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クオンの道標  作者: gokou
天涯の銀月
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愚者は舞い戻る

 西暦二一一三年。

 想像や願いを現実に反映させる神秘、『魔術(まじゅつ)』は世界に浸透し、科学技術と並んで人類の発展に大きく貢献していた。

 一世紀ほど前までは、限られた者しか魔術の存在を知らず、扱うことができる者はさらに限られていた。その頃のほとんどの人間にとって、魔術は空想の産物でしかなかった。

 しかし、第二次世界大戦において各国の軍で行われていた魔術研究が基となり、時代が経つにつれて魔術は飛躍的な進歩を遂げる。魔術がもたらす恩恵は一般の人々にも分かり易い形で顕れるようになり、その存在は世界に認められることとなった。

 同時に、魔術がもたらす脅威も顕著となり、より多くの人間が魔術に対する正しい知識を身に付けることが求められるようになった。

 そんな情勢に伴って、魔術教育制度が確立。現在は世界各地に魔術学校が存在し、誰もが魔術師(まじゅつし)を目指すことが可能となった。

 こうして、魔術は空想の産物から世界の常識へと変わり、この時代の人類にとって欠かせないものとなっていたのだった。



 ○   ●



 術者の意志に従い、淡い光を放つ図形や文字で構成された紋様――魔法陣(まほうじん)が足元に浮かび上がる。目には見えない魔力の流れを感じ取り、魔術が確かに発動していることを刹那の内に確認し、術者は春の青空へ向かって跳躍した。

 行使された魔術によって運動方向への力が増幅され、術者の身体は地上から二十メートル以上離れた宙に躍り出る。

 術者が視界に捉えるのは、ヘリウムガスに身を膨らませ、今なお上昇し続ける赤色の風船。

 蝋の翼で高みを飛んだ愚者の二の舞になろうとする愚行を、術者は尾のように揺れる持ち手糸を掴むことで止めた。そのまま諸共に更なる高みへ浮かんでいくこともなく、術者の身体は重力に従って自由落下を始める。

 当然ながら、三十メートル以上の高さから地面に激突すれば無事で済むはずがない。このままでは風船よりも真赤な肉塊の出来上がりだ。

 が、術者は取り乱すこともなく、足元に先とは別の魔法陣を展開。そして、地面に着地した瞬間、行使された魔術は正常に作動し、着地時に術者が受けるはずだった衝撃を全て吸収した。

 結果的に、術者は「垂直跳びで三十メートル以上跳躍し、その高さから無傷で着地する」という離れ業をやってのけたのだった。

 そんな術者――玖音(くおん)が着地姿勢から立ち上がると、周囲に居た人々が彼に向けて拍手を贈る。彼らは偶然この場に居合わせただけの通行人達だ。それでも、玖音の鮮やかな魔術行使を見て、ささやかながらも賞賛を贈らずにはいられなかったのだろう。

 四方から拍手を浴びる玖音は風船を手に、周りの人間と同じように無邪気に手を叩く幼い少女へと近づく。


「ほら、もう手放したら駄目だよ」


 そう言って、玖音は持ち主であった少女に風船を手渡した。

 風船を受け取った少女はたちまち破顔し、きらきらとした眼差しを玖音へ向けてきた。


「すごい! さすが魔術師さん!」


 少女の瞳には、玖音に対する純粋な尊敬が輝いていた。続いて、少女の母親と思しき女性が玖音に感謝の言葉を贈る。

 玖音としてはテレビのリモコンを取る程度の意識でしかなかったのだが、ここまで純粋な感謝の念を向けられると、何だかこそばゆい思いがした。

 少女は母親と手を繋ぐと、もう一度満面の笑顔を見せる。


「ありがとう、魔術師のお姉ちゃん! 」


 そして、少女は手を振りながら母親と共に立ち去っていく。玖音も少し苦笑を浮かべながら手を振り返し、彼女達を見送る。それを合図に立ち止まっていた通行人達も散り散りになり、辺りは何事も無かったかのように喧騒を取り戻した。

