3.我欲
story.3
「我欲」
「ぐっ……、お前。どうして……?」
「どうしてもこうしても、私は最初からこうするつもりでしたよ。私はエルフなんですけど、その中でも上位種のエルフ、ダークエルフなんですよ。エルフと身体的特徴は似てますけど、あんな下等種とは格が違うんです。皮肉みたいで面白いでしょう? エルフに売られる人間だなんて、傑作だと思いませんか」
全身金縛りにあったかのように身体がうまく動かない。見えない拘束具でも嵌められているかのようだ。
辛うじて目を動かして目の前の少女の姿を見ると先ほどまでの金髪の少女の姿はなく、褐色肌の銀髪の少女に姿が変わっていた。落ち着いた白を基調とした服を着ていた少女とは対照的に、目の前の少女は黒を基調とした露出度の高い服を着ていた。
何よりその表情が一番歪んでいる。鋭く光る目と、不遜な態度。顔からにじみ出ているのは諦観などではなく欲望を満たした時の醜悪な得意顔だ。
「その姿は……。お前、最初から俺を騙していたのか……?」
「ええ。貴方を売るために助けました。まさか記憶喪失だとは思いませんでしたけどね。魔族も人間もエルフの事は見下しているくせに、弱ったところを助けられるとすぐに信用するんですから笑ってしまいます。どうですか? 私の幻惑術の完成度は? 完璧に幸薄そうなエルフの美少女の姿だったでしょう? ふふっ。では、行きましょうか。ほら、立って歩いて下さい。貴方の身体は今私の支配下にありますからね」
身体の自由は完全に少女に掌握されているようで、少女が立てといった瞬間に身体が反応した。糸で引っ張られているかのような不快な感覚が全身を支配する。
そのまま少女の後ろを無理矢理歩かされて商人たちの粗野な怒号につつまれた奴隷市場の中を歩いて行く。客引きやら広場で開催されているオークションやらでごった返しているこの市場は喧騒だけなら表の街にも負けていない。
だけどこんな物は活気があるとか、繁盛しているとかそういう言葉が相応しい場所ではないだろう。もっと陰鬱で、不健康な熱気に思える。
大抵の店は露天でオークションを行っているようなものでボロ布をまとった奴隷達が手錠をされて並んで立っている。そしてその周りを幾人かの金持ちそうな人間が品定めをするように立っては大声で奴隷たちを落札していた。
「お前はどうしてこんな仕事をしているんだ? ダークエルフの格が違うっていうんならもっと真っ当な仕事があるんじゃないのか?」
「なに言ってるんですか? 奴隷商っていうのは真っ当な仕事じゃないですか。強者のために弱者を売る。当然の食物連鎖ですよ。それにダークエルフなんて相当珍しい種族ですからね、私のような希少種は色眼鏡で見られるんですよ」
「別にさっきの表側にあった露天商みたいに自由だけど日の当たる仕事ってのもあるんじゃないのか」
「ああいうのもいちいち国に許可が居るんですよ! はぁ、全く記憶喪失っていうのは本当みたいですね。私の心配より自分の心配をしてください。折角奴隷として売るって言ってるのに、あなたときたら怯える素振りも悔しそうな顔もしないんですから、つまらないです」
「そりゃ、すまないな。あんまりにも唐突すぎて現実感がないんだ。お前なんかまるで別人じゃないか。同一人物が俺を騙していたなんて言われても実感が湧かないよ」
「ま、私は裏切られた人間の悔しそうな顔を見て喜ぶサディストではありませんから、別にいいですけど」
そう言ったきり少女は黙ってしまった。不機嫌そうな声だったが、それでも少女はどこか淡々としていた。笑ったり、拗ねたりしているように見えてそれが彼女の本心なのか、それとも感情があるように見せかけているのか俺にはよくわからない。
暫く歩くと少女は1軒の店の中に入っていった。正面ではなく裏口から入っていったという事は俺はこの
店に売られるのだろう。
狭くて薄暗い廊下を歩いて行くと小さな部屋に初老の男性が退屈そうにあぐらをかいて座っていた。陰気な雰囲気の部屋で、その老人の目だけぎらぎらと燃えている。
「またお前さんか、ノルン。飽きもしないでまた人間を攫ってきやがったのか」
そういえば、まだお互いに名前すら名乗っていない事にようやく気づいた。よく考えれば俺は自分の名前すら思い出せない。
「はい。しかもこの人間、もしかしたら亜人かもですよ。傷の再生速度が尋常じゃないんです」
「ほう……。そりゃ面白ぇな。どれ確かめてやる」
言うやいなや、老人は懐からナイフを取り出し、ゆっくりと俺の方に歩み寄ってきた。そのナイフで何を
するのかは簡単に想像できる。
だけど、不思議と心は落ち着いていた。自分はどこか壊れているのかもしれない。いや、或いは知っているのか、俺はこの程度ではどうにもならない者だということを。
