『ニュース、ニュース、ニュース』 ~ もしも本音しか言えなくなる薬を飲んだら
夜九時。
全国に生放送されている報道番組『ニュース、ニュース、ニュース』のスタジオは、いつもと変わらぬ緊張感に包まれていた。
中央のデスクには、メインキャスターの久米場と、隣にはベテランキャスターの徳川。
二人とも、カメラの前では完璧な笑顔を浮かべている。
ただし、久米場の笑顔だけは、少々事情が違った。
彼は今、人生最大の危機に直面していた。
原因は、今朝、栄養ドリンクと間違えて飲んでしまった一本の薬。
その名も「本音しか言えなくなる薬」。
どうやら、効果はまだ持続しているらしい。
しかも、本人の意思とは無関係に、頭の中で考えたことが、そのまま声になって出てしまう。
久米場は薬の説明書に書かれていた注意事項を思い出していた。
『服用後、効果が切れるまで約十二時間。人前での会話には十分ご注意ください』
朝八時に飲んだ。
つまり、あと三時間。
三時間も全国ネットで生放送を続けなければならない。
久米場は、隣の徳川をちらりと見た。
(頼むから、今日は俺に話を振らないでくれ……)
「それでは、今週も『ニュース、ニュース、ニュース』、スタートです」
徳川の朗々とした声がスタジオに響く。
番組が始まった。
最初のニュースは、与党の大物議員による裏金疑惑だった。
「まずは、政治資金規正法違反の疑いがある〇〇議員のニュースからです」
久米場は原稿に目を落とし、いつも通りの落ち着いた声で読み始めた。
「関係者の証言によりますと、議員の関与が認められる可能性が高まりました」
完璧だった。
少なくとも、最初の一文までは。
「……って、どうせトカゲのしっぽ切りに決まってんだろ。もっと上にいる連中を報じろよ。報じられないんだろうけど。スポンサーの関係で。いや、知らんけど。そもそも政治資金規正法って、誰がちゃんと理解してんだよ」
スタジオの空気が、一瞬だけ凍りついた。
徳川は隣で微動だにしない。
スタッフも動かない。
ただ、サブコントロールルームでは、ディレクターがヘッドホンを外しかけていた。
「久米場くん?」
徳川が小さく声をかける。
「声が少し小さくなっていますよ。体調でも悪いですか?」
「申し訳ありません、徳川さん」
久米場は深々と頭を下げた。
「いや、さっきから心配してるフリしてるけど、心の底では『この若造、早く降板しろ』と思ってるだろ。俺のポジションを狙ってるんだよ、この腹黒キャスターめ。ていうか、そのネクタイ趣味悪いな。還暦の親父が付ける色じゃねえか。生地も安っぽいぞ」
徳川の眉が、わずかに動いた。
「……次のニュースです」
二人の間に、妙な緊張感が生まれた。
続いては社会面。
全国展開する飲食チェーンで発生した異物混入事件だ。
「当該店舗では、全商品の回収を決定し、再発防止に努めるとしています」
久米場は原稿を読み上げた。
「いや、こんなニュースを今日の目玉にする必要ある? どうせライバルチェーンからのリークだろ。それより、俺が昨日食べたカップ麺の感想を伝えたい。新商品のシーフード味、マジで味が薄い。あれを開発した人、味見したのか? お湯じゃなくて海水で作った方がマシなんじゃないか?」
徳川の額に脂汗が浮かんだ。
彼はデスクの下で、久米場の膝を強くつかんだ。
「久米場くん!」
「痛っ!」
「一旦、CMです。落ち着きなさい!」
「えっ、まだニュースが……」
「CMです!」
CMに入った瞬間、徳川は久米場の肩をつかんだ。
「おい! 久米場! 何を言っているんだ! 全部聞こえているぞ!」
「すみません! 俺だって言いたくないんです!」
「酒でも飲んだのか?」
「違います! 朝、栄養ドリンクと間違えて薬を飲んじゃったんです! 本音しか言えなくなる薬で……!」
「そんな薬があるか!」
「あるんです! 薬局で買ったんです!」
「薬局も売るな、そんなもの!」
久米場は涙目になっていた。
「本当に止まらないんです! 口が勝手に……!」
「じゃあ、何も考えるな!」
「無理ですよ! 考えないようにしようとすると、余計に考えちゃうんです!」
「いいか、次のニュースからは何も余計なことを言うな。原稿だけ読め。絶対だぞ!」
「わかりました!」
(このおっさん、近くで見ると肌が思ったより汚いな。ファンデーションで隠しきれてないぞ。あと、香水がキツい。加齢臭と混ざって、なんか古いデパートの化粧品売り場みたいな匂いがする)
「お前、今また何か言ったか?」
「いえ!」
「顔に出てるぞ!」
「顔は自由にさせてください!」
CMが明けた。
次のニュースは、動物園で生まれた希少動物の赤ちゃんについてだった。
番組の箸休めとなる、いわゆる癒やし系のニュースである。
「続いては、動物園から届いた明るい話題です」
久米場は、できるだけ無心になろうとした。
