131.月煌喰らう七つ星
渾身の陽槍によって穿たれたルナのダメージは大きく、胸元から白い光の雫が垂れ落ちる。
「ぐあ……があああああ……」
胸元を抑え苦しむルナ。
沙月はそれを見ながら、手首を叩く。すると体内から山吹色の粒子が噴き出し、それは光空陽菜の姿を作った。プラウとしての姿ではなく、人間の姿に戻っている。
光空は何度かふらついた後、地面に倒れ伏した。
「これで……私の力は全部沙月に移ったよ……」
改めて光空を吸収し、分離する。そのプロセスの中で光空の持つプラウの力だけを自分の身に留める――わざわざ合体したのはルナを倒すためだけではなく、この目的のためでもあった。成功するかは賭けであったが……神谷自身も力の練度が上がっていたことが幸いした。
全てのプラウの力を宿した神谷は悶え苦しむルナに歩み寄り、
「もうやめよう、カガミさん。こんなこと続けたって何にもならないよ」
「……終わらない」
ゆっくりと身体を起こし、ぽつりとこぼす。
どこを見ているのかわからないような瞳で神谷を見る。
執念が形を成しているかのようなその姿はボロボロのゾンビに見えた。
地獄の底から響くような声でルナは続ける。
「いつまでだって終わらない。わたしにエンディングはやってこない!」
勢いよくルナが掲げた手から一筋の光が伸びる。
まっすぐ上に向かって上昇したかと思うと、
「月に……?」
頭上に輝く満月に突き刺さった。
地球を見下ろす月はその輝きを増す。
「接続完了。装填開始」
大気が揺れる。
地鳴りが始まる。
月の光は凄まじい光を放ち、あたりが夜とは思えないほどに明るくなっていく。
「何をするつもり!?」
「『月の涙』」
ルナは静かにその名を告げる。
この星を揺るがすほどの何かが起ころうとしている――そう神谷は直感した。
「月より照射される極大の閃光が、この星に生きる人類だけを跡形もなく消し去る。これがわたしに残された最後の一手だ」
月を媒介とし生み出されたルナが、この世界の満月を砲口と定義し、そこから莫大なエネルギーを撃ち出す。それが『月の涙』。
人類というカテゴリー――この場では園田やアカネが属している。
そして。
「北条さんも……殺すの?」
「…………っ」
現在すべての人類は眠りについている。
ルナが満月を召喚し、夜と定義したことで。
なぜなら人間は夜には眠るものだから。
そして今この瞬間、地球全土が夜に支配されている。今この瞬間、誰もが眠りの中にある。
アカネたちが活動できるのは異能を持っているからだ。夜に活動する者としての立場を与えられた彼女たちはこの状況でも起きていられる。
しかし北条は。
何の力も持たない彼女は今も眠りについている。すぐ近くにある学生寮で。
「友達だったんじゃないの? 信頼してたからわたしを預けたんじゃないの? それとも……それも全部嘘だったの……?」
「関係ない! 全部全部、もとより滅ぼすつもりだった……だから、だから……終わらせるんだ」
答えになっていない答えを吐き出し、ルナは天を仰ぐ。
満月は、もう直視できないほどに光輝いていた。
「アカネは知っているんじゃないかな。『アレ』の改良版だよ」
「あん、たは……、ぐっ!」
アカネの世界での最後の戦い。
そこでルナが最初に使った技――アカネの仲間を根こそぎ消し飛ばした、純白の閃光。
あれの改良版となると、どこまでの威力を有しているのか、と……そこまで考えたところでアカネの全身から力が抜けた。
ダメージによるものでも疲労によるものでもない。
