インターミッション『「私」のレゾンデートル』アルカンシェル-魂理の星船
アイリスは眠れなかった。無理もない、彼女には考えるべきことがあまりにも多かったからだ。
過去、現在、そして未来。
――過去。
彼女にとっては存在しない――彼女が存在しなかった時間。
アイリス自身の認識であれば、冷凍睡眠中に起きた出来事だとも解釈できる。だが実際は……その「過去」はアイリス自身の死と共に事態が進んでいた。
トワの孤独な旅。
心の傷。
「目覚めた」ばかりのアイリスにとっては寝耳に水の出来事だったが、無視できる事態ではなかった。精神的に不安定になっている妹の姿に心を痛めながらも、「今」の自分に出来ることは可能な限り彼女に寄り添うことだと考える。
「それにしても私が死んでたなんてね……全然自覚ないんだけど」
ぽつりとそう呟いて、アイリスは少し気の抜けたシャンパンを口に含んだ。
泡はほとんど消えていて、先ほどまでの爽やかさは遠い記憶のようだ。代わりに舌に残る酸味は、胸の奥によどむ後悔の味に似ていた。
航宙船アルカンシェルのラウンジ。二人の同乗者が眠りに就いた夜、アイリスは独り物思いにふけっていた。
――現在。
アイリス自身のこと。
アイリスは一度死んで蘇った。いや、蘇るという言葉は正確ではない。再生された、というのが一番適切な言葉だろうか。
この世界には人の再生技術が存在している。クローン技術――多くの惑星で用いられる、移植用の臓器や身体パーツの生成に限定された医療技術だ。
身体パーツの生成のみ許される理由は極めて単純、倫理的な問題によるものだ。クローン製法を用いれば人体そのものを造り出すことすら、技術的には可能だ。
だが技術の誕生と同時にクローンを使った様々な後ろ暗い犯罪が行われ、それが結果として厳格な規制へと繋がった。
だが今アイリスが思うことは、技術そのものではなくクローンの同一性についてだ。クローンによる再生は人の再生と同義ではない。
なぜなら、造られたクローンに対してオリジナルの記憶や意識を移す技術が存在しないからだ。
だからクローンは同じ遺伝子を持つ他人でしかない。遺伝的には同等の存在なので臓器移植には使えるが、自らと同じアイデンティティを持たないクローンは、決して「自分自身」ではない。
それゆえに……アイリスが再生されたと知ったトワは取り乱した。アイリスと同じ外見の「他人」。それがトワにとってどれほど残酷な存在であることか。
「私だって嫌だよ。見た目だけトワと同じで……中身が知らない誰かだなんて」
しかし――アイリスは生前の知識と自我――「魂」とでも言うべきものを持って再生された。
それは本来あり得ない事だった。奇跡という言葉で片付ける事すら出来ない、不可能な出来事。それが自分の身に起きた。
理由は――おそらく虹色のC3だろう。アイリスはそう結論づけた。
トワ達の話によると機族の魂は虹色のC3に保存され、ボディを乗り換えて自我や記憶を継承する「輪廻」と彼らが呼ぶ再生の技術があるという。
本来、その輪廻は人には適用できないもののはずだが、何故か今回は人であるアイリスにも適用されているように見えた。
魂の保存がいつ行われたのか?
アイリスには、トワの父親であるアルフレッドの形見の虹水晶を握りしめて冷凍睡眠に入った記憶があった。そして、自分が「死んだ」時にそれを握りしめたままだったとトワからも聞いている。なら……。
「あれを握っていたから、私の魂がC3の中に?可能性はあるけど……でもそんな都合の良い偶然なんてあるのかな」
偶然。奇跡。そんな事があるのだろうか。
確かに虹水晶というのはギルドの資料にも極希にしか登場しない存在で、数少ない記録も機族のコアに関連するものだけだった。
なら、どうしてトワは「最初から」その虹水晶を持っていたのだろう?トワ自身も知らないその問いに対する答えを、アイリスが知る術は無かった。
ギルドと言えばアイリスにはもう一つ気になる事があった。それはギルドのメンバーが用いる弔いの言葉についてだ。
『魂の輝きが、永遠に水晶に宿りますように』
その言葉自体はアイリス自身も何度か口にした事がある。あくまでも水晶を取り扱う通商組織の儀礼的な定型句だと思っていたその言葉は、今回アイリスの身に起こった出来事を示唆しているように思えた。
状況的にアイリスが再生を果たした理由は「魂が水晶に宿った」としか考えられない状況だったからだ。
アイリスはギルドネットで弔辞の由来を調べたが、何も出てこなかった。偶然の一致なのか。秘密にされているのか、それとも失伝したのか。
