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それぞれの思惑

 小田原への道々、上方勢の来襲を恐れたのか放棄された田畑が目に付くようになってきた。八王子近辺の自領では一応の戦時処置として百姓共を城に入れ男達は仮の兵としたものの、一部には耕作地を放棄して他国へ出奔する百姓もいたのは仕方のない事とも言えた。

 日本各地の他領とは違って税率の低い北條領ではあるが、やはり命あっての物種となると離村してゆく。

 手入れされる事がなくなった田畑には雑草が伸び、所々に隆起する山々の合間に造られた耕作地の半分ほどがそれに覆われてしまった様は如何にも物寂しい。棄村も近いのではと思わせる閑散とした風景が目の前に広がっていた。

 馬上揺られながらこの様を見ていた氏照は深く溜息をついた。

「……これでは戦が終わればまた人返しをせねばなるまい」

 人返しとは、離村した百姓の求めに応じて年貢・諸税を免じて百姓を元の田畑に戻す政策を言うのだが、実は一度、永禄年間にもこの令を出した事があった。

 当時は不作が元の離村だったため一年の税を免除したのだが、それにも関わらず百姓がなかなか戻らずに数年間は苦労した思い出しかない。

「上方も迷惑な戦を仕掛けるものでございます」

 これは源三である。

 源三は小田原籠城組の人数になっているため、義父である氏照と共に道々歩を進めていた。

「飢饉の度にこれでは百姓もたまらぬでしょうが、此度は合戦を仕掛けられてのこのありさま。我ら領主もたまったものではありませぬ」

「うむ、小田原や江戸、河越、関宿等は運上銭が取れるから何とかやっていけるが、今や小田原では二公八民にはち四公六民しぶろくが税の定法ではあったが百姓に田畑を捨てられると政が立ちゆかんし軍兵も集められんからのぅ。かといって五公五民せっぱんでは家祖の定法に叛くことにもなる」

「八王子も城下の市を大きく広げて商人を呼び込むことが後々大事になってまいりましょうか」

「税を増やせぬならば税の元を肥やしてゆくしかあるまい」

と、二人がやり取りしていたこのとき、遠方から女の金切り声が響いて来た。

 何事かと声の聞こえて来た方に目を向けると、逃散する為の荷を背負ったような百姓女が数人の破れ甲冑を身に着けた足軽に取り囲まれているのが見える。

 男達は百姓女の背にある荷物を奪おうとしているようだが、どうやら目的はそれだけではなさそうだ。

 槍を持ってはいるものの、女の方にそれを向けようとしないのは荷を奪ってから女を犯す心算なのだろう。だらしなく口を開けたまま笑っている。

 槍を持った男が逃げようとした女の足めがけて槍の石突きを一振りすると、呆気なく女は倒れた。

 槍の一振りで足の骨でも折れたのか、女がその場にうずくまったところで男達は一息に背中にあった荷を引きはがし勢いに任せて仰のけに倒れさせたのだが、一連の動作が手慣れている。