身体自体に力が入らないのではない。抗おうという意志が自身の内から失われていくのを感じる。
それは隣に倒れる園田も同じようだった。
「『月の涙』は人間の抵抗する意思を失わせ、確実に命中し……そして消滅させる。前は小賢しくも防がれてしまったからね」
全く身動きできない。どころか意識すらおぼろげになっていく。
こんな状態で発射されたらどう考えても助からない。消えて服だけになった仲間たちの姿がフラッシュバックした。
どうして動かない。どうして。
こんな時に限って自分は――――
「わたしがいる」
無力感に涙を流すアカネの前には、神谷の小さい背中がある。
人間ではない神谷は、この状況においても活動が可能だ。
「無理だよ、沙月。君にアレをどうにかすることは不可能だ。そう設定した。君が仮に最大限の力を発揮したとしても『月の涙』は凌駕できない」
「できるできないじゃなくて――やるんだよ」
そうでなければ何も始まらない。
どんなゲームも、プレイしなければクリアできないのだ。
ここで立ち上がらなければ全ての人類が露と消える。ならば戦う以外の選択肢は存在しない。
「どんなに難しくて、どうやってもクリアできないように見えるステージでも……諦めずに挑戦すれば意外となんとかなる。わたしはそうやってゲームをしてきたし、今までの戦いでもそうだった」
相手がどれだけ強くても。どれだけ傷ついても。心が折れても。
もう一度立ち上がることができればクリアできる。プラウとの戦いは、いつもそうだった。
死に物狂いで戦って勝利してきた。
その結果が人類を滅ぼすルナの復活だったとしても、無駄だったとは思わない。
自分のしたことは。
無かったことにはならないのだから。
得た力は自らの糧になっている。
そう神谷は信じている。
「だから、やるんだ」
アカネには、その姿が、今はもういない誰かの姿に重なって見えた。
身を挺して助けてくれた、彼らの姿が。
「……スーパーヒーローね、あんた」
消えかける意識の中、いつかの時にとある友人が言ったその言葉を漏らす。
白む視界で、振り返る神谷の笑顔が見えた。
「――――装填完了」
膨張し夜空を席巻していた光が瞬く間に収束していく。
力が弱まったのではない。発射の準備が完了したのだ。
「さあ始まるぞ。地上を染め、種を抹消する天の裁き――落ちろ、『月の涙』!」
莫大な閃光が満月から発射された。
巨大すぎてどれほどのスケールなのか見当もつかない。わかるのは、これが地上に着弾すれば人類は根こそぎ滅ぼされるということだけ。
「絶対に止める!」
両脚に力を込め、全力で神谷は跳ぶ。
何mも、何十mも跳躍し――降り落ちる光芒と激突した。
「く――ああああああああッ!!」
神谷は人間ではない。
だから『月の涙』によって消滅することは無い。
だが、それを差し引いても『月の涙』は強大なエネルギーの塊だ。
恐ろしいほどの重圧を、神谷はただひとりで必死に押しとどめる。
それは象の足に立ち向かう蟻のようにも見えた。
「お願いみんな……六重励起!」
両腕から膨大な光が溢れ出す。全てのプラウの力を発動し力と変える。
しかし――キャパシティを大幅に越えている。全身の血管が隆起しあちこちが破れ血を噴き出す。
園田と対峙した際五つの力を反動も無く使えたのは、あそこが精神の世界だったからだ。形而下の肉体を持つ今ではそうはいかない。
全身を凄まじいエネルギーが駆け巡っているのが肌で理解できる。それだけの力を発揮し……まだ届かない。
(わかってたけど……パワーが足りない……!)
