#23
>>Iris
「アイリスさん、これ見てください!」
トワと二人、リビングで朝食後の紅茶を楽しんでいるとレイラが寝室から飛び出してきた。朝一番でアリサから報告を受けた今日の方針に従えば、確かコンサートに向けた……正確には、コンサートでの暴露に向けた準備をしていたはずだけど。
「どうしたの?」
「コンサート主催者から、一斉送信で届いたメッセージなんですけど……急遽ドレスコードを変更するって」
「ドレスコード?」
トワが首をかしげている。むろん、言葉の意味がわからない訳ではないだろう。
コンサートのドレスコードといえば……TPOを考えれば、男性はスマートカジュアル、女性はセミフォーマルドレスといった所だろう。私達もそれに合わせてドレスを調達している。
だが、このドレスコードはなんだ……?
「なになに……リゾート地での開放感をお楽しみ頂きたいため、ドレスコードを変更させていただきます。新しいドレスコードは……水着?」
クリスタルオルガンのコンサートはいわばクラシックに分類される、それなりにフォーマルな演奏会だ。それを水着、というのは普通に考えればあり得ない。
あり得ない事が起きたと言うことは……何かがあったということ。そしてその何かは……。
「……ごめんなさい、おそらく私のミスのせいです」
「アリサ、そんなに気にしなくて良いよ。ただ、思ったより相手の対策が早くて大がかりだっただけだから」
おそらく、このドレスコードの目的は聴衆の武装解除。フォーマルな服装ならいくらでも武器を隠すことが出来るけど、水着ではそうもいかないからね。
つまり、連中は聴衆の中に武装したデモ参加者が混じっていると考えているか、それともコンサート会場を襲撃でもするか……どちらにせよ、相手がチャリティコンサートを注視している事だけは間違い無いだろう。
「アイリス?どういうこと?」
トワが心配そうな顔でこちらを見ている。……潮時かな。
「アリサ」
「はい。お任せします」
「ごめんね、レイラも。話すよ」
「はいっ」
トワが不思議そうな顔をしている。どうせなら最後まで隠し通したかったけど、こうなってはトワも巻き込まれてしまう。事態が判らずに巻き込まれるよりは、知っていた方が身の安全を図りやすい。
だから、私はトワに全てを話すことを決めた。それが妹を守る最善の手段だと信じて。
「トワ、ごめんなさい。あなたに隠し事をしてた」
「……それは、知ってた。でも、アイリスが約束破るのは……私のためでしょ?」
――約束。
何気ないそのトワの言葉に私は愕然とした。そうだ……私はどうして忘れていたんだろう。私はトワと約束をしていたんだ。どんなときも、隠し事をしないって。
幼い頃、義姉妹になったときに交わした二人だけの約束。でも、私もトワもその約束を破ったことはなかった。これまでは。
……なのに、私は何をしていた?トワを守ると息巻いて、トワに隠し事をして。結果として、トワの心を傷つけていた……?何が「姉として」だ。
「ごめん……ごめんね……」
謝ることしか出来ない。でも、謝っても……もう信用を取り戻すことはできないかもしれない。もう、姉と呼んで貰えないかもしれない。いや、裏切った私にはそんな資格はもう――
「お姉ちゃん。守ってくれてたんでしょ。ありがとう」
「ト……ワ?」
「私も、お姉ちゃんに隠し事してた。10歳の時、アイリスのおやつ食べたの、私」
自分の愚かさに打ちのめされていた私を、トワは優しく抱きしめ、自らの「隠し事」を語った。ささいな、ほんの小さな隠し事。
「だから、私もごめん。これで、おあいこ」
「トワ……」
トワの優しさが余計に心に突き刺さる。トワは約束を忘れてはいなかった。私も、確かに約束自体は覚えていた。それなのに……約束を軽んじていた。
その事で私は気付いてしまった。本来の私はトワとの約束を軽視することなんてありえないはずだったのに。そのことで、私は先日アルカンシェルの中で独り考えた事を否応なく思い起こされることになった。
今の私は……。
もしかしたら、私は「本物のアイリス・ブースタリア」ではないのかもしれない。
そんな、再生されたコピーである私の存在意義を揺るがす事実に、心臓の鼓動が乱れるのが判る。
「ごめん、アリサ。悪いけど、トワに事情の説明を……少し、頭を冷やしてくる」
「わかりました。でも、アイリスさん。あまり気にされない方が……」
「……」
アリサの言葉に何も返せなかった。アイリスと呼ばれて、返事をして良いのかどうかもわからなかった。
私は……誰だ?
いや、何だ?
そんな事を考えながら、私は一人コテージを離れた。
気付くと昨夜、トワと一緒にルミナリーフを見た海岸に一人佇んでいた。
……昨夜、ここでトワと泳いだのは本当に私なんだろうか?
