インターミッション『ほしをみるひと』ペレジス-星望の惑星 #1
城のように荘厳な建物の最上階に広がるテラスで、その少女……アリサ・シノノメはひとり夜空に瞬く星々を見上げていた。月明かりに照らされたアッシュブロンドの長い髪は、夜の風に揺られて柔らかく光を纏っている。
彼女の澄んだ青い瞳は無限の星空をまっすぐに見据え、そこにある何かに強く惹かれているかのように輝いていた。遠く、触れることも声をかけることもできない存在へと手を伸ばしそうな表情。静寂に包まれたその姿は夢と現実の狭間にあるようで、神秘的なたたずまいすら感じさせた。
「アリサ、また星を見ていたのかい?」
静かに語りかけられる優しい声にアリサは驚くことなくゆっくりと振り返った。その瞳に映ったのは彼女に語りかけた温和な顔の男性、ウォルターの姿だった。彼女は微笑みを浮かべて彼を見つめ返した。
「はい、おじさま」
ウォルターもまたアリサの端正な顔に映る星明かりを眺めるように微笑みながら、ゆっくりと彼女に近づいた。
アリサはウォルターの事をおじさまと呼ぶが二人に血縁関係はない。二人の関係は一言では言い表せない……いや、複雑怪奇とも言える関係だった。
「もう7年になるね」
「……はい。お元気でおられると良いのですが」
「ヴェリザンまでは15年ほど掛かりますからね。彼女たちならきっとまだ夢の中ですよ。さあ、今夜は風が少し冷える。もう戻りましょう」
ウォルターの言葉にアリサは黙って頷くと室内へ戻った。彼女達がいる城のような建物は、かつてギルド伯と自称した男の邸宅であり、今ではモーリオンギルドのペレジス支部であり――アリサが寝泊まりする官舎でもある。
二人の関係が始まったのは7年前の事だ。この星を不当に支配していたギルド伯を名乗る男との戦いの最中、二人は出会った。
初めはギルド伯に虐げられる少女と、ギルド伯の不正を暴くために派遣された監察官という、騒動の渦中にあるビジネスライクとでもいえるような関係。しかし行動を共にするうちアリサの母がウォルターと旧知の仲である事、そして二人が初恋の相手同士であった事が明らかになった。
戦いの結果、アリサは亡父であるギルド支部長の地位を引き継ぐことになり、ウォルターは彼女を支えるため監察官の職を辞してアリサの補佐官となった。そしてその関係は7年後の今でも続いている。
二人の関係は「母親の知人」「初恋の人の娘」という関係ではあるが、それを複雑なものにしているのが二人の年齢にまつわる話だった。ギルドの監察官であり、宇宙を股に掛けた任務に就いていたウォルターは亜光速航行の影響で戸籍上の年齢よりも遙かに若い肉体を維持している。実際、彼の戸籍年齢は既に80歳に近いが、肉体の……そして彼自身が生きた体感年齢は三十代後半のものだった。
一方のアリサは外見的にも精神的にもミドルティーンの少女である。しかし彼女の戸籍年齢は50歳に近い。一度も惑星外に出たことがないにも関わらず。
彼女には大きな秘密があった。「テロマー」と呼ばれる、人から進化した長命種族の一員。それが彼女が抱え、そして彼女に苦しみをもたらしていた秘密だ。彼女は年若い外見を保ったまま、実際に惑星上で50年近くの人生を過ごしているのだ。
つまり、戸籍上も肉体的な見た目もウォルターが年上に見えるが、実際に生きてきた歳月はアリサの方が長い。
こうした事情を抱える二人の間には、互いの呼び方が定まるまでにいくつかの変遷があった。
初対面のころ、アリサは彼を「ウォルターさん」と呼び、ウォルターは彼女を「アリサ嬢」とどこか他人行儀な呼称を用いて呼んでいた。しかしウォルターと母の関係を知ってから、アリサは彼の事を「ウォルターおじさま」と呼ぶことが増え、当時はその表現が長すぎることに彼女自身も苦笑してしまう場面もあった。
一方で補佐官となってからのウォルターはアリサを「管理官殿」と公的に呼び、これがアリサの心に微かな悲しみをもたらした。こうした経緯を経て、5年前に二人は話し合い、プライベートな場面では「おじさま」「アリサ」と親しみを込めて呼び合うことで落ち着いていた。
外見上、二人はミドルティーンの少女と30代後半の男性という、やや不釣り合いな年齢差にも見えた。しかしギルドの人々は皆アリサの外見が長らく変わらず、成人年齢をとうに超えていることを承知しているため、二人の関係に対して疑念を抱く者は誰もいなかった。
それどころか噂好きの女性職員の間では、美男美女である二人がいつ結婚するのかと言う話題が定番となっており、既に二人は密かに内縁関係にあるのではないかとする説が最も人気を集めていた。しかし、当の二人はそんな噂には気付かず――いや、監察官であったウォルターは気付いていたはずだが、少なくとも表向きは気付かない様子で、穏やかな時を過ごしていた。
実際のところ、二人の間に恋愛感情が存在していなかったのは事実だ。ウォルターにとってアリサは共に生きられなかった初恋の人の唯一の遺産であり、自ら守ると誓った相手である。
一方でアリサにとってのウォルターは、自分を理解し、信頼を寄せることができる守護者のような存在だ。過去の辛い経験から男性恐怖症に陥っていたアリサにとって、唯一自然体で接することが出来る男性がウォルターだったのだ。