「追剥か?」

 氏照はその足軽の様な身形をしいる男達を追剥と見た。

 空を見上げる様な恰好かっこうにされた女の目の前に厭らしげな表情を引き攣らせた垢だらけの男達が、奇妙な、卑屈とも聞こえる笑い声を発してにじり寄ってくる。

 余りのおぞましさに怖気を振るった女は痛みで不自由になった足を庇いながら逃げようとするのだが、男達に背を向けた途端である。

 多勢に無勢。あっさりと襟首を掴まれたかと思うと無理やり引き摺られて草むらに消えて行った。

末法末世まっぽうまっせ、とはこの様な事を言うのかもしれぬ」

 哀れな、とは氏照である。

 呟きながら眉間に深い皺をよせると、いつもの気難しい司令官の表情に戻っている。隣の源三も手に持った鞭を忌々しげに鞍の前輪に打ちつけていた。

「外れとは言え未だ我が領内。我らが目の届く内であのような狼藉は許す事はできませぬ」

 ただでさえ逃散しようとしている百姓なのだ、このまま捨て置くと人返しの大義も立たない。そう考えた若い源三は、自領内でのこの狼藉に義憤を覚えていた。

「であるな。源三、あの下衆どもを懲らしめて参れ」

 氏照は破れ鎧の足軽達を汚穢おわいを見る様な眼で睨んだ。

 源三ははっしと長刀なぎなたを掻い込み、馬腹を蹴って走りだすと同時に家人達も四騎ほど後に続く。

 みるみる足軽達との距離が縮まって行った。

 数瞬後、蹄の音が耳に入ったのか追剥然とした足軽達は何事かと顔を持ち上げたのだが、顔を上げたと同時にその垢首が胴から離れて宙を舞っていた。

 血を振りまきながら舞い飛んだ首が落ちた先は、その首の持ち主に裾を割られていた女の股間だったのは余程色欲が強かったせいなのだろう。

 垢首が落ちたとき、まだ意識があったようでその目は女の陰所ほとをぎょろりと凝視した。

「ふん、首が飛ばされても女の股に未練があるとはな」

 源三と家人達が笑い声を上げたとき、追剥たちは思わぬ八王子の軍勢を見たことで腰を抜かすほどに慌てふためくと、全員が背を向けて逃げ出した。

「皆、やつらを逃すな。矢で射殺してしまえ」

 源三と共に付いて来た家人達は次々と馬上弓に矢を番え、ひょうと放って行く。

 的を外さぬそれは次々に足軽の背中に吸い込まれて行った。

 氏照の元に帰って来た源三は仇を討った興奮で表情を変えるでもなく、静かに馬を並べると追剥の始末をしている家人が戻って来るのを待った。

 ところが、この騒ぎが治まる前に再び馬上の闖入者がやって来た。

「なにか、色々とあるようじゃな」

 その闖入者は幌を付けている。どこかからの急使の伝馬のようだ。

 急使が息を切らせて本陣まで来ると馬を下りて氏照の元に走って来る。その手綱は近くの足軽に預けられたが、馬も体中に汗をかいて湯気をあげている所を見ると、よほど遠方から走り続けたのだろう。

 転ぶように走って来た急使の口上を受け取った中次の武者が、これまた急いで氏照の元に走って来た。

 どうにも慌てている様子に、なにごとでしょうか。とは源三であった。

「殿、至急の使者が参りました。奥州の伊達殿からでござる」

 どうやら奥州からの急使が八王子に到着した時は、既に軍勢が出発していたので軍勢の後を追って来たものだった。

「なに伊達からの使いと、すぐに通せ」

 氏照の言葉が終わった直後、既に直近まで来ていた奥州からの使者はそのまま片膝を地面に付き、背に跳ね上げた兜が傾くのも構わずに口上を述べ始めていた。

「八王子様に奥州表から我が殿、政宗様の言上をお持ちいたしましてございます」

「うむ、申せ」

 使者は馬上の氏照に、はっとひとつ頭を垂れると、貌を上げて朗々と政宗からの言を氏照に伝えた。

「八王子殿の言上、確かに承った。我らは上方と誼を通じる常陸の佐竹を太田に押し込めましょう。あわよくばその領土を切り取る事も宿願の内。それ故北條殿と手を取り合い上方と事を構える事は吝かではござらぬ。小田原が上方勢に囲まれるような事があらば、我らすぐさま黒川を出立して後詰に馳せ参ずるゆえ、そう御心得願いたい。そう申されましてございます」

「そうか、わかった」

 口上を伝えた伝令が氏照の前を辞すと、隣にいた源三が声をかけて来た。

「父上、伊達殿の申し様、まこと心強きことにございます。これならば上方と事を構えて三月もすれば、徳川殿と織田殿も、もしかするところりと転ぶこともあるかもしれませぬ」

