第一話 風紀委員はそらとぶパンを許さない
第一話 風紀委員はそらとぶパンを許さない
学園の昼休みは、だいたい騒がしい。
中庭では獣人科が弁当の肉をめぐって揉め、渡り廊下では天界科が羽を広げて昼寝をしている。遠くでは錬金系の何かがまた爆ぜたらしく、今日も「安全確認」という日本語が行方不明になったような音がした。
つまり、いつも通りだった。
そして購買前もまた、別方向にいつも通りだった。
「整列」
高遠レイの声が列をまっすぐ貫いた。
「押さない」
一拍。
「騒がない」
さらに一拍。
「魔法を使わない」
そこでレイは腕を組んだ。
「購買は戦場ではありません」
列の中ほどから、小さく反論が出る。
「でも心は戦ってます」
「心にまで校則はかけないけど顔に出すな」
「もう前の獣人科の人、完全に獲物見る目してます」
「見ればわかるし、だから困ってるの」
本日の限定は焼きそばパン。十二個。対する生徒はその数倍。数のうえでは購買だが、空気だけなら終末の救命ボート乗り場だった。
月代まこまこが列を眺めながら、のんびり言う。
「今日は濃いねえ」
「何が」
「空気」
「せめてもう少し食欲に寄った表現にして」
「殺気と炭水化物への執着」
「悪化しただけ!」
前方の獣人科がじり、と足を進める。
「一歩下がって」
レイが即座に言う。
「これは前進ではない」
「何」
「狩りにおける間合いの調整だ」
「購買で野生出すな!」
後方では精霊科が手を合わせていた。
「どうか、わたしのもとへ」
「祈るな」
「願いは届きます」
「通販サイトじゃないのよ」
まこまこがしみじみとうなずく。
「信じる者はパンを得る」
「購買の教義を勝手に作るな」
窓が開いた。
おばちゃんが焼きそばパンを並べる。
その瞬間、列全体がざわりと前へ傾いた。誰も動いていないのに圧だけ前進するあたり、この学園の集団行動はだいぶ幽霊寄りだった。
「来た……」
「今日こそ……」
「母上、どうか我に力を……」
パン一個に家系の祈りを乗せるな。重くなって飛ばなくなるだろうが。
「前へ出ない」
レイがぴしゃりと言う。
「順番を守る」
「質問です」
「なに」
「焼きそばパンを前にして理性を保つ義務は校則にありますか」
「あると思いなさい」
「精神論だ」
「今さら何をコンプライアンス面みたいに言ってるの!」
まこまこがレイの横顔を見上げた。
「レイちゃん、今日つよい」
「いつも強くないと回らないでしょう」
「かわいそう」
「誰が」
「レイちゃんが」
やめてほしい。正しいのに傷つくタイプのことを言わないでほしい。
「レイちゃん」
「なに」
「今日、飛ぶかも」
「飛ばない」
「この学園だよ?」
「その一言で全部を説明できるみたいな顔をするな」
その瞬間だった。
ふわり、と。
焼きそばパンが一個だけ棚から浮いた。
場が静まる。
ついで、どよめいた。
「飛んだ」
「飛んだぞ」
「パンが自由を得た!」
「革命みたいに言うな!」
パンはくるりと回り、ソースの香りを振りまきながら列の上をすいっと進んでいく。動きだけなら幻想的だった。やってることはただの購買荒らしだが。
「自由だねえ」
「感想じゃなくて止めなさい!」
「でもちょっと応援したくなる飛び方」
「スポ根漫画みたいに見るな!」
レイは床を蹴った。
購買から飛び出す。パンを追う。ここで空飛ぶ焼きそばパンを認めるわけにはいかない。ひとつ許せば明日はコロッケパンが飛び、明後日はメロンパンが舞う。購買秩序は崩壊する。いや、もう柱だけ残ってる廃ビルみたいな状態かもしれないが、それでも倒壊は止めるべきだった。
「確保した人は半分こ!」
「なんで勝手に遺産分割みたいな話になってるの!」
「飛んでるなら共有財産では」
「その理屈だと鳩も共有財産になるでしょうが!」
中庭へ出たところで、ベンチの上から優雅な声が降ってきた。
「あら」
レティシア・クロムベルが紅茶を片手に空を見上げる。
「どうしましたの、その騒がしさは」
「見てわかりませんか!」
レイは叫ぶ。
「パンが飛んでるのよ!」
レティシアは、ひと呼吸置いて言った。
「まあ」
さらに上品に微笑む。
「ほんとうに飛んでますのね」
「そうよ!」
「なんと詩的な昼食」
「昼食にポエムを混ぜるな!」
まこまこが言う。
「レティシアさん、止められる?」
「止める理由がありまして?」
「あります!」
「昼下がりの空へ解き放たれた焼きそばパン」
レティシアはうっとりとつぶやいた。
「小さき炭水化物の反逆ですわね」
「反逆するな昼食! あと規模が小さすぎて余計みじめ!」
そのとき、植え込みの陰から小さな声がした。
「あのう」
全員が振り向く。
そこにいたのはトトだった。半分だけ隠れていたが、半分しか隠れていなかったので、隠密としては観葉植物以下だった。
「たぶん」
トトはおそるおそる手を挙げる。
「それ、わたしです」
レイが止まる。
「あなたね」
「ごめんなさい」
「何をしたの」
トトは指先をもじもじさせた。
「軽量浮遊を、ちょっと」
ちょっとの被害で済んでいない。ちょっとで済んでいたら、今ごろ私はパンを追って全力疾走していない。
「なんでそんなことしたの」
「列の後ろだったので」
「だからって飛ばしていい理由にはならないの」
トトは少し考える。
「でも、取れるかなって」
「発想が雑!」
「あと、見たかったので」
「動機を上乗せしてくるな!」
パンはくるりと向きを変え、そのまま二階へ上がっていく。
窓辺では昼寝中の天界科が身じろぎした。
レイの背筋が冷えた。
「まずい」
まこまこが目を細める。
「見つかるねえ」
「見つからないでほしい」
願望だった。
二階の一人が顔を上げる。
「……パンだ」
レイは叫んだ。
「全員伏せて!」




