それでもやっぱり、君が好き
どうして好きだという想いはあるのに、言葉にできなくなるんだろう。
どうして手を繋ぐだけで精いっぱいだったのに、いろんなことに慣れてしまったんだろう。
胸が高鳴って苦しくて、そんな想いはいつ消えてしまったのかな。
「倦怠期?」
「…なっちゃん。正解だけどそれ言葉で言ってほしくなかったな」
「あはは。ごめん、ごめん。でも、今の2人の志穂とつばさくんって倦怠期のお手本みたいだよね」
そう言いながら笑うなっちゃんこと田中夏希を志穂は思い切り睨みつけた。
「睨まないでよ~」
「なっちゃん。そういうなっちゃんの遠慮のない言い方が好きだけどさ、今それ言わないでよ」
「え~」
「え~、じゃないよ。私、本気で悩んでるんだから」
「倦怠期なんだけど、このままでいいかなって?そんなのね、第三者じゃわかんないの」
「…」
「そもそも何年目だっけ?」
「中学3年の時からだから、3年目」
「中3から付き合い始めて、同じ高校来て、2年経って、倦怠期ですか」
「何よ」
「お手本となる倦怠期ですこと」
「なっちゃん」
「ごめん、ごめん。ならさ、初心に戻って、今日は一緒に帰ってみたら?」
夏希の言葉に、志穂はすぐに頷かなかった。
付き合い始めた頃は、いつも一緒に帰っていた。けれど、高校に入るとだんだんそれもなくなった。
部活は中学の頃に比べ、厳しくなり、つばさが帰る頃には、いつも空は暗い。一方で志穂は帰宅部。まだ明るいうちに帰ることができた。その時間差は大きい。
毎日待っていることを途中から志穂はしなくなり、またつばさも帰りは部活仲間と帰りたがった。今では、たまに部活がない日に一緒に帰る程度である。
「だって約束してないし、待ってるの面倒くさいし」
「そんなこと言ってるから、だめなんでしょうが」
「…」
「ただでさえつばさくん、サッカー部のレギュラーになって皆からキャーキャー言われてるんだよ?もう少し、『彼女です』って周りにも示しておいた方がいいんじゃない?」
つばさは中学では目立つ存在ではなかった。しかし、高校に入ると背が伸び、視線を集めるようになった。そして1年の終わりにサッカー部でレギュラーを勝ち取ると、周りからのつばさの評価は変わった。女子たちに黄色い声援を送られることが多くなり、告白される回数は増えた。志穂という存在がいるのを知っているのに、だ。
「わかってるけどさ」
「好きなら一緒にいたいって思うもんじゃないの?」
「…。一緒にいたいけどさ…。どうしても、じゃないっていうか…」
「やっぱ、わかんない」
「だって、なっちゃんたちまだ3か月だよね?今が一番いちゃいちゃしてたい時期でしょ?」
言いながら昔を思い出す。
中学から知り合って、2年間友だちだった。それから、中学3年の時に告白し、付き合うようになった。
一緒に帰るだけでも緊張した。一日言葉を交わさないだけで不安になった。
手を繋ぎたくて、言いだせなくて、それでも勇気を振り絞って、腕に飛びついたこともある。その時の呆れたように笑ったつばさの顔は、遠い過去の記憶だった。
「だってずっと一緒にいたいじゃん。…それでも、3年付き合ったら志穂たちにみたいに淡白になるの?なんか嫌だな」
嫌だ、と言われてもどうしようもないのだ。
つばさのことは好きだ。一緒に帰ることは稀だが、休みには遊びに行く。同じ学校だというのもあるだろうが、一緒に過ごす時間は長い。
それでも、付き合った当初とは抱く感情が違う。一緒にいるだけでドキドキする、なんてことはなくなった。手を握るタイミング、キスするタイミングもわかるようになった。
落ち込んだ時、怒っている時のつばさの癖もわかるようになった。だから、喧嘩は少ない。互いが互いの地雷を巧く避けているからだ。
「このまま付き合ってていいのかな?」
口に出す。時々それを考えた。夏希の顔が歪む。
「でも、好きなんでしょ?」
「…好きだけど、なんかさ…これってちゃんと恋愛なのかな?」
「…」
「長く付き合ってるから一緒にいるのが当たり前なだけだったりしてとか思ったりするの」
「お似合いだけどな」
「なっちゃん」
「ん?」
