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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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行軍

作者: 塚本亮悟

 ブルーライトに光るインジケーターは暗闇の中で若干の振幅を繰り返しつつも、時速60キロを保っていた。

 ラジオからは夜の11時台をクールに彩るジャズフュージョンナンバーが流れ、思わずボリュームを上げたくなってくる。ウッドベースが警戒にメロディーラインを縁取り、そこにピアノのソロが飛び込んでくる。クラッチペダルから離れた左足がリズムを取り始めた。一方をアスファルト壁に覆われた山肌、もう一方を林立する杉に覆われた急斜面にはさまれた車道を走り抜けていくと景色を緩慢に歪めた。もっともそれは夜空から降り落ちる雨があればこそなせる景色の変化であったが。

 このままで行けば二時間短縮したことになる。

 幾分か気分も落ち着いてきた。が、そんな時に限って背筋をなぞる嫌な寒気はぬばたまの闇を這って来る。…あんな話聞くんじゃなかった。柄にもなく不安になっている理由は分かっていた。


 峠の二合目に差し掛かったところで近くの蕎麦屋へ車を止め、遅い晩飯にありついた時だった。

 「こうジメジメした季節になると出るんだよなぁ」

 斜め前のテーブルを陣取った長距離運転手と思わしきTシャツに作業ズボン姿の男性が二人、気になる会話をしていた。遮二無二、笊蕎麦を胃の中へ押し込もうとするが、一度気になったものから注意を逸らすのは容易ではない。

 「出るんすよねぇ。何の前ぶれもなくわぁーっと。この前それで滑っちゃって、フロントべっこり行きそうになっちゃって」

 「おめぇ、運が良いよ。コンクリート壁の方だろ?反対側につっこんだら転落して間違いなくお陀仏だかんなぁ。しかし、日が暮れる前に抜けられて助かったわ」

 「後は上の道にしますか?」

 「そうだな、もう高速のらねぇと遅れ取り戻せんだろ?」

 伝票を片手にレジへ行くと、年齢的に少しとうが立っている女性が精算をしてくれた。千円札を手渡しながら、「この先の峠、何か出るの?」と、話を振ってみた。お金を受け取りながらその店員は目を大きく見開いてみせた。

 

 「さっき、運ちゃんが何か出るぞって話してたもんだから」

 「あぁこの先の峠ね。そうそう、この時期になると多くて困っちゃうんですよ。そういうのが噂になっちゃうとお客さん寄り付かなくなるから」

 「まさか・・・」

 だらりとぶら下げた両手を突き出して、「これが出んの?」などと茶化してみる。乾いた笑い声を上げた後で、店員はレジスターからお釣りを取り出した。

 「そうじゃないですよ。はいお釣り。カエルが出るんですよ。一匹や二匹じゃなくて、大軍が道を横切っていくんです。何の因果でああいうことが起きるのか知らないけど」

 口を開けて頷いてみせると、店員は慌てて両手を振った。

 「そう滅多にある事じゃないんですよ。下りだから、あんまりスピードを出しすぎるなって迷信なんですよ」

 「迷信?でもさっき…」

 「スリップはするけど、そんなに大きな事故って起こってないんですよ。だから、『気をつけないとこうなるよ』っていう意味で広まった噂だと思うんですけどね。でもね、大丈夫ですよ。音楽に合わせて歌でも歌っていればそんなことおきないから。ふふっ、これも迷信ですけどね」

 何となく腑に落ちなかったが、取り敢えず礼を言って彼は店を出た。


 それから30分程経ってから、シビックのニューモデルは件の峠下りへと差し掛かっていた。

 タコメーターを見やり、右足の力を緩めると、タバコ用の鏝を押し込んだ。先程まで流れていた曲は終わり、少しハスキーな声質のディスクジョッキーがリスナーからのFAXを読み上げた。


 ふと、鏝が不愉快な金属音を立てて押し戻された。

 彼は妙な顔をして鏝を見下ろした。押してからまだ10数秒しか経っていない。首を傾げながら鏝を押し戻した。そんなに早く熱がこもるわけが無い。しかし、その間一分かからないにも拘らず鏝はまた押し戻された。三度目に耳障りな音が鳴った時、彼はカーブに合わせてハンドルを切りながら、咥えたタバコに鏝を押し付けた。だが、火は点かなかった。