しかし互いに深い尊敬と親愛を抱いていることは傍目にも明らかで、それゆえに噂好きな女性職員たちは二人に恋愛感情があることを疑っていなかった。
だが、二人の関係が恋愛に発展しない本当の理由は他のところにあった。実は、アリサには密かな想い人がいたのだ。
「あなたはまるで星空に恋しているようだ」
居室へ戻るアリサに付きそうウォルターは先ほどのアリサの姿を思い返し、そう声をかけた。
「いいえ、私が恋しているのは……」
アリサがそう口にしかけたその時、廊下の反対側から歩いてきた女性職員の姿が目に入った。夜勤の職員だろう。会釈する女性職員にアリサは開きかけた口を閉じ、静かに会釈を返すと再び廊下を歩み始める。
かつての彼女を知るものであればその歩みの自然さに驚くかもしれない。なぜなら彼女の左足は手ひどく傷つけられ、その機能は大きく損なわれていたからだ。しかし救い主による癒やしと、アリサ自身の懸命なリハビリにより日常生活には全く支障が無いレベルにまで彼女の左足は回復していた。
7年前の騒動が起きるまで、アリサはその異常な長命ゆえに「不老の怪物」や「罪人」として――実際には冤罪であったが――周囲から厭われ、忌避される存在であった。しかし人々が彼女に冷たい視線を向け、アリサが闇の中を孤独に彷徨っていたとき、ただ一人アリサに救いの手を差し伸べてくれた少女がいた。
アリサがかつて予知の力で最後に視た幻影の救い人。銀色の髪をなびかせ、虹色の瞳で彼女を静かに見つめる、幻視通りの姿で彼女の前に現れた少女、トワ。
彼女が差し出した救いの手に、アリサは瞬く間に恋に落ちた。
星々に暮らす一般の人々の間ではいざしらず、血統主義で内部での結婚出産が推奨されるギルドの内部では同性愛は極めて批判的な目で見られるものだ。特に一定以上のシンガー能力を持つ者については、次世代のシンガー能力を担保することを名目として、実質的に自由恋愛が許されない程にその制約は強い。
長らく云われない非難や軽蔑の目に晒され続けていたアリサにとってはそのような他者の視線やギルドの因習はどうでも良い些事ではあったが、それでもギルド支部を任されている立場からアリサは自分の想いを決して人前で口にすることは無かった。
それに、そもそも救い人であるトワとその姉であるアイリスは星を渡る途中でこの星に偶然立ち寄った旅人でしかなかった。ギルドの幹部であるアイリスは星の状況を見過ごすことが出来ずギルド伯の打倒に尽力したが、事が終われば二人は再び旅へと戻ってゆく。そんな背景もあり、アリサが初めて知った恋心は決して成就しないことが運命づけられていた。
それでも。トワが星を去る前夜、アリサは彼女に自らの想いを告げた。言葉に詰まりながら、自分の心を精一杯告げるアリサに、トワは瞳に微笑みを浮かべてこう言った。
「いつかまた、大宇宙のどこかで」
それは星を旅する人々の間で交わされる定番の……そして永遠の別れを示す言葉だ。しかしアリサにとってその言葉は、いつか来る再会の日を期待させる一抹の希望であり、そして同時に彼女の心を縛る枷にもなった。
普通に考えれば星を旅する人々と惑星に生きる人々の時間の流れは残酷なほど違う。ウォルターがそうであったように、刻はその流れをもって人々の絆を容易く断ち切ってしまう。しかし、長命種である自分であれば……?
もしかしたら、愛するトワが戻ってくるその日まで待ち続けることが出来るのではないか?
だからアリサは毎夜、星を見つめる。いつか想い人が帰ってくる事を願って。
時が流れアリサはギルド支部長代理から正式な支部長へと昇格し、かつて自らの父がそうであったようにペレジスの評議会に参加する立場となっていた。
アリサの生家であるシノノメ家はペレジスのオリジネーターである四大名家の一つであり、本来ならアリサは評議会で大きな影響力を行使することができる立場でもあった。
だがアリサはあくまでギルド支部長としての立場で評議会に参加し、ギルドか統治に関与しないという原則を守って議決には参加せず、ギルドに対する質疑にのみ応えるという従来のギルドと評議会の立ち位置を遵守した。
アリサが評議員として働き始めてしばくした頃、ウォルターがかつて所属していた監察部からの召喚を受けた。既に監察官を辞して久しい彼だが、どうやら彼が過去に行った監察に関連する事案が発生したとの理由で、たまたま近隣星域に停泊していた統括局の機動拠点「オラクルXVIII」へと出向くことになったのだ。
丁度この頃、支部長となったアリサには専属秘書官が付くようになっていた。テレジアと言う名の、アリサにとって母方の遠縁に当たる少女はとても有能でありアリサへの揺るぎない忠誠心はウォルターも感じ入るほどだった。テレジアがいればアリサの仕事も立場も問題無いであろうと判断したウォルターはアリサにしばしの別れを告げて任務へと赴く。
前回この星を旅立った際は残した女性に二度と会えないことを覚悟していた。しかし、今回は違う。そう信じてウォルターは任務へと向かう。
……胸中に一抹の不安を感じながら。