 ふうと息を吐き、玖音が春の陽気と達成の余韻に浸っていると、背後から声が掛けられる。


「さ、私達も行きましょう、魔術師のお姉ちゃん」


 その声は、水晶が打ち合って鳴り響いた音のように澄んでいる。

 振り向くと、今年で十六歳になる玖音と同い年の少女が、「お疲れさまです」と労いの言葉を贈ってくれた。

 彼女の切り揃えられたショートヘアの色は、夜空のように深い黒。

 対照的に、肌の色は抜けるように白い。それは怜悧な顔立ちと相まって冷たい印象を与えるが、整った美しさをより際立たせている。

 そして、黒のカーディガンを重ねたワンピースを着こなすたおやかな身体は、見るものの意識に甘く染み入る妖しさすら纏っていた。


「分かってるよね。俺、男」


 その少女の言葉に対し、いくらか語調を強めて玖音は応える。自然と浮かぶ呆れの表情を隠す気は、微塵も湧かなかった。

 対して少女は、そんな玖音を見てくすりと笑みを漏らす。


「何と。あの女の子が呼んだ時は否定しなかったのにですか」


 言葉だけ取れば、少女は驚きと疑問を抱いているように思える。しかし、切れ長の目に収まる宝石のような黒瞳は嗜虐的に輝いている。玖音をからかっていることは明白だった。


「あの子のは純粋な勘違いだろ。でも、朔夜の言葉からは悪意しか感じられない」

「ひどいですね。私だって純粋に玖音の容姿を褒めているんですよ? 女の私でも惚れ惚れするくらい綺麗です」


 女の私でも、という言葉は女に使うべきだろうと思いつつも、容姿に関しては玖音自身も強く否定できない。

 何しろ朔夜の言う通り、玖音は男性でありながら極めて女性的な顔立ちをしている。顔のパーツ一つ一つが繊細なつくりで、瑠璃色を帯びた黒髪も一般的な男性のものより長めだ。ただ、意志の強そうな鋭い目つきのお陰で、何とか「中性的」と形容できるかもしれない。

 だからといって、このまま全面降伏するわけにもいかなかった。目の前にいる少女――皆方(みなかた)朔夜(さくや)に対し、玖音は抵抗を試みる。


「自分の顔が女っぽいのは俺だって分かっているよ。でも、人に言われたことを無抵抗に受け入れるのは俺の主義に反するんだ 」

「この件に関して言えば、そのプライドはさっさと捨てた方が良いかと。玖音ちゃん、の麗しさは世界共通なんですから。ほら、依頼に来た外国の男性に口説かれたことがあったじゃないですか。なんて言われてたか、確か――」

「ごめんなさいそれ以上は勘弁してください」


 玖音のささやかな抵抗は、十秒も経たない内にあっけなく幕を閉じた。腰を直角に曲げて頭を下げ、せめてもの温情をかけてもらえるよう誠心誠意を込めて降伏する。


「というか、あれ見てたの?」

「はい。かなり情熱的なプロポーズでしたね。手元に録音できるものが無かったのが悔やまれます」


 くすくすと朔夜は笑う。

 一方、玖音は件の出来事を思い出して溜息を漏らす。傍から見ていればちょっとしたエンターテインメントだったのだろうが、当人達にしてみれば洒落にならなかった。

 玖音が必死に誤解を解いた後、口説いてきた男性は謝罪をすると共に今回の出来事を決して口外しないで欲しいと頼み込んできた。土下座をし、依頼した仕事の報奨金の三倍は出そうと言った男性をどうにか宥め、結局は双方の信頼という形で口外しないことに決着した。


