130.ダンシング・ムーンライト
『人類』というものが確立されると同時に生まれたのがこのわたしだ。もう数十万年前のことである。
途方もない時間だ。正直もう記憶がおぼろげで詳細に思い出すことはできない。
わたしは……何というか、自浄作用だとかそう言ったものなのだ、と最初から理解していた。
人類という種が自らを守るために生み出したストッパー。
種が持つ自己保存意志と言えばいいだろうか。個が持つ意志ではなく種全体に横たわる統合意志が、月という衛星を、地球を監視する『眼』として定義し、それを媒介に生み出したのがわたしだ。
その役割は、人類の『共食い』を防ぐこと。
つまり人と人との間に生じる闘争を防ぐ、というものだった。
他の生物によって死に、数を減らす分には構わないらしい。食物連鎖という自然の摂理に逆らっていないからだ。
だが、人間同士が食い合うのは防がなければいけない。それがわたしに課せられた使命だった。
はっきり言って疑問だった。
人には個々の意志が存在する。考えが食い違うことがあれば争うことだって必然だ。だったら人類同士の争いも自然の摂理なのではないか、と。
しかしこの命に逆らうことはできない。逆らうという意志がわたしの中に生じることは無い。
哺乳類が水中では呼吸ができないように、わたしという存在には使命を全うするしか選択肢が無かった。
だが――わたしの抱いたこの疑問は正しかった。
わたしが生まれたこと自体が最初から間違いだったのだ。
しかしそれに気づいた今もまだ、人類の争いを止めるという使命に従い続けている。
まるでバグのようだ。初期段階で生まれたそれが、全てを台無しにしてしまったのだ。
さて。
使命を果たすため、わたしには力が与えられていた。
それは生命でなければ何だろうと創り出す力だ。途轍もなく強大で、人の域を越えた力。
これを使ってわたしは争いを止めるため尽力した。
……とは言ってもこの力を使う局面はほとんど無かった。
まだ動物の毛皮を身に着け骨や石を道具にしているような時代だ、争いの規模も大したことは無い。
わたしがしたことと言えば間に入って仲裁する――それだけだ。
このあたりの時代は食料や縄張り――いわば領地の取り合いが主だった。それ以前の些細な諍いは止める必要がない。なぜなら死人が出ることがまず無いからだ。
このあたりで、自分の外見がなぜ美しい少女の姿をしているかも見当がついた。この姿が一番受け入れられ易いのだ。
まだうまくいっていた。この時までは。
そのうち人間はどんどん増えた。
文化も日進月歩の発展を見せた。
加速度的に人間は進化し、少しずつだが確実に、わたしの手が届かないことも増えていった。
わたしが全能といえど、わたしはひとりしかいないのだ。自分の分身を創造しようとしたが不可能だった。
世界人口は、西暦が始まった時点で約三億人にも上る。どう考えても手が回らない。
人間が増えるにつれ、争いも増えた。
それらひとつひとつに正面から向き合い続けた。
創造の力を使って無理矢理に解決することもあった。資源が足りないなら資源を創り出す――そんな臭い物に蓋をするような解決方法を続けていた。
いつしかわたしは神のように崇められるようになっていた。力を使うときに発する光が月の光によく似ていたことから『Luna』と呼ばれることもあり――それはおとぎ話として、あるいは都市伝説として世界中に広まった。
そのあたりからだったか――意識が曖昧になることが増えた。
人間に溶け込むために人間と同じ心を持つわたしではあるが、肉体は違う。だから体調を崩すということはあり得ない。疲労すらしないこの身体に、そんなものは無い。
だからもう、この時にはおそらくわたしの心が蝕まれてしまっていたのだろう。
争いはいくら止めても止まることは無い。
止めたとしても、止まったことを原因にまた別の争いが発生する。
キリがない。
どうやっても使命を果たすことができない。
全力で稼働しているのに使命が果たせず、むしろ逆効果を生むという状況はわたしを構成する回路にエラーを生じさせた。
どうしてだ、と叫ぶことも許されず、わたしは必死に駆けずり回った。
エラーは絶え間なく蓄積していく。わたしという存在を埋め尽くしていく。
いつだったか、わたしは膨れ上がったエラーの海に押し潰されるように、完全に動けなくなった。
どこともしれない真っ白な空間で横たわることしかできなかった。
そんな中でも、わたしは使命を果たすために必死に考えていた。
どうすればこのエラーを取り除けるか。
どうすれば人類の争いを止めることができるか、と。