じりじりと押されていく。
全力を出そうと『月の涙』を止めることはできない。
それ以前におそらくは自分の身体が壊れてしまうだろう。
ならばどうすればいいか。
「わた……しに……できること……!」
人間は自分にできることしかできない。
当たり前のことだ。
ならばそれだけを突き詰めて考えよう。
この状況、自分に配られたカードは何か。
六つのプラウの力。
そして自身の、プラウ・ゼロとしての力。超人的な身体能力と、倒したプラウを吸収して我が物とする力。
これだけでは届かない。
だが、まだあったはずだ。もうひとつ、ルナから受け継いだ力が。
そう。
園田の異能に、あの精神の世界。
それらを創り出したのは他でもない神谷沙月だ。
ならばその力をここで発揮するしかない。
できるはずだ。確かにそれは自分の中に存在しているのだから。
しかしそれは本家の劣化品。
その上うまくは使えない。なにしろ意識的に行使したことがないのだ。
よって0から何かを創り出すのは難しいだろう。
「無駄だよ! もう諦めろ、沙月!」
ならば。
今あるものを創り変えれば。
0から1が不可能なら、1を他の何かに変えることなら。
この状況を打開できる、新たな力を創り出すことができるかもしれない。
今、下で自分の姿を見ているであろう園田を想う。
彼女はいつも不可能を可能にしてきた。
偶然異能を手にしたとは言え、単独でプラウを撃破した。
身を捨てて神谷がプラウを倒すチャンスを作った。
神谷が戦えない時は、後は自分に任せろとまで言ってくれた。
そして――あの閉ざされた雪幻の世界まで助けに来てくれた。
いつか誰かのようになれるなら、園田みどりのようになりたい。
だから今、そのいつかへ向かって手を伸ばす。
新しい力。
この極光を消し去るほどの力。
「行くよわたし――プラウ・ゼロ、最終励起」
白光が膨れ上がり、急速に収束する。
神谷の身体から発せられていた光が消えた。
「諦めたか、沙月!」
「ベース設定……再構築、開始」
神谷の持つ力――その中の一要素をピックする。
『吸収』。それに特化した力へと創り変える。
どれほど輝く光でも、逃さず喰らい尽くす闇を強くイメージした。
黒、黒、黒――何ひとつ不純分の無い自らの純白を、混じりっ気のない漆黒へと変換する。
だが、それにはまだエネルギーが足りない。
このままでは力を生み出しても、『月の涙』は止められない。
「なら――プラウの力を!」
1から6のプラウの力、全てを純粋なエネルギーに変換し、まとめて再構築する。
もとはひとつだった力。それらが完全に溶け合い、本来の力を取り戻す。
古い自分が砕け、新しく生まれ変わる様を神谷は想起した。
「そんな……馬鹿な……」
掠れた声を漏らすルナ。
彼女には全く予想していなかったことが上空で起こっていた。
今まで、イレギュラーの存在はあれど計画通りに事は進んでいた。
実際、一度は力を取り戻し、ここまでこぎつけた。
だが今は違う。
こんなものは考慮していない。
計画が阻止されるなど、万にひとつもあり得ないはずだったのだ。
しかし、心の片隅で。
ずっとこれを望んでいた……そんな確信がある。
「沙月、君は――――」
神谷の両腕から、漆黒の闇が溢れ出す。
霧のようなそれは激しく渦を巻き、両腕を覆う。
その姿は巨大な天体の成れの果て……ブラックホールによく似ていた。
光だろうと逃がさない、無窮の引力。
プラウの力を取り込み、成長してきた神谷だからこそ到達できた姿だ。
「――――――――あああああッ!」
膨大な極光を、両腕へと吸収していく。
逃れようと拡散する白光も全て取り込む。
現実のものとは思えないような情景が夜空に広がっていた。
「止まれえええええッ!」
白が黒へと見るうちに吸収され、空を支配していた光も収まり――全てが消えた。
「沙月さん……!」
『月の涙』を打ち破った神谷はぶるりと震えたかと思うと、取り込んだ力を一気に放出した。
だがそれは滅びの光ではない。純粋なエネルギーへと変換された無色の光は空へ舞い、拡散し、この星を覆い尽くしていく。
「……あったかい」