「本当にやめてよ。あの人、目に涙を浮かべてまで頼んできたんだから」


 そして玖音自身としても、他人に知られたい話ではない。


「分かってますとも。冗談です」


 朔夜の白々しい答えに、玖音は憮然とした表情を浮かべることしかできなかった。


「ふふ。玖音は本当にからかい甲斐がありますね。これは性別や容姿関係なしに可愛いと思いますよ?」


 抗い難い妖艶さを含む美しい笑みに、今度は目を逸らして舌打ちをする。


「それよりも! 早く先方の迎えの人を見つけないと」


 朔夜に預けていた自分のキャリーケースを受け取りつつ、玖音は辺りを見回す。

 日本に存在する都市の一つ、明璃(あけり)市。玖音と朔夜は、新幹線に乗ってその玄関口である明璃駅に到着した後、市営の地下鉄に乗り換え、現在居る北汐見(きたしおみ)駅前までやって来た。

 北汐見は閑静な住宅街だと玖音は聞いていたが、駅前は多種多様な店舗が並ぶ商店街になっていた。その中の、中央に噴水のある人工池が設けられた広場に二人は居る。

 どうやら新店舗がオープンしたようで、広場の一角には人だかり――主に四、五歳ほどの子供たちで構成されている――ができている。その中央で、落書きのような顔をしたクマの着ぐるみが色取り取りの風船を配っていた。

 他にも、デート中と思しきカップルや談笑しながら店々を物色する少年達、食欲をそそる香り漂うレストランに並ぶ行列などが見受けられる。休日の昼時らしく、広場は老若男女の活気で賑わっていた。

 ただ、それゆえに目的の人物を探すのも一苦労だ。予定では、北汐見駅の東口で二人を迎えに来てくれる人物と落ち合う筈だった。しかし、通り抜ける改札を間違えて西口から出てしまい、結局は商店街を抜けて東口へ回り込む羽目になってしまったのだった。

 そして、その途中で風船を手放してしまった女の子と出会い、現在に至っている。


「そうですね。といっても、玖音はその迎えの人の特徴を聞いているのですか?」


 朔夜が首を傾げると、玖音はしまった、という表情を浮かべる。


「ごめん、訊くの忘れてた」

「……まあ、私にも言えることですね。少し手間ですが、佳雅乃(かがの)さんにその人の番号を教えてもらいましょう」


 朔夜はカーディガンのポケットに手を入れ、中から棒状の黒い小物を取り出す。手の平に収まる大きさで、小さな液晶画面と複数のボタンがついた電子機器だ。

 これは『ウィズフォン(wiz phone)』と呼ばれる、現代の携帯電話のスタンダードである。朔夜が今しているように「コネクトボタン」を押すと、ウィズフォンと持ち主の意識が魔術によって接続。五感に仮想インターフェースを直接投影し、持ち主の意思と身体の動きに連動した操作が可能となる。もちろん、持ち主の許可無しに仮想インターフェースが他人に覗かれることはない。

 朔夜が何もない宙に指を滑らせ、目的の番号を探す。しかしその時、すっと添えられるかの如く、一人の人物が玖音の視界に入ってきた。


「こんにちは。突然お訊ねして申し訳ありませんが、お二人は天宮(あまみや)玖音(くおん)さんと皆方(みなかた)朔夜(さくや)さんで間違いありませんか?」


 そう言って二人の前に現れたのは、灰色の髪をもつ長身の女性だった。歳は二十代後半ほどに見え、紺色のジャケットとセミフレアパンツのスーツ姿である。見た感じから、物腰が柔らかく穏和そうな印象を受けた。

 女性の素性に思い至り、朔夜はウィズフォンの接続を切る。問いに対しては、玖音が答えた。


「はい。私が玖音、こちらが朔夜です。では、あなたが佳雅乃さんの使いの方ですね?」

「ご慧眼の通りです。私は主の佳雅乃(かがの)千里(ちさと)の使いでお二人をお迎えに参りました、一条(いちじょう)と申します」


 名乗りと共に、お手本のように綺麗な礼をする一条。その所作に隙は無く、彼女の動きそれ自体が一つの芸術のようだ。つられて、玖音達も「よろしくお願いします」と頭を下げる。


