小田原入城
小田原の地では天正十七年の秋ごろから城の外郭総構の普請を着工しており、城の規模が拡大していた。それは翌年の今年、天正十八庚寅の年も続いていることから、城内では「寅年大普請」とも呼ばれている。そして一の曲輪(本丸)の位置が八幡山から今の場所に移ったのもこの頃だった。
通俗日本全史にある北條五代記で著者とされる江西逸志子も『去れども此城、東西五十町南北七十町、廻五十里の大城に、総構に堀をほり、土井(居)を築き、又石垣の上には櫓を竝べ、持口には家々の旗を春風に翻す粧、吉野初瀨の花紅葉、是には爭で増さるべき云々』と筆を記している。
この書物は寛文十二年(一六七二年)当時の軍記物なので信憑性は低いようだが、江西逸志子当人が北條家家臣の子孫と称しているので空前の普請事業だった事が家伝としてあったのかもしれない。
また歳の暮れに入る前から大途氏直の墨付きが関東各地へと発行され、籠城の人数を小田原に集合させるよう激が飛んでいた。このため遅れている普請も手伝って、今年になってから次々に小田原にやって来た各地の軍勢が城に入ろうと犇めくように内外に溢れている。
各将の持ち口は評定の席で決定されてはいたのだが、籠城に動員された人数が大変に多い。このために遅れて来た軍勢が前に進めず、先に来ていた他所の軍勢が持ち場に辿り着くまでは城のあちこちで所在なく待つほかない程の繁盛になっていた。
当時の表現では『錐の立つ隙間も無い程』人馬が犇めいていたようである。
一方余りにも多い軍勢を見ると不安が首を持ち上げるのも将の常。ようやくの思いで自分の持口に到着し、長旅を終えた事に人心地がつくと後から湧くようにやって来る軍勢を見る事になるのだが、このとき自分の腰兵糧があまりにも頼りない事に気付く。
『これだけの人数が、いったい食っていけるのだろうか』
古今未曾有の数万人に上る籠城戦なのだ。いったい何日食えるのか。兵糧が無ければどんな金城鉄壁の城であろうとも幾日も持たずに落ちる。落ちれば所領を失い一族全てが滅ぶ。
この心配は小田原に詰める諸将軍兵全ての心配事と言っても良かった。
だが、新しく普請した本丸に居る隠居氏政は、この重要な心配ごとの一つである兵糧矢玉の事も聊か誇大とも言える表現で伝えてもいた。これからどれだけの期間籠城するのか不安を抱える将兵を安心させる方便でもあるのだが、『上方が十年間えいえいと攻め続けても尽きる事がない』そう嘯いている。
つまり、籠城兵数万の人間が十年もの間食っていくに事欠かない。そう言っていた。
事実、蓄えもあった。
それどころか籠城中の楽しみとも言える娯楽も用意している。
碁や双六は言うに及ばず、酒宴や茶の湯を催せる施設、連歌や謡、乱舞に興じる事のできる陣所まで設えてある。また松原明神前に毎日市を立て、日頃消費する塩・五穀なども売買できる店が開けるようになっていたのだ。
さて、その大混雑の様相を見せる小田原城下に氏照率いる八王子勢が到着した。
「こ、これは……」
小田原城下に到着した源三の第一声がこれであった。
「義父上、これでは先に進めませぬぞ」
「うむ、想像以上の人出だな」
目の前には人馬が犇めき、先に進める気配が全く感じられない程の混雑ぶりなのである。
八王子勢の持口は既に決定しており先月には通達されていたのだが、予想を越えた大渋滞のために目的の持口に到着するには相当な時間がかかりそうであった。
まだ日の高いうちに八王子勢到着の挨拶に赴きたかった氏照は、源三に軍勢を預ける事にした。
「源三、儂はちと兄上に挨拶に参るで、その方は竹の花口まで軍勢を先導しておいてくれ」
「かしこまりました」
頭を垂れる源三を横に、氏照は馬印を持つ従者に振り返った。