ただ、アイリスにはその言葉が、今は知る者のいない真実を告げる伝承であるように思えた。人の死と虹水晶。この二つには何か、関係があるのだと。
「あとは……そう。私、人間じゃなくなったんだよね。全然実感ないけど」
アイリスはそう呟くと、手にしていたシャンパングラスをテーブルに置き、自分の手をまじまじと見つめた。
傷一つない両手のひらは記憶にある自分の手と何も変わらない。しばらく指を握ったり開いたりしてみるが、何か不思議な力が湧いてくるようには到底感じられなかった。
「それもそうか。トワだってセレスティエルらしいけど、あの子……ちょっと変わってるけど、普通の子だしね」
妹のことを思うと自然に笑みがこぼれる。そうだ、トワが普通なら私も普通だ。そんな風にアイリスは自分に言い聞かせる。
だが、トワが語ったセレスティエルの能力はそんなアイリスの思いを裏切るものだった。
「でも不老長寿に、状態異常への耐性。おまけに再生……?これじゃ、普通の女の子だって名乗れないよね。ううん、そもそもヒトと名乗るのも難しいか……」
そう愚痴めいた言葉を吐くが、アイリスの顔に不満は浮かんでいない。彼女はセレスティエルの能力を得たことに感謝していた。なぜなら……。
「でも、これならもう……二度とあの子を置いて死なずに済む。私にとってこれ以上のギフトはない」
自分のためではなく、残されるトワのため。アイリスは再生の経緯を知ったことで自分がヒトではない他の何かになったと感じていたが、その事実よりもトワに寄り添い続けることが出来ることが嬉しかった。
だが同時にリブートという能力を過信する気にはなれなかった。トワは一度リブートしたと言っていたが、次も望み通りにその能力が発揮されるという保証はない。不確かなものに頼るのは慎重なアイリスの性分には合わなかったからだ。
性分と言えば、アイリスは自らの再生にエレメントと呼ばれるものが関わっていた事を思い出す。
たしか『人間』と『絆』のエレメントだと聞いているが……人間は判る。少なくとも死ぬまでのアイリスは純粋な人間だったから。
だが……絆?
アイリスは自分が絆を代表するような人間だとは到底思えなかった。自分にあるのはせいぜいトワとの間に育まれた姉妹の絆ぐらいだ。
だが、トワにまつわる虹水晶と、トワとの絆。そこには何か、因縁めいた関係性があるように思えた。しかしそれはあくまでも推測だ。結論を下せるだけの情報が足りない。
アイリスはため息をつくと再びシャンパングラスを手に取り、瓶に残ったシャンパンを注ぐ。
「セレスティエルの取説……は無理だろうけど、知ってそうな人がこの星々のどこかにいるといいんだけど」
掲げたグラスに窓外の星々を透かして見ながら、そう呟く。
トワの話から、アイリスは二つの可能性を見いだしていた。一つはトワがアルカンシェルを発見した小惑星を管理していたG15。もう一つはアヴァローン内部のラク・ダヴァローン。
どちらも人ではない機械の知性体だという。それも、おそらく大空白以前から存在している。
だが、そのどちらもが再度コンタクトを取ることが難しい。G15がいた小惑星は漂流中で座標が判らず、アヴァローンについても機族の機密。モルガンはご丁寧にアルカンシェルの航法ログまで削除していったぐらいだ。
その事は残念だが――それでも二つの存在が知っているのなら、他にもまだセレスティエルについて知る存在はいるはず。
旅を続ければいずれ巡り会うこともあるだろう。トワの言葉が本当なら、自分たちにはいくらでも時間はある。少なくとも、真実が判るまでは……普通の人間として慎重に行動しよう。
アイリスはそう決めた。
――そして未来。
これから自分がすべきこと。
トワ達には目的は無いと言ったが、アイリスにはいくつかすべきことがあった。
まずは自分の事。トワがギルドに対して死亡報告を行ったことで、アイリスのギルド籍は抹消されており、身分証である黒水晶もトワが故郷のギルド支部へ返却したと聞いている。
つまり、今のアイリスは身元不明の旅人に過ぎない。
アイリスは思案する。ギルドへ復籍すべきか、否か。いや、それ以前に復籍が可能なのか。自己都合による離籍と復籍は聞いたことがあるが、死亡除籍の取り消しなど前代未聞だ。
それもそうだ。死亡して復活した人間など存在しないのだから。果たしてそんな事が可能なのだろうか?
「まぁ、火葬されたり埋葬された訳じゃないらしいし、何かの偶然で蘇生した……って事にすれば長期の不在もごまかせる、かな。まぁ、疑われても私がここにいるのは事実だしね」
仮に籍が戻ったとして、二等管理官としての権限を取り戻すべきだろうか?