「うむ、そう願いたいものよ」



 急使伝馬の相手方である会津の黒川城では、多くの重臣が政宗を囲み喧々諤々の評定が開かれていた。

 ちなみに黒川城は先年(天正十七年)、葦名義広を滅ぼして伊達政宗が居城として入っていた城である。

 だがここは後世、蒲生氏郷が移封されることになり、城下の町も黒川から若松へと名を変え、城も新しく普請される事になった。

 後の鶴ヶ城(会津若松城)なのだが、それは黒川城の跡に建っている。

 その一角。

「殿、随分と思い切った使者を八王子に出しましたようで」

 これは伊達家家臣、片倉景綱である。

 置賜群おきたまぐん永井庄の八幡神社の神職、片倉景重の次男と伝えられている男で、姉には主政宗の乳母となった喜多がいる。

 元々は先代輝宗の小姓として伊達家に仕えていたが、畠山義継に拉致されて阿武隈川河畔で横死してからは政宗の近侍となっていた。

「応さ、上方は手強い。ならば目の前にある楯を使ってその強弱を見極めることも軍略のうちよ」

 若さの証明でもあるかのような張りと艶のあるその顔には少々の憂いが張り付いていた。

 心のひだを家臣に見せまいとするその行為は戦国武将としての素質があったからなのだろうが、未だ上方と関東の趨勢が読み切れない。若い政宗としてはこの一戦に家運を賭けねばならない焦燥が脊髄を電撃のように走っている。

 輝宗の死後に起った様々な窮地を凌ぐとも言えるこの大事件に、知らぬ内に握る手が汗ばみ、自分でもわかる程に口から出る言葉に虚勢が籠っていた。

「しかし、もし関東が籠城で上方を凌ぎ切ったとき、後詰に行かなかった場合はその矛先は奥州に向くのではありませぬか」

「なに、奥州に向く前に宇都宮、佐竹、上杉がいるさ。また、万が一上方の軍勢を凌ぎ切る事が出来るならば、儂自ら小田原へと後詰に参ると使者を使わしたのだ。どっちに転んでも怪我はしないさ」

 景綱の冷静な視線は、政宗の腹を怜悧に探ってくる。

「御父君(輝宗)の代より誼を通じた相手でもござるゆえか」

「今、父上は関係ない。関東殿(氏政)は家名と太守の誇りを重んずると聞く。もし早雲公より百年続くその北條と云う大樹を守り切る事ができるならば、我が伊達家もその命運を賭けてもよいと思っておる」

 ふむ、と溜息に似た鼻息を吐いたのは伊達重実だった。

「しかし三河殿(徳川家康)が北條殿を見限っておるようにござるが」

「なに、徳川殿はそもそもが上方とは敵であったもの。秀吉に分が悪くなればころりと寝返ること請け合いよ。北畠内大臣(織田信雄)も芯の無い人物と聞くし、関東殿がどう動くか、もう少し見極めよう」

「なるほど」

 重実が腕を組んでしかつめらしい貌を畳みに向けると、代わりに片倉景綱が言葉を繋いだ。

「しかし、もう左程猶予もありますまい。上方からは小田原参陣の書状がひっきりなしに届いておりますぞ。このまま手をこまねいておっては何れ関白の逆鱗に触れることは必定にござろう」

 三人の意見を聞いていた居並ぶ伊達の諸将からも小田原参陣の同意が出た。ほぼ半数が片倉景綱の言葉に対してざわつき、頷いている。

「それよ」

 とは政宗だ。

「ぎりぎりまで粘るのさ。粘って勝つ方に賭けねば家が消し飛ぶ。見極めが肝心」

「しかし、佐竹義重も倅の義宣を秀吉の元に送り、宇都宮国綱も芳賀佐衛門佐を使いとして送っておるとか聞き及びます。また由良国重殿の御母堂も倅二人が人質同然に小田原城に入れられている中、謁見の為に少数ながらも軍勢を連れて国元を出立したとか」

 政宗は片膝を立てた。

「他家は他家さ、やつらに野心は無い。大望を抱くものは何れにも目を配り気を配り、八方に手を尽くして相手の隙を伺う事こそが肝要。伊達家の浮沈はここにある」

「まぁ合戦が長引けば秀吉の元に纏まりかけた世も再び乱世となりましょう。そうなれば我が伊達家にも奥州統一の機運が再び巡って参るのは確実ですからなぁ」

 伊達重実が鼻毛を抜きながら政宗に言葉を返した。

「殿はまだ、腹に一物を隠しておいでか」

 重実が抜いた鼻毛をふっと吹き飛ばして政宗を見た。見られた政宗も口角を上げている。

「そう見えるか」

「欲の深い殿の事、どうせ関東をも狙っているのでござろう」



 時を若干遡って話をしてみよう。

 先にも少し触れたが、天正十八年二月二十二日、秀吉は関東討伐の大義名分を得て其々の武将に配置を下知すると関東攻めの軍勢を準備させていた。

 北畠内大臣(織田信雄)や権大納言家康の軍勢を先陣として東海道を攻め下るよう下知すると、もう一方の北陸の搦め手からは筑前守利家、その倅利長、越後守景勝、安房守昌幸等に中山道を進み西上野に向かうよう命令を下している。