「先月生まれた希少動物の赤ちゃんが、一般公開されました。多くの来場者が、その愛らしい姿に心を癒やされているとのことです」
ここまでは問題なかった。
「パンダとかどうでもいいんだよ。癒やしとか言って、こっちは今、人生で一番ストレス抱えてんだよ。そもそも俺、犬猫アレルギーだし、動物園は臭いから行きたくない。あと、俺の給料、正直この徳川の半分くらいしかないの、おかしくね? 俺の方が滑舌いいし、ルックスもいいだろ。なんでこのおっさんの方が高いんだよ。謎の権威かよ」
徳川の口元が引きつった。
それでも、彼は全国に向けて笑顔を作った。
「は、はっはっは。久米場くんは本当に動物が好きですねえ!」
「……え?」
「いやあ、動物愛が溢れていますね。つい、熱が入ってしまったようです!」
久米場は、徳川を見つめた。
(は? どこが? 俺、動物嫌いだって今言っただろ。耳が遠いのか? それとも、都合の悪いことは聞こえないタイプか? 便利な耳だな)
「……続いては、天気予報です」
徳川は、もはや笑顔なのか苦笑いなのか判別できない表情になっていた。
天気予報のコーナーに切り替わった。
久米場は、震える手で原稿を持ち直した。
「明日は全国的に晴れ。お出かけ日和となりそうです」
ここまでは、完璧だった。
「って、そんなの天気予報アプリで調べろよ。俺の仕事はこれじゃない。もっと人の心に響く真実の報道がしたいんだよ。もしくは、いっそモデルになりたい。俺は顔がいい。ギャラも良さそうだし。そもそも、このテレビ局自体、もう限界だろ。報道機関としての役割を放棄してる。上層部は視聴率とスポンサーの顔色しか見てない。あと、スタジオの空調、寒すぎるんだよ!」
徳川は、ついに限界を迎えた。
「視聴者の皆様! 申し訳ありません!」
突然、徳川がカメラに向かって頭を下げた。
「わたくしども、久米場くんが少々体調を崩しておりまして……」
「病気なんだ。精神的にまいってるんだ! 早く終わらせたい!」
徳川は、必死に言葉をかぶせた。
「ええ、彼は非常に動物好きでして、つい感情が入りすぎてしまったようです!」
(俺のキャスター人生が終わる! こいつのせいで! 俺はあと三年で定年なんだぞ! 退職金と年金がかかってるんだ!)
「申し訳ありません! ここで一旦、CMに入らせていただきます!」
強制的にCMへ切り替わった。
スタジオは騒然となった。
スタッフが一斉に駆け寄る中、久米場はデスクに突っ伏し、涙を流していた。
「徳川さん……俺、もう辛いです……」
「当たり前だ! 辛いのはこっちだ!」
「俺の給料は安いし、おっさんの加齢臭はキツいし、このニュースは全部嘘だ。もう辞めたい。実家で米でも作ってた方がマシです。そっちの方がよっぽど真実だ……」
「誰か! こいつをどうにかしろ! 薬だ! 薬を飲んだんだ!」
徳川はスタッフに向かって叫んだ。
「救急車でも警察でも何でもいい! とにかくこいつをカメラから遠ざけろ!」
そのとき、フロアディレクターが青ざめた顔で近づいてきた。
「徳川さん……」
「何だ!」
「今の発言、全部オンエアされています」
「……は?」
「CMに入ったと思っていたんですが、実はスタジオのカメラが一台、まだ本番映像を送っていまして……」
徳川の顔から血の気が引いた。
「まさか……」
「はい。徳川さんの発言も、久米場さんの発言も、全部全国に流れています」
徳川は、ゆっくりと天井を見上げた。
「……終わった」
翌朝。
『ニュース、ニュース、ニュース』は、放送開始以来、最高視聴率を記録した。
SNSでは「日本一正直な報道番組」「あのキャスター、もう一度見たい」「カップ麺の感想だけ妙に共感できる」と大反響。
一方、テレビ局には抗議と問い合わせが殺到。
局は緊急会見を開き、番組の放送内容について謝罪した。
そして、久米場はというと。
翌朝、局のロビーで段ボール箱を抱えた徳川と鉢合わせた。
「……徳川さん?」
「おう、久米場くん」
「どうしたんですか、その荷物」
「自主退職だよ」
「えっ?」
「スポンサーからも、上層部からも、ずいぶんと正直な評価をいただいてね」
徳川は力なく笑った。
「まあ、これからは第二の人生だ。農業でも始めようと思っている」
「農業ですか?」
「そうだ。君も実家で米を作るんじゃなかったのか?」
「いや、あれは本音が勝手に……」
「知ってるよ」
徳川は段ボール箱を抱え直した。
「ところで久米場くん」
「はい?」
「昨日の私のネクタイ、本当にそんなに趣味が悪かったか?」
久米場は、一瞬だけ考えた。
薬の効果は、もう切れている。
「……いえ。素敵だと思います」
徳川は少しだけ表情を和らげた。
「そうか。ありがとう」
その直後、久米場は小さくつぶやいた。
「ただ、加齢臭は本当です」
徳川は、段ボール箱を床に落とした。




