#7
>>Towa
ボースンさんが担当する作業が終わり、私の出番がやってきた。一時的に船体から取り外された状態になっているC3を船外で再調律、その後推進装置に固定する。本当なら船内で調律したほうが楽なんだけど、大きなC3を搬入できるスペースが確保できなかったんだ。
取り外しや取り付けは乗組員のみんながやってくれるから、私が担当するのはC3に関する部分だけ。調律はいつもやっていることだ。難しくない。大丈夫だ。きっと。
「……大丈夫、トワなら出来るよ」
アイリスが手を握ってそう言ってくれる。私が不安に思っている事を察してくれたんだろう。
「心配しないで。私も一緒に船外へ出てアシストするから」
「うん」
「酸素フィールドの触媒は確認した?」
「2時間ぐらいなら持つ」
「新品に交換しておかないと……」
「船にスペア無かった」
ジョウに探してもらったんだけど、予備が積まれてなかったんだよね。普通は航行中にEVAすることなんてないし、今この船は経費不足らしいし。
「そっか……。でも、結構消耗してるね?いつ使ったの?」
「寝込んでたとき」
「なるほど、頭痛の緩和か……。でも、原因が異常共鳴じゃ効果なかったんじゃない?」
「うん。ボースンに騙された」
「いや、騙したわけじゃないでしょ?」
毎度のじゃれ合いをしているうちに不安も緊張感も自然とほぐれていった。さぁ、シンガーとしての仕事の時間だ。
エアロックの扉がゆっくりと開くと、私の視界は漆黒の空間が広がった。目を凝らしても深宇宙にほど近いこの宙域では目印になるような星も数えるほどしか見当たらず……圧倒的な暗闇がただ広がっているだけ。
大仰なヘルメットでも被っていれば少しは安心できるのかも知れないけど、無色透明の酸素供給フィールドで守られている状態では視界を遮るものがない。本来なら景色の良さを楽しめるんだろうけど、今は直接宇宙に接しているような、得も言われぬ不安を感じる。
心臓の鼓動が速くなる。体一つで、この闇へ飛び込む……?宇宙で溺れることを防いでくれるのはたった一本の命綱だけ……?震えを抑えようとするけれど、エアロックのハンドレールを握ったままの手がかすかに震えているのが自分でもわかる。その時、耳元に優しい声が聞こえた。
「大丈夫、ちゃんと隣にいるよ」
それはアイリスの声。隣に立つ彼女がそっと私に頭を寄せ、フィールドを同調させてくれていた。そうだ、大丈夫だ。アイリスがいてくれるなら。私はゆっくりと息を整える。
この場に立っているのは、自分から申し出たことだ。私にしか出来ない役目を果たすために。自分と、船長さん達と。そして何よりも大事な姉を救うために必要な役割。だから怖くても今この瞬間だけは自分を信じて進まなくちゃいけない。
「行ってくるね、アイリス」
「あれ、お姉ちゃんを置いていくつもり?トワが宇宙で溺れないように手を引いてあげるよ?」
「それ、逆に危ないやつ」
「ふふっ…緊張ほぐれたみたいで良かったよ。でも、無茶はしないでね?」
「わかってる」
私の言葉に彼女はそっと微笑んでうなずいてくれた。フィールドの同調を解除し、アイリスと握りこぶしをそっと打ち合わた私はエアロックから足を踏み出した。
コスモスーツの腰に装着したスラスターを少しずつ吹かしながら、船尾へとゆっくりと向かう。アイリスには私の後方、少し離れた位置に待機して、万が一に備えてもらっている。推進装置の周辺ではすでにC3の取り外し作業を終えた副長さんとボースンさんが待機しているのが見えた。
『取り外しと器具の交換は完了してるぜ。嬢ちゃん……いや、シンガー殿、あとはお任せする』
『任された』
ヘッドセットを通じてブリッジにいる船長さんの言葉が届いた。どうやら今回は船内からも作業状況をモニタリングできるようにしているらしい。
取り外された水晶柱が宇宙の闇の中に静かに浮かんでいる。遠くから見たときは頼りなく小さく見えたけど、実際に近寄ると私の背丈をゆうに超える圧倒的な存在感があった。その蒼く輝く表面の、金具で固定されていた側には、小さくも深い傷が刻まれているのがはっきりと見える。小さな傷とはいえ、推進機関の心臓部であるC3とってはかなり痛手だろう。
本来であればこのC3は落ち着いた蒼の輝きを静かに放っているはずなのに、今はその輝きが乱れて蒼色の光が水晶の内側で渦を巻くように激しく脈動している。光はまるで内側から沸き立ち、揺れ、時折不規則に明滅して、苦しんでいるかのようだ。