 また、続く関東征伐軍第二陣には近江中納言秀次を先頭に立たせ、五畿内、南海、山陽、山陰、美濃、近江、伊賀の軍勢十二万余騎が京の都に集まったところで関東に向けて進軍させる計画であり、京留守居役として大納言秀長、毛利宰相輝元、徳善院法印玄以ら四万騎を聚楽第に入らせた。

 美濃・尾張以西で今更北條側に味方をする者があるとは思えないが、この念の入れようは殊更自分の力を世に見せる為の誇示表現でもある。

 派手好きの秀吉らしい。

 当の秀吉は各将の出陣する様を京粟田口の日の岡で見物していたが、前代未聞の出陣を見物しようとやって来た客は僧俗男女の区別なく、京は言うに及ばず大阪伏見辺りからも人が押し合圧し合いやって来ては浅敷に座るもの、路肩に重なり合って見物する者で大層な賑わいを見せたようだ。

 これに満足した秀吉は同月二十八日、宮中に参内して征夷大将軍の証とも言える東国討伐の節刀を正親町の帝から賜るとそのまま聚楽第に入った。

 そして三月一日、本陣出陣の日に連歌が催された。

 この時の発句を臨江斎紹巴が読んだとされる。

「関越えて行末なびく霞かな。か、紹巴もなかなか良い発句を読んだものよ」

 口をゆがめながら一人笑っている初老の男は、奇妙と言えるほど背が低い。

 後世には猿面の男との言い伝えが長く伝えられているために『サル』と名を冠されて戦記物などによく登場してくるのだが、肖像画などを見ると彼の主人であった信長が付けたとされる渾名『禿げ鼠』の方がしっくりとくるのは信長の飛び抜けた審美眼を伝えているように思える。

 また禿げ鼠と言われただけあって、頭髪も薄いが体毛も薄かったようだ。髭すらない顔には口髭と顎髭を糊で付けているのだが、皺が深く刻まれた口先が少々飛び出している事もあって益々鼠のような表情になっていた。

 その鼠が、鉄漿かねで黒々と染まった口を開いた。

「真田には恩を着せられてしまった気もするが、おかげで関東攻めの大義が得られたからのぅ、まぁよかろう。これで北條を滅ぼせば関東は手に入れたも同然」

「御意にございます」

 秀吉の近くに侍っていた体の線の細い男が秀吉に追従した。

 異相であった。

 切れ長の目と細面は美男の部類に入るとも思えるのだが、頭が長い。額と後頭部が前後につき出ているのだ。

 世に才槌頭さいづちあたまと言われる特徴的な頭部の形があるが、正にこの男の頭は才槌頭を端的に現している。

 まるで小ぶりの冬瓜を顔の上に乗せて耳目を付け、髷を結っているかのようだ。

 奇妙な頭を持つ男は名乗りを石田三成と云い、官途名は治部少輔、幼名を佐吉と言う。

 頭と共に、神経質そうに動く眼が一層奇異な雰囲気を醸し出していた。

「戦が終われば景勝には形だけ関東管領の職をくれてやればよかろう」

「越後守殿はそれでよろしゅうございましょう。が、他の関東の豪族たちには如何いかにあそばすお心算で」

 鼠はこのとき、余り興味もなさげに「ふん」と鼻をならした。

「関東は面倒じゃ」

「お戯れを」

「戯れて等はおらん。基氏殿(足利尊氏の四男:鎌倉公方初代)のころより公方方と管領方の争いが止まず、領地ですら彼我入り組み入り乱れ、まとまっておる所など北條の領地を除けば殆ど無いではないか」

 戯言では無いとは云うものの、秀吉はどこか楽しげでもある。

「では常陸の佐竹は如何に扱われまするか」

 あぁ、と言うと、周りに誰も居ない事を確かめてから足を投げ出した。

「ちと、足が痺れたわい」

 出陣前だというのに秀吉は甲冑を付けてはいない。未だ直垂姿だったのは参陣する諸将に余裕を見せる狙いもあった為なのだが、ようは出発まで重い甲冑を付けるのが億劫なのである。