「旗持の者はそのまま源三に付いて行け。後続の為に目印を高々と揚げよ」
軍勢が本隊を見失わないように馬印を高々と揚げさせると、親子は馬上で言葉を交わして左右に分かれて行った。
源三に軍勢を任せたあと、小田原城内にいる兄氏政と当代の主、氏直の元に近習数人を連れて着陣の挨拶に赴くために三の曲輪から本丸へと続く城内の路を進んで行った。
途中、城内に設えられた氏照の小田原屋敷へと向かう。旅埃に汚れた装束を改めるための荷ほどきであった。
氏照の小田原屋敷とは、本来小田原城周辺に家臣家来の為の屋敷が幾つか建てられていた内に建てられていたのだが、今年に入っての寅年大普請で城外に置いてあった其々の屋敷を城内に移築したものの一画にある。
氏照の屋敷は要害の内と呼ばれた曲輪内に移築されていた。
さて、ここで少々小田原城の総構えに軽く触れてみようと思う。
昨年から続く寅年大普請最中の小田原城には、最外郭に置かれた外に繋がる幾つかの口が増やされていた。
大きなものとしては箱根方面の早川口から時計回りに、箱根口、水之尾口、荻窪口、久野口、井細田口(竹の花口)、渋取口、山王口、浜手口と続く。
北條五代記には、氏照の受け持ちは竹の花(鼻)口と記載があるが、ここは現在の東海道本線小田原駅から北東へ一~二キロ程進んだところにある。
同じ持口になったのは相模の当麻豊前守、当麻又十郎、武州忍からは成田下総守氏長とその弟佐衛門次郎泰高、上野金山から由良信濃守国繁、下野の足利からは長尾但馬守顕長、鹿沼から壬生上総守義雄、長沼からは皆川山城守広照ら都合一万余騎であり、近くには岩付(岩槻)殿と呼ばれた太田(北條)十郎氏房が井細田口と久野口、野州佐野からの佐野(北條)佐衛門佐氏忠が小滝口に兵を構える事になっていた。
少々話は変わるが、この内の皆川広照は『東国闘戦見聞私記』の著者の一人でもある。また他に、鹿沼からの壬生義雄の官位である上総守の事。
上総国は上野国、常陸国と共に親王任国である。
親王任国とは親王宣下を受けた天皇の子、及び兄弟姉妹が国主に任じられる国を指し、親王は太守と呼ばれるのが通例であった。つまり上総守ではなく上総太守。
しかし親王は現地赴任をしない遙任となるために、親王任国に於いての実務上の最高位は国司四等官中の「守・介・掾・目」の内の「介」が最高職となるため、当国の最高職は『介』になる。これを上総国に当てはめると『上総介』
そう考えると壬生義雄の官位は僭称だったのかもしれないが、北条記には上総介と記載があり、北条家人覚書(毛利家文書)には壬生中務ともあるので誤記の可能性もある。
自邸に到着した氏照と近習は荷を小田原屋敷に下ろし、氏照のみ着用していた甲冑を脱いで平服に装束を改めると、休む間もなく兄氏政と甥である当代の大途氏直に目通りする為に本丸へと出向いた。
兄氏政はここ数年来隠居城であった江戸城に居たのだが、家督は倅氏直に譲っても実権は未だに氏政が握っていた事もあって家の一大事とばかりに急遽、江戸城から小田原へとやって来ている。
北條家存亡を賭けた戦いに備えて昨年の夏ごろには小田原で寝起きしていたようだ。
その氏政のいる本丸に向かう途中も人馬で溢れてはいたが、二の曲輪と本丸を隔てる白塗りの築地塀の境まで来ると人影もまばらになった。
水を満々と湛えた堀には水鳥が数羽、合戦の支度などはどこ吹く風と呑気に水上を滑っている様子を伺えるのはそのせいだろう。
未曾有の合戦前とは思えぬような風景が本丸内には広がっている。
更に歩を進めて本丸外郭である築地塀を二の曲輪から見上げると、疎らにある建築物が松林に囲まれていると言った風情に変わった。
