121.雪解けの月を目指して跳ぶウサギ
「どうしたらよかったんだろうね」
雪が降っている。
神谷と園田だけが、この世界に立っている。
「プラウ・フォーに負けた時諦めてれば良かったのかな。それとも自力でプラウ・ツーを倒さないとダメだったのかな」
つらつらと。
神谷は過去を回想する。凪いだ表情で、平坦な声色で。
「違うよね」
その後悔を、自ら否定する。
口に馴染んでいるように、すらすらと言葉が流れ出る。
おそらくこんなことを、彼女は人知れずずっと続けていたのだろう。
こんなゲームをしていていいのか。間違っているのではないかと。
「結局願いなんて抱かなければ……こんなことにはならなかったんだ」
「…………私は」
「みどりもアカネも陽菜も犠牲にして、得られたものは何もない。笑えるよ、ほんと」
そう言う神谷はちっとも笑ってなんかいなかった。
さっきまであれだけ楽しそうにしていたのに、園田を認識した途端感情を失ってしまったかのようだった。
しかしそう見えるのは外側だけで、その内には途轍もない情念が渦巻いているのだろう。
「カガミさんとひとつになって、いろいろわかったことがあったよ」
そこで神谷は言葉を切る。
逡巡する様子は、宝物をこっそり見せる子供のようにも、犯した罪を告白する咎人のようにも見えた。
ごくりと唾をのむ音は、どっちの喉から聞こえたものだったか。
「わたしの本当の名前はプラウ・ゼロ。要するに人間じゃないってこと」
「…………っ!」
びっくりしちゃった、と言って笑う。
あの時、ルナに取り込まれる中で神谷は自分について知った。どういう存在なのかを理解した。
「人間じゃない、って」
そうは見えない――園田はそこまで考えて、光空の存在を思い出す。
彼女もまた人間の姿をしたプラウだった。
「基本的な構造は同じみたい。わたしは最初赤ん坊の状態だったし、そこから人間と同じようにここまで成長した――でも、それは見かけだけ。構成する成分が違うって言えばいいのかな……例えば」
おもむろに神谷は人差し指の爪で親指の腹を切る。するとすぐに赤い血がじわりと流れ始めた。
それはどこからどう見ても人間のそれにしか見えない。
「こんなふうに血は出るし、流しすぎるとちゃんと死ぬ。でもこれは血に見えて血じゃない。わたしが使う白い光と本質的には同じものなんだよ。生命エネルギーそのものって感じ」
濡れた瞳が揺れる。
神谷はどんな想いでこの事実を告白しているのだろうか。この事実を知った時、何を思ったのだろうか。
「プラウ・ゼロっていうわたしは、プラウの中でも特別な存在みたい。いちばん母体に近い、彼女の性質が色濃く移った存在。そしてわたしの役目は、たぶんだけどプラウをすべて集めること」
プラウとは、つまり飛散したルナの力の欠片だ。
それらが独自に成長し意志を持ち、一個の生命として確立された存在。
「カガミさん……ルナの目的は人類の滅亡。でもそれを実現するには力が足りなかった。だからプラウたちを集める必要があった」
アカネから受けた攻撃で、ルナ自身も瀕死の状態まで追い詰められていた。その状態で元いた世界へと戻り、その上プラウを吸収するのは難しかった。
「これは推測だけど、だからわたしを使ったんだと思う。あの【TESTAMENT】ってゲームを使ってあの世界に送って戦わせた」
倒せばプラウは神谷へと蓄積される。
最後にルナがその神谷を取り込めば、元あった力を完全に取り戻すことができるのだ。
「……わたしは母体とほとんど同じ存在。だからプラウを叩き伏せて意志を折れば、磁石みたいに勝手にわたしに取り込まれる。みどりが今まで見てきたように」
そうして、ルナの思惑通りに事は運んだ。
ルナは力を完全に取り戻し、今再び人類を滅ぼそうとしている。
しかも飛散した力がそれぞれ独自に成長していることを鑑みると、全盛期以上の力を持っているとも推測できる。
「だからわたしは利用されてたってこと。まんまと騙されて、みんなを巻き込んだ。その上人類はこれから滅びる」
「私たちは巻き込まれたなんて……」