 「どうなってんだ?もうぶっ壊れたとか無しだぜ」

 そうぼやきながら鏝を元の位置に戻したその時だった。

 ビームを上げたヘッドライトが照らす車道に物陰が飛び込んできた。慌ててハンドルを切り、反対車線を大きく跨いで車道に飛び込んできた物体を避けると元の斜線へと車を戻した。滑り落ちたタバコなんか気にしている暇などなく、彼は即座にバックミラーへ視線を投げ打った。テールランプのぼんやりとした赤い光を受けて細い人影が振り返った。何か白い長方形の物体を胸の辺りに抱えていた。

 「ふざけんなよ、ヒッチハイカーか?」

 速度を落とし、荒くなった呼吸を整えようとする。ようやく動悸が静まり、ふらついていたスピードメーターの針も50km辺りに落ち着いた。話に出たように、急なカーブが増えてきて、速度は45kmを下限にして緩やかな波を描き始めた。

 そろそろ攻め始めて良い頃だろう。アクセルを踏み、クラッチと踏み替えながらシフトアップして更に加速する。目の前には下り勾配の急バンクが迫ってきているが、慣れた手つきでシフトダウンするとサイドブレーキを引きながらリアを振ってカーブを過ぎ去って行った。

 白いシビックは段々加速しながらV字にカーブを織り成す下り坂をドリフトしながら突き抜けて行った。

 心を静めきったところで、彼の頭に当たり前だがある疑問が思考の隅に割り込んできた。

 この先行けども路肩に寄せた車など見ては居ない。あれは女性だったか?背丈から考えればどう歳をさば読んだって中学生にしか見えなかったような気がしたが?それより、なんで女の子が民家すらない峠の真ん中でヒッチハイクなんかしてるんだ?

 シャツが汗で背中に張り付く。嫌な汗だった。

 「次のナンバあああああわあああぁぁぁああ」

 いきなりラジオから流れるDJの声が熱で伸びきったテープを回した時のような意味不明な声に変わった。何なんだ?無意識に右手はコンソールへと伸び、チャンネルをAMに切替えていた。だが、それも全く意味を成さなかった。

 「ニュうるさぁああぁなんがぁぁぁ」

 ノイズではない、人の、女の声が劣化したカセットテープのようにねっとりと鼓膜にこびり付いてきた。次の瞬間、彼はボリュームのノズルを最小まで捻っていた。

 植林された杉の木の合間から麓の景色が見えた。民家と取れる明りは星よりも弱い輝きを二つ三つ灯しているのみだった。カーブは更に増え、早くここを抜け出したいが、雨脚が一段と強くなった空はそれを阻んでいる。パッシングして煽られても良いから車のライトが見えればどんなに心強かっただろう。

 彼はいきなりハンドルを切った。車は車道に突然現れた障害物をすんでのところでかわしていった。ヘッドライトが捕らえたのは路上に転がったキャンプ用のバックパックだった。その先にもまだ何かが道の上に転がっている。彼は中央車線を跨がせて車を走らせ、迫りくる物体を避けながら前進していった。

 ぬいぐるみ。

 学生鞄。

 ハイヒールにぼろぼろになったスーツの上着。

 ランドセル。

 カーブを一つ越える間に色んな物が散乱していた。

 「ふざけんな!何なんだこりゃ!」

 涙で視界が霞んだ。その時、何かが斜面から飛び出してきた。フェンダーのすぐ先でその柔らかい物体は赤い液体をぶちまけてその場に転がった。想像したくなかった。

 「だぁめぇへへぇ!!」

 切った筈のラジオから突然、男とも女とも想像がつかない声が飛び出してきた。

 彼に驚いている猶予は残されていなかった。前方に視線を戻す。だが、想像もしないものが目の前の視界に飛び込んできた。ヘッドライトの光の前にそれは飛び出し、そして跳ねた。

 その物体は車輪が捩曲がった自転車を土砂に埋もれさせたまま青いビニルシートや錆くれたガードレール片、倒木の一部が露わになった産業廃棄物を寄せて集めたようなゴミの集まりだった。その物体が、ヘッドライトが切り裂く闇の合間をまるで意思を持ったように車道の上を飛び跳ねて行った。

 そうしてその物体がシビックの五メートル先に着地した時、彼は思わず息を飲んだ。瓦の破片や蓋がちぎれかけている電子ジャーの合間から血塗れになった白い腕が視界に飛び込んできた。それは筋肉のように凝縮するごみの中で力なく動きに任せて揺れていた。

