#18
>>Towa
アイリスはやはりすごい。アリサが抱えていた罪の意識を、真実を明らかにすることで解きほぐしてみせた。私には絶対真似の出来ないことだ。
そっか、アリサが待ち望んでいた救い主はアイリスの事だったんだ。そう思うと、何かがすっと腑に落ちた。私はアリサに寄り添うことしかできないけど……それでも今は、泣き疲れて眠ってしまったアリサを支えることぐらいならできる。優しく彼女の体を抱え、ベッドにそっと横たえると、アリサは深い眠りの中でどこか安らいだ表情を浮かべていた。
しばらくその寝顔を眺めてから、アイリスと今後の行動について話し合うことにした。まずはウォルターさんへの報告が必要だよね。今後どうギルド伯にアプローチするかについて彼の知識が必要になるだろうし。そしてアリサの保護についても、慎重に考えないといけない。真実を知ったアリサが無茶な行動を起こさないようするためにも。
ウォルターさんへの説明はアイリスに任せることにした。情報の整理や説明は私よりもアイリスの方が適任だから。アリサの方は……あの自警団との一件がギルド伯に伝わっているかもしれないから、私がここで付き添って様子を見るのがベターだろう。眠っている彼女を起こすのも忍びないし。
ベッドに静かに寝かされたアリサは、穏やかな寝息を立てている。泣き腫らした目元もどこか儚げで、でもとても綺麗な顔立ちをしていて……ふと思わずその顔に見入ってしまった。
私が男だったら、きっと、いや確実に間違いを起こしていたんじゃないだろうか。そんなことを考えて、少し可笑しくなる。
私も自分の容姿には多少の自信はある。お義父さんが良く「トワは可愛い」って言ってくれてたからね。けど、こうやって近くでアリサやアイリスのような極上の美少女を眺めていると、なんだか自己肯定感がダダ下がりになりそうだ。
いや、そもそも私は外見やオシャレには欠片も興味はないけど……それでもやっぱり、美しいものを目の前にすると、何かこう心を動かされるものがある。可愛いは正義、というのはこういうことなのかな。あれ?じゃあ私には、正義がない……?
ぼんやりとそんなことを考えていたとき、アリサが小さく寝返りを打ち、ゆっくりと瞼を開けた。
「おはよ。いい夢、見れた?」
「……トワ……さま……?」
寝起きでぼんやりしているのか、キョトンとした目で私を見つめるアリサ。無表情だけど、こうして見ると目がよく語る子だ。驚きや戸惑いが、瞳の奥にかすかに揺れている。しばらく私を見つめたあと、アリサは意を決したようにそっと口を開いた。
「あの……アイリスさんには、お話していないことが。実は……あるんです」
「大事な話?」
「……はい」
「じゃあ、アイリスが戻ってから」
「いえ、トワ様に……聞いていただきたいのです」
私だけに聞かせたい話?正直どんな話か想像も付かないし、少し意外だったけどアリサがそう言うなら聞くしかないだろう。
「私……父の件があってから、予知の力を失ってしまったんです。あの時から、幻視を視ることもなくて」
「うん」
「けれど、そんな中で、ただ最後に見えたものが、あるんです。いつか、私を暗闇から救い出してくれる……救いの手を差し伸べてくれる人の姿が」
私はアリサの言葉に、アイリスのことを思い浮かべてしまう。そうだよね、アイリスは救世主に相応しい、私の自慢のお姉ちゃんだ。
「それ、アイリスの……」
なので、私がそうそう続けようとした瞬間、アリサがかぶりを振り私の言葉を遮った。
「違うんです。私が視たその人は……銀色の髪と、虹色に輝く瞳を持った方、でした」
「え?」
「トワ様……私が幻視で視た、救いの手を差し伸べてくださる方は、あなたでした」
アリサの言葉の意味が理解できなかった。いや、彼女が告げる外見的な特徴は確かに私のものだ。特に虹色の瞳というのは、私以外の人で見たことがないし、私とアリサが既に出会ってる以上、それは高い確率で私のことだとは思う。けど、アイリスがアリサの罪悪感を解きほぐしたとき、私は確信していた。アリサが待ち望んでいた「救いの手」はアイリスのことだったんだって。けれどアリサは、彼女の言葉はそれを否定している。
「アイリスさんには……とても感謝しています。罪の意識から私を救っていただいたことは。でも……」
