129.雲外蒼天
「プラウの力は全部わたしの元にある。もう諦めた方がいいよ」
それは投降の勧告だった。
ルナが人類を滅ぼすために必要だった力は全て神谷が持ち去った。
つまり今、ルナは力を失っている。アカネに倒されたときそのままの、弱体化した状態だ。
「年貢の納め時よ。諦めなさい」
ようやくここまで追い詰めた、と密かに内心感嘆するアカネ。
たった一人で戦った結果、前いた世界では倒しきることはできなかった。
だが今は違う。仲間がいる。ここから逆転されることは万に一つもない。
「……いや、諦めない。絶対に完遂してみせる!」
弱りかけていたルナの輝きが戻ると共に強烈なプレッシャーが放たれる。
この場で誰より必死なのはルナだ。ここで敗北すれば生きている意味がない――それほどの気迫を感じる。力はほとんど失われたはずなのに、それでも恐ろしいほどの重圧。
「せあっ!」
気合を吐き出すと、ルナは剣を生成しその柄を握りしめる。
色は白金。すらりとした流麗なフォルムの長剣だ。
まだ戦意は萎えていない。どころか先ほどアカネと戦っていた時より増大しているようにも感じられた。
「まだやるっていうなら……いっつ!?」
大鎌を手に取り戦おうとしたアカネは腕を抑え膝をつく。
先ほどまでずっと戦っていたことによるダメージや疲労は思っていたより大きかった。
「アカネちゃん――っく……」
そしてそれは園田も同じ。
ルナの中に侵入するまでに戦っていたこと、そして精神の世界での戦いが、心的ダメージを積もらせていた。
つまり、
「なら――」
「――わたしたちが」
この場で戦える神谷と光空が一歩前へ出る。
神谷も、あのゲームの仕様によってこの世界へと戻ってきたときに身体のダメージは回復している。
心的損傷は無視できないが、問題なく戦えるだろう。
光空は神谷へと吸収されたと同時に万全の状態に戻った。
二人のプラウと、母体が相対する――あり得るはずのない組み合わせだ。
「こんなことになるとは思わなかったよ」
ルナは複雑そうな表情をしている。
まったく予想できなかった事態が目の前で起こっている。そのことに少なからず当惑しているのだろう。
「『人生何が起こるかわからない』――カガミさんが言ってたことだよ。まあ人じゃないんだけどさ」
ふ、と神谷は微笑する。
そのことに関しての衒いはもう無い。どうだっていい、と園田が言ってくれたから。
横に並んだ光空も少し笑い、そして問う。
「……ねえ、ルナ。私にはルナの考えてること全部はわからないんだけど……やめるわけにはいかないの? 今ならまだ間に合うんじゃないかな」
「それはないよ。わたしはとっくに戻れないところまで来ている。そして戻るつもりも一切ない」
ルナがゆっくり構えた剣が光を反射して輝く。
戦うしかないのだ、と主張している。
その意思に応えるように、神谷と光空も力を発動させた。
神谷は純白の光――月光を四肢に纏わせる。
光空は山吹色の光――陽光によって太陽の化身へと姿を変えた。
「光空さん、これ……」
光空の肩を叩いた園田はあるものを差し出す。
「……! 拾ってたんだ」
振り返り、それを確認した光空はくしゃりと顔を歪める。
園田が持っていたのは――シュシュ。
神谷と光空が戦った時、変身の際に光空の髪から外れてしまったものを、あの世界から去る直前に拾っていたのだ。
神谷の誕生日に買ったお揃いのシュシュ。アカネも、園田も、神谷も、同じものを身に着けている。
この四人の繋がりを象徴するもの。
「ありがとう……ほんとに」
彼女らを騙した罪悪感はまだ消えない。
これから先の未来で消えるかどうかもわからない。
ただ、確かな友情を感じつつ、そのシュシュで長くウェーブする光の川のような髪をくくる。
万感の想いと共にトレードマークのポニーテールが出来上がった。
「さあ陽菜、行こう。明日の日常を守るために」
「……うん!」
夜を裂くように光を放つ二人はルナを見据える。
神谷と光空にとって親とも言える存在。強大で、高い壁。
だが――子はいつか親を越えるものだ。
「……残念だが今日に全ては終わる。人類の未来なんてどこにもないんだよ!」
まず動いたのはルナだった。
白金の剣を手に接近し、光空へと振り下ろす。
しかしそれが達することは無い。
ぎちぎち、とつばぜり合うのは槍。陽光をそのまま固めたかのような輝きを発する、光空の槍だ。
「沙月!」
「うん!」
交わすのは一言のみ。
すかさず神谷はルナの腹部へと足刀蹴りを叩きこむ。
吹き飛ぶルナへと、光空は追撃――持っていた槍を投げつけた。
「今さらこんなものが効くか!」
しかしその槍はルナの剣によって弾き飛ばされる。
さらに剣を振るい、いくつもの斬撃を飛ばした。
「くっ……!」