 とはいえ、着用している直垂は金糸銀糸を贅沢に使って絢爛たる輝きを放っており、持ち主が如何に派手好き、贅沢好きであるか分かる逸物だ。

「佐竹なぁ、やつには儂が攻め下るまでに近隣を分かり易く切り従えておけと言っておいたが、まだ常陸一国の平定すら程遠いようじゃの」

「しかし、佐竹と敵対しているとはいえ、筑波近くの藤沢の小田や土浦の菅谷すげのや、牛久の岡見、土岐等も殿下が小田原まで赴けば、紹巴の歌ではございませぬが一斉に靡くことは疑いございますまい」

「三成!」

「はっ」

「儂が望んだ事は自らの力で近隣を切り従えよ。と云う事じゃ。儂の力で近隣が靡いて平定されても、関東は今まで通り離合集散果てしなくいがみ合う事は目に見えておる」

「ははっ」

 小兵な男のどこからこの大声が出て来るのか不思議な程の音量は、三成を委縮させるには充分な威力があった。

 余人にはへいくわぃもの(横柄者)として名を売っていた三成も秀吉には頭が上がらない。子供と言ってもおかしくは無い年齢の時に自分を拾ってくれ、才能を認めてくれた恩人でもある主人は今もって恐ろしくもある。

「自らの力で諸将を切り従えてこそ、儂が京にいる時も佐竹一人の力で静謐が保てるものよ」

「そこまでお考えでございましたか」

 秀吉はここで大声をあげて笑った。

 聚楽第の一室が声で震えるのではないかと思えるほどの声量に三成は頭を上げられない。

「分かれば良い。景勝が如何に関東管領になろうとも、伝え聞くところによれば関東国人達からは上杉の人望は無いも同然だそうじゃ。ならば北條無きあと関東を押さえるためにはある程度大きな駒が必要」

 三成はひれ伏したまま動かなかった。いや、動けなかったと言ってもよい。

 頭上から落ちて来る主人の大声が脳天から脊髄を通って体中に響き渡るような感覚を覚え、ぬらりと汗が掌に滲んだ。

 このとき、廊下から出陣の支度が整った事を報告する声が上がった。

「さて、関東の仕置きに参るぞ。三成!出陣じゃ!」

「ははっ」

 勢いよく立ちあがった秀吉は、三成を尻目に大股で鎧櫃の方に歩いて行く。それを追うように小姓達が走り寄ると手際よく装束を改め、みるみるうちに煌びやかな武具を纏わせて行った。

 金札緋威きんざねひおどしの鎧に太刀双振りを腰に佩き、唐冠の兜を被ると合戦絵巻のなかの人物のように大魁美麗な武者が出来上がった。

 その乗馬も美々しく飾られ、真っ赤な厚総掛け(あつふさがけ:馬具の飾り)に金の瓔珞(ようらく:貴金属の装身具)の馬鎧をかけている。

 馬上の秀吉は朱塗りの重藤しげとうの弓を握り、いかにも華やかだ。

 華やかなのは秀吉だけでは無い。近習、伽衆、馬廻りまで甲冑華やかによそうて。と、後世様々な書物に書き記されたほどの豪奢な出陣の様子なのである。

 先の秀吉は言うに及ばず、武人では無い利休居士(千利休:せんのりきゅう)までもが甲冑を纏い、指物も金の茶筅を着けた七節の篠竹を用いたとされ、狂言師の伴内と云うものは三番叟さんばそうの装束で押し出した。三番叟の装束なら面頬の代わりに黒式尉こくしきじょうの面でも着けていたのかもしれない。

 この舞には祝い事の意味があるのだが、伴内は坂東討伐を実行に移した秀吉を寿ぐ意味でこの装束をしたのだろう。

 そしていよいよ三月一日、上方勢本隊が聚楽第を進発した。

(小田原北条記や北條五代記では三月十九日とあるが、ここでは一般的に広まっている三月一日とする)



 秀吉が聚楽第を出陣してから十日。権大納言家康は駿府の府中城を出立して長窪へと向かっていた。駿府から東へ東海道を進み蒲原を抜けて富士川へ差し掛かると、後続の秀吉本隊のために十六日、舟橋をかけたと言われている。

 富士川とは南アルプス北部に位置する鋸岳に端を発し、初名を釜無川と言う。信濃、甲斐両国をうねりながら流れ、時折その流れを変化させながら笛吹川と合流して富士川呼ばれるようになる。三国を洗いながら流れ、終点は駿河の田子の浦に注ぎ込む。