「私ね、最近思うんだ。つばさって私のこと今でもちゃんと好きでいてくれるのかなって」
「え?」
「なっちゃんが言うように、なんか、つばさって最近人気でしょう?差し入れとか結構もらってるみたいだし。サッカー部の応援に行くと、結構な数から睨まれるんだよね。直接言われたこともあるんだ。『不釣り合い』だって」
「誰?そんなこと言う奴」
怒りを示した夏希に志穂は笑って首を振る。
「ありがとう。なっちゃん。でも、本当のことだし」
「そんなことないよ」
「ううん。不釣り合いだよ。…つばさを見ている人、綺麗で優しそうな人が多いの。私なんかより、よっぽどいい」
「そんなことないって」
「…つばさは、別れを告げられないだけじゃないかなとか考えちゃうんだよね。付き合いが長いから余計に言えないんじゃないかって。…でも、それって同情だよね?」
「…わかった」
「え?」
「やっぱり、今日は残りなさい。残ってちゃんと一緒に帰りなさい」
「…」
「不安ならその気持ちわかってもらわなきゃ。心配なら志穂も努力しなきゃ。…ね?」
「…うん」
頷いた志穂に夏希は笑みを見せた。
時計を確認する。
「よし、それじゃ、準備しますか?」
「準備?」
「まだまだ時間はあるからね。そのうちにもっと綺麗にしてあげる」
夏希は、鞄の中から化粧ポーチを取り出し言った。
かわいいと思われたい、その気持ちを最近忘れていたことに気付く。
「ついでに髪もよろしく」
「まかせなさい!」
頼もしい夏希の言葉に、志穂は目を閉じた。
「声出してけ!」
「はい!」
グラウンドから聞こえる声に志穂は耳を傾けた。
誰もが振り返る美少女、には程遠いが、普段の手抜きの化粧に比べると天と地の差があるように思えた。
どこか緊張していた。最近のデートでも化粧は手を抜きがちだったように思う。
待っていたと知ったらつばさはどういう反応をするだろうか。それが楽しみで、少し不安だった。
「つばさ、右だ!」
先輩がつばさの名前を呼んだ。右に回り込んだつばさがボールを蹴る。引き寄せられるようにボールがゴールの中に入った。
「つばさ君!」
周りから黄色い声が上がる。その声に、少し照れた雰囲気を出す。その反応がさらに歓声を大きくした。
志穂はグラウンドから少し離れた位置にいた。周りの視線が痛いからだ。睨むような視線を向けられる。その視線より、その人たちがつばさに好意を持っているという事実が嫌だった。
「早く終わらないかな」
声に出してみる。けれども、サッカーをしているつばさをもう少し見ていたい気もした。
小さくて表情まではわからない。それでも、志穂の目はつばさをすぐに捉えた。
楽しそうにしている。それがわかった。サッカーをしている真剣な目が一番好きだと思う。
「先輩、こんな離れた場所でいいんですか?」
声を掛けられた。背が高く、綺麗な顔立ちをしている。
「…えっと」
「中田です。中田弘樹。志穂先輩や渡辺先輩と同じ中学だったんですけど、覚えていませんか?」
自分やつばさと同じ中学だったというこの後輩を志穂は知らなかった。ただ、夏希がイケメンの後輩が剣道部にいると言っていた事を思い出す。『中田』と言っていた気がした。
「…」
「あ、その反応覚えていませんね」
「ご、ごめんね。えっと…剣道部?」
「そうです。剣道部1年レギュラーですよ。それも、結構有名な話だと思うんですけど」
「あ、あの初日で主将に勝っちゃったってやつ?」
「そうです。それ、俺です」
胸を張った笑顔に思わず頬が緩む。人気が高いのも頷けた。綺麗な顔立ち。剣道部エース。それに加えてこの笑顔。
「それで、その中田くんが私に何か用?」
「先輩、今日、いつにもまして綺麗ですね。渡辺先輩と帰るんですか?」
質問には答えず弘樹は尋ねた。
「き、綺麗?」
綺麗という言葉に志穂は少なからず動揺した。異性に言われることなどそうない言葉だ。
「綺麗ですよ。志穂先輩は。…俺、先輩を追ってこの高校に来たんです」
冗談と流せばいいと思った。けれど、目の前にいる弘樹の目は真剣で、何も言えなかった。
「先輩、今日、一緒に帰りませんか?」
「え?」
