#19
>>Iris
ウォルターさんへの報告と今後の相談を終えた私が宿に戻ったのは、夜半も過ぎた頃だった。眠っているであろうトワ達を起こさないようにそっと扉を開ける。
薄暗い明かりが灯る静かな室内。トワはまだ起きていた。眠るアリサの顔をじっと見つめ、どこか深く思い詰めたような空気を纏っている。
「おかえり」
「うん、ただいま。先に寝てくれてよかったのに」
そう告げる私にトワは何も言わず、ゆっくりとこちらを振り向いた。その瞳の色は血のような深紅。これは……初めて見る瞳の色だ。
「アイリス」
「うん」
「私、ベルンハルトを、殺す」
「……そう。理由は聞かせてもらえる?」
問いながらも、もう理由は察していた。おそらくアリサの身にあった事を彼女の口から聞いたのだろう。それも、あまりに理不尽で、許しがたいことを。トワの深紅の瞳は彼女が激怒しているということの表れに違いないだろうから。
「……」
「アリサのこと?」
「うん」
「許せないのね?」
「うん」
トワの返事は短いがとても重い。普段は穏やかな彼女が、ここまで憎悪をかき立てられているのは見たことがない。小さなことで拗ねてみせることはあっても、これほどの激情を宿すことなどかつて一度もなかった。それはあの鋼の獣と対峙したときですらも。
「トワは、本当に優しい子だね」
「……そんなこと、ない」
押さえつけたようなその声には抑えきれない憎しみの色が滲んでいる。でも私は微笑みを浮かべて、トワへと歩み寄る。
「でもね、トワ。だめだよ」
「どうして!」
トワの怒りは痛いほど分かる。だからこそ、この子に手を汚させるわけにはいかない。
「ベルンハルトが許せないのは私も同じ。でもね、怒りのまま手を下すと、あいつらがやってるのと同じ事になるよ?大事な妹にそんな事をさせたくないの。わかって」
「……でも」
「トワ?あなたの姉は誰?」
「……アイリス」
「そう、私はアイリス・ブースタリア『管理官』です。断罪は……ギルド憲章に基づき、私が行います」
「……」
「だから、ここはお姉ちゃんに任せて。……ね?」
トワは少し唇を噛みしめたまま、視線を落とした。しばらくの沈黙の後、強い意志と共に口を開く。
「……わかった。アイリスがそう言うなら。でも……断罪には私も同行する。それだけは、約束して」
私はトワの頬にそっと手を触れ、小さく頷いた。
片方のベッドはアリサが寝ていたので、私とトワはもう一つのベッドで一緒に眠ることにした。同じベッドに潜り込んで眠るなんて、いったい何年ぶりだろう。昔はこうして、何度も一緒に眠ったものだけど。
明日には戦闘がおきるかもしれない。決して平穏な状況ではないが、それでも幼い頃を思い出していると不思議と気持ちが温かくなり、笑みがこぼれる。
隣を見ると、トワはいつの間にか静かな寝息を立てている。きっと慣れない憎しみに身を焦がして疲れ切ってしまったのだろう。その寝顔は、私が知っているいつも通りの優しく穏やかなトワのままだ。眠っているときのトワはまるで無垢な天使のようで……改めて、守らないといけないと思う。
「トワ……」
そっと囁きながら、華奢な妹の体を抱きしめた。私が守らなければならないもの。どんな状況であっても、トワが変わらずにいられるようにしてあげたい。そんな思いが胸に広がって、明日への覚悟が静かに芽生える。やがて私も、妹の温もりを感じながら……眠りに落ちた。
――翌朝。前夜にウォルターさんから聞いた情報をトワとアリサに伝える。
3ヶ月間にわたるウォルターさんと部下の調査でもギルド伯ベルンハルトが直接的に悪行を主導している証拠は見つかっていないらししい。けど、軌道ステーションで押収された品物の行き先が二通りに分かれることが判明しているそうだ。
正規の押収品は通関本部の資料保管庫に送られ、非正規に横領された品物はギルド伯の私邸……いや、ほとんど「城」と呼べるような邸宅の地下倉庫に隠されているらしい。そして、私達の荷物は間違いなく後者にある。