「悪いな坊主。お前さんは今から商品になる。だからよ、商品の品質を確認しなきゃならねぇんだ」
「好きにしてくれ。俺も自分のことがよく分かってないんだ。確かめたいのは同じだよ爺さん」
「肝の据わった坊主だ。だが痩せ我慢はよくねぇな。刺されてめそめそ泣いても知らねぇぞ!」
じくり、と腕の肉が断裂した感触がした。痛覚を刺激する刃の違和感と滴る血液。激痛というほどでもない。これは耐えられる痛みだ。
だってもっと昔、俺はこんな痛みよりも、もっと苦しい思いを……。
「ぐっ……うぅ……」
何かを思い出しかけたが結局何も思い出せはしなかった。自分の名前も過去もやはり何も思い出せない。腕に走る鋭い痛みで現実に戻ったかのような気さえする。
ナイフが抜かれた瞬間、傷口が塞がっていった。じくじくとした痒みがした後、一瞬で傷が治った。。
目が覚めた時の傷に比べればこの程度の刺し傷はどうという事はない。あの傷でも一日で治ったのだからこの程度の刺し傷が治るのはおかしいことじゃない。
「いいだろう、能力は及第点だ。だが、その度胸は頂けねぇな。奴隷ってのは従順でおどおどしてなきゃならねぇんだよ。じゃねえと奉仕するべきご主人様に楯突いちまうからな」
「でも、能力は一級品だと思いませんか? この亜人なら荒事だってできそうじゃないですか?」
「荒事、ね。まぁ奴隷をぶっ壊すのが趣味のヤツには打ってつけかもな。それに楯突こうにも一回術式を刻んでやりゃあ問題はねぇか……。ま、そもそもがレアだから買っといて損はねぇだろ。よし、わかったぜノルン。30万ルードでこいつを買おう」
「30万……ですか。そんなので私が納得するとでも?」
勝手に自分に値段がつけられるのはあまりいい気分じゃない。ルードというのはどうやらこの世界の通貨
の単位らしいが、30万ルードというのが安いのか高いのかさっぱり分からない。
この世界の常識すら分からない人間が奴隷として価値があるのか、少しだけ疑問に思ったが、それぐらい
愚かな方がむしろ奴隷として相応しいのかもしれない。
「へへっ、そりゃそうだな。てめぇは強欲だからなぁ。それじゃあ40万ルードだ」
「けち臭い値段交渉なんて私に意味が無い事は知っているでしょう? 100万ルードです。それ以下は認めません」
「てめぇ、そんな値段が通ると思ってんのか?」
「通します。私の呪術をもう一度味わいたくは、無いでしょう?」
瞬間、彼女の呪術がひときわ強く俺を締めあげた。それは最早拘束を通り越して俺をくびり殺そうとしているのではないかと思うぐらい、憎悪の篭ったものだった。
「ぐぅ…く……っ」
思わず呻き声が漏れる。だけど困ったことに恐怖心がない。目覚めた時、もう死ぬんじゃないかというほどの傷だったからか、この程度で自分は死なないと分かっているのだろうか。
自分の中の「記憶があった頃の自分」とでもいう部分が、自分が死ぬわけ無いことを知っているから、きっと俺は自分の事に対してこんなにも冷静でいられるのだろう。
「おっと、すいません。力が溢れだしてしまいました。私、同時に呪術を操る事なんて造作もないので、今すぐ力づくで言うことを聞かせてあげてもいいんですよ?」
「けっ、好きにしやがれ。てめぇの呪術に対抗する気力なんざ、この老いぼれにはもう残ってねぇからよ」
「物分かりのいい人は話が早くていいですね。たまにいるんですよね。殺される寸前まで諦めようとしない、金の亡者みたいな人って」
「てめぇがそうさせたんだろうがよ……、くそが。金用意するからちっとそこで待ってろよ」
そういうと男性は腰にぶら下げた鍵をじゃらじゃら言わせながら部屋の奥の扉の錠を開けて奥のほうに引っ込んでいった。
「お前、いつもこんな風に脅してるのか?」
「ええ。口先で丸め込むというのは面倒臭いので。ここって無法地帯だから法律とか自警団とかそういう面倒くさい物が全くないですから好き放題できちゃうんですよね」
「ノルンは、自由に生きたいのか?」
「それは、誰だってそうでしょうね。誰かの決めたルールに従いたくないから、今も戦争なんてやって自分たちのルールを押し通そうとしているんですよ」
「そうか……。生きるって難しい事なんだな」
「はい? 急に何言ってるんですか?」
「俺は記憶が無いからな。生きる目標とか、理由ってのが無い。だからノルンみたいにこういう風に生きたいっていう願望がないから、少しだけ君が羨ましいよ」
「あなた、ぼけーっとした少し特殊な亜人かと思ってましたけど、結構な変人ですね。あなたは私が憎くないんですか?」
「憎い……か。よく分からない。奴隷として売られるっていうものがまだよく理解できてないんだろう。俺の中で君は、まだ命の恩人だよ」
それは俺の嘘偽りない感情だった。