「渡辺先輩と約束してるわけじゃないんでしょ?いつも一緒に帰ってないですもんね」
「なんで、それを」
「知ってるのかって?そりゃ俺は、先輩のこと見てますから」
「…」
「大丈夫ですって。取って食ったりしませんよ。…今日のところは、先輩を慕って高校まで来たかわいい後輩と一緒に帰るとだけ思ってくれればいいですから」
「でも」
「帰りの方向も一緒ですし、いいでしょう?」
綺麗な顔で笑った。けれど、どこか必死さが隠れている。
「つばさ君~!」
歓声が再び聞こえた。視線を少し動かし、志穂はグラウンドを見る。
仲間とハイタッチしているつばさがいた。ゴールを決めたか、アシストをしたのだろう。
「見逃しちゃいましたね」
同じようにグラウンドを見た弘樹が言った。
「そうだね」
「きっと格好良く決めたんでしょうね。皆、渡辺先輩の名前ばっかり呼んでる」
「そうかもしれないね」
「今日は、見逃したついでに俺と帰りませんか?」
「あはは。何それ」
「いいでしょう?」
「…いいよ」
「え?マジですか?」
「何?嫌なの?」
「いや、嫌とかマジでないですから!」
「見逃しちゃったしね。今日はそういう日なのかもしれない。一緒に帰ろう。でも、友だちとしてだからね」
「よっしゃ!ってか、友だちになってくれるんですね!ありがとうございます」
そう言って笑う顔は、年相応で、志穂はどこかほっとした。
せっかくの化粧も、髪も無駄になってしまうけれど、仕方がない。頷きたくなってしまったのだ。軽く言われる言葉の節々に本気を感じてしまったから。
目に見える好意を受けたことは初めてに近かった。つばさとは付き合っているが、告白は志穂から。付き合っていても言葉や態度に出されることは少ない。だから、純粋に嬉しかった。
胸が鳴っている。久しぶりの感覚だった。
人の噂が広がるのは速い。それに恋愛が絡むとより速くなる。
そんなことは、知っていた。付き合い始めた時。高校に入り、つばさとの付き合いが広まった時。2回も身を持って経験していた。
しかし、3回目があるとは思っていなかった。
「なんで弘樹くんと帰ってるの?」
「つばさくんは?」
「もしかして浮気?」
机の周りを、クラスメイトの女子たちが囲んでいる。視界の奥で、呆れている夏希の姿が目に入った。
夏希には昨日の夜、弘樹の事を話していた。大丈夫かと心配をした夏希に「大丈夫、大丈夫」と軽く返したのは志穂だ。
目の前の鋭い視線。決して大丈夫ではなさそうだった。
「中田くんとは、同じ中学で、たまたま家が同じ方向だったから一緒に帰っただけだよ」
「でも、昨日、おしゃれしてたよね?あれ、弘樹くんと帰るからでしょ?」
「いや、あれは…」
答えに詰まった。決して弘樹のためではないが、本当のことを言えば、それはそれで責められる気がした。しかし、上手い言い訳が思いつかない。
「私の練習台になってもらったの」
女子の群れの外から声が上がった。
「なっちゃん」
「夏希、何?練習台って」
「今度、彼氏とデートの時のメイクと髪形の練習。人でやった方が良くわかるって聞いたからね。ね、志穂?」
夏希の言葉に頷く。
「そ、そうなの。だから、誰のためとかないんだ。本当に、たまたま」
まだ納得をしきっていない顔もあったが、志穂の机の周りから徐々に人がいなくなる。
ほっとため息をつき、夏希の席へ向かった。
「志穂先輩」
しかし、それは叶わなかった。
声の方に顔を向ける。教室のドアに片手をかけた弘樹が笑って手を振っていた。
「はぁ~。もう無理だからね」
小さく呟いた夏希の声が耳に入る。もっともな言葉に、苦笑いが浮かんだ。
「先輩、一緒にお昼食べませんか?って弁当持ってきちゃいましたけど。あ、それと俺のことで先輩に何かした人いたら、俺、竹刀持って暴れちゃうんで、志穂先輩に何かしようなんて考えないでくださいね」
輝かしい王子スマイルを披露する弘樹と固まる志穂。2人を交互に見るギャラリー。
夏希はもう一度ため息をついた。
「な、中田くん」
「はい?」
「中庭行こう!」
弘樹の手首を掴み、強引に引っ張る。逃げても仕方がないことはわかっていたが、この重苦しい空気から逃げることしかできなかった。
