探索者の安息
2015年明けましておめでとうございます。
新年早々、説明回です。
うーむ、いつにも増して会話がセリフ調……
北汐見駅から五分もかからず、一条の運転する車は佳雅乃家の住居に到着した。
他の住宅群から少し距離を取った場所。四方を石塀に囲まれ、正面に大きな数奇屋門を構えている。外からの目算であるが、少なくとも野球ができるだけの広い敷地があると窺えた。
石塀に隣接する車庫に停まり、玖音達は車を降りる。再び先行する一条に付いて行くと、車庫のすぐ傍に石塀の内側へと続く裏門があった。
その裏門をくぐると、色鮮やかな春の花々に彩られた和風庭園が二人を出迎えた。同時に、風に運ばれてきた芳香が鼻孔をくすぐる。
奥へ続く石畳に沿って歩けば、折り重なる草木の合間から庭石や石灯籠が姿を覗かせる。道程の途中は二手の分かれ道になっており、玖音達が通らなかった道の向こうには景色を鏡の如く映す池泉が見受けられた。
庭園を抜け、一際広い石畳の通り道に合流する。広い道は石塀の外で見た数奇屋門から伸びるアプローチで、その終着点に高級日本旅館を彷彿させる数寄屋造りの邸宅が建っていた。
「こちらが母屋になります」
一条が玄関を開けて二人を招き入れる。邸宅の中は窓から入る陽光を受けた木材の明るい色合いに満ち、春の陽気とは別の温かな雰囲気が感じられた。
玖音が靴を脱いで床へ上がる。そのタイミングで、正面にあった廊下の奥から一人の少女が姿を現した。
一番に目を引くのは、しなやかに揺れる赤を帯びた長髪。歳は朔夜と同じくらいのようだが、その歳の女性の平均よりも一回り背が大きく、加えて均整の取れたプロポーションをもつ身体つきをしている。キャットウォークを歩く女性モデル、と形容してもさほど違和感は無い。
「もしかして、今日からうちに住むことになるって人?」
長髪の少女が問うてくる。
「はい、京様。彼らが千里様の仰っていた、天宮玖音さんと皆方朔夜さんです」
一条が答えると、京と呼ばれた少女は「ふーん」と頷く。
「初めまして。私はお祖母様……佳雅乃千里の孫の、京。まあ、これからよろしく」
言葉は多少愛想に欠けるが、口調に険は感じられない。それは「良家のお嬢様」というイメージに合致した、京の優美な顔立ちのお陰もあった。
「うん、俺が天宮玖音。よろしく」
「皆方朔夜です。こちらこそよろしくお願いします」
「玖音さんと朔夜さんね、うん。…………」
京は玖音と朔夜の顔を交互に見比べ、そして玖音の顔をじっと見つめる。
「ん、俺が何か?」
玖音が首を傾げると、京も同様に首を傾げる。
「男の子と女の子一人ずつ来るって聞いてたから……もしかして、玖音さんって男の子?」
遠慮の無い京の物言いに玖音は顔を顰めそうになるが、ぐっとこらえる。隣で三日月形の笑みを浮かべる朔夜と違って、京に悪意は無いのだ。それに、ここで隙を見せたら朔夜からどんな〝口撃〟を受けるか分からない。
「そうだよ。ま、初対面の人からはよく間違われるからね」
「ああ、ごめんなさい。男の子にしては綺麗な顔立ちだから、つい……」
「気にしなくていいですよ、いつものことですから。それに、口では嫌と言いつつ内心で悦ぶ男――それが天宮玖音です」
「待って何その人を貶める気満々のキャッチフレーズ」
どうやら、朔夜は既に射撃態勢に入っていたらしい。
誤解を招きかねない呼び名に玖音はすぐさま抗議をする。しかし、それは朔夜の嗜虐心をそそる材料に過ぎない。
「ふふ、すみません。――男、でしたね」
「実力行使も辞さないよ?」
「私に勝てるとでも?」
挑戦的な眼差しと艶然とした笑みが対立する。両者の間にあるのは、幾合の剣戟にも匹敵する濃密な戦意。まるで、玖音と朔夜を囲む空間だけが重圧で沈み込んだかのよう。