いや、それは確かに私の筈だ。そんな事にすら疑問を持つぐらい、私の自己認識が揺らいでいる。このままだと、私は私を保てない。そうなれば、トワを守れない……!
焦りと悲しみが胸の中を駆け回る。
トワ、トワ、トワ!
……だめだ、落ち着け、私。頭の中で自分が正常ではないとアラートが鳴っている。
私は、アイリス。アイリス・ブースタリアだ。
いや、それは本当か?私はコピーに過ぎない。
死んだアイリスに擬態した、アイリスを模して造られた、他の何か。
いや、違う。私は5歳の時にトワと星空を眺め、いつか旅する事を夢見たアイリスだ。
16歳になり、トワと共に故郷を旅立ち、アリサと出会い、レイラとも出会った。
その記憶は私の中に確か存在している。だけど……なら、どうして忘れていた?トワとの最初の約束。忘れてはいけない約束。
いや、あの日の約束は確かに私の中にあった。なら、覚えていたはずなのに、私はなぜ、約束を守らなかった?アイリスなら守るはずの約束を。アイリスが守り続けた約束を。
……その約束を平気で破った私は、誰だ?
だめだ、自分が誰だか判らなくなる。いや、誰でもいい。トワを守れればそれでいい。誰でもなくてもいい……。私は、セレスティエル。トワによって造られた存在だから。
……セレスティエル?
その言葉が頭に引っかかった。そうだ、私はセレスティエルとして再生された。それはトワと同じ出自となったということで、私にとっては喜ぶべきことだった。
トワ。そう、トワだ。彼女は……私の妹は『歌』を司るセレスティエルだ。昨夜、トワの真似をして再調律を試みた私は、改めてトワの『歌』が持つ力を思い知った。私にはできない、トワだけの力。
……『歌』だけが持つ力……?
なら、私は……?私にも何か、私だけの力があるのだろうか?今のところ思い当たる事は特になかった。
私の身体能力は確かに強化されているがそれはトワと同じレベルで、おそらくはアリサに劣るもの。言うならばセレスティエルの標準仕様に過ぎない。
なら、私独自の特性は……?そうだ、トワは私は『絆』のエレメントから造られた言っていた。おかしなことだと自分でも思った。私の『絆』はトワのみと結ばれているはずなのに。
……トワの『歌』には特別な力がある。そしてその反動として、トワは言葉と表情の自由を封じられていると言っていた。
なら、私の『絆』にも、何か力とそれに起因する副作用があるのか……?この、掻き毟るような焦燥は……もしかすると『絆』の影響なのか?
私がトワを守りたいと願うのは。トワを傷つけようとする敵を殺さなければならないと感じる衝動は……『絆』の呪縛なのか?
思い出せ。私とトワの関係はこうだったか?一方的に守る存在?いや、違う。私とトワは常に対等で、幼なじみで親友で、姉妹。一方的に守り守られる関係ではなかった。
なのに、再生されてからの私は、トワを守ることしか考えていなかった。『絆』が相手を、トワを大切なものとして守る特性を持つのなら?一方的に、守りたいと思うように、思考を上書きされているのだとしたら……?
――そうか、そういうことか。
私がトワを守りたい気持ちは私自身のものだ。だけど『絆』が……今の私を構成している『絆』のエレメントが、私の守りたいと思う気持ちを暴走させている。私の死で傷ついたトワの心を守ろうとして。
理解した。
私は確かにアイリス・ブースタリアだ。だが同時に私は『絆』のセレスティエルでもある。つまり、私は私でありながら、本来の私とは少し異なる……歪んだ私になっている。そう考えれば、納得が出来た。
私はトワを守るために、トワとの約束を無意識に無視した。私の中の優先順位が、トワを守ることを最優先にしているから。
本来の私が優先していた、トワとの約束の優先順位が書き換えられている。だから、私は約束を覚えていたにもかかわらず、無意識のうちにトワに隠し事をしてでも、あの子を守ろうとした。
なんと厄介な事だろう。自らの心や意思がエレメントに縛られている。トワも……ずっとこんな思いをしていたのだろうか?言葉を発する度に、伝わらない想いに身もだえしながら。それでもトワは……前向きに生きている。
私に、出来るだろうか?トワと同じように『絆』と共に生きることが。いや、出来るとか出来ないではない。やるしかないんだ。トワを守るために。
私はそのために再生されたんだ。
――だけど、この誓いは本当に私のものなんだろうか。
コテージへの道を一人戻りながら私の頭に疑念が浮かぶ。『絆』が私に誓わせているとしたら?そんな可能性に思い当たり……私は、自らの心が、また信じられなくなった。