まるでC3が必死に息をしようとしているようにも見える。判ってはいたけどかなり良くない状態だ……。これだけ不安定だと、異なる波長を歌う複数のシンガーが近づくだけでも崩壊を誘発しかねない。アイリスに下がってもらっていて正解だった。
私は静かにC3に手を伸ばし、そっと触れてみた。硬い表面の向こうで何かが揺れているような気がするのに、コスモスーツの手袋越しではその感覚は伝わってこない。一瞬C3が反応しないことに戸惑ったけど、すぐにその理由を思い出した。スクールで学んだ通りC3の調律には直接的な接触が必要なんだ。
惑星上ではいつも素手にC3を握りしめて歌っていたから当然のこととして気にも留めなかったけど、歌声と共に「身体的な接触」が調律に欠かせない要素だということなんだろう。
しかも、今目の前にあるのはこれだけの大きさのC3だ。手だけで触れていては調律にかなりの時間がかかる上に、傷ついた状態での細かな再調律はむしろ不安定さを増してしまう可能性がある。そんな状態で一度に全体を整え、バランスを確保しながら進めるためには……。
そうか、それ以前にこのままでは私は「歌え」ない。覚悟を決める必要があるようだ。私は襟元の酸素供給フィールド発生装置に手をやり、少し後方で漂っているアイリスに通信を送る。
『アイリス』
『何かあった?』
『ごめん』
『どうしたの?急に』
『無茶をしないといけない』
『えっ?ちょっと、どういう事っ!?』
アイリスの問いに答えず、私はフィールド発生装置を緊急事態モードに切り替えた。宇宙空間に吸い出された他者を救助する時に使われる、フィールドを最大展開するモード。自分自身と、もう一人を包み込める程のサイズにフィールドが拡大し、同時に急激な酸素触媒の劣化と引き換えにフィールド内に空気が満たされて行く。
片側の発生装置は既に触媒切れで酸素供給を停止、もう片方も残量切れの警告音を発している。かまわずに私はコスモスーツのグローブを外し、スーツ前面のチャックを引き下げ、半身を宇宙空間に晒す。
『嬢ちゃん!?』
『トワっ!?何してるの!?』
船長やアイリスの声が聞こえるが、答えている時間も、酸素も無駄に出来ない。私は全身でC3を抱きしめると、心の奥底から湧き上がるアリアを口ずさむ。
『O ancient camel, my comrade of the stars』
(年老いた駱駝よ、我が宇宙の友よ)
『Thou who hast crossed countless nebulae and distant stars』
(幾千の星霧を越え、宇宙を渡りし者よ)
『Carrying us in thine ever-quiet, steady gaze.』
(深き静寂の眼差しに我らを宿す)
『So now, we offer thee our thanks and sacred praise』
(いざ、汝に感謝と祝福を捧げん)
『And blessings of rest for thy weary, timeless limbs.』
(疲れし四肢に安らぎの癒やしを)
『Rise once more, noble voyager, and reclaim thy stride』
(老いたる駱駝よ、再び歩みを進めよ)
『With strength renewed, journey proud through the stellar tide.』
(星々の道を勇ましく、進みゆけ)
最初は脈打つように荒々しい熱を放っていたC3は、私の歌に呼応するように、少しずつ穏やかになっていく。水晶の中を渦巻いていた蒼い光は揺れる波がしだいに凪ぐように、次第に静かに落ち着きを取り戻してゆく。そして冷たい蒼の光はやがて力強い白い輝きへと変化してゆく。
私の脳裏に、傷つき暴れていた一頭の駱駝が癒やしの手によって徐々に鎮まっていくイメージが浮かんだ。長き旅路を駆け続け、傷を負ったその駱駝が静かに膝を折り頭を垂れ、癒やしの祝福を受け入れる。祝福を得た駱駝は以前よりも力強く、再び歩み始める。そんな姿が。
霞む視界の中、新たに白い輝きをまとったC3が優しく、力強く輝いていた。
――そういえばいつの間にか警告音、止まってたな……
息苦しさと疲労感の中、そんな事を思いながら……私は……