――が、京がこくりと喉を鳴らした直後。玖音がゆるりと両手を挙げると、場を支配した重みが一瞬で霧散した。
「あははっ……はぁ。本当に、朔夜には勝てる気がしないな」
「分かったようで何よりです」
「今は、だけどね。将来泣いても知らないよ?」
「ふふ、楽しみにしておきます」
そして結局、朔夜と気安く笑い合う。
実際、玖音が朔夜と張り合って勝った例はほんの僅かだ。煽られれば抵抗するが、最終的に玖音の方から降参する場合が圧倒的に多い。一年以上も共に過ごしたからか、瑣末なことは特に理由もなく許せてしまうのだ。後腐れが残るわけではないので、玖音は慣れたこととして納得している。
もっとも、それは別の見方をすれば朔夜に調教されているとも言えることに玖音は気付いていない。
「……で、結局二人は何がしたかったの?」
一方、そんな背景を知らない京は困惑の表情を浮かべるばかりだ。
「いや、狙ったわけじゃないけど……これも自己紹介になるかな。俺達のいつものやり取りさ」
「ふうん。色々と大変なんだね」
「あ、分かってくれる? 朔夜は隙あらば人のあることないこと言って愉しもうとするんだ。京も気をつけた方がいい」
「いえいえ、ご心配なく。私は玖音の困り顔が一番好きですから」
「……余計性質が悪いじゃないか」
玖音は憮然とした表情を浮かべるが、やはり朔夜の笑みを深めるだけだった。二人の基本的な力関係が明白になったという点では、一連の茶番も確かに自己紹介の意味を成していた。
「ふっ、なかなか面白い人達みたいだね」
「うんうん。これから仲良くできそうだ」
京の納得の言葉に新たな声――いつの間にか京の隣にいた、紅色の留袖を着る御河童頭の童女が追従する。
「へぇ、可愛い子だね。名前は?」
童女を見とめた玖音がかがんで視線を合わせると、彼女は八重歯を見せて笑った。あどけないながら、どこか狡猾さを感じさせる笑みだ。
「くふっ、いきなり現れたわしを見ても驚かないと。気付いてたのか?」
「何となく、かな。ただの勘だよ」
玖音が肩を竦めると、童女はぺしぺしと玖音の頭を叩いてくる。
「うんうん、確かに面白い。わしの名前は呉葉。これからよろしくだ」
そう言って、玖音と朔夜にウィンクを寄越す呉葉。大抵の人がやれば滑稽になるその仕草は、彼女の場合は妙に様になっていた。
と、そんな呉葉の頭に一条の手刀が落ちる。
「いたっ!」
「全く。一緒に住むことになるとはいえ、二人はお客様です。あなたも佳雅乃家の使い魔なら、もう少し礼儀を弁えなさい」
呆れの溜息をつく一条に対し、呉葉は可愛らしく頬を膨らませた。
「年増は細かいなあ。すっかり世俗の常識に浸かってしまって、似合わない似合わない」
「年増は余計です。というか、あなたとて大して変わらないでしょう」
「精神年齢はな。だけどそちらには肉体――いや、千年物のまな板があるだろう?」
「……説教ですね」
ゆらり、と一条から剣呑な鬼気が漏れ出る。柔和な表情が崩れていない分、余計にその迫力が凄まじい。玖音と朔夜、それに付き合いが長いはずの京でさえも、無意識に一歩下がってしまっていた。
しかし当の呉葉は意に介さず、着物の袖をはためかせてくるくる回る。
「くふん。残念だけど、これから京が出かけるんだ。なら、使い魔として務めを果たさないといけないだろう」
呉葉のその言葉通りらしく、京は一条に向けて申し訳なさそうな表情を見せた。
「ごめん、いばらさん。ちょっと友達の家に行ってくる。お祖母様にはもう言ってあるから」
「畏まりました、お気をつけて。……呉葉、分かっていますね」
「了解了解」
鋭い視線で釘を刺す一条と、軽快な返事で応じる呉葉。
そんな彼女達のやりとりと同時進行で、京は靴を履きながら玖音達に謝意を示す。
「二人には来たばかりで悪いけど、ごゆっくり。って、私が言うことでもないか」
