#1
>>Towa
どす黒く冷たい悲しみに引きずり込まれる感覚と共に目が覚めた。
小さな灯りに照らされた薄暗い部屋。いつもの悪夢。自分の頬を涙が伝っていることが判った。もう何度も見た夢なのに、未だに慣れることができない。これからもずっと慣れることなんてできないんだろうな。
でも、昨日は少し違う夢を見たような気がした。確か、アリサと偶然出会って、彼女の導きで訪れた不思議な場所で……アイリスが……帰ってきて……。
そんなことありえない、夢だと判っている。でも、夢の中でまたアイリスに会えた。アイリスのことを思うとまた涙が流れた。幸せな夢の残響が心に重い澱を残している。
……でも、大丈夫だ。私は、一人でも旅を続けるんだ。続けないといけないんだ。
陰鬱な気分のまま、ベッドからノロノロと身を起こす。まだ頭の奥がぼーっとしている。
そうだ、ここはアルカンシェル……今の私にとって家でもある航宙船だ。どこにでも行けるはずなのに、どこにも行けない、私の船。
光の速さを超えることができるのに、いつまでも足踏みしつつける、私の船。ごめんね、アルカンシェル。私が持ち主にならなければあなたはもっと遠くへ行けたのに。
だめだ、頭の中でネガティブな思考がぐるぐる回っている。また冷凍睡眠しないといけないかもしれない。そんな事を考えながら、私は船室のドアを開けた。
廊下の先から灯りが漏れている。ラウンジの照明を消し忘れていたのかな……。アルカンシェルの維持費は高いから、旅を続けるためには少しでも節約しないと。そんな事を考えながらフラフラとラウンジへ向かう。
ラウンジから声が聞こえる。ホロムービーを再生したまま寝ちゃったんだろうか。今の私には縁の無い、楽しそうな声。
あれ?でもアルカンシェルにホロムービーの再生装置なんてあったっけ……?そんな事を考えながらラウンジに足を踏み入れる。
目に入ったのは三つ編みにしたライトブラウンの長い髪と赤い瞳。一瞬、不思議そうな表情を浮かべたあと、満面の笑顔で彼女はこう言った。
「おはよう、トワ」
夢……じゃ、ない……?
目の前に、アイリスがいる。どうして?
あれは夢じゃなかったの?
「トワ様、おはようございます」
柔らかい金色の髪を二つ結びにして、眼鏡の奥から青い瞳で優しいまなざしを向けてくれている彼女。
アリサがアイリスの向かいに座っている。
「……どう……して?」
かすれた声が出た。夢じゃなかった?それとも、私はまだ夢を見てる?
アイリスに駆け寄りたいのに足が動かない。アイリスに伸ばそうとした手も震えてしまっている。アイリスの名を呼びたいのに声が出ない。
お願い。夢なら覚めないで。動いたら、声を出したら、またアイリスが消えてしまうんじゃないかって。そんな恐怖が私の動きを止めてしまう。
そんな私の様子に気付いたのか、アイリスはソファから立ち上がるとゆっくりとこちらに近づいてきた。
「トワ、大丈夫だよ」
そう言うとアイリスは私をそっと抱きしめてくれた。優しく、暖かいアイリスの抱擁。
私は理解した。ああ、これは――夢じゃない!
