#2
「芸術ライブラリの再編……?先生がそんなコト言ってたの?うーん……」
「やはり難しそうかしら?」
ヴァルトの依頼についてレイラに説明すると、レイラは難しそうな顔をした。彼女が言うには既に多くの伝統や歴史は失われ、数少ない遺産が先ほどの公文書館に集められているらしい。
メナは先ほど見かけた書庫に納められた蔵書や資料の量を思い起こした。少ない。かつて芸術の星と謳われたヴェリザンに残された資料としてはあまりにも少なすぎる。あの書庫そのものがヴァルトの懸念していた、伝統の喪失そのものを体現してたことにメナは改めて気付いた。
せめて古い時代の建造物でも残っていれば、何か残された資料が見つかるかもしれないのに。そう悔しがるメナに、レイラが告げる。
「古い建物なら、まだ残ってるよ。旧都の方にね」
「旧都?ここは再建されたアルディナじゃないの?」
「ううん、違うよ?」
メナはアルディナが再建復興されたものだと思い込んでいた。しかし、レイラの説明はその考えを覆すものだった。
ヴェリザンの暫定政権は壊滅状態だった星都アルディナを完全に取り壊すには多大な労力がかかると判断し、その隣接地に新しいアルディナを建設したのだという。
かつてのアルディナは「旧都」と呼ばれ、今も荒廃したままの状態で放置されている。治安は悪いが、一部の住民は今もそこに住み続けているらしい。
本心としては旧都への訪問はメナにとって気の進まない事ではあった。新都の住人達はメナの存在など既に記憶の彼方にあるのか、メナを誰でもない、どこにでもいる存在のように扱っている。
だが、破壊の爪痕が残る旧都ではそうもいかないだろう。なにせその破壊を招いたのはメナなのだから。だが、調査のために旧都を避けることはできない。
覚悟を決めたメナは、同行を申し出るレイラを押しとどめ、独り重い足取りで旧都へ向かう。
旧都の有様は記憶の中にある街並みよりも一層と荒廃していた。住人の大半が新都へ移住した事で街の機能はほぼ失われ、廃墟だけが立ち並ぶ死んだ街。吹きすさぶ風はこれまでに立ち寄った街よりも乾いているように感じられた。
記憶をたどり、資料が残っていそうな施設を探すメナは、旧都で未だ稼働している数少ない施設、中央通信局の前を通りかかった。
「……ここは……」
9年前、ここで彼女は「英雄」に出会った。
背も低く、レイラとそう歳も違わないように見えた小娘。星外からの旅人でしかなかったにも関わらず、この星の破滅的な未来に立ち向かった少女。暴徒にも臆さずメナの前に立ちはだかり、異を唱えた彼女。
モーリオンギルドの管理官、アイリス・ブースタリア。
そう名乗った彼女の言葉が、彼女が掲げたフォトンフラッグが、この星に未来の希望を与えた。聞けば彼女は他の惑星でも悪政を敷く偽りの支配者を打倒したことがあると言う。
当時、メナが目指していた「真実」と「正義」は……アイリスによってもたらされた。まさに、メナのいるこの場所で。対立した立場ではあったが、メナはアイリスに憧れのようなものを感じていた。もし道を間違えなければ……自分も彼女のように強くあれたのだろうか、と。
あの少女の事だ。きっと今も大宇宙を旅して……誰かを救っているのだろう。
お人好しそうに見えた彼女のことを思うと、メナの足取りは少し軽くなった。
崩れかけ、落書きが目立つギャラリー。略奪された楽器店。意味も無く放火されて殆どが燃え尽きた書店。誰かが寝泊まりした形跡が目立つ図書館。
荒廃した旧都の状況は目を覆うばかりだった。それでも、メナは丹念に探索を続け……記録の断片を発見する。
メナが愛おしそうに回収したそれらの断片は一つ一つだと意味を持たない。それでも、それらの断片をつなぎ合わせることで、この星の歴史を語るものにまとめ上げることが出来るかもしれない。
