#16
私の拙い言葉を聞くメナの表情が変わっていく。最初は疑念を抱いたような目で私を見ていたのに、それが驚き、そして何かに気づいたような顔へと変わっていく。
「レイラは……夢を失っても、希望を失わなかったの?」
私の言葉は……メナに届いたんだろうか。メナの声はかすかに震えていた。
「どうして? 夢を奪われても未来を信じられるの?」
「だって、誰かに夢をうばわれても……きっと別の誰かが助けてくれるから」
レイラはクリスタルオルガンの前から立ち上がり、ゆっくりとメナの方へ近づいていく。
「それに、一度叶った夢なら、もうきっともう一度叶うって信じてるから」
レイラの言葉は自らの信念を語っているだけでなく、母親にその信念を届けようとしているように聞こえた。
「それにね、トワはちゃんと助けてくれたよ?」
メナはレイラを見つめる。瞳には戸惑いがあったけど、それが少しずつ柔らかさを帯びていくように見えた。
「……それは……結果論じゃないの?」
「よくわからないけど、でもあきらめなかったから叶ったんだよね?」
メナは絞り出すように、そう問いかける。レイラは少しだけ首をかしげて、困ったような顔で私を見る。私は思わず頷いた。
「うん、そうだね」
メナはしばらくの間、言葉を失ったようにレイラを見つめていた。やがて、顔を上げたメナの表情はまるで憑きものが落ちたように穏やかで、そして悲しみに満ちていた。
「……私も……昔は夢を信じていたわ」
その後、彼女は自分の過去を語り始めた。
「……夫は、同僚の記者だったの。とても正義感が強くて、真実を伝えるためならどんな危険にも立ち向かう人だったわ」
メナの声はどこか遠い昔を思い出しているようだ。
「クレナシス症候群が最初に発生した時期は、ちょうどこの星で年に一度の芸術祭が行われる直前だった。星外からも観光客が大勢訪れる一大イベントでね……政府はその芸術祭の経済効果に目がくらんだ。疫病の危険性を公表すれば観光客が来なくなってしまうと恐れたの」
目先のことしか考えない指導者……素人目に見ても、それが悪手だと判るのに。
「だから政府は感染症の報道を徹底的に抑え込み、私たちには『安全だ』と言い続けた。芸術だの文化だのって言葉を掲げてね。でも、実際に何が起きたか分かる?星外から来た観光客の中にも感染者が出て、病はあっという間に広がった」
彼女は拳を握り締めた。そりゃそうだろう。いくら言葉で安全を強調しても、疫病の危険性は軽くなりはしない。むしろ疫病の深刻さを軽視することで余計に感染が拡大することは素人の私にでもわかる。
「夫はその危険性にいち早く気づいて、政府の方針に異を唱えた。観光客を受け入れれば、人の流動がとまなくなって感染拡大が止まらなくなるって。でも、彼の警告は無視されたどころか、彼自身が感染して……そして、亡くなった」
メナの瞳が揺れているのがわかる。そうか、だから彼女はあれだけ政府を毛嫌いしていたのか……。
「その時、私が信じていたものが崩れた。報道も正義も、そして…………芸術も。人々の心を豊かにすると信じていたその芸術が、命よりも金を優先させる大義名分にされていた。私は……夫が信じていた『正義』が裏切られたと思った。そして、人々を守るはずの芸術や文化にも……」
彼女は小さく笑った。それは悲しみと怒りが入り混じった自嘲の笑みだった。アイリスから、メナは芸術に裏切られたと言っていたと聞いてはいたけど、その意味がようやく理解できた。メナにとっては芸術すら信じることの出来ないものになっていたのか。
「そんな中、大統領たちが星外に逃げたことを知ったの。市民を見捨てて、自分たちだけが安全な場所へ逃げた……その事実は私が信じていたものすべてを壊したわ。政府は私たちを守らない。星の未来なんて見ていない。ただ、自分たちの利益と保身だけを考えている。それがあの時、はっきりわかった」
メナの政府に対する強烈な不信感は、やはりそれが原因だった。でも、その気持ちは私にもわかる。もしギルドがそんな事をしたら……たぶん私もギルドを許せないだろうし。
「それだけじゃない……民衆も同じだったわ。みんながパニックに陥り互いを非難して、自分を守ることしか考えなくなっていった。隣人同士が争い、信じていた仲間さえ私を責めた。……その時思ったのよ。誰も信じられないって。政府も、民衆も、仲間も。結局、誰も正義を守るために動かないんだって」
顔を伏せたメナの肩がかすかに震えているのが見えた。不信と孤独。それがメナが未来や希望、他人の助けを拒んだ理由なのか……。
「だから、私が正義のために闘うしかないと思ったの。夫が命を懸けて守ろうとした『正義』を、私が代わりに守らなきゃいけないって。でも……その結果は……あなたたちの知っている通りよ。私の『正義』はあの人の『正義』とは違って……自分の憤りを晴らすための、『復讐』でしかなかった」
彼女の正義のための闘いは、初めは夫の意志を継ぐという純粋な目的から始まった。しかし、その過程で感情が先行し……正義は復讐へとすり替わってしまった。復讐は正義を損なうもので、結果的に彼女の行動は破壊的な結果を招いてしまったんだろう。
「私は……誰のことも……自分のことすら信じられない弱い人間だった。信じたら、また裏切られると思ったから」
続く彼女の声は最後には小さな吐息のようになり、まるでホールの静けさに溶けこむようだった。
彼女の告白に、私は何も言えなかった。メナは……メナスは、星の秩序を破壊する邪悪な扇動者だと思っていた。確かに彼女の扇動で星は大きな被害を受けた。それは事実だろう。だけど……自分が同じ立場に置かれたら……?
私が彼女と同じような事をしないなんて、断言できない。彼女より上手くやれるなんて思えない。私だってそんなに強い人間じゃない。
アイリスなら……そんな状況でも上手く立ち回って『正義』を成すことができるんだろうか。そんな事を思いながらアイリスに目をやると、アイリスは表情こそ平静を保っていたが、その目には悲痛そうな色が宿っていた。
「でもレイラ、あなたは強いわね。……やっぱり、あなたはあの人の娘なのね。あの人でなく、私が死んでいれば……きっと――」
「ママ」
メナの言葉をレイラが遮った。
「わたし、パパの事はよくおぼえてないけど……でも、ママが話してくれたパパの事なら知ってるよ?わたしの知ってるパパなら、きっとこう言うよ『誰かを信じる心をなくさないで』って」
レイラは静かに微笑みながら、メナに近づいていく。そして、その手をそっと握りしめた。
「だから、ママにも信じてほしいの。私のオルガンを聞いて……歌って、笑ってほしいの。私にはママの代わりになる人なんていない。ママが笑ってくれたら、私の夢はもっともっと広がるから……!」
いつの間にか私の方に歩み寄って来ていたアイリスに軽く肩を叩かれた。……うん、判ってるよ。もう、ここから先は母娘二人で大丈夫だよね。
「未来を信じて生きることが、贖罪になる……そう信じてみてもいいんじゃない?」
二人の横を通り過ぎるアイリスが、前を向き歩みを止めぬまま、そう呟いた。うん、私もそう思う。信じることは大事だってレイラも証明したからね。
「私にそんな資格があるのかしら……」
「資格なんていらないよ、ただ信じてみるだけでいいんだよ」
「……レイラ……」
背中でそんな声を聞きながら、私達は大音楽堂を後にする。