もし通関本部に保管されているのであれば、私たちの荷物に限って言えば手続きを踏むなり管理官の権限を行使するなりで取り戻すことも可能だろう。だが、私邸の地下にあるものを合法的に回収する道はほとんど断たれている。力づくで潜入して取り返すという選択肢も考えられるけれど、荷物はかなりの大きさと重さがあるし、私邸の警備を避けて密かに持ち出すのは至難の業だろう。
それに仮に無事に持ち出せたとしてもまだ障害がある。そう、星を離れる際に軌道ステーションを通過する必要があるってことだ。ギルド伯の影響下にあるステーションの監視をかいくぐって密かに物品を星外へ持ち出すのは密輸に等しく、現実的とは言い難い。
つまり、最も確実な手段は――遠回りではあるけど――ギルド伯の犯罪行為を暴き、彼を打倒。そして支部の体制を立て直した上で、正式な手続きを経て荷物を取り戻し、この星を去る。うん、それが最善手だろう。
昨夜トワにはああ言ったものの、私達が勝手にギルド伯を私刑にするのはいささか問題があった。確かに管理官である私にはギルド内の犯罪行為に対する監察権や司法権が与えられている。だけど強い権利があるが故に正規の手続きを無視する訳にはいかなかったんだ。奴の行いに関する証拠を固めた上で捕縛し、統括局の元で裁きを受けさせる形を取らざるを得ない。
もっとも最大の禁忌である行政への介入だけでなく民間からの搾取、横領、おまけに前任者の謀殺。ギルドに対する叛意がこれだけ揃っている現状を考えれば、どれだけ無能で温厚な司法官でもベルンハルトに対して死刑以外の判決を下すことはないと思う。だから、私がギルドの法における最高刑、「0号処分」を行っても結果は同じなんだろうけどね。
ベルンハルトを追い詰める、最も簡単な方法は奴がペレジスの統治を実質的に行っているという証拠をつかむことだ。ただ、元々この星ではギルド支部長が評議会議席を持つという特殊な政治形態になっている。闇雲に内政干渉を訴えても、評議会との申し合わせの範疇で、適法な範囲内だと抗弁される可能性は高いだろう。
内政干渉の告発は罰則が0号処分……つまり処刑しかあり得ないほど、ギルドメンバーにとって重いものだ。それ故にうかつな告発を行い、言い逃れを許してしまえば同じ罪状での告発は困難だ。だからこそ内政干渉での告発は最後の切り札にして、まずは他の不正を追及する……。それが作やウォルターさんと話し合って決めた方針だ。
だからこそ今後の証拠固めのために情報収集に向かわなければならない。支部の内部事情を知るアリサが同行してくれるのは心強いし、彼女から直接話を聞き出すことで証拠を探しやすくなるはずだ。
ただアリサを伴うにあたり一つ問題があった。アリサの黒い外套は地味で本来なら隠密行動向きではあるけど、この街の無駄に華やかな街並みでは逆に悪目立ちしてしまうんだ。スラム街なら溶け込めるかもしれないけれど、街中ではどう考えても目を引きすぎる。
聞くところによると彼女は普段からこの外套を身に纏っているらしく、街の人間にアリサは「いつも黒い外套を着ている少女」として認識されている可能性が高い。これではすぐに私達の同行者が不老の少女だと気づかれてしまうだろう。
宿に残しておくわけにもいかない以上、連れ歩くには服装を何とかする必要がある。変装とまではいかなくても、少しでも印象を変えれば人目を避けられるかもしれない。彼女は私よりもかなり背が高いけど、幸いなことにスタイルは似ているので、私の手持ちの中でも裾の長いワンピースとレギンスの組み合わせならなんとか不自然にならずに済むかもしれない。
……トワの服?それは論外だ。あのだぼだぼのTシャツやワーカージャケットでは、かえって不審者扱いされかねない。一応軌道ステーションで無理矢理買わせた服はあるけど、そもそもスマートなトワと……外套越しでもスタイルの良さが判るアリサでは体型が違いすぎるからね。