「すみません、わざわざそちらから探しに来ていただいて」


 玖音の謝罪に、一条は気にしていないと首を振る。


「狼煙が分かりやすかったので、すぐに見つけることができましたよ」


 確かに、近くに遮蔽物となるような背の高い建築物は無い。赤い風船を手に宙を舞う人間は、離れたところからでもさぞ目立っていただろう。


「駐車場に車を停めています。ついて来てください」


 一条はそう言いながら、玖音と朔夜のキャリーケースを預かってくれる。各ケースを片手で持ち上げると、重さを全く感じさせない足取りで先へ進んでいく。


(一条さんって魔族(まぞく)……だよね?)


 一条の後に続きながら、玖音と朔夜は魔術によって意識間で会話を交わす。恐らくは一条に気付かれているだろうが、会話の中身まで聞かれることはない。


(ええ。恐らくは『(おに)』でしょう)

(流石。種族まで分かったんだ。やっぱり近いと分かり易いものなの?)

(どうでしょう。あそこまで完璧な偽装だと、正直私も勘としか)

(へぇ。世界随一の魔術師の使い魔は違うね。なんか、色々と楽しみになってきたよ)


 そう言って笑みを見せる玖音だったが、ふと、今の自分の言葉を思い返して立ち止まる。

 洗練されたデザインの下に作られた建物が並ぶ商店街。ここは大勢の人々が行き交い、彼らの楽しげな声が絶えず満ちている。特に、子ども連れの家族が一番多い。

 空は清々しいほどに晴れ渡り、飲み込まれそうな青に果てまで染まっている。太陽から心地良い光が柔らかく注ぎ、その暖かさを乗せた風が優しく肌を撫でた。まるで、玖音達の訪れを祝福しているかのようだ。


「あの夜とは、違うな……」


 玖音が呟く「あの夜」から、五年の歳月が過ぎている。思えば同じ明璃市内と言えど、季節や天気どころか場所すら違うのだから、記憶と実際の景色が異なるのは当然だ。それでも、思い出される悲しみと無力感だけは色褪せていなかった。

 その感情と先の言葉。果たしてどちらが本心なのか。

 ――どちらも、だ。

 確かに、かつて玖音はこの街で、ただの〝研究材料〟として時を過ごした。そして、とある一人の女性によって己の意志を取り戻し、しかし直後にその大切な恩人を失った。その過程で生まれた様々な感情は、玖音にとって忘れるなどあり得ない。否、忘れたくても忘れ得ないものだ。

 だが、玖音は今、己の鬼門とも言える場所にいて、そこで待ち受ける未来に期待を抱いた。一瞬、ついに忘れてしまったのかと自分を疑ったが、少し周りを見渡せばそれは簡単に心の底から湧き上がってくれた。

 ならばきっと、過去の感情が足枷ではなく、自分の足を動かす原動力として心に根付いているのだ。だからこそ、玖音はこうして矛盾した思いを持つことができている。


(まあ、少しは変われたのかな)


 自分が僅かでも前に進んでいると実感でき、



「――――玖音」



 不意に、自分を呼ぶ声。

 気付けば、朔夜の顔がすぐ目の前にあった。彼女の瞳からは、玖音を気遣う色がはっきりと見て取れる。


「ああ、ごめん。ちょっとした考え事だ、大した事ないよ」


 心臓の鼓動を少し速めながらも、玖音は平静な表情を装って返事をする。

 しかし、朔夜は額面通りに受け取らなかったようだ。子どもの児戯に呆れる母親のように溜息をつく。


「……まあ、いいでしょう。なら、早く行きますよ」


 そう言って、朔夜は玖音が歩き出すのを待ってくれる。

 そのことに玖音は内心感謝しながら、共に一条の後を追った。

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