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小話  作者: アラック
5/9

小銭

 何気なくズボンのポケットに手を入れると、指先が何かに触れた。

 ちゃらりという金属の音、小銭が入っていたのだ。

 その時の私の顔は、さぞ訝しげな事だったろう。

 何せ、生まれてこの方、小銭をポケットに入れた事など一度もなかったからだ。

 あの、心もとない大きさの金属の塊を、一枚どころか複数枚ポケットにしまい込むなど、私にとっては耐えがたい愚行に思えるのだ。

 何かの弾みにポケットから転がり落ちてしまわないかと不安になるし、何より身動きする度にちゃらりと音がしてよろしくない。

 財布を使えばいいし、譲っても小銭入れに居れるのが限度だ。

 むき身の金属貨幣をポケットに入れる事など、本当に許しがたい愚行なのだ。


 しかし、ならば何故、私のポケットにはこうして小銭が入っていたのだろうか。

 もちろん、私が居れるはずがない。

 誰かが私を怒らせようと悪戯をしたものか、もしや別の人間のズボンを履いて来てしまったのかもしれない。

 原因はどうあれ、私はこの状況が何よりも許せなかった。

 どれだけ許せなかったかと言えば、ポケットから小銭を取り出すのではなく、ズボンを脱いで道の端に投げ捨ててしまった程だ。

 ズボンのポケットに小銭が入っていたならば、そのズボンすら汚らわしいものに思えてくる。

 道行く人が目を剥いて驚いていたが、そんな他人の視線など気にならないくらいに、私の気は高ぶっていたのだ。


 肩をいからせ歩く私を、すれ違う人々は努めて見ないようにしていた。

 目を合わせないよう、関わり合いにならなように。

 興味本位で関わったら、面倒事に巻き込まれるかもしれないとでも思ったのだろう。

 好都合だ。こちらとて、気が高ぶっている今は誰にも話しかけて欲しくない。

 普段ならなティッシュ配りのアルバイトや宗教の勧誘にだって懇切丁寧に対応して見せるところだが、今ならヤクザとでも喧嘩を売り買いしてしまうだろう。

 そんな時、私に声をかけてきたのは、小学校も低学年ほどの少年だった。

 友達と連れ立って帰宅途中に、私の姿が目に留まったのだろう。

 お友達がよせよせと制止するのも構わず駆け足で私の前までやって来た少年は、不思議なものを見るような瞳で私に問いかける。


「どうしてズボンを履いていないんですか?」


 好奇心とは違った純粋な瞳で問われ、私は罰が悪くなってこう問い返すしかなかった。


「どうしてズボンを履かなくてはならないんだ?」


 それがどのように受け取られたものか、たいそう納得した素振りを見せた少年は、私やお友達や、通行人が見ている前で、自らのズボンを脱ぎ去ってしまったのだ。

 その行動に私は困惑する。少年は何故、履いていたズボンを脱いだのだろうと。

 そして、困惑の現象はまだまだ続く事となる。

 まず、少年のお友達が履いていたものを脱ぎ始めて、それを見た通行人もまた履いているものを脱ぎ始めて……。

 そうして、その場に居合わせた人間がほぼほぼ下半身下着姿になってしまうと、通りかかった事情を知らない人も、何故か、いそいそと履いているものを脱ぎ始めたのだ。

 まるで、皆がそうしているのだから、自分もそうしなければならないのだ、と言った具合に。


 私は釈然としない顔のままその場を後にした。



 ◇



 翌日、私が外出すると、何故か道行く人々はズボンやスカートを履いていなかった。

 映画の撮影現場にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を味わったのも束の間、続いて襲ってきたのは恐ろしいほどの疎外感だった。

 アウェーな空気と言ってもいい。私自身がここに命ひとつを持って存在している事が場違いなのだという、集団が発するプレッシャーを感じたのだ。

 昨日までの気の立っていた私ならばいざ知らず、今の私はこの空気に耐えられなかった。


 私は周囲の人々に合わせるように、その場でズボンを脱ぎ去って集団に溶け込む事にした。

 絶対に皆、頭がおかしいのだと思わずにはいられなかったが、しかしこれで、あのズボンのポケットの中で小銭がちゃらちゃらと音を立てる不愉快な音と感触を二度と想像しなくても良い事は確かだ。

 そう考えれば、これはこれで良いものなのかもしれないなと、私は鼻歌でも歌い出しそうな満足感に満たされた。




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