ドン。
下を向いて歩いていたため、角を曲がった所で何かにぶつかった。よろけて転びそうになった所を、弘樹に支えられる。
「ありがとう」
「大丈夫ですか?」
「うん。あ、そうだ、ごめんなさい」
とっさに顔を上げた。
「いや、別に」
「…つばさ」
今日は会いたくなかった。弘樹に一瞬でもドキドキしたことに多少なりとも罪悪感があったから。
腰を支えていた弘樹の手を振り払う。
「あ、いや。あのね。今、倒れそうになってそれで支えてくれただけだから」
「いや、見てたし」
つばさの声に怒りは含まれていなかった。
噂がつばさのクラスまで届いていないということはない筈だ。噂に興味がなくても、耳にした筈である。
それなのに、どうしてそんな平常心でいられるんだろう。
それだけ信じてくれているということなのだろうか。そう思っても、志穂は泣きたくなった。
志穂は、つばさが誰かと噂になれば、泣きそうになった。責めたこともある。
そう言うことを面倒くさいと感じているとわかってからは表立って問い詰めることはないが、いつだって不安だった。
けれど、つばさは違う。倒れそうになった所を受け止めただけ。それでも、志穂はつばさじゃない人に抱きしめられている。それに対して何も言ってくれない。
何か言ってほしいわけじゃない。けれど、やっぱり、何か言ってほしいのだ。
「そ、そうだよね」
「志穂先輩。早く中庭行きましょう?時間なくなっちゃいますよ?」
弘樹は志穂の手を掴み、握った。つばさに軽く頭を下げ、俯いたままの志穂を引っ張っていく。
「いいのか?つばさ」
つばさの隣にいた友人が戸惑いながら聞く。
「いいんじゃねぇの」
つばさの言葉にまた、泣きそうになった。
中庭は、程よく日が当たり、過ごしやすかった。
それでも、食は進まない。
「先輩、すみません」
箸を動かすのを止め、弘樹が頭を下げた。
「ううん。中田くんのせいじゃないよ?」
「でも、俺が…」
「そうだね。中田くんのせいだ」
「え?」
「あはは。もう、どっちって言われたいの?」
「先輩…」
「確かに、こんな風に注目集めるのは、中田くんのせいかもしれないけど。でも、私は昨日友だちと一緒に帰っただけだし。それに、もし、一緒に帰ったことが原因なら、中田くんの気持ちを聞いたのに、一緒に帰った私のせいでしょう?」
「…」
「つばさを待つために、気合入れて化粧して、髪もセットしてもらったのに、それでも中田くんと帰ったから…」
「…」
「だから、罰が当たったんだ」
「先輩」
「だから怒ってもくれない」
志穂は上を向いた。涙を必死にこらえる。
突然肩を掴まれた。引き寄せられる。弘樹の胸に頭を預ける形になった。
「泣いてもいいですよ。見ませんから」
心臓の音が聞こえた。平静を装っている割に速いその音になぜか安心した。弘樹の胸に顔をうずめる。
「ちょっとだけ」
そう告げ、涙を流した。
「もう大丈夫」
昼の時間は終わりを迎えようとしていた。チャイムが鳴る前にと、涙で濡れている顔を手で拭う。
「本当ですか?」
「本当、本当。…それより、ごめんね。あんまり食べられなかったでしょう?」
「大丈夫です。俺、授業中に食べる術、心得てますから」
「こら。それ、胸張って言うことじゃないでしょう?」
「やっと笑った」
「え?」
「やっぱ、俺、先輩の笑ってる顔が好きです」
胸から顔を外していたが、距離が近いことに変わりはなかった。
近くで言われるストレートな言葉に頬が赤くなる。
「え?あの…」
「先輩」
「な、何?」
「俺だったら泣かせませんよ?」
「…」
「そんなに困った顔しないでください。笑った顔が好きっていいましたよね?」
「あ、ご、ごめん」
「謝ってほしいわけでもないんですけどね」
「…」
「いいですよ。今日もこれで休戦」
「え?」
「困らせたいわけじゃないんで。俺の気持ち伝えただけです」
「中田くん」
「でも、もし次に俺が先輩に好きだと伝えるチャンスがあったら、その時は遠慮しません」
「…」
「本気で好きですから」
ただ真っ直ぐな目に志穂は視線を逸らしそうになった。けれどそれはしなかった。
「…なんで私なの?」
