#9
>>Towa
アリサ達がアルカンシェルへ戻ろうとしているのを見送り、私は一人ラク・ダヴァローンへ戻ることにした。
私と同じセレスティエルがどんな存在なのか気になったからだ。『絆』のセレスティエルっていうのはどんな人だろう。友達になれるだろうか。
もしかしたら……アイリスのことを知っているかもしれない。そんな、根拠の無い期待が私を再びこの施設へ引き戻したんだ。
ラク・ダヴァローンの扉は立ち去ったときのまま、開かれていた。閉まっていたらアリサを呼ばないといけないところだったけど、開いてて良かった。
私は開いた扉の間から、部屋の中を覗き込んだ。部屋の中心にある水槽。そこには小柄な人影が浮かんでいた。水槽のフレームが邪魔で顔はよく見えないけど、あれは……女の子だろうか?どんな子だろう。可愛い子だといいな。そんなことを思いながら、私は室内へ足を踏み入れた。水槽がよく見える位置へ――。
――どうして。
「……アイ……リス……?」
水槽の中に浮かんでいるのは、一時も忘れたことがない、私の幼なじみにして親友。そして姉である……アイリスの姿だった。
心臓が止まったように感じた。アイリスがここにいる?でも、どうして?
私は彼女を宇宙葬で送り出したはずだ。なら、ここにいるアイリスは……?クローン?それともセレスティエル?だけど、どうして?嬉しい……でも、怖い。
全身が震えた。視界がぼやける。それなのに、アイリスの顔だけは鮮明に見える。長いまつげ、綺麗な肌、柔らかいライトブラウンの髪。
どこから見ても、そこにいるのはアイリスだった。だけど、心の中の何かが告げている――これはアイリスではない、と。
目の前の存在がアイリスでないのなら、これは一体誰なのか。考えがまとまらない。ただ、この場所にはいてはいけない気がした。
呼吸が乱れる。息が苦しい。「それ」の顔から目が離せないまま、それでもよろめくように一歩、二歩……少しずつ後ずさる。やがて水槽のフレームでその顔が隠れた。その瞬間、心の糸がぷつりと切れた。
私は踵を返し、全力でその場から逃げた。「アイリス」をその場に残して――。
がむしゃらに通路を一人走る。息苦しさで頭がぼーっとしてきた。それでも、訳の分からない焦燥感と恐怖が少し和らいだ気がした。
私は……何を見た?あれは……何だ?考えることが怖い。ただ、足を前に進めてアルカンシェルへと逃げ帰る。
――人の魂をC3に宿す技術はありません――
モルガンさんの言葉が頭の中で響く。アイリスの魂はC3に宿らない。クローンは人の再生ではない。なら、あれは……アイリスではない。アイリスの姿をした、アイリスではない何か。
「……こわい……」
私は何を造ってしまったんだろう。こんなことなら虹水晶なんて……。嫌だ。ごめんなさい、アイリス……。許して――。
罪悪感に押しつぶされそうになりながら、私はただ逃げることしか出来なかった。
心配そうに声を掛け来たアリサに適当に適当な返事をし、私は寝室に籠もった。走り疲れたけど、とても眠る気にはなれない。
部屋の隅で膝を抱えて座り込む。ここを離れないと。アルカンシェルに命令して、早く出港しないと。そんな気持ちばかりが焦る。でも、一度座り込んでしまった私は、もう立ち上がることが出来なかった。
ラク・ダヴァローンから逃げる前にちらっと見えたモニタの数字。14時間あまりの残り時間。あれが0になると……セレスティエルが完成してしまう。アイリスの姿をした、私の知らない……私を知らない、セレスティエルが。
もしかしたらあれはアイリスかもしれない。でも、違うかもしれない。アイリスの顔で、アイリスの声で「あなたは誰?」って聞かれたら……私は絶対に耐えられない。
どうしよう。逃げないと。時間は過ぎていく。私が迷っている間にも、あのカウントダウンは進んでいるんだ。
でも、アイリスを置いて逃げる?そんな事、出来るはずがない。どうしたら。どうしたらいいの?膝を抱え、震えながら無意識に私は呟いていた。
「……助けて……アイリス……」
>>Alyssa
トワ様が寝室へ入られたので私とモルガン、フロルデはラウンジでとりとめのない雑談をしていました。
ガールズトーク、とでもいうのでしょうか……?フロルデが中心になって繰り広げられるあれこれの話題は、私にとって未体験のものだったので思わず盛り上がってしまい……気付くと結構な時間が経っていました。
トワ様が寝室から出てこられないので、もうお休みになったのかと思いながらも、何故か胸騒ぎがしたので様子を伺いに行くことにします。いえ、決して寝姿を拝見したいとかそういう不純な動機ではありません。
「トワ様……失礼します……お休みですか……?」
そう声を掛けて扉を開くと。暗がりの中から呟く声が聞こえました。
