな一瞬一瞬を生きる彼女が何より大切になっていた。
幼稚園にも行かせた。
学校にも通わせた。
沙月は、優しく朗らかな子に育っていた。
小学生の時、光空陽菜という少女――プラウの片割れであろう少女を家に連れてきたときは仰天したが、何も言わずに置いた。彼女もまた人間として育っている。ならば今から運命を知らせる必要はない。
だが、わたしのしでかしたことの重さを改めて思い知らされた。
「カガミさん、わたしのパパとママはどこ?」
彼女がたびたび投げかけるその問いに、わたしはうまく答えることができなかった。
こんなわたしが実の親だとはどうしても言えない。
さりとて、彼女が想像する『両親』という存在もいない。
「……ごめんね」
だからわたしはそう答えるしかない。
本当に、どれだけ謝っても足りない。
こんな罪深いわたしが親で、本当にごめん。
だが、
「でもきっと、わたしがあなたを立派に育てて見せるからね」
それだけは絶対に叶えてみせる。
それから何年かの時が流れた。
沙月が中学を卒業した、その後。
その時が来た。
「あが……っ! ぐあ、ふ、うう……」
苦しい。
見ると、手の指先が少しだけ透けていた。わたしの存在が揺らぎ、消えかかっているのだ。
とうとうこの時が来てしまった。
わたしはもうろくに活動ができない。消滅する前に、沙月の中へ潜伏しなければいけない。
スマホを取り出し、通話を掛ける。
何度か電子音が繰り返された後、その相手は出た。
「おお、カガミか。久しぶり。どうしたんだ?」
「優莉……」
通話相手は北条優莉。
この世界で唯一できた友人だ。
全くの偶然だが、沙月が行くことになっている学校の寮長をしているらしい。なんでも祖父から継いだのだとか。
「……これから頼むことを、何も言わずに聞いてほしい。まず――――」
寮で沙月を預かってほしいこと。
そして彼女の後見人になってほしいこと――つまり保護者になってほしいということ。
「そんなこと聞けるわけが……」
「頼むよ……!」
こんな頼みに簡単に頷けるわけがない。
それほど子供を預かるというのは重い。本来ならもっと長い時間をかけて考えなければならない話だ。
それでも。
沙月がもしわたしを越え、プラウとしての呪縛から解き放たれたとき。
彼女を支える保護者は絶対に必要だ。
子どもは保護者が無ければ生きていけないのだから。
心優しく、他人想いの北条なら預けられる。
そう思えるくらいには彼女を信頼していた。人間への希望をほとんど失ってしまったわたしが、唯一信じられるのが北条優莉だった。
長い長い溜息が、電話口から聞こえた。
「……わかった。何か事情があるんだろ、お前がそこまで言うってことは……なあ、お前」
「……なに?」
「いなくなるのか?」
ひゅう、と息を吸い込む音がわたしの喉から聞こえた。
隠し事はできないらしい。
「……ごめん」
「わかってるよな? お前が言ってるのは、子どもを捨てるってことなんだぞ」
「うん」
「あれだけ子どもの話ばっかしてたお前がそんなこと言うってことは、何かあるんだろうが……それは絶対に許されないことだ」
「うん……」
「わかってるならいい。じゃあまた」
ぶつりと通話が切れた。
これから手続きを交わすことはあるだろうが、もう以前のように交流することは無いだろうな、という確信がある。
力が抜け、リビングのソファに倒れこむ。身体が泥のように沈み……だが、ここで止まっているわけにはいかない。
「まだだ……まだやるべきことが……」
彼女をプラウの元へと送り込む装置。
それを創らなければ。
頭の中を駆け巡る、衝動のようなそれには抗いたくても抗えない。
なんどか自分を止めようとして見たがどうにもならない。
自分に課せられた使命……そして、わたしの中にある人間への憎しみ。それがブレーキを壊していた。
なぜわたしを生み出したのか。どうして争いをあそこまで続けたのか……そんな想いがわたしを取り返しのつかないところまで侵食していた。
わたしの人間を愛する心は、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。
そしてあの運命の日。
沙月の高校の入学式、その前日の夜。
消えゆくわたしは、あの世界へとつながるゲートを創造していた。
「……座標固定。パラレル・ナンバー620と接続……」
暗い部屋にぼんやりと光が灯る。
このゲートを沙月に残し、わたしは沙月の内部で潜伏する。そうでないと完全に消滅してしまう。わたしが消えれば人類の滅亡が叶わなくなる。
……すでにこの時のわたしは自我が曖昧になっていた。人類を滅亡させる存在としてのわたしが行動のほとんどを占めていた。
だがそれでも最後の砦は崩すわけにはいかない。
ゲートはどんな形式にしよう。
おそらく、わたしを失った沙月は深く悲しむだろう。
そんな彼女の空白を埋めてやれるものにしたい……そうだ。
いつか北条が言っていた『ゲーム』というものにしよう。
彼女はもう飽きてしまったらしいが、気晴らしになると言っていた。それにしよう。
思えばそういった娯楽品の類を沙月はあまり求めてこなかった。
なら……入学祝いのプレゼントとして、このゲームを……何を言ってるんだ、わたしは。そんな残酷なプレゼントがあるか。自分を正当化するのはやめろ。
やるべきことをやるだけだ。
「……システム……構築……」
それでも。
この運命に放り込まれる沙月が少しでも日常を過ごせるように。
プラウが生まれると起動。
戦えるプラウは一度に一体。倒せばすぐ元の世界へと戻る。
帰還時、身体的ダメージは完全に修復される。
「……くっ……」
これ以上は限界だ。
身体が崩壊を始めている。
創りだしたゲーム機とソフトをテーブルに置き、メモ用紙を取り出す。
震える指でペンを握り、最低限の言葉だけを書き込む。それをゲーム機の下に挟んだ。
別れの言葉がこんな短いものになるのが辛かった。
沙月の部屋に入る。
ベッドの上で、安らかな寝息を立てている。昔から寝相がよかったな、などと思いふける。
あのゲームには『願い』を入力する機能を付けた。
ゲームが本来の起動を果たすとき、彼女の興味を引くためだ。
間違いなく、彼女はわたしに再会するという願いを持つだろう。幸運なことに、もしくは不運なことに、沙月はわたしを慕ってくれている。本当の親のように。
「ごめんね、沙月……」
ごめん。
本当にごめん。
ごめんなさい。
こんなこと、したくはなかった。
普通の女の子みたいに生きてほしかった。
こんな親でごめんなさい。
こんなふうに生み出されたわたしが全部悪い。
あなたはわたしをいつか憎むだろうし、許せないだろう。
それでいい。それが当然だ。
でも、どうかお願い。
わたしを止めて。
その祈りと共に、わたしは沙月へと吸い込まれた。
……本当に、わたしは親失格だ。




