#3
あの日からメナは一層アーカイブ構築に打ち込む事になった。あまりのワーカーホリックぶりにレイラは母の身を案じたが、メナの行動は決して自暴自棄なものではなく純粋な決意と熱意に基づくものだと言うことを理解すると、それ以上は口を挟まないようになった。
各地を巡り、集めた情報をアーカイブする。充実してゆく記録と記憶。その中には悲しみを纏ったものも多く含まれていたが、それでもメナは立ち止まらなかった。
あるとき、レイラはアーカイブに寄せられた書き込みの中に不穏な空気を感じ取った。アーカイブそのものに対する疑念や批判。そしてアーカイブの構築をメナが主導している事に対する強烈な敵意と憎悪を含んだ個人攻撃。
単なる文字情報だというのに、そこには強い感情が込められていることが見て取れた。そして……それらの書き込みには必ず「メナス」と言う名が添えられていた。
その名はかつてメナが扇動者として活動していた頃、彼女とそのシンパが名乗っていた名前。この星にとっては忌まわしい過去の象徴となる名前だった。
レイラはメナスを名乗る書き込みを母に告げるかどうか迷ったが、書き込みの量が無視できないほど増加したことで、意を決して母に報告を行った。
「……知ってたわ。割と最初の頃から」
レイラの心配をよそに、メナは落ちついた表情でそう応えた。そして、メナスの個人情報も既に特定してある、と付け加えて。
「どうするの?」
「どうもしない。私には彼をどうにかする権利はないし、そのつもりもないから」
一見すると無責任で無関心なように見えたメナの言葉だが、その瞳の奥に深い苦悩があることはレイラにも見て取れた。きっと母はメナスの存在に苦しんでいる。それでも、アーカイブの理念を守りたいんだ。レイラはそう思った。
その後もメナスの書き込みは続いたが、メナは特段対応することもなく黙々とアーカイブを充実させる作業に没頭した。
そして「芸術復興アーカイブ」の立ち上げから1年が経とうとした頃、政府主催でアーカイブの一周年を祝うレセプションパーティが開かれることが決まった。アーカイブの編纂に協力した芸術家を始め政財界の要人、さらには大統領本人まで出席する盛大な規模となったパーティの開催はヴェリザン復興のシンボルとして惑星中に広く公表された。
……そして、その告知に書き込まれる「メナス」からの爆破予告。治安当局はすでに身元が判明していたメナスを捕縛することを強硬に主張したが、メナはそれに異を唱えた。
彼が暴走しているのは自分に原因がある。だから、まず自分に話をさせて欲しい。もし自分が殺された時は……あとは任せる、と。
ウェリザン政府内部の判断は二つに割れた。だが、結局は大統領の鶴の一言によってメナの意思が採用される事になった。どうして扇動者であったメナの肩を持つのかと問う側近に、大統領は肩をすくめて応えた。
「彼女が害を及ぼしたのは前の――愚かな政府だ。我々は彼女から害を受けたことが無いんだぞ?」
旧都内のとある廃アパートの地下へ至る階段。メナはその入り口に立っていた。彼女の調べで「メナス」の潜伏場所はこの先の地下室である事が既に判っていた。
階段を降り、錆の浮いた鉄の扉をノックすると中から声が聞こえる。
「……遅かったな。さっさと入れ」
重い扉を押し開け、薄暗い室内に張ったメナを待ち構えていたのはブラスターを構えた壮年の男だった。男の様子にもひるんだ様子を見せずにメナはただ話をしに来たと告げる。
男はメナが最初から自分の正体を知っていたかのように振る舞う様にいぶかしげな目を向けたが、手近な椅子を黙ってブラスターで差し、自らも席に着いた。睨み付ける男の視線をものともせず、メナは口を開いた。
「あなたに、謝りに来た。謝って済むことではないとは知っている。それでも謝らせて欲しい」
その言葉に男の顔はさっと紅潮する。怒りを抑えた声で男は問う。何を、誰に謝罪するつもりだ、と。