志穂の問いに弘樹は笑い、しかし答えてはくれなかった。
「大丈夫だった?」
チャイムが鳴る前に教室に入った志穂に夏希が声をかけた。
「うん。…優しい人だよ」
「そっか。ねぇ、ゆっくり考えればいいからね」
「…今日ね、うちの学校で剣道部の試合があるんだって。隣の高校と。それを見に行くことになった」
「そっか」
「ほら、席に付け」
教室に入ってきた教師のその声と授業の始まりを知らせる鐘が同時に耳に入る。
それでも教師の声の方が、印象に残った。
夕焼けが差し込む少し前の時間。
志穂は夏希に髪を結ってもらっていた。
「試合見に行くだけなんでしょ?おしゃれしていったら余計誤解されるよ」
「うん。でも、アップにしてきてって頼まれたし」
「本当にあの子にするの?」
「…好意は普通に嬉しい」
「イケメンだしね」
「…うん」
「つばさくんは?」
「怒ってもくれなかった」
夏希が聞きたいのはつばさの反応ではない。それはわかっていた。けれど、聞いてほしかった。
「…」
「私ね。中学の時から、つばさが格好良く見えたの」
「…うん」
「中田くんほど格好いいわけじゃないけど、でも、私には誰よりも格好良く見えた」
「矛盾してる。…でも、わかるかも」
「でしょう?そう気付いたとき、あ、好きなんだって実感したんだ」
「うん」
「私だけに格好良く見えてるって思ってたのに、…違った」
「…」
「つばさって普通に格好良いんだね。皆からも格好良く見えてるんだよね。惚れた欲目だと思ってたのに」
「惚れた欲目なんじゃないの?」
「え?」
「他の人が言ってるのは、サッカー部のレギュラーのつばさくんでしょ?でも、志穂は違う。平部員のからずっと格好良く見えてた。…それに、あのイケメンくんより格好良く見えちゃうんでしょ?言っとくけどね、顔だけならイケメンくんの方が普通に上だからね」
「なっちゃん…」
「大丈夫。志穂はちゃんとつばさくんが好きだよ」
頬を上げる夏希に志穂は頷いた。
「ほら、試合始まっちゃうよ?髪はちゃんとできたし、早く行ってきなよ。…一人で行くんでしょ?あの子本当に強いらしいからね、早くいかないと終わっちゃうよ」
「そうなんだ」
「本当に、周りに興味ないんだから」
「えへへ」
「笑ってないで行きなよ。んで、言いたいこと言ってきな。どっちにしても私は味方になってあげるから」
「なっちゃん。だから好き!」
「はいはい。私も好きだよ~」
志穂は手を振って教室を出た。先ほどまでもやもやしていた気持ちがなくなっている気がした。
「…何、その髪」
その声が聞こえるまでは。
「つばさ」
振り返った先にいたのは、ユニフォーム姿のつばさだった。まだ汗はかいていない。
「ぶ、部活は?」
「忘れ物したから、取りに来た」
親指を横にし、教室を指す。つばさのクラスの前だった。
「そ、そうなんだ」
「で?」
「え?」
「何、その髪」
「えっと…なっちゃんにアップにしてもらったの」
「なんでいつもと違うのかを聞いてるんだけど」
「…」
「あいつの試合見に行くからかよ」
「あいつ…?」
「剣道部、試合あるって聞いた」
「えっと…」
「あいつのために気合入れてんの?」
「そういうわけじゃ…」
「バカじゃねぇの?」
「え?」
「あんなやつがお前のことマジで相手するわけないだろ?からかわれていることくらい気付けよ」
怒ってほしいと思っていた。そして、現に志穂の目の前にいるつばさは怒っている。けれど、それは嫉妬ではない気がした。だって、声がこんなに冷たい。
「そんな人じゃない」
「は?」
「中田くんは、そんな人じゃない。からかって好きなんて言う人じゃない!」
「…好きだって言われたのか?」
さらに低くなった声に、肩が上がった。
「好きだって言われたのに、行くのかよ。わざわざ髪形変えてまで」
「約束…したから。髪もアップにしてきてって頼まれたから」
「じゃあ、勝手にすれば」
「つばさ!」
腕を掴もうと伸ばした手は振り払われた。
「俺、急ぐから」
それだけ残し、教室に入ることなく背を向ける。どんどん遠くなっていく背中が、自分とつばさの距離を表しているように志穂には思えた。
「一本!」