倒れていた光空たちにその光が落ちる。すると傷や疲労がみるみる回復し、活力が戻った。
動けるようになった三人は立ち上がり空を見上げる。
神谷が放出した光は空にも影響し、満月と夜空を取り払い、昼の空が戻ってきた。
これなら眠った人たちも、何事もなかったように起きるだろう。
胸を撫で下ろした直後、轟音を立てて神谷が着地する。
「おっとと」
しかし力を限界を超えて使った代償は大きかったのか、バランスを崩し尻もちをついた。光空たちが慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫、沙月」
「だいじょーぶ……ちょっとかなり疲れただけ……」
神谷は見ればわかるほどに激しく消耗している。これ以上の戦いは難しいだろう。
「くそ……ならば……!」
そんな中。
ルナは悪態をついたかと思うと浮き上がり、空へと飛んで行った。
「ま――待って! ……うぐ」
追いかけようとするが、崩れ落ちる神谷。
どう考えても動ける状態ではない。
「あいつ何をする気なのかしら……」
「……さっき『月の涙』吸収した時、カガミさんの記憶とか、考えてることとかが流れ込んできた……カガミさんはきっと月に直接自分のエネルギーを供給して、もう一度『月の涙』を撃つつもりなんだ」
その言葉にアカネたち三人は騒然とした。
あんなものがもうい一度放たれれば今度こそ終わりだ。
そんなことはわかっている。
わかってはいるが、
「そんなのどうしたら……」
「わたしがまた止める」
無理だ、とこの場にいる誰もが思った。
どう見ても神谷は限界だ。戦えるような状態ではない。
ならば。
「なら、私たちの異能を吸収してください。今の沙月さんならそれができるはずです」
「頼んだわよ。今あいつを止められるのはきっと、あんたしかいない」
そう言って園田とアカネは手を差し伸べる。
そのふたつの手を、神谷は困惑したように見比べ、
「で、でも……そんなことしたら二人の異能はもう戻って来なくなる」
「いいんですよ、だってこれで戦いは終わりでしょう? 明日からは日常が戻ってくるんです。それに――私の力はもともと沙月さんにもらったものですから」
「もういらないわよ、こんな力。あいつの貰い物なんてさっさと捨てたいと思っていたところだし」
「そっか……そっか」
これ以上の戦いは無い。
だから後は託すのみ。
「いい仲間を持ったね、沙月」
「本当にね」
嬉しそうに笑う光空に笑顔を返し、園田たちの意志を汲み手を取る。
繋いだ手を黒い霧が覆う。園田とアカネの異能が神谷に流れこんでいく。全身に力がみなぎる。
彼女たちの想いを無駄にするわけにはいかない。
おもむろに神谷は立ち上がり、
「……じゃあ、行くよ」
黒い渦を生み出しその中へ入ろうとする。
園田にはその背中が、とても儚いものに見えた。
胸が締め付けられるような感覚がする。
「待って、沙月さん」
「ん?」
もしかしたらこのまま戻ってこないのではないか――芽生えた想いを捨て去ることがどうしてもできない。
きっとまたルナと戦うことになるはずだ。
彼女の勝利を信じてはいる。
だが、ルナ――カガミは、神谷にとって大切な人なのだ。
もしかしたらそちらに肩入れをしてしまうのではないかと、そう考えてしまう。
こんな疑念は持つべきではない。信じなければいけない。
だから。
「前、わたしに何でもしてくれるって言いましたよね」
「あ……ああ、うん」
以前、園田が神谷の戦いを助けると言った時。
渋り、意見がぶつかった末に神谷は折れて受け入れた。
その時『代わりにってわけじゃないけど、わたしにできることなら何でもするからね』と神谷は言ったのだ。
「だったら、だったら――帰ってきてください。絶対に無事で、私たちのところに戻ってくると約束してください」
その懇願を聞いた神谷は鋭く息を吸い込み――一瞬だけ泣き出しそうな顔になったかと思うと、ゆっくりと息を吐いた。
「……わかった。約束する」
神谷は園田の手を取り、お互いの小指を絡ませる。
そうした後、黒い霧の中に歩いて行った。
「行ってきます」
静かにその言葉だけ残して、神谷沙月は跡形もなく消えた。