その問いに対してメナは男に告げる。かつて彼女が扇動した暴動において、重要施設を守って命を落とした警備員がいたこと。5名の殉職者のうちの1人。パンデミック前に結婚したばかりだった女性警備員の名前をメナは口にした。
「……どうして、娘のことを?」
「私の、罪だから」
メナの言葉に男は唇の端をゆがめ、感情を露わにする。さげすむような声でおまえは自分の罪を認めるのか、と問いかける男にメナは感情の揺らぎを見せることも無く、ただ肯定する。
そんなメナの様子にいらついた男……新たな「メナス」はブラスターを向け、ここへ死にに来たのかと恫喝するが、メナはその言葉に頭を振りホロディスプレイにある記事を表示した。
「これが、娘さんの事件に関する記事です。すでに他の4名の遺族の方々には名前をアーカイブに残す許可を頂きました。今回、ここに来たのは……謝罪と、娘さんの名前を残す許可を頂くためです」
示された記事には先ほどメナが語った内容の詳細が記されていた。メナスの知らなかった事件の背景も含め、緻密な取材による様々な角度の情報がそこには記されていた。そして、自らの娘を含む5人の殉職者の名前も。
「爆破予告の件で来たんじゃないのか?」
「それは……本質的な事ではないでしょう。あなたの怒りの本質はこの記事にあると私は考えている」
淡々と告げるメナに、男は偽善だ、と吐き捨てた。しかしメナはその言葉に対して平然とその通りです、同意する。
「許可を頂ければこの場で記事をアーカイブに公開します。あとは……お好きなようにして頂いてかまいません」
「いちいち気に触る女だな、お前は。許可はくれてやる。だが、それで終わったと思うなよ」
「……許可頂いた事に感謝します、アルバート・ハイマンさん」
メナはメナスの本名を呼ぶと一礼し、席を立った。男はブラスターを机に放り投げ、地下室を去るメナを見送る。その目には依然として憎しみの炎が宿り続けていた。
「……そこまで知ってて、当局に通報しなかったのか。おかしな女だ」
階段を上るメナの靴音を聞きながら、メナス――アルバートが口にした言葉からは怒りの火勢が衰え……代わりに何か別のものが宿っているようでもあった。
メナが帰還し、事件の記事がアーカイブに公開された後、メナスの書き込みは本人の手によって削除された。件の記事に付けられた「事件を忘れない」と言うコメントだけを残して。
メナは周囲に何も語らなかったが、彼女がメナスと一定の和解を果たしたのだと言うことを、大統領を含めた多くの人間は理解した。そして大統領は側近に冗談めかして告げる。
「だから言ったろう?使えるものは使う。良い結果になったじゃないか」
爆破予告という混乱も無事に収束し、パーティは予定通り実施された。そしてパーティの最後にヴェリザンの伝統的な音楽コンクールが復活することが発表される。
このコンクールは、かつて芸術の星と呼ばれたヴェリザンを象徴する催しで、惑星全体で行われる一大イベントだった。年に一度開催され、もっとも優れた音楽家を決定するこの大会は疫病の流行によって長らく中断されていた。しかし「芸術復興アーカイブ」の編纂を通じて、多くの音楽家がコンクールの復活を待ち望んでいることを知ったメナが、復活の企画を進めてきたのだった。
「ママ、もちろん私も出場するからね!」
コンテスト開催の発表を最も喜んだのはレイラだった。まもなく20歳になる彼女は既にヴェリザンでも有数のオルガニストに成長していた。そんな娘の姿を見つめるメナの瞳には、以前には見られなかった優しい光が宿っていた。
新都の大ホールは満員の観客で埋め尽くされていた。輝くシャンデリアが天井から吊るされ、観客のざわめきが期待感に満ちている。中央のステージには、ノヴァーラの大音楽堂から移設されたクリスタルオルガンが設置されている。
「お待たせしました。審査結果を発表いたします!オルガニスト部門、優勝者は――レイラ・クロウリー!」
司会者の声が響くと、観客が一斉に拍手を送る。スポットライトに照らされて登場したレイラは、微笑みながら観客にお辞儀をした。