審判の声。それに合わせて、2人が元の位置に戻り頭を下げる。
ルールはよくわからない。それでも弘樹がとても強いことは志穂にもわかった。
「弘樹!!」
「キャー!」
剣道の持つ独特の空気からか黄色い声を出せないでいた女子たちから待ってましたとばかりに歓声が上がる。
面を取り、汗を拭きながら弘樹は彼女たちに向かい、軽く手を上げた。
「キャー!!」
「…弘樹くん誰か探してるのかな?」
前にいる女の子たちの声が志穂の耳に入る。見れば、誰かを探すように頭を動かしていた。
一瞬迷ったが、軽く手を上げてみる。気付いたのか、花が咲いたように笑った。同じように手を振り返す。面を床に置き、こちらに近づいてきた。
周りが道を開ける。昼間に言った弘樹の言葉が歪曲されて広がっているようだ。
「志穂先輩。来てくれたんですね。…髪も、かわいいです」
「途中からになっちゃったけど。ごめんね」
「でも、見てくれたんですよね?」
「見たよ。格好良かった」
「わ~、マジですか?先輩にそう言ってもらえると本当に嬉しいです」
「ねぇ、今日ってこれで終わり?」
「はい。あと片づけしたら終わりです」
「あのね、中田くんに聞いてもらいたいことがあるの。だから、待っててもいい?」
「もちろん。あ、でも、部室前で待ってて下さいね」
「え?」
「先輩に何かあったら困るので」
「は~い」
「それじゃあ、ぱぱっと終わらせてきます」
「うん。待ってるね」
志穂の言葉に、弘樹は嬉しそうに笑った。つばさは自分の前でこんな風に笑ったことがあっただろうかとふと思った。
「先輩、お待たせしました」
「うん。…あのさ、場所変えてもいい?」
志穂たちが行ったのは、校庭の裏だった。
「ここね。穴場スポットなの」
秘密を一つ披露するように、志穂が告げる。
「グラウンドが良く見えるでしょ?…つばさと付き合ってることが知られて、なかなか堂々と見に行くのができなくなったときに、ここからいつも見てた」
「そうですか」
「私、サッカーをしているつばさが一番好きだから」
「先輩ってバカなんですか?男振る時に、誰にもバレない場所に連れてくるって、襲ってくれって言ってるようなもんじゃないですか」
「うん。でも、中田くんはそんなことしないでしょ?」
真っ直ぐ見つめてくる志穂を弘樹は軽く押した。
「ーっ」
志穂の背中がフェンスにぶつかる。両手を押さえ、フェンスに押し付けた。
「先輩。信じてくれるのは嬉しいんですけどね。でも、無理やりでもほしい時もあるんです」
「そっか」
「なんですか、その反応」
「そういうもんなんだって」
「はい?」
「つばさは無理やりなんかしないから。…私は、つばさしか知らないから」
「…」
「ねぇ、結局教えてくれなかったけど、どうして私なの?」
時間を稼ごうというわけではなかった。今襲われてもしょうがない体制。それでも、志穂はどこか落ち着いていた。
「…志穂先輩は覚えてないでしょうけど、先輩は中学の時、俺のこと見に来たことがあるんです。友だちと一緒に一つ下のクラスまで見に来たんですよ」
弘樹の言葉に、志穂はぼんやりと昔を思い出した。
格好良い後輩が入ってきた。それが話題になったことがある。そして、ミーハーな友だちに連れられわざわざ1年のクラスまで見に行ったのだ。
「先輩は、格好良いねって言いながら、俺のことなんて見てなかった」
「…」
そう言われればそうなのかもしれない。中学1年の時から、ずっとつばさが好きだった。
「格好良いとかよくわからなかったけど、よく女子に囲まれてたから女子に好かれる顔なんだと思ってたんです。落ちない女はいない、みたいな?ま、マセガキだったんですけど」
「うん」
「でも、先輩は違った。…悔しくて、先輩を惚れさせてやるとか思ったんです。…でも、先輩は、渡辺先輩だけを見てた」
「そうだったね」
「あの頃は、渡辺先輩サッカー上手くなくて、ボール拾いぐらいしかしてなかったのに、志穂先輩はきらきらした目で見てた。…渡辺先輩を見てる先輩はいつも笑ってて、本当にかわいくて綺麗だったんです」
「…」
「俺も見てほしくなりました。あんなふうに俺を見て笑ってほしかった」