過去の記憶を追う作業がかつてジャーナリストとして事件を追ったときと同じ手法だと気づき、メナは廃墟の中で独り微笑みを浮かべる。ヴァルトの人選は適切だった、と思いながら。
新都へ戻ったメナは、ヴァルトに状況を報告すると共に一つの構想を立案した。惑星全体に散逸した芸術や文化の記録を集め、未来の人々に伝えるために芸術や文化に関する情報を記録、伝達するネットワークを構築するという計画だ。
失われた情報の探索と並行して、構想の全体像をとりまとめるメナ。精力的に活動する彼女の姿に、レイラも全面的な協力を惜しまなかった。
そして幾月かが過ぎ、メナは暫定政権から移行したこの星の新しい政府に対して、ネットワーク構想の提案を行った。かつてのメナを知る一部の政府高官は政治犯であるメナの提案に裏があるのではないかと危惧したが、ミラー大統領はメナの提案に賛同の意を示した。
「彼女が何かをしでかすつもりなら、そもそも自首などしてこないさ。それに今、この星は圧倒的な人材不足だ。あれだけのことをしでかした彼女は間違いなく優秀な人材だ。使えるものは何でもつかうべきだろう?」
妙に説得力があるその言葉に、疑念を呈していた高官達も同意せざるを得なかった。
かくして、「芸術復興アーカイブ」と名付けられた、ヴェリザンの文化を復興するプロジェクトは開始された。
モーリオンギルドが保有する恒星間ネットワーク程の規模はないものの、ヴェリザンにかつて存在していた芸術や文化を可能な限り集積するという野心的なプロジェクトに対する人々の反応は驚きと疑念の声が大半だった。
だが地道に活動を続けるメナの姿に、かつて芸術を愛した人々から少しずつ協力が寄せられるようになっていく。
屋根裏にしまい込まれた少しかび臭い書籍。痛んで廃棄される所だった絵画。壊れて満足に音の鳴らない楽器。一部が欠落した彫刻。手書きで書き写された少し誤りのある楽譜。古ぼけた舞台衣装。下手くそな字で書き殴られた小説のプロットが記された古いノート。
様々なものがメナのもとへ寄贈される。それらは全て来歴と共に品々に込められた想いや願いが記録されていく。失われたものを記録して、未来に繋げる。それが、自分に出来る唯一の贖罪だと信じて、メナは活動を続けた。
プロジェクトの立ち上げから1年。レイラと同居し、新都に拠点を構えたメナと、彼女を支える協力者の手によって芸術復興アーカイブには少しずつではあるが、かつてのヴェリザンの姿が蘇りつつあった。
芸術を愛する人々はアーカイブにアクセスし、自らの記憶や想いをそこへ書き加えていく。事実だけではなく、人々の想いもまた未来へ継承すべきだというメナの理念に基づき、アーカイブには誰でも「加筆」ができるようになっていたのだ。たとえそれが批判的な意見であったとしても、その意見すら文化であると考えて。
全てが良い方向に動き出した。メナがそう自信を持った矢先のことだった。
ギルド経由で「英雄」の死が伝えられたのは。
ヴェリザンを経ったアイリスは次の寄港地で冷凍睡眠から目覚めることなく、命を落としたと言う。ギルドの報告では「クレナシス症候群」……この星を滅亡の淵へ追いやった疫病の感染による衰弱がその原因であるとされていた。
ミラー大統領によると、アイリス達が乗った船に疫病の感染者がいる可能性は、彼女たちが出立した直後から判っていたらしい。
だが亜光速航行中の航宙船に連絡を取る方法は存在しない。次の寄港地に連絡を入れ、受け入れ体勢を整えるよう依頼することしか出来なかったが……その備えも彼女の命を救うことはできなかった。