そんな事を考えながら、アリサのために地味目のワンピースを見繕い、着替えるように促した。
黙って頷いたアリサが着替えのために外套を脱いだ瞬間。
――私は昨夜、トワが激高していた理由を理解した。
ああ、予定は変更だ。これは司法官に委ねるまでもない。ギルド伯ベルンハルトの罪は私が暴き出し、そして直接裁く。
……一瞬、激情に支配されかけた私は頭を振り、クールダウンするためにアリサに雑談を振ってみることにした。
「そういえばアリサ、今日の仕事は?出歩いて大丈夫なの?」
着替えを終えたアリサに何気なく問いかける。私達は星外任務中の身でギルドの通常業務からは離れているけれど、アリサは惑星上でギルド職員として働いているはずだ。業務が割り当てられているなら、勝手に持ち場を離れるわけにもいかないだろう。
「……大丈夫、です」
アリサは小さく頷いたが、どこか返事にためらいがあるように感じたのは気のせいだろうか?彼女はギルド伯に行動を管理されていると聞いたけど、どこまで自由が許されているんだろう。もしかしたら監視がついている可能性もあるし、必要な確認はしておいた方がいいかもしれない。
「アリサ、行動制限とかかけられてないの?昨日は街へ出てたけど、監視されてたりしない?」
「いえ、仕事がない時は……それなりに自由に動けますので」
「そうなんだ?でもアリサ、ギルドでの役職って何だったんだっけ?シンガーじゃないみたいだけど」
「私ですか?……管理官補です。父の、仕事を補佐していましたので」
「そっか、じゃあ今もギルド伯の補佐を?」
「いえ、違います。私は……罪人の娘ですし、予知の力も失いました。なので、もう何年もギルドの管理業務には関わっていません」
「そうんだ、なら今は何を?」
彼女の声には少し悲しげな響きが混じっていた。それでも以前の彼女の役職が管理官補であることを考えれば、今もきっと何らかの仕事があるはずだ。でも、私は彼女に与えられた仕事について何気なく問うてから、その仕事が「まともなもの」だとは限らないということに気がついた。彼女に向けられる視線の冷たさを思い出し、不安が胸をよぎる。
「私の仕事は……その、夜の――」
アリサが口ごもりながら答えかけた瞬間、彼女が次に何を言おうとしたのかがわかった。馬鹿だ、私は。
「ごめんっ!アリサ、もういい、謝る!」
浅はかだった。ギルド内で信用されていない彼女に与えられる仕事?それも街中でギルド伯の所有物であるかのように噂される、年若く見える少女の?考えるまでも無かった。そんなもの、まともな仕事であるはずがないじゃないか。彼女が聞かれたくないであろう、彼女の尊厳を踏みにじるような事を、私は興味本位で聞いてしまった。
「気にしないで下さい、アイリスさん。私、見た目は子供ですけど……ウォルターさんよりも年上の、おばさんなんですよ」
そう言って薄く微笑んでみせるアリサ。
だが、それは嘘だ。だって私は知っているから。テロマーは「外見が若く見える」のではない。彼らは「ゆっくりと成長する」のだ。心身共に。つまり私達と同年代に見える外見を持つ彼女の精神は、決して戸籍上の齢相応な精神構造ではない。彼女の精神は、私達と同じ年代。つまり何十年生きていようとアリサの心は思春期の少女そのものなのだ。
多感な精神を持ったまま、長く凄惨な状況に置かれていて平気であるはずがない。だけどその事実を指摘すること自体がアリサをさらに苦しめる事になる。だから私は、あえてアリサの言葉をそのまま受け入れるしかなかった。
「そう……なんだね。でも、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
私には謝ることしか出来なかった。黙って頷くアリサを見ながら、私は心の中でベルンハルトの罪状にアリサへの性的虐待を追加した。そして、ただアリサに謝罪を繰り返した。