「気にしなくていいさ、行ってらっしゃい」
「帰ってきたら色々話しましょう」
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
ひらりと手を振って、京は玄関から出て行く。
同時に、今の今まで玖音の目の前にいた呉葉が、前触れもなく一瞬で姿を消した。
といっても、呉葉が消滅したわけではない。彼女は京の使い魔――主従関係によって魔術師に使役される存在だ。使い魔の主な役目は伝令、偵察、監視、主の護衛や外敵の排除、その他雑用など。その名称の通り、魔術師の手足となって働く従者である。つまり、呉葉は使い魔の役目を全うすべく、京の後を追ったというだけのことだ。
「それでは、千里様のお部屋へご案内します。荷物は一度ここに置いて、ついて来て下さい」
京達が家を出たところで、一条による案内が再開された。先ほど垣間見せた鬼気はすっかり鳴りを潜め、元の穏和な雰囲気に戻っている。
ただ、今後は彼女の前で年齢や身体的特徴の言及は避けようと、玖音は心に留めておいた。
一条による案内の終着点は、佳雅乃邸のとある一室。広さは十畳ほどで、主だった家具は書棚、和箪笥、文机、座卓くらい。内装の調和を乱す華美なものが一切無い、万人が共通して抱くであろうイメージそのままの、一般的な和室である。
そして、座卓を挟んで玖音と朔夜の対面に座る老齢の婦人こそが、この部屋の主。明璃市唯一の魔術教育専門学校『私立峰神魔導学園』の学園長、佳雅乃千里だ。
「初めまして、私が佳雅乃千里です。今日は遠いところからよくいらしてくれました、玖音さん、朔夜さん」
そう言って二人を迎える千里の鷹揚な笑みは、見るだけで人の心を和ませる類のものだ。たれた目つきとえくぼが印象的で、親しみやすい愛嬌が感じられる。
「こちらこそ初めまして。今日からお世話になります」
玖音の言葉に倣って、朔夜もよろしくお願いします、と頭を下げる。
「ええ、よろしくお願いしますね。……そういえば、京ちゃんにはもう会ったようですね? 玄関から楽しそうな気配が伝わってきましたよ」
「あ、ええ。すみません、騒いでしまって」
先の一幕を思い出し、玖音は苦笑を漏らす。ついでに、千里の傍に控える一条の顔にも同様の表情が見て取れた。
「いいえ、どうか京ちゃん達ともっと仲良くしてやって下さい。それに、今日からここがお二人の家なのですから、遠慮しなくてもいいのですよ」
千里の言葉と態度からは、玖音と朔夜に対する惜しみない親愛の情が見て取れた。初対面でありながら二人を身内として認め、本当の家族のような関係を築こうとしてくれているのだろう。親類を失っている玖音にとって、それは感謝の念を覚えることである。
しかし、だからこそ玖音は言う。
「ありがとうございます。そのお心遣いは嬉しいですが――まずは私達の〝取り決め〟を確認しませんか。お互いの関係をはっきりさせるためにも」
玖音の言葉に千里は「ふむ」と頷き、
「分かりました。では、魔術結社『茫漠の探索者』の長である初瀬智明氏と、峰神学園理事長である幾間篤史が交わした約定を、私達の間でもう一度確認しましょう」
千里の視線を受けて、玖音と朔夜は頷きを返す。
『茫漠の探索者』。それが、二人が所属する魔術結社の名称である。魔術結社とは、魔術の研究や実践を目的に結成される秘密組織のことだ。その活動内容は各々によって違うが、魔術が世界の常識となっている現代においては、秘密組織だけに後ろ暗いことを含んでいる場合が多く、つまりは犯罪組織とほぼ同義である
もちろん、『茫漠の探索者』も例外ではない。彼らの主な活動は魔術研究――ただしその対象は『茫漠の探索者』の名の如く、手当たり次第で各人の興味の赴くままであり、魔術協会によって習得・研究・行使の一切を禁じられた魔術、いわゆる『禁術』すら範疇に含む。そして、研究のために数々の非合法な行為を行ってきた組織なのである。