すでに成人を迎えて久しいレイラだが、その容姿は幼い頃の面影が残ったままで、今でも愛らしいと賞されることが多い。そんな彼女の姿に拍手と歓声がさらに大きくなる。娘の姿をステージ脇から見守っていたメナは満面の笑みと涙を浮かべていた。
「それでは、栄えある優勝者レイラ・クロウリーさんに、特別な演奏をもう一曲披露していただきます!再開したコンクールでの初優勝者としての感謝と喜びを込めた演奏を、どうぞご堪能ください!」
レイラが選んだ曲はコンクールの課題曲でもあったヴェリザンの伝統的な曲だ。
レイラの指先が鍵盤に触れると静謐な音色がホール全体を包み込む。過去への敬意を宿した静かな調べは、次第に新たな命を吹き込まれたかのように変化していく。穏やかな流れは大胆な波となり、未来への飛翔を思わせる高らかな旋律へと昇華する。
その音色には、希望と夢が織り込まれ、失われたものへの哀悼と共に、新たに生まれるものへの祝福が響き渡っていた。誰もが息を飲み、時を忘れて、彼女の紡ぎ出す音楽が描く未来を共有した――。
レイラの調べは万雷の拍手とともに観客に受け入れられた。伝統と革新の融合。魂を揺さぶる演奏。居合わせた記者達がレイラの演奏をたたえるニュース原稿を一斉に執筆し始める。
そんな中、司会が再び登場し今度はメナを紹介した。今回のコンクールは「芸術復興アーカイブ」の主催であり、アーカイブの創始者としてメナにも挨拶の機会が与えられたのだ。
メナの登場に観客席の空気が変わる。もちろん、観客の中にはメナの業績を――そして過去の行いを知るものが多くいたからだ。そんな中、彼女のスピーチは静かに始まった。
「この星が、ここまで来るのに長い道のりがありました。今日この日、私達は――芸術の星として、あの災厄から本当の意味で立ち直ることが出来たのではないでしょうか」
彼女の挨拶は続く。この星が積み重ねた伝統の素晴らしさ。そしてそれを保存することの意義について。
その映像はネットワークを通じで惑星中に配信されていた。多くの人がコンクールの様子に熱狂し、そして今、メナの言葉を聞いている。
会場から遠く離れた質素な一室で、メナス――アルバートもまた、端末の小さな画面を見つめていた。メナのスピーチが流れる中、彼は眉をひそめた。
「また、綺麗事ばかり並べやがって……」
呟きながらも、彼の視線は画面から離れない。会場ではメナのスピーチが続いている。彼女はかつての混乱が自らの招いた事であることを包み隠さずに公開した。そして、その一部始終をアーカイブに記載してあることも。
観客の間に静寂が広がる。困惑の表情を浮かべる者もいれば、メナの言葉に耳を傾ける者もいる。だが、皆が真剣にメナの言葉に耳を傾けていた。
「――過去を変えることはできません。でも、未来に繋げることはできます。今日ここで、いくつもの音楽が皆さんの心を照らしたように――私も、未来を信じて進みます。この星のために、そして失われた命のために」
ぽつり、ぽつりと始まった拍手が、静かな波紋のようにホール全体に広がっていく。小さな拍手が大きな響きとなり、ついには全員が立ち上がって手を打つ。その音には、未来への決意と希望が込められているかのようだった。
中継画面でメナの最後の言葉を聞いたアルバートは、つまらなそうに端末の画面を閉じると、短く笑った。
「……まあ、逃げてはいないんだな。どうなるか、見てやるさ……お前の未来とやらを」
コンクールが終わり、母娘は二人でホールを離れた。夜空に広がる星々と新都の灯火が静かに二人を包んでいる。
「ママ、スピーチ素敵だったよ!」
「あなたの演奏こそ、涙が出たわ」
「ね、これからも一緒に進もうね、ママ!」
レイラがメナの手を取り、微笑む。二人の背後で、新都の明かりが星のように輝いている。
それは過去への贖罪と未来への希望の象徴のようだった。
次回から第6章へと突入します
冷凍睡眠を続けどことも知れぬ軌道ステーション流離うトワが流れ着く先は……
――雨の後にこそ、虹は美しく輝く