「アイリスッ!!」
声が出て、アイリスの名が呼べた。手が動き、アイリスの小さな体を抱きしめることが出来た。足が動き、もう一歩踏み出してアイリスに体重を預けることが出来た。
「大丈夫、私はちゃんとここにいるよ」
アイリスの言葉に、金色の暖かい喜びが心の中に広がっていく。
ひび割れ、壊れかけていた私の心が温かさで満たされていく。
喜び。
安堵。
平穏。
安らぎ。
……ああ、そうか。
これが――幸せという感情だ。
私は忘れていた感情を、思い出した。
「ところでトワ様?いつまでアイリスさんに抱きついてるのですか?民主主義的平等の観点から、そして社会的公平性を保つためにも!そろそろ私に抱きついて下さっても良いのでは?」
「アリサ、話が無駄に壮大だよね?それに、今日は勘弁してあげて?」
「でも!目の前でこんな熱い抱擁を見せつけられては……はっ、もしかしてこの後おはようのベーゼとかしたりするんですか!?ふしだらです、姉妹でキスとかありえません!キスするなら是非私と!」
「いや、しないし」
「アイリス……キス、しないの?」
「やっぱりするんですね!?というかいつもしてたんですか!?それ、裏切りですよね!?」
「いや、二人とも落ち着きなさいよ。と言うかトワ、私達キスとかした事ないよね?幼なじみで親友で姉妹だけど、そういうことをする関係じゃないよね?」
「抱き合ったままで言われても信用できません!トワ様、はやくチェンジを!」
ああ、アイリスだ。このやりとり、夢にまで見ていたアイリスとの会話だ。ずっと当たり前にあって、亡くしてからはずっと求めていた日常だ。嬉しい。楽しい。幸せだ。
それにアリサもいる。私の親友。私にアイリスを取り戻させてくれた恩人。この恩をどうやって返せばいいんだろう。
「アリサ、ハグする?」
「します!可及的速やかに!ASAP!」
「……アイリス」
「いいの?いまあの子に抱きついたら、食べられちゃうよ?」
苦笑しながら抱擁を解いたアイリスは、そう言いつつも私の意をくんでくれる。
「アリサ?キスはダメだからね?」
「酷い……でも、今日は初めてなのでハグからで十分です!」
アイリスがアリサに釘を刺している。私としては、お礼のためにキスぐらいなら問題無いんだけどな……。だって女の子同士だし。
「アリサ」
「トワ様!おはようございます!」
私がアリサに向かって両手を広げると、再度朝の挨拶を口にしたアリサが飛び込んできた。一応、朝の挨拶の体はとるんだね、アリサ。
がっつりとホールドされ、頬をぐりぐりと押しつけられた。アリサの肌は柔らかくてすべすべだから気持ちいいんだけど、ちょっと圧が強い。
「アリサ、ちょっと痛い」
「すみませんっ、つい興奮して……本番は痛くしないようにしますので!」
本番ってなんだろう?アリサは時々判らないことを言うけど……まぁいいか。
「はいはい、じゃあ朝の抱擁はそこまで。そうだ、トワ。船倉を借りていい?ちょっと体をほぐしたいんだけど」
「いいよ。アルカンシェルは私と、アイリスと、アリサの船だから好きに使って」
「私も仲間に入れて頂いている……!」
抱擁を解いたアリサがフラフラとソファーに倒れ込んだ。朝からテンション高すぎて疲れたんだろうか?
ああ、思い出した。そういえば昨晩みんなでシャンパン飲んだんだっけ。私が夢見心地だったのもそのせい?そしてアリサも、もしかして……。
「二日酔い?」
「違います……愛に酔いました」
「アリサ、ほんと程ほどにしてあげてね。この子まだ本調子じゃないから」
「……ええ、もちろん判っています」
「じゃあ私、少し体動かしてくるから……朝食の準備よろしくね?」
「え……あっはい……」
アリサがどんよりとした目で私を見つめてくる。だからごめんって。でも、ダンディライアンに人間用の食料無かったのは私のせいじゃないよね?