ここに来るまでの各曲輪は戦普請が進み、堀は深く穿たれ掻き揚げ土塁は高くなり、正楼矢倉が所狭しと立ち並んでいたものだが、今いるここは広大な松林に囲まれた庭園風の造りとなっている。そしてその一角は城内の喧騒から隔絶されたように静かなものとなっていた。
「流石に関東の鎮守府でございますなぁ」
氏照の後に従う近習が物珍しげに辺りを見回しながら呟いた。
「八幡山の本曲輪を捨てて新しく本丸を普請したようじゃが、山城だったものが平城のようになりおったわ」
ついつい氏照も近習と共に新しい小田原城に見入っていた。
庭園のようではあるが、歩を進めて行くと石塁が鋭角に折れ曲がったところが横矢となっている。先が見通せないうちに鉄砲狭間の付いた築地塀にあらゆる方向から囲まれるのだ。
「ほぅ、これは」
いつの間にか氏照はため息にも似た声を出していた。
「やはり八王子の城とは趣が異なるわい」
二の曲輪から聞こえる喧噪をよそに、徒然と歩く氏照主従の向かう先には本丸の城門が見えてくる。石塁の上に連なる武骨な築地塀の奥には小田原城の本丸御殿が黒く光る甍を押し並べて重々しく聳え、小田原北條氏百年の歴史を語っているようにも見えた。
その築地塀の切れ目から見慣れた人影がぬっと現れた。
小具足姿のその男は一瞬警戒するように氏照主従を睨みつけたが、思い当たったのか表情が変わった。
「あ、これは八王子の源三様ではございませぬか」
現れた人物が先程の警戒する姿が無かったかのように腰を低くしながら小走りで走り寄って来きたのだが、兜を着けていなかった事が幸いして顔が良く見えた。
「おぉ、これは康忠ではないか。久しいのぉ」
氏照に康忠と呼ばれた男は名を垪和康忠と云い、評定衆で御馬廻衆でもある。遠くは古河公方御領所支配としてその地位にあったが、後に上野支配となった重臣でもあった。
しかし昨年からの上方との合戦準備のため江戸城に隠居していた氏政に従って小田原入りしており、側近の一人として本丸に入っていたのだが、今は偶々本丸御殿を抜け出て来たときに氏照が歩いていたのを見かけたようだった。
「昨年の評定以来でございます。その後、八王子のお城は如何でござるか? ずいぶんと立派になったのでございましょうなぁ」
「おぉ、夜を日に継いで普請を続けておるからな。あと少しで出来上がるよ」
「それは何より。甲州に対する守りが頼もしゅうござる」
「北と言えば、新太郎は参っておらぬのか」
「はい。弟君は鉢形の城で上方勢を迎え討つと申されたまま小田原には入らぬとの事にございます」
「そうか。それで、兄上は御納得されておるのか」
康忠は、何か言いあぐねるような仕草をした。
「……氏邦様が評定の場で申されていた、駿州沼津まで攻め盗ってから上方を迎え討つとの言上を採られず松田尾張守の箱根で守り籠城するとの策を採られてからは少々意固地になっておられるようにござる」
「なるほどのぅ」
少々の間があった。
「新太郎ならば、そうするであろうな」
氏政、氏照の弟である氏邦は御家門衆の一人として小田原籠城を命じられていたのだが、東山道の押さえの為と称して自城である武州男衾郡の鉢形城に籠っていた。よほど自らの出撃策が採用されなかった事が納得できなかったのだろう。
また一方でもう一人の弟、氏規は上野の館林城から急遽、豆州韮山に籠るよう氏政に命じられていた。東海道の押さえとして山中城の後詰となるためだ。
籠城とはいえ韮山城を受け持った氏規は最前線とも言える場所で戦える。この事もあって氏政は氏邦の鉢形籠城を嚇する事が難しかった。
「さて、御隠居殿がおいでならば早速着陣の挨拶に伺いたい。康忠、出て来たばかりですまぬが、案内してくれ」
「大殿も大途様も、八王子様が参られた事で心強く思われる事でございましょう」
氏照が小田原に着陣したころ、武州八王子では酒呑み無辺が相変わらず酒に呑まれていた。
