ひったくり爆弾
私は、憎きひったくりに天誅を下すべく、大きな鞄の中に爆弾を忍ばせ、人通りの多い商店街を歩いていた。
鞄の中には常識外れ高価な品が入っている……。そう見られるように、大きな鞄を両腕で抱くようにして持ち。警戒するように、せわしなく視線を周囲にさ迷わせる。
こうしていれば、必ずひったくりは現れるだろう。……という確信は、正直なところ、ない。
現れなければそれでもいい。時と場所を変えて、同じようにするだけだ。
特定の人物を狙っているわけではない。もう、ひったくりという存在なら、誰でもよいのだ。
……家族の無念を、私の八つ当たりという形で、運の悪いお馬鹿さんに。
※
……その日、私の妹は誘拐された。
高額の身代金を要求してきた犯人に対し、父は警察に相談することもできず、言われるがまま、多額の金を大きな鞄に詰めて、指定された場所へと歩いて行った。
その途中、ちょうどこの商店街で、スクーターに乗った二人組に身代金を奪われたのだ。
そればかりか、父は鞄を奪われた勢いで転倒し、後ろから走ってきた車にはねられてこの世を去った。
当然、身代金は渡されることなく、妹は帰ってこなかった。
追い討ちをかけるかのように、病の床にいた母が亡くなり、あっという間に、私はひとりになってしまった。
ひとりになって、自暴自棄になって、そして、この外道な八つ当たりに行き着いたのだ。
※
ひったくり犯が誘拐犯と通じていたかどうかはわからない。そこはもう、どうでもいいのだ。何をしようが亡くなった家族は帰らない。
警察はいずれ、ひったくり犯も誘拐犯をも見つけ出し、捕まえるかもしれないが、それすらどうでもいい。私の手でどうにかできないものなど、気にしても虚しいだけだ。
……ただ一点、私に直接の復讐の機会があるとすれば?
懲りもせず悪事を続けているかもしれない二人組が、運良く、運悪く、この爆弾の入った鞄を奪って逃走し、その身をバラバラに吹き飛ばされてしまえば……。
そう思い付いた時点で、もうそれしか考えられなくなっていた。
あとは、淡々と、粛々と。実行に向けて準備を進めるだけだった。
自分でも驚くほどの短期間で準備は整い、なんのためらいもなく、実行に踏み切ったのだ……。
※
父が妹を救うべく家を後にしたあの日と同じように、私は鞄を抱えて商店街を行く。
もしかしたら、無関係な通行人や商店街の人を巻き込んでしまうかもしれない。……構うものか。
あの日、二人組は身代金の鞄を奪った後、その中身の一部を、誤って、或いは故意に、道にばらまいてしまい……。 ……あろうことか、居合わせた幾人かの者が、そのこぼれ落ちた身代金の一部を懐に入れて立ち去ったというのだ。
この商店街を行くすべての人が「そう」だとは言わないが、少なくとも「そう」いった事を行った者がいるのだ。
それに、私はもう善良な一般人を巻き込むことに、なんのためらいも抱いていないのだ。
※
永遠にも思えるほどの時間。実際には一時間も経っていないのだが、それほどの短時間で、私の目的はほとんど果たされる事となった。
私の後ろから走ってきたスクーター。運転者と、その同乗者。同乗者の方が手を伸ばし、私の抱えていた鞄を剥ぎ取るように奪って走り去ったのだ。
私は父と同じように転倒したが、車に引かれる事はなく、地面付近、真横になった視界で、走り去るスクーターの後ろ姿を追った。
爆弾は栓を抜いてから数分後に爆発するようにしてある。
栓であるテグスは、末端を私の手に巻き付けていて、爆弾に繋いでいたものは鞄を奪われた勢いで引き抜かれている。
あとはこのまま、ひったくりの姿が見えなくなり、ここから少し遠い場所で爆発音が挙がるのを待つだけだ。
私は微塵ほどの達成感と、埋めようのない空虚さを胸に、その時を待った。
すると、信じられない事が起こった。走り去るスクーターに、誰かが飛びかかったのだ。
驚きの声を挙げることができない私は、そのひとりを皮切りに、通行人達が次々とひったくり犯に群がって行く光景を、身を起こし、呆けたように見ていた。
やがて、ひったくり犯は通行人や商店街の人々に取り押さえられ、最初にスクーターに飛びかかった通行人……大学生といった風の青年が、取り返した鞄を持って私の方へ歩いてくる。
「大丈夫ですか?」優しげな声の問いかけに、私は小さく、「なぜ?」と問い返す事しかできない。
……返ってきた答えに、私は胸が締め付けられる思いがした。
スクーターに飛びかかった青年をはじめ、ひったくりを取り押さえた人々は、あの日あの場に居合わせた人だったのだ。 目の前で起こった事になにもできず、後に私の家族が置かれていた事情を知ったという。
再び同じことが起こったのならば、そのときは迷わずに行動に移れるようになりたい。
……多くの人が、そう思ってくれていたのだ。
※
私の空っぽになった胸に感謝の気持ちが溢れてきて、そして同じくらいの悔しさが、涙となって表れた。
なぜ、あの時……、と。そう思わずにはいられない。
あの日、あの時も、今のようになっていたら、父も死ぬことはなく、妹も戻ってきたのだろうかと……。
そして、感動は直ぐに絶望に取って変わった。
勇敢な通行人達の行動は、私が蒔くはずだった理不尽な死の種を、自分達の元へ引き寄せてしまったのだ。
なんということを……。私は自分の行いを呪いながら、受け取った鞄を抱えるようにして、その場にうずくまった。
声がでない……。心配して駆け寄ってくる人々に、ここから離れるよう告げなければならないのに……!
今さらむしのいい話だが、爆弾など、何かの間違えであってほしい。爆発などしない、失敗作であってほしいと。
どうか、私のつくった死の種が芽吹く事がないようにと。
そう、祈らずにはいられなかったのだ……。