対して――――
「私が学園長を務める峰神学園は、魔術協会の支援を得てここ明璃市に設立された魔術学校です。次世代の魔術社会を担う優秀な魔術師を育てることを理念とし、それに見合うカリキュラム、設備、人員が整った最高水準の魔術教育を受けることができます」
魔術協会とは、人類の魔術行使の管理と魔術社会の発展を目的とする国際的組織である。魔術が社会基盤となる以前から魔術の伝承と管理を行ってきた魔術結社を前身とし、二〇三五年に設立された。
設立と同時、協会は魔術行使に関する国際法である『魔術行使基本法』を制定。さらに各国に支部を置き、その国における魔術行使の管理をしている。この「魔術行使の管理」に限り、協会は国の行政に匹敵する権限を有しており、各国の魔導省を含めた魔術組織の頂点として確固たる地位を確立している。
また、協会はもう一つの目的である「魔術社会の発展」を促す様々な施策を行っている。その施策の一環で協会から支援を得て設立されたのが、私立峰神魔導学園だ。千里の言葉通り、協会の潤沢な支援によって最高峰の学習環境が整っており、世界でも屈指の魔術教育機関としてその名を知られている。
「しかし、これはホームページやパンフレットに載っていること、いわば学園の表の側面です。――あなた達こそがよく分かっているでしょうが、世界には望む望まざるに関わらず魔術の禁忌を犯してしまったり、何らかの魔術的な問題を抱えてしまったりする子ども達が少なからずいます。通常、彼らは魔術協会によって保護……いえ、隔離や封印、あるいは非人道的研究の対象にされ、最終的に抹殺に至ってしまうこともあります」
千里は口から出た言葉に苦味があるかのように眉根を寄せる。口を片手で覆い、表情を元に戻したところで再び話し出す。
「確かに、魔術社会においては間違っていないでしょう。それに子ども達とて、自身の問題が及ぼす影響は少なからず理解してます。ですが、彼らの中には同年代の子ども達が享受する当たり前を望む人がいるのです。そんな子ども達に、自分の問題と向き合いながら普通の学園生活を送れる機会を提供する――それが、協会にすら隠匿している峰神学園の裏の側面というわけです」
「……改めて聞いても、よくそんな歪な学園があるものだと思いますよ」
苦笑と共に、玖音が正直な感想を零す。佳雅乃邸に来る前に聞いた話によれば、峰神学園の裏の行為に特段メリットは無いらしい。
学園は保護した〝問題児〟に住む場所を用意し、年齢に適当な学年に編入させる。そして、〝問題児〟が他の生徒と同様に生活できるよう最大限の便宜を図る。一方、〝問題児〟は自分の問題を周囲に隠しながら、自由に学園生活を謳歌する。そこには自己責任が伴うが、それ以外に学園側から強制されることはないようだ。
単純に思いつく学園側の利点を挙げれば、〝問題児〟が抱える問題に関するデータが取れること、または異端の力を持つ彼らに借りを作れること、だろうか。しかし、詳細なデータを欲するならそれこそ千里が厭う非人道的研究とて必要な場合もある。また、借りに関しても結局は両者の心情の話であって、確実な強制力があるわけではない。
そんな実りが少ないわりに危険な行為が、魔術協会に近しい、しかも事情を知らない一般生徒が通う環境で行われている。魔術結社の一員から見ても、「歪」の一言に尽きる学園であった。
「幾間理事長の言葉を借りれば、『世界の全てが合理によって成立するわけではない。それは人の心とて同じ』。玖音さんの言うことは重々承知しています」
「なるほど。理事長からして物好きの変人ですか」
「ふふ。理事長には申し訳ないですが、私もそう思ってます。しかも、こんな学園を経営できる力とコネがあるのですから、性質の悪い変人ですね」