城周りを歩きながらの鼻歌が、その域を出て呂律の回らない小歌のようなものになっているのだが、本人は余程気分が良いのか、お構いなしに詠っている。
「酒を飲べて飲べ酔うて、たふとこりぞ、参え来ぞ。よろぼひぞ、参で来る、参で来る、参で来る」
無辺は、以前山上曲輪の館で氏照から受け取った瓢を携えていた。それを口に含むと酒を飲み、且つ詠う。
千鳥足の風情ではある。
千鳥とはチドリ科の鳥の総称との事だが、総じて言える事はその動きの妙である。少し歩いては留まり、また歩いては餌をとる。
酒に呑まれた者の足運びは、まさに千鳥の風情と見た言葉はまことに面白い。
さて、その千鳥が八王子の支城とも言える松嶽城までやって来ていた。
口からは音程の外れた詠が流れ続けていた。
平安時代、催馬楽と呼ばれた古代歌謡を口ずさみながらの散策は、山間の風景を愛でているようにもみえる。
「無辺殿、酒はほどほどにされたがよかろうと存ずるが」
無辺と共に歩く男は八王子城代、横地監物だった。
城周りの補強すべきところを見回っていたのだが、これには城の縄張りをした平井無辺を連れて歩く事が理に適うと思いここまで連れて来た。だが『人選を失敗した』との思いが強くなっていた所である。
城には主氏照の義父の血筋にあたる大石四郎右衛門、同平太経正がおり、この様な醜態を晒す家臣を伴って登城するのは少々無礼でもあった。
「何を言われる。我が身の酒は神便鬼毒酒。かの源頼光が不老長寿の妙薬として神から授かったものと同じ酒じゃ」
横地監物は呆れたように溜息を吐いた。酔っ払いを持て余し気味になっている。
「しかしその酒なら、鬼には毒なのでござろう。鬼飲み(来客時に主自らが毒見をする行為)が専らとの噂がある貴殿がこと。ならば毒酒になるぞえ」
この言葉に無辺はからからと笑った。
「仏の所において痴を生じ、世出世の事を壊り、解脱を焼く事火の如くなるは、いはゆる酒の一法なり。かな」
「なんじゃ、わかっておるではないか」
無辺は栓をした瓢をくるくると頭上で回して見せた。
「まぁ、気にする事勿れじゃ」
再び瓢の栓を抜き、口元に持って行くと喉を鳴らして飲み始めた。
「よくそれで倒れないものよ」
横地監物はそんな無辺の鯨飲を奇妙に感心していた。
ぶつぶつと言葉を投げかけて来る監物を横目でちらりと見た無辺だったが、零れた酒が口元を濡らした所でそれを袖で拭うと再び詩を吟じた。
「酒の名を、聖と思ひしいにしへの、大き聖の事のよろしき」
「またそのような」
「監物殿、そう酒をお嫌いあそばすな。酒は百薬の長とも云われ、飲む者の気を晴らし魂魄の毒を拭い去ってくれたもう妙薬じゃ」
「儂は酒が嫌いなのではない。お手前の、その飲みっぷりを心配しておるのじゃよ」
無辺は千鳥足で歩きながら、一度大きく息を吸い込んだ。数瞬、息を止めたかと思うと、一気に酒臭い息を吐きだして監物の正面に向き直った。
無辺と監物を取り囲む、八王子から松嶽城までの細い道の、そこから見える風景は日の高い内の山々は青く、春の日を受けて木々の緑が輝いている。
大小の起伏が緑を纏って波のようにそこにある景色は、今の北條家を取り巻く風雲には一切関係がない別な世界の出来事のように見える。
「如何された」
遠方で鶺鴒が、何やら人の言葉を話すかのように囀っていた。
「監物殿」
「何か」
無辺の目は意外と酔ってはいない。少々充血しているところが酒の気配を感じさせるが、恐ろしく落ち着いている。
落ち着きながら、口を開いてなにか、言葉を探して言いあぐねている様子でもあったが、意を決したように言葉を吐きだしてみせた。
「……北條は、おしまいにござる」
「な、なんと……」
監物は一瞬、頭を強か殴られたかのような衝撃を受けると、背中に一気に冷や汗が流れたことを感じた。