 彼ははっとして前を見ると慌ててハンドルを右に切った。

 白いシビックはリアを振りながらすんでのところで車道に現れた切り株や岩を泥に埋もれさせた障害物をかわしていった。だが、加速する車の横をその物体は形を変え、跳躍するかのごとく地面を蹴った。

 目の前にはまた下り勾配の鋭いカーブが待ち構えている。左手にカーブを切りそこなったらもうそれっきりだろう。そんなカーブに人が捨てたものや破壊したあらゆる残骸が着地し、飛び跳ねようとしていた。白いシビックはタイヤから摩擦熱による白煙を上げさせながらそのカーブを突き抜けていった。

 青年は目の前を通り過ぎようとしているものから視線を反らすことができないこの状況を恨めしくて仕方がなかった。眼前では古タイヤが数珠繋ぎになってフロントガラスを掠るような距離で走り抜けていく。その古タイヤの合間には登山用の服装をした老人の身体が絡まっていた。土気色の顔は半分吹き飛ばされていて原形を留めていなかった。

 カーブを抜けると彼はクラッチを切ってギアを上げた。そしてアクセルペダルを踏み込んだその時だった。屋根の上に大きな衝撃音が鳴り響いたかと思うと両手をぶら下げた若い女性がフロントガラスの前を通り過ぎて行った。ただ、その女性が本当に若いかどうかはその血に塗れた姿からは判別がつかなかった。ノースリーブ姿の上半身は剥ぎ取られて変形した車のドアからはみ出した恰好のまま黒い空に吸い込まれていった。その生気を全く感じられない顔には笑みが浮かんでいるように見えた。

 その白いシビックはスピードを緩めなかった。彼はアクセルを空けようとはしなかった。怖くてできなかった。止まってしまうとあの得体の知れないものに飲み込まれてしまう。そんな漠然とした恐怖に駆られ彼は更にアクセルペダルを踏み込んだ。

 …あれがカエルな訳ねぇだろ。

 四肢を使って跳ねる姿はカエルそっくりだった。だが、その姿を象っている細部が異常だった。カエルの行軍。何かが集まって前進するという意味では確かに行軍なのだろうが、その言葉が意味することとはかけ離れ過ぎている。そう思った瞬間だった。

 閉め切られた車内に何かが叫ぶ声が聞こえてくる。ラジオではなかった。それは時速70キロで移動する改造車の外から聞こえてきていた。シビックはこれ以上出せないくらいにスピードを上げていた。突然、車道の脇からそのカエルと思わしき物体は闇から姿を現すと、とてつもない瞬発力で改造車の上を飛び越していった。

 それは瞬く間の出来事だった。全長20メートルはあろうかと思われるゴミの塊はコンクリート壁に着地したかと思うと、壁を蹴り、再び跳ねた。あろうことか、直進するヘッドライトに向かって。

 ブレーキなど踏む暇などなかった。ただ、ぶつかる手前で止まれたとしてもこの狭い車道でその化物を前にして逃げ場などどこにもなかった。

 そうして、その物体の頭と思わしきものがヘッドライトの光の中に姿を現した。頭部には何かが埋まっていた。

 それは人だった。

 何故か、真っ白のその顔だけが漆黒の闇に浮かんでいた。それがフロントガラスめがけて突っ込んできた。ぬらぬらと赤く染まった口を開けるその顔こそ最初に見かけたあの人影だったかもしれない。

 「ぇひひはぁ!」

 せせら笑うような声は彼の悲鳴をも食い尽くしていた。


 暖簾を店内に運び込みながら、割烹着姿の老婦人が椅子に座った店員を見やった。品のいいその顔には何故か苦笑いが浮かんでいた。

 「どうして本当のこと言ってあげなかったんだい?お守りを買っていかずに峠を飛ばして越えようなんて無茶なことだよ。あれは騒音が一番嫌いなんだから」

 店員は頬杖をついたまま古びたお守りを見つめたままだった。

 「懐かしい感じがしたの。それで妙に苛々しちゃって」

 老婦人は身体を起こして、手を組んだ。

 「失踪したっていう昔の彼氏にでも似てたのかい?」

 店員はようやく視線を合わせた。

 「そ。でも、どのみちこんな気休め程度のお守り持ってたって役に立ちゃしないわよ」

 まだ落とされていない照明に金糸を一瞬光らせ、そのお守りはレジ脇のゴミ箱へと吸い込まれた。


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