125.翠火、竜の息吹
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視界が白く霞む。
雪が世界を塞いでいく。
自分という存在が消えかかっていることがわかる。
全身を、存在の消滅を示すノイズが駆け巡っていた。
痛みを通り越して何も感じない。
全身がだんだんと熱を失っていくようだった。
(寒い…………)
靄のかかった頭の中では、これまで過ごしてきた時間がぐるぐると再生されていた。
これが走馬灯というものなのだろうか。
産まれてからずっと父親に施された教育。
それからずっと目を逸らしていた母親の姿。
家を出ると決意したあの日。
(…………寒い)
孤独で空虚に過ごした一年間。
そして、満月が支配するあの世界で神谷と出会ったあの日。
身体に少しだけ熱が戻る。
視界の白がわずかに晴れた。
彼女を尾け回した一週間。
彼女の願いを知ったあの昼休み。
それを助けたいと思った。
そしてあの運命の時。
神谷に隠れてあの世界に着いていき、そして目の前で彼女は倒れた。
そしてそれを見た自分は――逃げ出した。
怖くて逃げた。自分の命が惜しくて逃げた。逃げてもどうにもならないことはわかっていて、それでも逃げた。
逃げ続けたその先。そこで自分の弱さを知った。
その弱さと、嫌というほど向き合ったのだ。
そこで自分という存在について、初めて本気で考えた。
何を望んでいるのか。何を欲しているのか。どんな自分になりたいのか。
本当の意味で自身を確立したのがその時だ。
そうしたらどこからか現れた力が自分に宿って――――
(…………ここだ)
あの時現れた黒い光の粒。
頼りなく、しかし確かに輝く光。
そもそもあれは何だったのか?
まず大前提として。
異能とは、ルナが作り出し人間に与えたものだ。
しかしこの世界においてルナが異能を作ったということは考えられない。
アカネの異能は言うまでもなくあちらの世界でルナから与えられたもの。そして神谷の力は異能ではなく、プラウとしての力だった。
つまり園田の持つ異能は彼女たちの力とは根本的にルーツが異なるものだ。
プラウ・スリーは言った。
『その異能はなんだ。どうやって手に入れた』
ルナは言った。
『君は一体なんだ? 何の関係もない、その辺にいるただの人間でしかなかったはずなのに、なぜこの場に立っているんだ』
そう、つまり園田という人間について、ルナ側の者たちは何もわかっていないのだ。
一貫して『イレギュラー』と呼称される園田の異能とはいったいなんなのか。
あの時、あの世界にいたのは死に瀕した神谷と、園田と、プラウ・ツー。そしておそらく離れた場所にアカネもいた。
この中に異能を与えた者がいる。
園田が自分で生み出した?
それは無いだろう。何も力を宿していなかった、ただの人間が園田みどりだ。
それともプラウだろうか?
これも違う。そんな力を仮に持っていたとしてもそんなことをする必要がない。
ならばアカネだろうか?
違う。彼女にはそんな力は備わっていない。それにその時点では園田と何の繋がりもない。
思考が巡る。
『プラウ・ゼロっていうわたしは、プラウの中でも特別な存在みたい。いちばん母体に近い、彼女の性質が色濃く移った存在』
ルナはおそらく、異能に限らず何かを創造する力を持っている。アカネの過去を聞いてそう推測した。彼女はいわゆる万能の存在と呼ばれるべき者なのだろう。
その力で異能や【TESTAMENT】を作り出したのだ。
この世界について考える。
ここは精神の世界。神谷が作り上げた、自殺のための箱庭だ。
神谷沙月にはそれが可能だった。
そして神谷とルナは限りなく近い存在だ。
ならばルナと同種の力を彼女も持ち合わせているのではないか?
全く同じスペックではなくとも、意識的には使えなくとも。
そう。
あの時死に瀕した神谷の意識が、神谷を助けたいという園田の想いに共鳴した。
『助けてほしい』という願いと『助けたい』という願いが繋がった。
生死の境をさまよう神谷は無意識のうちに創造の力を発動し、そうして生まれた異能は園田に宿った。
しかし神谷の力はオリジナルに及ばない劣化コピーだ。
だから生み出された異能も出来損ない。
扱いが難しく、考えなしに振るえば使用者の身体を蝕む欠陥品。
だがその力は確かに神谷を助けた。
園田の決死の戦いによって命を救った。
それだけではない。
その時からずっと園田は神谷のそばに立ち続けた。彼女を守り続けた。
例え力では劣っていても、何度だって窮地を救ってきたのだ。
「…………そう、だったんですね」
身体に力が戻っていく。
熱が帰ってくる。それに応じて強烈な痛みも戻るが、こんなものは大したことではない。
神谷に出会うまでの人生に比べれば苦痛ではない。
身体のノイズはいつの間にか消えていた。
自身を改めて確立したことによって園田みどりの存在自体が強力に保証されたのだ。
この力は徹頭徹尾、神谷沙月を助けるためにある。
ならば戦おう。大好きなあの人を取り戻すために。
「《スティンガー・ファルコン》」
プラウ・ゼロの攻撃で生まれた砂塵を蹴散らし、超音速で飛び出す真空の弾丸。
勝ち誇っていた天使はとっさに回避しようとするも、その時にはすでに胸部に直撃していた。
突然のダメージに悶えながら地面に落下する。
すかさず園田は双銃を携え次の攻撃に移る。
「《アキュラシー・ホーネット》!」
小さな薄羽を持つ弾丸が数十発放たれた。
一つ一つの弾丸が意志を持っているかのように不規則な動きで全方位から迫る。
「――――――――!」
起き上がったプラウは吼え声を上げ、片翼を変形させた翼拳を振るう。いくつもの閃光が発射され、連続する破裂音と共に蜂型の弾丸と相殺した。
そうして生まれた爆風は、園田の身体を空高く撃ち上げる。
曇天の空に灰色の髪が舞った。
「《アヴェンジ・スパイダー》!」
空中から打ち下ろした八発の弾丸はプラウの周囲に着弾。それぞれが巨大な竜巻へと変化し襲い掛かる。
八方向から迫る竜巻――それに対しプラウは真上に跳躍することで回避した。
同じ高さでにらみ合う。
しかし園田の顔には笑みが浮かんでいた。
――――獲物が罠にかかった、と。
「あなたは私に勝てません」
勝利を宣言する。
園田が勝つことは決まっている。
なぜなら、この力はそのために在るからだ。
「《ジャベリン・スコーピオン》」
風が渦を巻く。嵐に変わる。
プラウの頭上に出現した鋭い竜巻が、空中のプラウに凄まじい速さで突き刺さり、大地へと縫い止めた。
プラウは動けない。暴風の槍がそれを許さない。
遅れて落下する園田は双銃を放り捨てる。
もうこれはいらない。まどろっこしい補助は、今の園田にはかえって妨げになる。
広げた右手をかざし、照準を合わせる。
自分に出せる全力を。この瞬間発揮できる全霊を。
この想いが炎だとしたら、あの天使を焼き尽くすほどに燃え盛る灼熱の風を。
眼下の天使に叩き込む。
「――――《ウルティマ・ドラグノフ》」
その弾丸はまるで竜だった。
滾る熱風から発せられる熱によって周囲の景色を陽炎のごとく歪んだ。
上から下に一直線。
暴風の槍を食い破り、最短距離でプラウ・ゼロに直撃した。
「――――、――――――――!!」
耳をつんざくような咆哮が響く。
同時に体表のヒビが全身に広がっていく。
枯れた大地のように少しずつ割れ、そして。
「私の勝ちです」
静かな勝利宣言と同時、バラバラに砕け散った。




