128.相対双月
あちこちにできた傷が顔をしかめたくなるほどに痛い。
腕を滑り落ちる赤い血の筋が雫となって指先に溜まった。
荒く吐く息が不快なほどに熱い。
アカネとルナはまだ戦い続けていた。
一進一退――とはいかない。攻撃を受け続けるアカネと、未だろくなダメージを受けていないルナ。
歴然とした彼我の差が現状を生んでいた。
「……そろそろ倒れろ、しぶといんだよ!」
透明な三本の大きな裂爪が、アカネへ横殴りに振るわれる。
後ろに飛んで回避しようとするも間に合わず、服ごと腹を切り裂かれた。
「なに言ってるのよ、まだまだ余裕なんだけど!」
だが倒れない。
大鎌の柄を杖にしてなんとか体勢を保つ。
傷はどんどん増えていく。しかし致命傷は無い。死に物狂いで生きる道だけを通り抜けているのだ。
膝をつかないアカネに対し、ルナは苦悶の表情を浮かべていた。眉間に細い皺が刻まれる。
「どうして……どうして君はそこまで戦える?」
唇をわななかせながら、投げかけた問いは根本的なものだった。
なぜお前はそこにいる。なぜ戦える。どうしてそこまで倒れないことができるのだ、と。
「だって――任せてって言ったのよ。なら死ぬ気で頑張らなきゃ」
「もういいだろう人間なんか! 殺させてくれよ!」
「あんたあれだけ殺したじゃない。それでまたこっちの世界の人間も滅ぼすって……それ、いつ終わるのよ」
アカネたちがいた世界と神谷が育った世界は平行世界の関係にある。ある一要素が違ったことで分かたれた可能性の世界。ならば他にも、それこそ無数に世界は存在するはずだ。ルナはそんな世界全ての人間を滅ぼすつもりなのだろうか。
「……いつ終わるかなんて関係ないよ。全部滅ぼすまで続ける。それだけだ」
ルナの金色の瞳はどこか陰り、どろりとした揺らぎを感じさせる。
見ているとこちらまで吸い込まれそうな、狂気を孕んだ瞳――どうしてか、アカネにはそれがひどく哀れに見えた。
「それに殺した殺した、って言うけど……君だってほんとはわかってるんだろう?」
「……何をよ」
「わたしやわたしのしもべたちは、人類を半分も殺していないんだよ? 知らないのか、それとも知らないふりをしてるだけか……どっちかな」
嘲るような笑みに、アカネは閉口する。
そう。
ほぼ表に出てこなかったルナと、夜にしか出現しない1万の天使兵だけではどうやっても80億の人類をたった数年で根こそぎ殺戮するなんて芸当は不可能だ。
なのに人類が絶滅したのはなぜか。
…………それは人類同士で殺し合ったからだ。
食料をはじめとした資源の奪い合い、住居の奪い合い、些細な諍い、混乱に乗じた犯罪、殺人を伴う強盗や、天使兵から逃げ延びるために他の人間を犠牲にする、そして戦争――これだけではない、そんな争いがどんな時もどんな場所でも起こっていた。
ルナが現れたあの日から倫理などは崩壊していた。
とある新興宗教は生贄と称して集団自殺を図った。
人の命は軽くなり、資源として扱われることも少なくなかった。
異能を持った子どもたちは実験材料として扱われることも多く、とある国のレジスタンスは凄惨な実験で全員命を落としたという事例も存在する。
「……そんなの、嫌ってほどわかってるわよ」
まだ中学生だったアカネは、レジスタンスに入って初めて出動した際に、恋人を盾に自分だけ助かろうとした人間を見た。その時に幻想は壊れてしまっている。
その時だけではない。人間が人間を食い物にするところを、アカネは擦り切れるほどに見てきた。
園田にその部分をできるだけ排して伝えたのは、そんなことを知ってほしくなかったからだ。
「でも人間がそれだけじゃないってあたしは知ってるから。何度だって誰かに助けてもらったからあたしは今ここに生きてるのよ。それはこの世界に来てからも同じことだった」
リーダーも姉も、希望を信じていた。
どれだけ人間の汚い部分を知っていても、それでもと言い続けた。
アカネもまた同じだ。果てのない砂漠の中に金粉が隠れているなら必死で掘り出す。それだけだ。
「わからないな……人間なんて信用できないだろう。あれだけのことがあってまだ信じるなんて愚昧極まりない。いい加減学習しろよ、人の子」
「あたしもこんな自分のこと、バカだって思うけどね。でも信じれば応えてくれる子たちだっているのよ、ほら――今も」
「……なにを――ぐっ!? ご、がはっ!」
突然苦しみだすルナの胸元――そこから何かが伸びている。
山吹色に輝くそれは切っ先。太陽の光を宿す槍。
つまり、
「これは……この力、は……!」
内側からルナの身体を貫くその槍は少しずつ這い出るように伸びていく。
その光景を目の当たりにしたアカネは笑みを浮かべる。
「ほんと待たせすぎよ。あくびが出ちゃう」
槍は一度動きを完全に止め――ぶるりと震えたかと思うと、勢いよく貫き、ルナの胸に大きな穴を開ける。
その中から三人の少女が飛び出した。
「やっと戻って――って、ええ!? 三人!?」
予想より多いそのメンバーにアカネは激しく狼狽する。
神谷沙月。
園田みどり。
そして光空陽菜。
空中に投げ出された彼女たちは軽やかに着地する。
少女たちはようやくこの世界へと帰還を果たした。
「……ごめんね、アカネちゃん。園田ちゃんも、改めてごめん」
「い……いやそんなことはいいのよ! よく戻って来られたわね……!」
存在を確かめるようにアカネは光空の全身をぺたぺたと撫でまわす。
そんななんでもないようなことに、光空は一瞬だけ泣きそうな顔をした。
「沙月が連れて来てくれたんだ。まだ沙月の身体に定着しきる前だったからこうして分離できた」
吸収されたプラウは時間が経つにつれ母体の身体に馴染み、同一の存在と化していく。
しかし光空はプラウとして定着してからまだ間もない。だから引き剥がすことができたのだ。
それを可能にしたのは、あの精神の世界という特異な場所と、そこで言葉を交わすことができたから。
そういった奇跡的な条件がそろっていたからこそ今があるのだ。
「……さて」
神谷はスカートに付着した砂埃を払い落とし、眼前の女神を見据える。
ずっとずっと会いたかった人が目の前にいる。
ひとつの世界を滅ぼした存在。
自分を育ててくれた人。
どちらも事実。
感謝はしている。
だがしかし、全ての想いを踏み越え、ここに宣戦布告する。
「改めて……久しぶり。ずっと会いたかったよ、カガミさん」
黒と白、二人の少女がここにようやく対峙する。