きっと腸が煮えくり返えるほどノルンの事を怨みたい筈なのに、不思議とそういう感情が湧き上がってこない。むしろ、俺は安心している。ノルンが、奴隷商なんていう仕事をやっていてもちゃんと自分で生活出来ていることが、なぜか嬉しい。
それはきっと、記憶を無くした自分に関係があるのだと思うが。
「っ……。お人好しも大概にして下さい。気持ち悪いです」
「好きに言ってくれ。俺だってよくわからない。記憶喪失ってのは人間の感性まで狂わせる物なのかもな」
「奴隷として非道い扱いを受ければ、きっと私の事を憎むでしょう。きっと、殺したいぐらいに」
「殺したいぐらいに、か……」
よく分からない。俺はどうしてもノルンにそういう感情を抱けない。それは彼女が不当な扱いを受けるエルフだからだろうか。きっとこんな事をしなければ、さっき見てきた市場に、あの全てを諦めきった顔で並ばなければならないと思うからか。
それは、彼女に対する、同情なのか……。
「ノルン、金が用意出来たぞ。この金持って、二度と俺の所に奴隷を連れてくるんじゃねぇぞ」
店主はケースの様な物をノルンに手渡すと、元いた場所に乱暴に腰を下ろした。
「ふふっ、それは約束できませんね。近くを通れば、またここに顔を出します」
「けっ、いつかてめぇの事を奴隷まで堕としてやるからな」
「期待せずに待っておきます。それでは、店主さんと、記憶喪失の奴隷さん」
そういうとノルンは廊下へと続く扉を開けて外に出て行った。俺も便乗して逃げ出そうかと思ったが、困ったことにまだ拘束が続いていた。どうやら術者との距離はあまり関係ないらしい。
「さぁて、まずはてめぇを完全に拘束しねぇとな。ノルンの野郎の術はそろそろ解けちまうだろう」
そういうと店主は金と一緒に持ってきたのか、銀色の手錠を俺に嵌めた。
「こいつぁ特別製でな。鍵で開くようなやわな造りはしてねぇから、逃げだそうだとか余計な事は考える
んじゃねぇぞ」
「別に逃げ出せるとは思っていない」
「物分かりのいい商品は好きだぜ。さぁて、それじゃてめぇを展示する店の中にご案内だ。ほとんど牢屋みてぇなもんだが、ま、売れるまで我慢してくれや」
そういうと店主はさっき金を取りに取りに行った扉を開け、俺を奴隷売り場に連れて行った。拘束はまだ効いているらしく、体は微動だにしないせいで店主が俺の手錠についている鎖を引っ張る形になる。
裏口から通ってきた時と同じような、蝋燭の僅かな明かりだけが照らす廊下を歩いて行くと、その一番奥に大きな両開きの扉があった。
「売れた先でも同じような生活をするんだろう?」
「どうだかな……。たまに運の良い奴は好条件で引き取られるように買われていく奴もいる。そういうやつは大体読み書きができねぇといけねぇんだが、記憶喪失となると、てめぇみたいな奴は大体労働力になるか、性奴隷かまぁ大抵ろくなところにはいかねぇ」
「そう、か……」
店主はその扉の鍵を開け、俺を扉の奥へと案内した。いや、案内というよりは引きずられていると言ったほうが正しいのだろうが。
そこは店主が言うような牢屋というよりは、何かの展示会のようだった。薄暗い店内にはいくつかガラス張りのケースがあって、そこだけ照明がやけに明るい。
その中には俺と同じように手錠をされた奴隷達が憔悴しきった顔で座り込んだり、立ち尽くしたりしていた。上の階もあるらしく、それなりに広い店内の隅には階段が設置されていた。
「なんだ、もっと質素な場所かと思ったら案外オシャレな場所なんだな」
「くくっ、おもしれぇこと言うなぁ。てめぇはこれから二度と抜け出さねぇ檻に入れられるかもしれねぇのに、客みてぇに店の感想なんか言いやがる。やっぱてめぇは頭のネジが飛んでやがるな」
「俺、褒められてるのか?」
「いんや、馬鹿にしてんだよ……っと、ほらここがてめぇの入るケースだ。とりあえずノルンの拘束が暫く効いてるはずだから、その中に入って大人しくしとくんだな」
「分かった」
「分かったって、てめぇ、他人ごとみたいに……。はぁ、溜息がでくてるぜ。てめぇみたいに呑気な奴隷は初めてだぜ、ったく……」
店主はケースの扉を開けると、乱暴に俺を中に入れた。
ひとまず寝れるぐらいの大きさがあるケースの中には何もない。ベッドも、トイレもないんじゃあ独房よりひどいなと少しだけ残念に思う。
拘束がきいているせいか一度倒れたら立ち上がることもできない。俺はケースの中で横になって疲れた体を休める事に決めた。どうせ今日入ったばかりの商品が売れることなんてないだろう。
どっと疲れたせいか横になった途端瞼が重たい。どうやら眠ることは拘束されていないらしく一安心だ。俺はケースを照らす明るい照明すら気にならないまま、自らの意識を手放した。