「事実だよ。わたしにはもう、どう償っていいかわからない」
雪が降り続ける中、神谷は瞑目する。
まるで許しでも請うようにうなだれている。
「ここはわたしの心の世界。これからわたしはずっとここで過ごすつもり」
「そんな……ここはもうすぐ消えちゃうんじゃ」
この世界は、少しずつ消滅している。
進行は緩やかだが、いつか確実に失われてしまう。
「そうだよ。カガミさんに取り込まれたわたしの自我は少しずつ溶けて消えていってる。でもそれでいいんだ。だって外は怖いから……苦しくて辛くて悲しい現実しか存在しないから」
それはつまり――迂遠な自殺だ。
彼女の瞳はどろどろと濁っていた。園田と出会ったあの時のように。
神谷沙月は絶望している。取り返しのつかない現実に、心が折られてしまった。
もう立ち上がれる力が神谷には残っていない。
「そうはいきません。私はあなたを連れ戻しに来たんですから」
「いらない。ひとりで帰ってよ」
「嫌です」
「帰って」
「嫌です」
「帰って!」
「嫌です!」
叫びあう二人。
そういえば、喧嘩なんてものをしたことがなかった、と園田は思い出す。
神谷は園田を睨みつける。まるで親の仇のように。
「わたしはここで死ぬ。それを邪魔するなら誰だろうと殺す!」
「私は死にませんし、あなたも死なせません。絶対に!」
神谷は白光――プラウとしての力を発動させる。
片や園田は黒い風を収束させ双銃を生成した。
「わたしは繰り返す。この幸せな一日を何度でも――死ぬまで繰り返す」
「もう良いんですよ、自分を責めなくて。私がいます。アカネちゃんもいます。あなたを大切に思ってる人がこの外にはいるんですよ」
「……なんで」
神谷は震えていた。
園田という侵略者を前にして、明確な脅威を覚えていた。
何も起こらず何も失うことの無い、緩やかな滅びだけがある世界。それを彼女は壊そうとしているのだ。
「なんで邪魔するの。なんで。奪わないでよ。取り上げないでよ。わたしの幸せを邪魔しないでよ。お前なんていらない。わたしの幸せな世界にお前の場所はない。出ていけ、出ていけ、出ていけ――ここから出ていけ!」
ここまで明確な拒絶を受けたのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。
神谷を助けたいと伝えた時以来だ。だがその時とは違う。自分の心を守るため、これ以上傷つかないために彼女は叫ぶ。
だったら答えよう。
園田みどりがどういう人間であるかを理解してもらうために。
言わなければわからないようなことが、この世にはたくさんあるのだから。
「あなたは出ていけと言いますが――ここに私を連れてきたのはあなたなんですよ」
「……そんなわけない。そんなことわたしはしてない!」
「あなたがどれだけ自分を否定しようと、やってしまったことはなかったことにはならない。これはあなたが私に言ってくれたことです」
園田みどりという少女は、なぜ今ここにいる?
ルナを倒すためか。
ひとりで戦うアカネのもとへ戻るためか。
それとも、絶望に打ちひしがれる神谷を救うためか。
否だ。
そんなヒロイックな理由は何一つとして無い。
「責任とってくださいよ。あなたのせいで私はこんなところまで来ちゃいました」
神谷沙月のことが好きだから。
理由なんてそれだけだ。
出会ったあの日から付きまとっていたのも。
一緒に戦ったのも。
想いが暴走してしまったのも。
こうして神谷の世界に土足で踏み入っているのも。
全ては神谷のことを愛しているからに他ならない。
ずっとずっと隣に居たいから――それ以外は一片たりとも存在しない。
「あなたがいなければ今の私は存在しないんですよ」
こうして告白するのは何度目だろう。
……何度でもいい。これからの未来で、何度だってするつもりだから。
「みどりなんてだいっきらいだよ!」
「そうですか。私はあなたが大好きですよ」
呪詛を撒き散らす神谷から純白の光が迸る。
癇癪を起した子供のように叫ぶ神谷の様子は、園田の目には助けを求めているようにしか見えなかった。