人間たちは、自分の利益のために争う。自分たちのためだけを考えて行動する。それが大半で、平常だ。
しかしそれだけではない。人間はわたしを受け入れてくれた。見た目が美しいとは言え、得体の知れないこのわたしを。
しばらく集落に迎え入れてくれたこともあった。
料理を振る舞ってくれたこともあった。
ふと降り立った地に生きていた子どもたちと、一緒になって遊ぶこともあった。
わたしは他の人間に自分の素性を明かすことはできなかったけど、それでも人間たちは温かかった。
わたしは人間が好きだったのだ。
だがそんな思い出を真っ黒なエラーが食い尽くしていく。
エラーの海に溺れそうになってやっと気付いた。
これは、わたしの中にある人類を憎む心だったのだ。
なぜ争いをやめないのかと。
どうして何度も同じ過ちを繰り返すのかと。
どうして――わたしを生み出したのかと。
エラーは増殖していく。
何もせずともわたしを蝕んでいく。
そして、いつだったか……わたしは結論を出した。
使命を全うする方法を。
それは人類を滅ぼすことだった。
人間がひとり残らずいなくなれば争いも絶対に起きない。
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか――と、笑いすらこみ上げた。
その時エラーは完全に消え去っていた。
だが。
もう手遅れだった。
堆積し続けたエラーに、わたしは壊されてしまっていたのだ。
なぜならこんな方法は、ゲームが難しくて終わらせられないからゲーム機ごと壊すようなものだ。
そんな解決方法は論外だ。論外だが――そんなことを思いつき、自分に課せてしまうくらいにわたしは壊れていた。
運がいいのか悪いのか、わたしには人類をたやすく滅ぼせる力が備わっていた。
やろうと思えばすぐにでも終わらせられる。
しかし――それでも、わたしは人間が好きだった。その心がわたしをわずかに抑制した。
その結果として、あの日の宣戦布告があったのだ。
わざわざ全人類に告げ、そしてしばらく見守る。
自分に人類を滅ぼすという使命を課したとはいえ、すぐに実行しなければいけないものでもない。自分を止めようとすることはできない。しかし『滅ぼす』という方向に向かう行為であればエラーは発生しない。
だからこんな迂遠な方法をとった。
これならきっと人類も、ここまでの危機に陥れば手を取り合うはずだと信じた。
そうしてわたしを止めてくれれば、と。
だがそうはならなかった。
争いは加速した。
わたしという脅威に対抗するでもなく、他人から奪って自分だけが生き残る……そんな道を選んだ者ばかりだった。
戦争が何度も起こった。簡単に人が死んでいくところを、何度も見ることになり――わたしは絶望した。こうなることは頭のどこかでわかっていたはずなのに。
それでも一度課した命は消えない。
ならば、とわたしは人間に力を与えた。
人間に異能と呼称されることになるそれを、未来ある子どもたちに与えた。
他人のために戦える、真っすぐな心を持つものに適応するように設定して。
だが……人間の側に肩入れしすぎたからだろうか。
わたしは異能と同時に天使兵を作り出していた。まったくの無意識――この辺りでは、すでにわたしの意識が混濁することも多く自我を保てないことも増えた。
人間に力を与えるなら、こちら側の戦力も増強する。まるで機械のように、バランスをとるために作り出されたしもべたちは人間を殺すためだけの存在だった。わたしの人間への憎しみが具現化したかのようだった。
今まで分身の類はどれだけ頑張っても作れなかったのに、人を殺すためなら簡単にできるんだな、と自嘲した。
そうして数年のうちにいくつもの国が滅びた。
大量の人間が死んだ。
ほとんどは人間同士の争いによるものだった。
もっと長い時間をかけて滅ぼすつもりだったのだ、わたしは。そうすればいつかわたしを倒すものが現れると信じたかった。
だが想像以上の速度で人間は共食いを続け――いつしか滅亡寸前まで人類を追い込んでいった。
共食いを抑止する存在であるわたしがそれを助長した。皮肉にもほどがある。
そして最後の時。
あの少女はわたしに立ち向かってきた。
わたしが設定した以上の力を得てわたしを倒した。
わたしはそれが嬉しかったが、もうすべてが手遅れだった。その少女しか人類は残っていなかったから。
切り裂かれる。
わたしの力が飛び散っていく。
ああ、やっと終われる――そう思っていた。
だが運命はわたしを赦してくれなかったらしい。
あの少女の攻撃で生じた時空の裂け目にわたしは落ち、そして――――




