13.透明バラル
幸いにも落下の際に破損していなかった蛍光灯を翌日の朝、北条に渡した。あの時の挙動不審そのものだった態度は鳴りを潜め、彼女はいつもの鷹揚な態度を見せていた。あまり突っ込むのもかわいそうなので、神谷もまた何も言わずにおいた。大人の対応である。お互いに何もなかったふり、見なかったふり。
さて、今日は土曜日。神谷たちの高校は土日祝は授業がない。だから今日は休日だ。だいたいの生徒は連れ立って遊びに行くなりしており、ここの寮生も例外ではない。だが一部の運動部は土曜日でも部活に勤しんでいて、光空もその一人だ。今日の朝、あわただしく出て行くのを神谷は見送った。
神谷は光空以外にまともに仲良くしている友人がいない。
つまり、暇を持て余していた。
「うー」
体操服のジャージにショートパンツというラフな格好で、ベッドに転がりもぞもぞとうごめく。窓から吹きこむそよ風がカーテンを揺らし、神谷の前髪を撫でた。
いつもならほとんど一日中ゲームに没頭する神谷だったが、今日に限ってそういう気分にはなれなかった。
「……わたし、いつもどう過ごしてたんだっけ」
そんなことはわかっているはずなのに、口に出さずにはいられなかった。いつものようにゲームをする気になれない理由もわかっていた。
ベッドのそばにある棚の上に無造作に置かれた携帯ゲーム機を、横着にも寝転がったまま手に取る。しばし見つめた後、おもむろに電源を入れる。
電子の和音で構成された起動音のあと、少し待つとタイトル画面が表示された。
ただのゲームではない。願いを叶えてくれるゲーム――神谷はそう認識している。
【TESTAMENT】。タイトル画面の一番下に表示されているANOTHERというモードを選択するとゲームの世界に飛ばされ、そこでプラウという名の怪物と戦い、勝利すると帰ってこられる――そんな常識外れのゲーム。
6体いるプラウのうち、倒せたのはまだ1体。画面に表示されているゲージが満タンになると次のプラウと戦えるようになるのだが、それにはまだ少し時間が必要らしく神谷は待つことしかできなかった。
焦りを感じる。
早くすべてのプラウを倒し、願いを叶えたい。なのに。
次の戦いは待てどもやってこない。前回から一週間が経とうとしているのに。
どれくらい待つ必要があるのかはわからない。もう少しで溜まりきることはわかっているのだが、だからこそ焦れる。新作ゲームの発売日が近づくにつれ時間の流れが遅く感じるのと似たような気分を味わっていた。
「会いたいよ……カガミさん……」
神谷の願い。一番大切なひと。
その顔を、声を、感触を思い出そうとした、その瞬間。
遮るように、部屋の扉がノックされた。
「……? 誰だろ」
億劫そうに身体を起こす。
この部屋を訪ねる人などいただろうか、と不思議に思う。光空は部活だし、寮長の北条は用事で外出中だったはず――そう思案を巡らせつつ、ドアを開く。
すると目の前にシャツの胸元が現れた。ゆっくりと視線を上に上げると、
「こんにちは、です」
園田みどりがそこにいた。
「私、神谷さんの願いを叶えるお手伝いがしたいんです!」
部屋に入ってきた園田は開口一番そんなことを口走った。休日だからか、長いグレーの髪を一つに結んで前に垂らすというゆったりしたスタイルだ。
すらりとした白い手をぎゅっと胸の前で握りしめ、神谷を見つめている。
神谷は困惑していた。
なぜ、という疑問が第一に来る。
園田はあれを身をもって体感したはずだ。
実際に死にかけた。
思い出すだけでも恐ろしい体験だったはずだ。だって神谷自身がそうなのだから。
「い、いやいやいやダメだよ、だって危ないもん。それに園田さんが頑張ることじゃないよ」
「……そんなことないです。神谷さんが私を助けてくれたように、私もあなたを助けたい」
神谷は首を横に振る。
「これはわたしがやりたいからやってることなんだよ。誰かのために戦うだとか、そういう正義っぽい話でもない。そもそもこんなゲーム、」
テーブルに置かれていたゲーム機を手に取る。白い表面が窓から差し込む光を反射して、神谷は思わず目を眇める。
「やって誰かが喜ぶこともなければ、やらなくたって誰も困らない。クリアしようがしまいが、園田さんに影響もしない」
「……でも、やるんでしょう。そう言ってたでしょう、あなたは」
「そうだよ。怖いけど、本当はすごく怖いけど……それでも」
そう言って園田を見つめる神谷の瞳には光が宿っていた。それはおそらく希望の光。だが、園田から見たそれはあまりにも強すぎるように見えた。それは神谷自身を滅ぼしてしまいそうな、恐怖すら感じられるほどにまばゆい光だった。
園田は思わず身震いする。
「わたしの願いだから。わたしが叶えたいよ、やっぱり」
言外に拒絶しているのだ、と園田は理解する。危ないから、神谷のような異能を持たないから、というのはもちろんあるだろう。
でも、今の言葉こそが本音なのだ。自分以外には任せたくない、関わらせたくないという頑なとまで言える意思。それほどまでに神谷が求める人はどういう人物なのだろう――――。
「……わかりました」
そう言って立ち上がる園田。消沈した様子で入口のドアまで歩いていく。
その背中にかけられたのは、
「ありがとう。助けようって気持ち、嬉しかったよ」
「…………」
そんな言葉、園田は少しも求めていなかった。
部屋には神谷一人だけになった。
長く長く、ため息をつく。
「これでいいんだよ。これで……」
願いを叶えたいというのは神谷のエゴだ。園田には何の見返りもない。そんなことに園田を付き合わせて、何かあったらと思うととても連れてはいけなかった。
園田は何の力も持たないただの人間なのだから。
自分と違って。
「あれ……? いま、」
なにか、違和感が――――
自らの思考に違和感を覚えた、その瞬間だった。
ふわり、と白いゲーム機が宙に浮きあがり、光を放ち始める。
「まさか」
眩しく輝く光に目を細め、無理やり画面を見ると、満タンになったゲージが白く明滅している。
どくん、と心臓が跳ねる。熱が全身の血管を通って、身体の隅々まで伝播していくような感覚があった。吐いた息が熱い。思わず手を伸ばす。
「きた」
きた。きた。きた。きた。きた。
うわごとのように呟き続ける。
さっきまで誰と話していたか。今自分が何を考えていたか。そういったことが全て頭から追い出され、『願い』一色に染め上げられる。
ゲーム機に向かってさらに手を伸ばす神谷の口元には――本人すら知る由のない、しかし確かな笑みが浮かんでいた。
そうして、指で画面に触れた瞬間。
ひときわ大きく膨れ上がった光に飲み込まれるようにして、神谷の姿は消え去った。
かちゃり。
誰もいない部屋にひとつの音が響いた。