それは自問するまでもなかった。間違い無く取り戻すべきだ。その理由は今彼女がいる「場所」にある。
超光速船、アルカンシェル。この船を私船登録し、トワを守るにはどうしてもギルドに対する権力が必要だ。
アリサも私船登録の必要性を理解し、トワに申し出ているそうだがアリサの管理官補――いや、管理官に昇格したと言っていたか?
ともあれアリサの資格では守り切れない可能性があるとアイリスは考えた。
それに、アリサにリスクが集中することはアイリスの望むところではなかった。ならばアイリスには、管理官の資格ごと籍を取り戻すしか選択肢はなかった。
「管理官の権限、か。そういえば私が権限を行使したのって……」
そのとき、アイリスはトワに確認を済ませていない、ある事に気がついた。自分たちが旅に出る目的であった鋼の獣。
二人での旅立ちをごり押しするためにアイリスは管理官としての権限を初めて行使した。
鋼の獣のコンテナがアルカンシェルには搭載されていないところを見ると、クレリスに届けることはできたようだが……あれが何だったか、確認が出来ていなかった。
アイリスとしては、あくまでも旅立ちの理由としてでっち上げた調査任務だったが、放置したままにする訳にもいかないと考え、要確認事項として心の片隅に記憶することにした。
そして……一番重要なこと。それはトワのメンタルケアだ。アイリスの死と再生はトワの心を激しく揺らしている。今でこそ躁状態のようになっているが、揺り戻しのリスクもある。
辛い思い出を消すことができないなら、楽しい思い出で上書きするしかない。そう考えた上で、アイリスはリゾート惑星への旅を提案した。
通常なら船内時間ですら数ヶ月かかる旅路がアルカンシェルだと2泊3日の小旅行になる。アリサは何故かぼやいていたが、アイリスにとっては好都合だった。少しでも早くトワの心を苦しみから開放したいと思っていたから。
そこまで考えると、アイリスはグラスに残ったシャンパンを一気に喉へ流し込んだ。温くなって味も落ちたシャンパンに心の中で詫びながら……アイリスはシャワーブースへと向かった。
「ここ、本当に宇宙空間なのかな……」
不満があるわけではないが、納得できるものでもない。キャメル067での2ヶ月の旅では体を清潔に保つのも一苦労だった。少量の水と洗身タオルでのボディケアは年頃の少女には少々きついものがあったのだ。
だがアルカンシェルはどうだ。普通にシャワーが使える。アイリスにはこのシャワーは超光速航行に匹敵する程のありがたい機能だった。そう、遺失文明に感謝してもしきれない程に。
「……確かに、『私』の体なんだよね……」
シャワーから流れた湯を弾く自らの肌を見ながらアイリスはそう呟く。視線は胸元のホクロに向いていた。
そう、この体にはちゃんとホクロもある。自分が記憶している通りの位置に。そして――ホクロだけではない。
「……過去も、現在も、未来も。全て……『私』の中にちゃんとある」
自らに言い聞かせるように、言葉に出す。
「私」は私だ。
だが、アイリスは脳裏に浮かぶ一つの事実を忘れることができなかった。それはトワが語ったアイリスを弔った方法――宇宙葬についてだ。
すなわち、アイリスの以前の肉体は魂を失った今も、宇宙のどこかに存在している。なら、再生を果たした「私」は、本物の私だと言い切れるのだろうか?
「これって、テセウスの船だよね。まさか自分がパラドックスの当事者になるなんて」
シャワーから流れる水滴に打たれながら、アイリスはそんな感想を抱く。自分が本物の私ではなく、複製だとしたら。オリジナルが別に居るのだとしたら。
そんな考えが脳裏に浮かぶ。もし元々の肉体が復活を遂げることがあれば、どちらかが本物でどちらかは偽物になるんだろうか。
それともアイリス・ブースタリアという人間は2人になるのだろうか、と。
「……それでも。トワが『私』をアイリス・ブースタリアだと認めてくれるなら……私は、それだけで十分。問題なんて、無い」
自分に言い聞かせるように力強くそう言うと、アイリスはシャワーを止めた。
ふかふかのバスタオルで体を拭き、用意していた部屋着に着替える。着替えの後いつもの癖でフォトンタブを左手に装着する。
[Authentication Successes.
[Guildnet Connection...Not in Range.]
フォトンタブの生体認証が終わったことを確認し、アイリスは自室へ戻った。
ラウンジに置かれたシャンパングラスには、空っぽのまま星空が満たされていた。
それは――まるで彼女たちの新たな旅立ちを祝福しているようだった。
次回からは海洋リゾート惑星での水着会!
もっとも水着回だからといってキャッキャウフフで終わらないのがこの物語
現在執筆済みの第3部末までの中で最長エピソードをお届けします