「無辺! その様な事を軽々に口に登らせるものではない!」
「監物殿!」
無辺は声量をあげた。酒に呑まれた者の声とも思えぬ腹の底から響く重たいものだった。
「儂が酔って前後不覚、正体不明になっているとお思いか」
瓢を左手に持ち変えると、右手でつるりと顔を拭って見せた。
「儂はやりきれんのじゃ」
「やりきれぬ、とは何を?」
「この戦にござる。今までとは何もかもが違うておる。まずはお味方」
そう叫びながら無辺は近くの草むらに腰を下ろした。
下草が青々と茂り、畝状になっているそこは座るにも都合が良い。無辺が腰を下ろしたのに合わせて監物も一度、回りを見まわしてから隣に腰を下ろしていた。
「して、無辺殿、味方の何が違っておると言うのだ」
「上野の由良、足利兄弟を御覧なされい。あれでは騙し討ちではないか。それだけではござらぬ。他領の領主達も一連に小田原に連れて行かれた」
「それが、どうしたと言うのじゃ」
「監物殿、この八王子とて例外ではござらぬよ。出陣された殿には申し訳ないが、籠る人数は少なく守る城将も、儂を含めみな老いておる」
「そのことなら、殿が小田原へ向かうときに我らで話していたわ」
「何を話したかは存ぜぬが、残る兵どもを見てみよ。この人数でもし攻められでもしたなら、どれだけ持ちこたえられるか。皆、戦々恐々としておる」
監物はこの言葉に苦言を呈した。
どうにも無辺の一方的な物言いに聞こえたからだ。
「無辺殿、お主も存じて居ろうに。由良国繁、長尾顕長兄弟は何度も付かず離れずを繰り返す芯のない者共よ。それ故ご隠居様は二人の立場を確固たるものにさせようと策を施されたのじゃ。何故それがわからん」
「芯のない者共だと言う事はわかっておる心算にござる。そもそも由良家先代成繁殿とは我らが北條家とは誼を通じた間柄。その倅の国繁殿もはじまりは我らとの繋がりに重きを置いておったようにござるが、武田と北條の同盟が崩れた時、我らを裏切り佐竹に寝返った」
「それを知りながらなぜ」
「神流川の合戦のおりにも滝川勢の一翼を担いながらも我らが勝利すると、その後は我らに寝返るほどの豹変ぶり。しかし」
無辺は喉が渇いたのか瓢の栓を抜いて喉を鳴らした。
「まったく、このような重大事を話す時にも酒か」
監物は少々戒める口調であったが、「水さ」との無辺の言葉に目を点にさせていた
「……水だと」
「いかにも水」
「………みず…か」
「さて、さっきの続きだが」
このとき、監物は無辺に呑まれた。
哀れなほどの監物の完敗であった。
「我らが神流川合戦で競り勝ち厩橋に入った折、上野の諸将と共に我らに帰参した由良と長尾兄弟も許した。しかしこのとき、御隠居様は何をされたか」
監物にはもはや言葉は無い。無辺の言いたい事がおぼろげながらにも見えてきたからでもある。
「帰参した兄弟を手籠めにすると厩橋に監禁したではないか。その後を見よ。両人の土地である新田と館林は城に人数を込め、折角帰参して来たにもかかわらず合戦が始まってしまった。しかも上田殿(暗礫斎)、成田殿(氏長)、大道寺殿(政繁)を大将として送り込んでも簡単には落とせず、終には国繁と顕長兄弟に城を明け渡さねば切腹を申しつけるとの言いざまは、下策も下策でしたな」
監物は苦しい腹の内から絞るように言葉を出した。
「し、しかし、それ故に新田と館林は我が方の手に落ちた……」
「さよう。手に落ちた。だが我ら北條の名も地に落ちた。御隠居様は家族思いの優しき大将との評判でござるが、他人に対しては聊か冷たき御仁のようにござるなぁ。人の心が読めぬようでは戦に勝つ前に、水につけた握り飯のように人の心がぐずぐずと離れてしまう」
「それは言い過ぎと言うものぞ」
「監物殿はまことに、言い過ぎと、その様に思われるか」