その事実にメナは激しく動揺した。アイリスがヴェリザンの地表に降りた事で疫病に感染し、それが彼女の死の引き金になったのなら……それはアイリスがこの星へ降りる理由を作った自分が、通信設備の破壊を引き起こした自らの行為こそが、アイリスの死の原因だと気付いたからだ。
「……私が……『英雄』を、死なせた……」
呆然と呟いたメナは衝動的に自宅を飛び出していた。レイラがリビングに飾っていた思い出の品、アイリスがオルガンの調律に使った音叉カッターを無意識のうちに手にして。
メナの思考は絶望に飲み込まれていた。自分が、これからも多くの人々を救うはずだった「英雄」を、死なせた。この星で自分が引き起こした暴動によって失われた命への後悔と追悼の気持ちはこれまでも感じていたが、それは……どこか人ごとのように感じていたのも事実だった。
だがアイリスという少女の命が失われたということは……彼女を英雄視していたメナにとっては耐えられない出来事だった。
おぼつかない足取りで夜の旧都を無目的に彷徨うメナの足は……やがて引き寄せられるように中央通信局へと向かっていた。そこは彼女との出会いの場。彼女に許しを請うには最もふさわしい場だと、ぼんやりとした思考の中でメナは思った。
既にこの世を去った彼女に謝るためには、自らもそちらへ出向くしかない。謝って許されることではないと知っている。それでも、メナは贖罪の言葉を口にし、アイリスへ「謝罪」する。
「ごめんなさい……私の弱さが、あなたを死なせてしまった……。せめてこの命で償いを――」
起動した音叉カッターは涼やかな共鳴音と共に青白いフォトンの刃を形成する。虚ろな瞳で刃を見つめたメナは、大きく振り上げた刃を逡巡せず自らの胸に向かって――。
「ママッ!」
体ごと飛びついてきたレイラの体当たりに二人はもつれ合ってその場に倒れた。メナの手から弾き飛ばされた音叉カッターの刃が夜の闇に溶けるように消える。
「レイ……ラ?どうして……?」
「そんなの……判るに……きまってる……でしょ!」
息を切らせてそう叫ぶレイラ。母親が読んでいたとおぼしきニュースの画面。壁から消えていた音叉カッター。
アイリスの死と、アイリスに関わる希望の象徴たる調律道具。その二つが意味することを理解できないレイラではなかった。
そしてアイリスの死に絶望した母が向かう先は……母とアイリスが対峙したこの場所しかないと考えたのも、当然のことだった。レイラは、メナ自身よりもメナの事を思い、そして理解していたのだから。
その後、メナはレイラの強い叱責と涙に一時的に落ち着きを取り戻した。泣きながら胸を叩き続ける娘の姿に、自らの衝動的な行動を恥じる気持ちがわき上がる。
しかし一方でこの宇宙からアイリスという「希望」を奪ったという慚愧の念が心を締め付け、死の誘惑が脳裏をよぎる。その気持ちはレイラにも伝わっているのか、娘は母を強く抱きしめて離そうとしない。
まるで手をほどけば母がどこかへ行ってしまうと思っているかのように。そして、その娘の思いはあながち間違いでもなかった。
レイラはメナに告げる。かつてアイリスが二人との別れの際に残した言葉を。
「未来を信じて生きることが、贖罪になる」
確かに、アイリスはそう言っていた。まるで今日この日が訪れることを予期していたかのように。記憶の中のアイリスの言葉は、メナにとって枷となった。彼女を生から逃がさない、贖罪へと向き合わせるための枷に。
「生きていてもいい……?いや、生きないと駄目なのね……」
「私には……どっちでもいいよ、ママがいてくれるなら、それだけで十分」
娘を抱きしめた記憶なんて数えるほどしかなかった。それなのに、いつの間にか娘に抱きしめられるようになっていた。時の流れを改めて実感したメナは……自分に残された時間を全て、未来のために使おうと心に誓った。