アイリスが運動している姿を見たい気もしたけど、ここは我慢だ。頼まれた朝食の準備をしないと。
……いや準備と言っても倉庫からグリットを取ってくるだけなんだけどね。
私が倉庫からいつものグリットを5食分取り出してラウンジに戻ると、もうアイリスが戻ってきていた。
「ちょっとトワ!聞きたいことがあるんだけど!」
「ごめん。食べ物、これしか無くて」
「え?いや食べ物の事じゃなくて!トワ、スクールの時、運動って全力でしてた?」
グリットのことで文句を言われるのかと思ったら、故郷の、スクールの話?どういうことだろう。
訳はわからないけど、アイリスが聞きたいというなら話す以外の選択肢はない。
「ううん。運動はレジャーだから加減しろってパパが」
「アルフレッドおじさん!それで、どれぐらい加減してたの?」
「ん……遊びレベル?全力の半分ぐらい?」
アイリスの聞きたいことがいまいち良くわからないけど、確かにスクールでの体育系講義ではパパに言われた通り、極力手を抜いていた。他のみんなもそうしてるってパパが言ってたし。
「半分!?トワ、あなたスクールで体育系の記録保持者だったよね?」
「うん。遊びだけど、負けたくなかった」
「そっか……そういうことか……」
アイリスは何か納得したみたいだけど、私にはさっぱり理解できない。アリサの方に目を向けると、アリサも不思議そうな顔をしている。
「アイリスさん、それってどういうお話ですか?トワ様がスポーツ万能で格好いい、素敵。抱いて!むしろどうして抱いてくれないんですか!?おかしくないですか、トワ様!?っていうお話なら理解できますが」
「いや、途中から方向性おかしくなってるからね?」
「アイリス、どういうこと?」
「んー、順を追って話した方がいいか……」
そう言うとアイリスは何故か疲れたような様子でソファに腰を下ろすと話し始めた。船倉でストレッチや軽いワークをしている時に感じた違和感についての話を。
「――でね、他の身体能力も軽く試してみたんだけど、軒並み馬鹿みたいに高くなってたんだよ。反射神経も筋力も、動体視力も。試してないけど、多分持久力も上がってると思う」
「それってまさか……」
「他に考えられる理由が無いでしょ?」
「2人で分かり合ってずるい。私にも説明して」
アイリスとアリサが納得しているけど私には何のことだか判らない。アイリスがアリサと目配せしているのを見ていたら、少し不安とジェラシーを感じた。
アイリスは、私のアイリスなのに。そんな事を考えていると……。
「だからね、私はセレスティエルとして再生されたでしょ?大幅に身体能力が上がった理由ってそれしか考えられないんだよ。だから生粋のセレスティエルであるトワがどうだったのかなって思って」
「先ほどのトワ様のお話を聞く限りでは、セレスティエルの身体的能力は常人の域を超えている感じですね。手加減して歴代記録更新できるなんて……素敵です」
ああ、それで昔の事を聞いたのか。でも、スポーツは娯楽だからみんな遊びでやってるんだと思ってたけど、違うんだろうか?アイリスにそう聞いてみると予想外の答えが返ってきた。
「いや、トワの学年の男子達、皆本気でやってたからね?負けた後に校舎の裏で悔し涙流してたり、自主トレしてる子達いっぱいいたからね?みんな青春してたからね?」
「そんなに、ですか?」
「トワはそういうの興味なかったからね……あと、トワに負けた男子の半分ぐらいはトワに惚れてたみたいけど」
「ほほう」
「クラスの男子半分を虜にするなんて、なんて罪作りなトワ様……!でも、どれだけライバルが多くても、このアリサ・シノノメは絶対に負けません!」
「いや、今そういうの間に合ってるから……」
私の知らない私の秘密が明らかに。そっか、クラスの男子半分から惚れられていたのか。いや、別に興味は無いし、特段心惹かれる相手もいなかったけど。それにみんなもう、おじいちゃんになってるだろうしね。
「それで、アイリスさん。どれぐら強化されているんですか?」
「数値測定した訳じゃないけど、体感で1.5倍ぐらい?行き先がリゾート惑星で丁度良かったよ。レジャーがてら色々と試してみないと」
もちろん人目のないところで、とアイリスは付け加えていた。そうだ、私達は今リゾート惑星へ向かっているんだった。
アイリスとリゾート!考えた事もなかった、幸せな時間に違いない。アリサもいるし、楽しいことが沢山待っているに違いない。心の中で暖かい金色がどんどん広がっていく。
――もう二度と、どす黒く冷たい想いに囚われたくない。金色で満たされた筈の心の片隅にある、何故か拭いきれない黒い影。私はそれに気付かないふりをする。
気付くと、それが現実になってしまうかもしれないと思ったから。