 そこを越えると沼津となる。沼津には北條家の家祖、早雲庵が最初に持った城である興国寺城があるのだが、ここは既に北條家の手から離れて久しく、現在は家康の領地となり松平玄蕃允清宗と名乗るものが城持ちとなっていた。

 そして沼津のさらに東、長窪(長久保)城に家康の軍勢が到着した。

 長窪城、または長窪の陣と呼ばれるここは、その昔大友親政と言うものが築城したとも言われている。そもそもは第四代鎌倉公方足利持氏に仕えていた御家人なのだが、永享十年八月から始まった永享の乱でその主人持氏を失うと駿府に落ちてゆき、駿河守護職であった今川氏に仕えて長窪を領するようになった。このとき築城されたのが長窪城だとされ、後に今川、北條、武田間で武力衝突が度々行われてきた城でもある。

 現在は家康の持城となっていたために、小田原に近いこの城に家康は軍勢を入れていた。

「正信、北畠内大臣はどこまで来た」

 腹周りの随分と肥えた初老の男が脇息にもたれかかりながら、もう一人の痩せた老人に話しかけている。

「もはや駿河に到着し、三枚橋に御着陣のご様子で」

 話しかけられた男は頬がこけ、顔色が浅黒い。どこかで畑仕事をして日に焼けた老百姓が手拭をかぶる代わりに折烏帽子を被っているように見えるのだが、着用している甲冑が百姓とは趣を異にしている。

 しかし貧相に痩せこけた体が、漆黒に塗り込められた如何にも重々しいその甲冑に耐えられるのだろうかと見る者を心配させる様な風体でもあった。

「そうか」

 肥えた男は一昔前を知っている者から見れば随分と姿形が変わってしまったように思えるだろう。甲斐の武田が健在の頃は随分と痩せていたものだ。

 今は権大納言、左近衛中将の肩書を持つ駿府の王、家康である。

「では関白殿はどこまで来られたか、わかるか」

 頬の肉付きが良く、口を動かすと少々ゆれる。

「未だ尾張の清州までは来られてはおらぬ様子」

 対する痩せた男は本多正信と名乗り、元々は鷹匠として家康に仕えていた。

 永禄年間に起った三河一向一揆では一揆勢に加わり家康に刃を向けたが、それが鎮圧されると松永久秀に召抱えられたとされている。

 それから随分と月日が過ぎた頃、大久保忠世を頼って再び徳川家に帰参した人物だった。

「まだ殿下は遠いな」

「御意」

 この二人の間には余り会話と言うものがない。

 単語の様な言葉を交わすと直ぐに沈黙が訪れる。だがそれで会話が成立していないかといえばそうでもなく、どちらかと言えば腹の底の探り合いのように相手の言わんとする事、求めている事を、双方的確に理解していた。

「では、関白殿が遠方にいる間に、殿の腹の内を聞いておきましょう」

 家康とは対照的な、正信の肉付きの少ない口元はまるで干からびた即身仏の口のようだ。少しでも動かそうものなら簡単に崩れそうなほどに傷んでいるように見える。

「腹の内、と」

「さよう、腹の内」

「ふむ」

 家康は凭れかかった脇息に、さらに体重を預けた。

「腹の内、とは、穏やかではないな」

 ほう、と正信。

「穏やかではござりませぬか」

「佐渡よ」

 正信は返事の代わりに心持頭を下げて家康を見た。

「儂が諦めたか、と聞いておるのか」

「さて、それにござる」

「伊達と小田原。あとは北畠」

「なるほど。ほかには」

 うむ、と嘆息する家康に向い合う老人は、目の前に手を伸ばして将棋を打つまねごとをして見せた。

「どうにも一手が足りませぬようで」

「伊達は出ぬかなぁ」

「出ぬ。でしょうな」

 正信はさらに続けた。

「橋も仕掛けは施しましたが、役に立つかどうか」

「見た目は只の橋か?」

 只の橋とは何を意味するのか。二人の会話は穏やかではない、どころか、聞く人に拠れば物騒とも取れる会話でもあった。

 家康は正信の言葉に腕を組み、溜息を吐いていた。

「信雄卿も手ぐすね引いておろうに、のぅ」


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