「…うん」
「それができないってわかっても、先輩を見るのは止めれなくて、見てたら優しい所とか好きになる要素ばっかり見つけちゃって…。どんどん好きになって高校まで追いかけてきちゃいました」
優しい所ばかりである筈がない。嫌な部分もあっただろう。それでも好きだと言ってもらえるのは惚れた欲目なのだ。
「高校に入って、やっぱり先輩たちは一緒にいて。でも、違っていることもあった」
「つばさが人気者になってた?」
「はい。…それで先輩が不安になっているのもわかりました」
「…」
「チャンスだと思ったんです」
「…でも、私は、つばさが好きだよ」
「知ってますよ。俺は、渡辺先輩を好きな志穂先輩を好きになったんですから」
そう言って笑う弘樹の顔は寂しそうだった。それでも、手を伸ばすことはできない。
「ピィ――!」
ホイッスルの音が鳴る。部活の終了を知らせる音。
「先輩、言いましたよね?遠慮しませんって。…この手を放してもらえるなんて思ってたら大間違いですよ。俺はいい人なんかじゃない」
「自分が軽薄だったのは認める。でも、私はつばさが好きだし、中田くんはいい人だよ」
「もう知りませんよ」
志穂の両手を片手で掴み、空いた手で顎を掴んだ。上を向かせる。
「好きです。志穂先輩」
これから起こるであろう事を前に、志穂は思わず目を閉じる。
柔らかい感触あった。けれど、口にではなく、口に限りなく近い頬にであった。
驚いたように志穂が目を開けたのと、両手が自由になったのは同時だった。
「ざけんな!」
志穂を隠すように、大きな背中が現れた。
「つばさ…」
荒い呼吸のつばさが目の前にいた。
志穂にキスしようとする弘樹に殴りかかったのだ。弘樹はつばさの拳をギリギリで交わしていた。
「何してんだよ!てめぇ!!」
弘樹に志穂の姿を見せまいと、両手を広げる。それでも、志穂には弘樹の姿が見えた。
笑っている。嬉しそうでもあり、哀しそうでもあった。
「俺じゃなかったら、襲われてましたけどね」
「てめぇも襲ってたじゃねぇか!」
「あんたがしっかりしないから、志穂先輩が不安になるんだろうが。俺たちのこと見つけて、全力で走ってくるほど大事なんだろ!」
「そうだよ!」
「え?」
「お前なんかに取られてたまるか。志穂は俺の彼女だ。今後一切手を出すな」
「…先輩。不安は解消しましたか?」
「中田くん…。ありがとう」
「いえ。やっぱり、俺は笑ってる先輩が好きですから」
その言葉に泣きそうになった。でも、志穂は笑った。
弘樹は、志穂たちに背を向ける。
小さくなり、もう見えなくなると、つばさが一度舌打ちをし、振り向いた。
「お前は、何してんだよ!なんで、あいつとこんなところに2人でいんだ!」
「…」
「キスまでされやがって」
「あ、でも、口じゃないよ」
「は?口じゃなきゃいいのかよ!」
「…ごめん」
つばさは下を向いた志穂の顔を持ち上げた。ユニフォームの裾で志穂の顔を拭く。
「…いたっ」
「我慢しろ」
「…」
「あー、むかつく!」
「ごめんなさい」
「…お前、不安だったの?」
「え?」
「あいつ言ってたから」
「…不安だったよ。だって、レギュラーになってから、つばさは急に人気者になっちゃうし。私よりかわいくて綺麗な人たちから告白もされてたし」
「知ってたのか」
「…一緒にいても何も言ってくれないし。好きになったのは私で、いつも好きだっていうのも私。すごく遠くなった気がして、…つばさは本当は別れたいのに、何年も付き合ってるから同情して言えないのかもしれないって思ったの」
「なんでそれを俺に言わないの?」
「え?」
「不安なら不安だって言えよ。言わなきゃわかるわけないだろ?」
つばさの言葉に、志穂は静かに首を横に振った。
「言えるわけないじゃん。まだ好きなのかも不安なのに。それに…つばさは、やきもちすら妬いてくれなった」
「は?」
「中田くんと噂になってたのに、何にも言ってくれなかった」
「あー、もー、妬いたよ!」
「え?」
「妬いたに決まってんだろ!つーか、俺はいつも妬いてる。お前の隣の席のやつとか、一緒の委員会のやつとか。でも、…お前は俺を好きだし。信じてるから」