「……でも、そんな人でも全てを賄えるわけじゃない。だからこそ、『茫漠の探索者』を呼んだんですよね」
「ええ、その通りです」
玖音の言葉に、千里は出来の良い生徒を褒める教師の表情を向ける。
「峰神学園はあくまで学園であるため、卒業後まで〝裏の〟生徒の面倒を見るのは難しい。普通の学園生活を約束する以上、進路についてもできる限り希望を叶えてあげたいのですが……やはり正道から逸れた数少ない道しか用意できないのが現状です。そこで、生徒の選択肢を広げるため、彼らと似た境遇を持つ『茫漠の探索者』に来て頂きました。生徒が望むのであれば、ぜひ結社に迎え入れて欲しいのです」
「はい。初瀬からは、私達の判断でその生徒達を勧誘して来いと言われています。――しかし、『茫漠の探索者』はメンバーすら研究対象とする魔術結社です。そんなところに生徒を託しても良いのですか?」
玖音は最終確認としてそう尋ねたが、千里の態度が揺らぐことは無かった。微笑みを崩さず、鷹揚に言葉を紡ぐ。
「ふむ。事前調査や初瀬氏との話し合いは念入りにしましたが、確かに不安が無いわけではありません。しかし、今日あなた達と会って、少なくとも生徒達を不当に扱うことはないと確信できました。ですから、お二人は気にせず結社の仕事を全うして下さい」
『茫漠の探索者』は世間的に見れば日陰者の集まる犯罪組織でしかないが、五年近く過ごしていれば少なからず愛着や自負は湧く。依頼者が信用を示してくれるのであれば、玖音も快く頷くほかない。
「分かりました。では、その通りにさせて頂きます」
「ただ、生徒に先入観を持たせたくないと幾間理事長が仰っていて、残念ながら情報提供はできません。お二人自身で生徒に接触してもらうことになります」
「はい、それは事前に了解してます。まあ、それも学園生活の楽しみということで」
「そう、そうね。初瀬氏からも頼まれてます。仕事のお手伝いはできませんが、お二人がより良い学園生活を送る助力であれば、峰神学園学園長として惜しみなくさせてもらいます」
「では、改めて。私達を受け入れてくれてありがとうございます。今日からお世話になります」
会った時よりも深々と、玖音は千里へ頭を下げる。
千里は「どうもご丁寧に」と言った後、ぱんっ、と手を打ち鳴らした。
「さてさて、難しい話はこれくらいにしましょう。とりあえずお茶菓子でもどうですか。桜餅と苺ケーキのどっちがいいです?」
やはり千里には、玖音達を親身になって迎え入れようとする意思が感じられる。
峰神学園は〝問題児〟の卒業後の受け入れ先として『茫漠の探索者』を頼んだ。
『茫漠の探索者』は新たな人員兼研究対象を欲し、峰神学園を頼んだ。
そして両者は互いの望みを満たすため、あくまで利で繋がった約定を結んだのだ。玖音としてはその約定を確認し合うことで、近過ぎない一定の距離感を保とうとしたのだが……どうやら千里にはその気が全く無いらしい。
「「あ、両方頂きます」」
ということで、二人は千里の厚意を素直に、遠慮無く受け取ることにした。
その後は千里や一条と共に、仕事とは無関係の会話を楽しんだ。
夕食時には帰ってきた京や彼女の両親、そして佳雅乃家に仕える数人の従者も交えて食卓を囲んだ。やはり千里の家族らしく、全員が玖音達を暖かく迎え入れてくれた。千里と一条以外、『茫漠の探索者』や峰神学園の裏側のことは知らず、玖音達は千里の知人から預かった学生という設定になっている。それでも二人にとっては、純粋に親切にしてくれる存在はありがたいものだった。
そういうわけで、広い母屋から続く廊下の先にある離れ、各々の個室として与えられた和室の中。玖音も朔夜も憂い無く、明後日から始まる入学式への期待を抱いて床に就くことができたのだった。