監物は二の句が継げなかった。
「……して、無辺、儂にそのような大それた事をうちあけた、と言う事は、どのような見返りを求める」
「儂はこの八王子が攻められる前に城を落ちるつもりじゃ」
「それを見逃せと申すか」
「まぁなんじゃな監物殿、そろそろ城に戻りながら話そうか」
そう言うと無辺は草むらから腰を上げ、松嶽城へと向かう方向とは逆に小道を歩き出した。
まだ座っていた監物はおいて行かれたかっこうになったが、こちらも急ぎ腰を上げて無辺を追うように歩きだしていた。
「無辺、合戦が始まってから城から落とせ、と云うのは聊か無理な話しぞ。身一つで落ちるならいざ知らず」
先程の千鳥足はどこへいったのか、今はしっかりとした足取りになっている無辺が、顔を前に向けたまま監物に言葉を続けた。
「身、一つで結構にござる」
「なんと、身内も放擲されるか」
「我が身一つでないと、いつどこで事が漏れるか分かったものではない故な」
それから暫くは無言のまま歩を進めた二人だったが、心源院の門前までやって来ると、無辺は路を変えていきなり境内に入ってしまった。
「無辺、帰り路を忘れたか。ここは心源院の門じゃ」
大声をあげた監物に体を斜に構えて降りかえった無辺。
「いかにも。ここは氏照様の祈願所である心源院。また武田信玄公の忘れ形見、松姫様が出家された寺にござる」
「なんと、では引き返すのが八王子への路ではないのか」
無辺は笑いだした。
「どうした?」
「監物殿、儂が八王子の城を縄張りした普請奉行だったことをお忘れか」
「ならば、このままこの心源院から八王子の城まで行けると申すか」
無辺はにやりと笑みを溢した。
「誰も通らぬ路にござるよ。土地の者も、おそらくは知らぬでしょう」
そのまま二人は、境内を掃き清めている寺男達を脇目に進んで塔頭の並びを素通りすると、深沢山方面と思われる裏庭に進んで行った。
無辺の案内する先に見えたのは藪。そこには矢箆の元になる篠竹が群生する中に一本、細い獣道のようなものが続いているのが見える。
篠竹とは矢竹とも言い、食料となる果物などと共にどこの城にも植生されているものだが、生えたばかりの篠竹の筍は食糧にもなる為に重宝する。食料や武具の他にも様々な道具となる上に、根元から少々残して斜めに切ったものは敵の足止めにもなる。
刃物で斜めに切られた篠竹は、篠竹そのものが鋭利な槍となって踏みつける者の足を貫くようになるのだ。また、一度植え込んで自然に繁殖するようになると手間がかからないことも好まれる要因ともなっている。
「境内の奥にこの様な道があるとはのぅ」
感心しながら無辺の後ろを付いて行った。
しばらくの間は二人の下草を踏みしめる足音のみが耳朶に響いていたが、数町程も進んだ頃、先を進む無辺が何かを思い立ったかのように振り返って足を止めた。
辺りには先程まで群生していた篠竹の群もいつの間にか流れ去り、椎や松、椚、杉などの雑木林に変わっている頃である。
「監物殿、監物殿の考えをお聞かせ願えぬか」
「考えと」
監物は無辺の言った言葉の意味が分からなかった。
「考えとは何の事じゃ」
「この合戦にござるよ」
「合戦……」
監物は少々間のぬけた言葉を吐いていた。
「これに何か意味があるとお思いか」
「意味」
合戦に対しての意味など今まで考えた事も無かった。
監物にとって合戦とは功名の場であり、出世の場。主に自分の働きを見てもらうための場でしか無い。そこに意味を求めるなど思いもよらないものだ。
「意味とは、なんじゃ」
「いや、今はまだ早うござったな。何れ監物殿にはお話申し上げるよ」
無辺はそう言うと、くるりと振り返りそのまま八王子の城へと監物を先導して行った。
辺りは既に緑も深くなり愈々春がやって来ていた。