「……助けて……アイリス……怖いよ……ごめんなさい……アイリス……」
なんですか、これは!?膝を抱えて床に座り込み、うつろな瞳で呟くトワ様の変わり果てた様子に、何が起きたのか判らずに一瞬驚きましたが、すぐにこの状況の意味が理解できました。トワ様は……一人でラク・ダヴァローンへ行かれた。そして、アイリスさんの姿を見てしまった。
……私はなんという愚か者だったのでしょう。こんな状態のトワ様をひとりぼっちにして、ガールズトークだなどと浮かれていたなんて。後悔で胸が張り裂けそうですが、今は私の気持ちなどよりも優先しないといけないことがあります。
「トワ様」
私は膝を抱えて震えるトワ様の隣に静かに座りました。彼女は私の存在に気付いているのかいないのか、ただ小さな声で呟き続けています。
「……助けて……アイリス……ごめんなさい……」
その姿に胸が締め付けられる思いがしました。トワ様はどれほどの後悔と罪悪感に苛まれているのでしょうか。私はすぐそばにいながら、どうしてその痛みを分かち合うことができなかったのでしょうか。
いえ、今は悔いている場合ではありません。謝罪と贖罪はあとで行えばいい。今はトワ様をお救いすることが私のすべきことです。
「トワ様、大丈夫です。私がここにいます。私では役不足かもしれませんが、それでも私はあなたを支えます」
私はトワ様の手をそっと握りました。冷たく震える手から伝わる感情は……ペレジスで再会したときよりもどす黒い絶望。漆黒と言っても過言では無い、真なる絶望。
どうして……?私はトワ様を再び希望へ導くためにここへお連れしたはずなのに。どうしてこの人はこんなにも絶望しているのですか……?私は、何をしてしまったのですか……?
私は、自分の予知が招いた悪夢に責任を感じずにはいられません。
「アリサ……ごめん……なさい……」
私が握る手が弱々しく動きました。トワ様の表情からは完全に表情というものが抜け落ちています。漆黒の瞳に浮かぶ深い絶望。瞳で心を偽ることすら出来ていません。私は、できる限りの優しい声で問いかけます。
「トワ様……何があったのですか?私に話してください。何でもいいんです。私はあなたを守るためにここにいます」
少しずつ、トワ様は口を開き始めました。声は震えていましたが、少しずつ、ラク・ダヴァローンで見たものについて話してくれました。
「……アイリスが……いた。あれは……アイリスだった。でも……違う。アイリスじゃない。私……怖い……」
それは私が予想していた通りの言葉でした。言葉を紡ぎ出す度に、トワ様の存在が少しずつ薄れて行っているような感覚がありました。
こうなることが判っていたから、私は慎重にことを進めないと行けないと思っていたのに。
トワ様の言葉に私は胸が張り裂けそうになりました。私には、彼女の手をしっかりと握りしめることしかできません。彼女の心を……魂をここへつなぎ止めるため、私は手を握り……最後の切り札を切ります。
「聞いてください、トワ様っ!私、予知についてちゃんとお伝えしてませんでした。私が予知したのは……アイリスさんとの再会です。そして、その再会はトワ様の心に喜びを取り戻すものです!だから、お願い……もう一度だけ、私を信じて……!」
その言葉に、初めてトワ様は私の方を見てくださいました。瞳の色は漆黒のまま。でも、私の声に反応してくださいました。
「トワ様、あなたが怖いと思うのなら、無理をする必要はありません。でも、ここで逃げ出してしまったら……もう、二度と希望を取り戻せないかもしれません。怖い気持ちはわかります。でも、真実に向き合うために……私と一緒に行きませんか?一人で抱え込む必要なんてありません」
「……希望……」
その言葉にトワ様の瞳がほんの少しだけ輝きを取り戻した気がしました。恐怖と絶望に押しつぶされそうだった彼女の表情が、ほんのわずかに緩んだようにも思えます。もしかしたら、私の声が届き始めているのかもしれません。
「アリサ……私……アイリスに、会いたい。アイリスに会いたいよ……」
トワ様の言葉は震えています。それでも、私はその声に前向きな想いを感じました。そうです、私が愛したトワ・エンライトという人は……どんな絶望からでも立ち上がれる、強い人なのです。
「大丈夫です、トワ様。私が必ずお守りします。たとえ何が起ころうとも……あなたと一緒に真実に向き合います」
そう言って差し伸べた私の手を、トワ様は震える手で静かに握り返してくださいました。闇は晴れないままでしたが、それでも立ち上がろうとしてくださいました。
アイリスさん、あなたは本当に愛されていますね。私、本当に――いえ。恨み言はあなたと再会してからにします。私達は……必ず再会しますからね。あなたと。




