カエルの嫁
あくる日、村娘が家の近くを流れる小川に水を汲みに来ると、川べりの大きな石の上に、これまた大きなカエルが喉を鳴らして佇んでいた。
自分の顔ほどもの大きさを持つカエルに思わずのけぞって驚く村娘だったが、きっと何もしてこないはずだと、動悸の激しくなった胸を撫で下ろす。
昔は、よく村の男の子たちに交じってカエルでもなんでも良く触ったり掴んだりしたものだが、この歳になるとそういった事もできなくなってしまう。
歳かしら? などとカエルに聞いてみるが、カエルは喉を鳴らすだけで答えない。
そう言えばと、村娘は組み上げた水瓶を持ち上げる手を止めて考える。
昔々の物語に、カエルにキスすると途端に王子様に変身して幸せに暮らしました、などという話があったなと思い出す。
確か、山を越えた地方に伝わる昔話だった気がする。
ノッポとおデブの旅人が村々に伝わる昔話を集めているとかで、その旅人の噂と共に他の地方の昔話まで一緒に流れ込んでくるのだ。
村娘には“王子様”がどういうものかわからなかったが、その人と結婚すれば漠然と幸せになれるのだろうなと思っていた。
しかし、だからと言って、こんなカエルに口付するなど耐えられない。
子供の頃ならばいざ知らず、村娘も、もう大人と言っていい年齢だ。
大人と言っていい年齢、となれば、結婚の話が上がってくるのが村の常というもの。
村娘も隣村の農夫の家に嫁ぐ事がほとんど決まっているようなものだった。
ただ、相手の農夫は仕事は真面目にするが、人と話すのが得意ではなく、村の中でも浮いた者なのだという。
それが、村娘には不安の種だった。
これからうまくやっていけるのだろうか。
物語の“王子様”とやらに見初められれば、そんな不安とも無縁の生活が出来るのだろうか。
カエルは、そうして川べりでしゃがみ込んで苦悩する村娘の事を、ただ喉を鳴らしてみているだけだ。
そんなのんきなカエルの姿に、村娘はため息を付いてこう思うのだ。
“悩みなど何もなさそうな顔と姿。カエルの嫁になれば、不安など感じる事無く生きて行けるのではないだろうか……”
一瞬だけ心に灯ったこの考えは、村娘の中で急速に大きくなっていった。
今この時だけは、このカエルの嫁になっても良いのではないかとさえ思えるのだ。
まあ、だからと言って、このカエルに口付出来るかと言えば、それは嫌だの一言に尽きる。
ならばこれでいいかと、村娘は自らの唇に指で触れ、それをカエルに向けて放る。
“投げキッス”という言葉を村娘は知らなかったが、まあ、なんとなくこんなもので良いだろうと考えたのだ。
当然のことながら、そんな事をしてもカエルが“王子様”に変身するわけがない。
村娘はため息とともに立ち上がると、水瓶を抱えて元来た道を帰って行った。
カエルは大きな石の上で、村娘の後ろ姿を喉を鳴らしながらずっと見ていた。
◇
次の日。村娘が再び水瓶を持って小川を訪れると、大きな石の上に居たカエルは居なくなっていた。
代わりに、カエルの頭を持つ、筋骨隆々とした肉体を持つ男が、腕組みをして村娘を待ち受けていたのだ。
あまりの事に悲鳴を呑み込んで腰を抜かしてしまった村娘は、まさか昨日の戯れがこんな事を引き起こしたのではないかと、恐ろしさに身が竦む思いだった。
カエル頭の男は、それこそ昨日村娘に投げキッスされたカエルのように喉を鳴らしながら「お前を俺の嫁にする」と腹の底に響く野太い声で告げて、その逞しい腕で娘を担ぎ上げてしまった。
悲鳴を上げて逃れようとする村娘だったが、カエル頭の男の力は万力のようで、いくら動いてもびくともしない。
そうして、村娘は悲鳴を上げながらカエル頭の男に連れて行かれてしまった。
行先は小川を挟んだ対岸にある沼地だ。
それ以来、村娘の姿を見たものはいない。