「…うん」
「3年も付き合ってて、妬くってのも恥ずかしい気がしたし、妬いてることがお前に知られたら、信じてないって思われるのかなとか…」
「つばさも不安だった?」
「……ああ」
「そっか」
「でも、今回は、お前、あいつのこと気に入ってるみたいだったし、化粧とか髪とか気にしてたっぽいし。…つーか、あの日さ、お前、俺のこと待ってたんじゃねぇの?」
「え?」
「化粧して、髪かわいくして待ってたじゃん。約束してなかったけど、俺のこと待ってると思ってた。なのに、お前、あいつと帰るし」
「…化粧ってよくわかったね」
志穂の言葉に「俺、視力2.0だから」と小さく告げる。
「俺のこと待ってると思ってたのに、あいつと帰るから、…むかついたし、焦った」
「うん。ごめん」
「一緒に飯食うために中庭行こうとしてたし。そんとき、あいつに腰とか抱かれてるし。転びそうになってたからしょうがないけど」
「うん。ごめんね」
「今日は今日で、あいつの試合見に行くとか言うし。むかついて、お前なんかとか言っちゃって素直に行くなって言えない俺にもむかついた」
「うん。ごめんね」
「そればっかだな」
「正直ちょっと、ドキドキしました」
「は?」
「つばさは最近全然言ってくれないのに、中田くんは、好きって言葉とか態度で示してくれるから、正直嬉しかったりしました」
「おまっ。調子になんなよ」
「でも、好きなのはやっぱり、つばさなんだ」
「…そうかよ」
そう呟くと、つばさは、そっと手を伸ばした。志穂がその手を掴む。
引き寄せられた。背中に腕を回す。
ドキドキしていると思った。こんなにも愛おしいのだと。
「恋愛って不思議だね。もし、私はつばさのことを好きじゃなかったら、きっと中田くんを好きになってた。でも、つばさを好きじゃなかったら、中田くんはきっと私のことを好きにならなかったと思う」
「バカじゃねぇの?」
「もう、バカって」
「志穂は俺が好きで、俺は志穂を好きで、あいつはただの片思い。それだけなんだよ。もし、なんて存在しないんだ」
「…うん。そうだね」
「何お前、赤くなってんの?」
「え…いや、つばさから『好き』って久しぶりに聞いたから、なんか照れちゃって」
「ふ~ん」
「何、その反応」
「ってか、お前、反省してる?」
「反省?」
「こんなところで男と密会していたこととか、あいつにキスされたこととか」
「…ごめんなさい」
「志穂、顔上げろよ」
「え…あの…」
「何、照れてんの?」
そう言って笑いながら、志穂の顎を持ち上げる。
志穂は大人しく目を閉じた。優しい口づけが徐々に深くなっていく。
「好きだよ。志穂が好きだ」
「私も、つばさが好き」
空が暗くなる中、しばらくの間2人は抱き合っていた。
昔のようにドキドキはしなくなった。けれど、昔よりあなたのことを知っている。
昔のように言葉を紡ぐことはなくなった。けれど、愛は深くなった。
それで十分だったんだ。
「仲直りできたんだ」
「うん。なんて言うか、長い付き合いだからこそ、ちゃんと言葉で伝えなきゃいけないんだって実感した気がするよ」
オレンジ色の教室で、志穂は夏希に化粧を頼んでいた。髪は上げるなと言われたので、そのまま降ろしている。
「本当にお騒がせのバカップルだよね」
「その節はご迷惑かけました」
「今日も一緒に帰るんだよね」
「うん。これからは、堂々とグラウンドで見ることにしたんだ。ってか、穴場スポットに行っちゃだめだって」
「つばさくんも堂々とやきもち妬くようになったか。…でもさ、あのイケメンくんはいいの?」
「うん。あんな格好良くて優しい人、私にはもったいない。それにやっぱり私はつばさが好きだし」
「そっか。よし、これで終わり!」
「ありがとう、なっちゃん!じゃあ、行くね」
「うん。…志穂」
「ん?」
「幸せそうでよかったね」
「うん。幸せだよ」
最後まで読んでいただきありがとうございました!
感想とか評価とかいただけたら泣いて喜びます!!
それにしても、なんで長くなってしまうんでしょうね。
今度はもう少し短い話を書きたいと思います!!
これからもよろしくお願いいたします。