横たわったままのアリサは私を見上げる。その瞳には深い静けさと、決意めいた色が浮かんでいる。
「トワ様、私が初めて救いの手を感じたのは……あなたが私のために、声をあげてくれた、あの時なんです。誰かが私に手を差し伸べてくれるなんて、夢にも思っていませんでした。あのときも、私は……一人で耐えなければいけないのだと」
その言葉に、私は少し戸惑った。私が彼女の救い?でも、私にはアイリスのような立派なことはできない。あのときも、ただその場に居合わせたけで、衝動のままに飛び込んだだけなのに。
「アリサ。私にはアイリスみたいな力も言葉もない。ただ、黙って見てられなかっただけ」
私の言葉に、アリサは小さく首を振った。
「いいえ、トワ様。私にとって……誰にも頼れないと思っていた私に、初めてあなたが差し延べてくれた手が、それこそが、私の救いだったんです。それがなければ、私の心はもっと深い絶望に沈んでいたかもしれません」
……そっか。彼女が言う救いというのは、罪の意識を解くことじゃなかったのか。私の手には力はなくても、それが差し伸べられたという事実自体が、アリサにとっての「救い」だったのかもしれないね。
「……わかった。私がアリサの救いになれたなら、良かった」
そう呟いた瞬間、アリサの表情がわずかにほころんだ。ほんの小さな微笑みだったけど、私にはその笑顔が何よりも尊いものに思えた。
「アリサが寝てる間にアイリスと決めた事がある。アリサにも話しておきたい」
「はい……あっ、私、寝たままでしたね。今起きますので……」
アリサがそう言って体を起こそうとしたとき、寝乱れていた外套が滑り落ち、彼女の肌が露わになった。白い肌と、そこにに刻まれた無数の惨たらしい傷跡が。
――なんだ、これは……?
「アリサ……!?」
思わず声が出た。彼女に、何があったの……?
私の声に、アリサは気まずそうに視線を落とし、焦った様子もなく外套を再び身に纏う。
「……ごめんなさい。不快なものを、お見せしてしまいました」
まるで自らが悪いとでも言うかのような、そんな言葉を彼女が口にするのが信じられなかった。
「その傷……どうして」
私の問いに、アリサはほんの少し視線を揺らしながら、かすかに頷いた。
「……私が予知能力を失ったことは、お話ししましたよね?……ギルド伯になったベルンハルトは、それでも私の幻視を利用しようと……考えていたのです。それに、父が調べたギルド伯の不正の証拠が見つからなかったらしくて。でも、何も視えない、何も知らない私には、どんな手を使われても……」
アリサの声が静かすぎて、逆に胸が締めつけられる。彼女が心と体に受けた痛みや苦しみがどれほどのものだったか、その一端さえ私は想像できない。アリサは心だけでなく体すらも傷つけられていた?それなのに、彼女はそれを当然のように受け入れて……。
「でも私は、それが……自分の罪に対する罰だと思っていました。だから、ずっと甘んじて受け入れることが……贖罪なんだって」
「足を、引きずってるのも?」
「……お気づきでしたか」
アリサはためらいがちに外套をめくり、左足を見せてくれた。そこには、ひときわ深い傷跡が残っている。見るのも痛々しい痕だ。それでも彼女は、静かに語るだけだった。
「私がテロマーでなければ……とうに動かなくなっていたかも……いえ、死んでいたかもしれません」
私は息が詰まるような感覚を覚えた。アリサの受けたそれは罰などではなく、ただ一方的で理不尽な加虐だ。それが許せなかった。アリサはあの無表情の裏にどれほどの絶望を抱え、傷ついてきたのか。
「……馬鹿ですよね、私。自分の罪だと思い込んでいたなんて」
目元に涙を浮かべたアリサが自嘲気味にそう呟く。そうだ、その罪はアリサが受けるべきものではない。そもそもアリサは何も悪いことなんてしてないのに。悪いのは、罪人は……罰を受けるべきなのは。
――ギルド伯ベルンハルト。お前だ。
視界が朱色に染まるのが判った。頭の中で朱がぐるぐると回っている。傷ついたアリサを見ていると、行き場のない憤りがどんどん私の中で濃縮されてゆく気がした。
そして私は……生まれて初めて、誰かを殺したいと本気で思った。