「避けちゃだめだ陽菜!」
横に回避しようとした光空の身体がぴたりと停止する。
神谷と光空の背後にはろくに動けないアカネと園田がいた。この状態で斬撃を回避すれば彼女たちが危ない。
「プラウ・ワン!」
巨岩の左手を呼び出し盾にする。
凄まじい切れ味の斬撃は、それを見る見る削る。光空も槍で迎撃してはいるが防ぎきれない。
だが後ろの二人にだけはいかせまいと――しかし防御に気を割いていたせいで、ルナ本体への意識が欠けてしまった。
ざん! という音とともにプラウ・ワンの手が両断され――ルナが目の前に現れる。
「やば……」
「遅い!」
斜め下から振り上げた剣は神谷の肩を切り裂き、さらなる追撃を狙おうと振り下ろされる。
「それ以上させない……!」
その攻撃は、光空が撃ちだした光の弾丸によって遮られる。
チャンスを逃したと見てか、ルナは大きく後ろに飛んだ。
「大丈夫、沙月」
「危なかった……ありがと陽菜」
遅れて血を流しだした傷口を抑え、神谷は前を見据える。
視線の先――ルナは敵意をむき出しにした表情で佇んでいた。
「どうして……どうしてプラウが沙月と共に戦えるんだ」
プラウは『母体に引かれる』という性質以外に、もう一つの性質を持つ。
本来力の欠片でしかなかったプラウは、そのままであれば母体であるルナや神谷に引き寄せられるだけ。
だがプラウとして――ひとつの生命として自我を持った結果、元々持っていた『回帰したい』という本能と相反する、『個でありたい』という意志を持つようになった。
倒されれば、反発する意思を折られ吸収されてしまう。だからプラウたちは神谷たちと戦ったのだ。
「……確かに私はプラウだから、沙月を倒さなきゃ、排除しなきゃって思いは今も確かにあるよ。でも」
そこで一度言葉を切り、隣の神谷に笑いかける。
「人間ってそうじゃないでしょ。本能とか欲望とか、そういうのはあっても、それに従うだけじゃないじゃん。そんなの理性のない獣と変わらない」
光空はプラウだ。人間ではない。
だが、産まれてからこれまでの時間を人間として過ごしたのだ。
だったら人間でいいじゃないか――そう光空は自己を定義している。
「プラウ・ゼロもそう。もしかしたら、プラウを倒してたのはゲームをクリアしてカガミさんに会うためだけじゃなくて、『プラウを吸収する』って本能に動かされてた部分もあったかもしれない。それは否定できない。でも、その本能以上にわたしは陽菜が大事なんだよ」
お互いがお互いをかけがえのない存在だと、そう強く想っている。
それは自身の奥深くに刻まれた本能をも凌駕している。
「……なら……なら、わたしは……どうして……」
胸を張って立つ二人の姿に、ルナは苦しみ始める。
虚空に向かって疑問を投げかけ続ける。
「見せてあげるよ。本能を越えたからこそ生まれたわたしたちの力を」
神谷と光空はお互いを見ることもなく拳をぶつけ合う。
すると光空の身体が光る粒子に変換され、神谷の身体へと吸い込まれた。
「な……あんた、何やってんのよ!」
「そんなことしたら……!」
突然目の前で起こった現象に狼狽するアカネと園田。
それに振り返る神谷は笑顔で、
「大丈夫」
その声は二重に聞こえた。
神谷と、もう一人。間違えようもない、光空の声だ。
以前プラウ・スリーは言っていた。
神谷がプラウの力を使いこなせていないのは、プラウのことを理解していないからだと。
なら、理解さえできれば。
「わたしたちは別の存在――だからこそ好きになれたり、嫌いになったりできる。違うからこそ理解できる。わかりたいって思えるんだ」
同じになってしまえば理解しようという気も起こらない。
完全な個と個だからこそ実現した力。
合わさってはいるが、完全なひとつではない。
今の神谷と光空はそういう存在だった。
「行くよ――プラウ・シックス、最終励起」
神谷の身体が光の衣を纏う。
その裾が翼のようにふわりと舞った。
同時に生み出した陽光の槍を両手で持つ。
神谷の全身から太陽のごとき輝きが放たれていた。
「……いいだろう。なら見せてくれ、その力を!」
相対するルナもまた白金の剣に力を収束させ、その光を増していく。
ここで終わらせる――その意思が現れている。
一筋の静寂……それを破り、双方が激突する。
「はああああああああッ!!」
「せえええあああああっ!」
槍と剣がぶつかり合う。
途轍もないエネルギーが周囲へと拡散し、夜闇を明るく染めていく。
神谷の陽光は際限なく輝きを増す。
少しずつ均衡が崩れる。
そして。
「これが! わたしたちだあああッ!!」
ついに槍が白金の剣を破り――ルナを穿つ。
莫大な閃光が爆発し、全ての音は消し飛んだ。
プラウがルナを乗り越えた瞬間だった。




