100.誰も望まなかった青空
気づけば神谷は空中にいた。
「…………っ!?」
雲一つない青空の最中に立っている――そのことは神谷を混乱させるには充分だった。軽く見回すだけでどこまでも空が広がっているのがわかる。
こんな場所に立っていることもそうだが、青空というのは輪をかけて異常だ。この世界は、いつだって満月が支配する真夜中だったはずなのに。
真下を見ると遥か下に街並みがかろうじて見えた。
小学生のころ、社会の授業で見た自分の町の俯瞰図によく似ていて、しかしこの高度からでもあちこちが破壊されているのがわかる。生活圏から少し離れたところには巨大なクレーターまでそこかしこに点在していた。どういう力を振るえばあれほどの大破壊を実現できるのだろうか。
足踏みし、今立っている床の強度を確かめる。思い切り踏みつけたくらいではびくともしなさそうだ。しかしこの透明な空中の床がどこまで広がっているかまではわからない。少し歩いて足を踏み外しでもしたら真っ逆さまだ。そう考えると、一歩すら踏み出せなくなる。
だが、そんな懸念はすぐに破られる。
「大丈夫だよ。このステージはここから高度が下がることは絶対に無いから」
背後からのその声に慌てて振り返ると、少し離れた場所に光空が立っていた。どこまでも広がる青空が遠近感を狂わせる。
「これは床であって床じゃない。壁なんだよ――私でさえ一切干渉できない。ゲームでよくあるでしょ? 向こうには景色が広がってるはずなのに、透明な壁に阻まれて行けない……そんな感じ」
神谷と同じ制服に身を包んだポニーテール少女は超然とそこに立っている。
表情から感情が読み取れない。これまでと違う表情には見えないのに、何かが決定的に掛け違っているように見えた。
「……なんで陽菜が【TESTAMENT】のことを」
「もうわかってるんでしょ?」
言葉に詰まる。
”きっとこうである”という考えは自分の中にすでにある。だができる限りそこから目を逸らしたい。認めてしまえば、すべてが終わってしまうような気がした。
……もう、手遅れなのはわかっているというのに。
「みどりとアカネはどこ。いるんでしょ」
その問いに、光空は天へ向かって指をさす。その先――神谷たちがいる場所からさらに遠く、透明な立方体に囚われた二人がいた。
まるでガラスのようなそれの中で、二人はこちらを見下ろし何かを叫んでいる。
「あの檻はこの床と同じ材質で作られてる。だから向こうからもこちらからも干渉はできないよ」
「……それでもアカネの異能なら……!」
空間すらも切り裂き世界の狭間を作り出す彼女ならと、そう思って見上げる。しかしアカネはこちらに向かって焦った様子で首を横に振った。その彼女の手には大鎌が握られていない。それはつまり、異能が使えないということだった。
反対に園田の手には黒い双銃が握られている。だが彼女の力では檻を破れなかったのだろう、明らかに疲弊した様子を見せている。
あの時。
神谷と園田は異能を出せるのに、アカネは出せなかった時のことを思い出す。
それはもしかしたら――――
「まさかここ、【TESTAMENT】じゃない……?」
「それはないよ。ここは正真正銘、私たちが暮らしていた世界とは別の世界。ただ……今はお月様には引っ込んでもらってるってだけ」
確かに、今は月の代わりに太陽が空を支配している。それがアカネの異能が使えないことに関係しているのだろうか。
雲ひとつない青空……だが、感じる。
あの太陽の向こうに月はある。ただ、太陽が空へ上っていることでこの世界が”昼”と定義された。昼は月が支配する時間ではない……だから効力が失われたのではないか。そう推測する。
「……さて! じゃあさっきの質問に答えようかな」
まるでショーでも始めるかのように両腕を広げ宣言する。
その顔には、晴れやかな笑顔が張り付いていた。
青空の中、笑う少女のもとへ白い光の粒が降りてくる。光空はそれを右手で包み持った。
「私の本当の名前はプラウ・シックス――太陽を司るプラウ」
光空陽菜は告げる。
その事実を。
「私は『あの瞬間』母体から切り離され、力はこの世界に、肉体は向こうの世界――私たちが生きたあの世界に分かたれた。肉体はとある妊婦のお腹の中にいた胎児と同化して、生まれた子どもは光空陽菜と名付けられた」
あまりに衝撃的な内容過ぎて神谷はろくに理解できなかった。光空が、大切な幼馴染がプラウだったという、その事実が彼女の思考をぐらぐらと揺らしていた。
「こうなることは最初から決まってた。『私』が光空陽菜として生まれたあの瞬間から。沙月の最後の相手を務めるということが」
「わかんない……わかんないよ」
「だめだよ、ごまかしちゃ。わかってるんでしょ? 賢い沙月ならもう何をするべきかをさ」
【TESTAMENT】。
願いをかなえるゲーム。
クリア条件は6体のプラウを倒すこと。
殺すこと。
「無理だよっ!」
「……そうだよね。そういうと思ってた。だって私のこと、好きでいてくれてるんだもんね。大事に思ってくれてるんだもんね。でも」
もう一度天を指さす。
そこには完全に密閉された檻に閉じ込められた二人が。
「私を倒さないとあの二人は一生出られないよ。大切な子たちなんでしょ? なのに見捨てちゃうのかな」
いつもの笑顔で、そんなことを言い放つ。
全身の毛が逆立ったような心地がした。
「ひ、な…………」
「色んなゲームで遊んだよね。勝ったり負けたり楽しかったなあ……でも、これが最後」
右手に握りしめていた光の粒を、光空は躊躇いなく潰す。
光が全身に浸透し、光空の身体を包み込み、膨張し――ひときわ強く輝いた。
繭のようなその光の中から、最後の敵が現れる。
瞳は空の色を映したようなブルー。発光する羽衣を身に纏い、ポニーテールにまとめられた髪はまるで一本一本が光の絹糸のように輝いている。
それを束ねるシュシュを。神谷が手首に巻いているものとお揃いのそれを。躊躇いなく外す。
ぶわ、と長い髪が広がる。波打つそれは光の川のようにも見え、この世のものとは思えないほどに美しい。
ぽとりと床に落ちたシュシュは、跡形もなく霧散した。
「陽菜あああああァァァァッ!!」
「さあ、遊ぼう沙月」
抜けるような青空の中。
最後のゲームが始まった。




