#1
>>Towa
故郷を再び離れてから、私は幾つもの星を旅した。
小型とはいえ恒星間航行可能な航宙船であるアルカンシェルを維持するにはそれなりの費用が掛かる。だからギルドの任務をいくつも引き受け、行き先を示されるまま次の星へ向かう。その繰り返しだ。目的地に着いて依頼を片付けたら、また次の任務を探す。ただそれだけの毎日。
最初の頃は、自分の知らない星々を巡ることに少しだけ興奮を覚えることもあった。新しい景色や出会いに、ほんの少しだけ心が救われた気がした。でも……結局、その感覚は長くは続かなかった。星々は違っても、任務の内容も私の旅もどれも同じように感じられてきたから。
旅の最中、アイリスが話していたことを思い出す度に胸の奥が締め付けられた。そしてそれを振り払おうとまた次の任務を探す――。そうやって過ごすうちに、私は自分がどこを旅しているのか、どんな依頼をこなしているのかさえも気にならなくなっていた。
……でも、本当に辛いのは一人きりの夜だった。アルカンシェルの中で感じる静けさはG15と出会ったあの星とは比べものにならないほど無機質だ。何かを口にすればアルカンシェルは文字で答えてくれる。でも、それは私を満たすやりとりではなかった。
誰とも話せない、共感し合えない日々。仕事に必要な歌は歌えるけど、想いを込めた歌はまた歌えなくなっていた。アイリスがいれば――。考えたって無駄なことだとわかっているのに、彼女の笑顔や声が脳裏をよぎる。
たまらなくなった時は冷凍睡眠に逃げることもあった。超光速船であるアルカンシェルに冷凍睡眠設備は必要ない。でも、私はあえてそれを搭載した。眠れば何も考えずに済むと思ったから。そうして冷たい眠りの中で悲しみの記憶が少しでも薄れるのを待つ。
初めて冷凍睡眠を選んだ日は、自分の弱さに絶望した。次に頼った日は、ほとんど後悔がなかった。それを繰り返していくうちに、取り戻したはずの心がまた少しずつ擦り減っていくのが自分でもわかった。でも、それでも構わないと思った。いっそ心が空っぽになれば、悲しみも感じなくなるんじゃないかと思ったから。
それでも、私は旅を続けないといけない。それがアイリスとの約束だから。どんな状態になっても、私は旅をやめられない。止まることはアイリスとの約束を、そして最後の絆を手放すことになる気がして、怖かったからだ。
恒星間任務は達成に要する期間が長く、それ故に報酬も良い。本来なら数年、十数年かかる任務でも、アルカンシェルを使えば数日で済むからそういう任務ばかりを選んだ。ギルド側でも私の達成速度が普通じゃないことは気づいているだろうけど、何も言われなかった。ギルドの幹部だったアイリスならまだしも、一介のシンガーでしかない私のことなんか誰も気にしていないだろうし、私もそれでいいと思っている。
その日もギルドの依頼を受けた。最初の数回までは回数も数えていたけど、今はもうどれだけ依頼を受けたのか自分でも憶えていないし、興味もなかった。
航路設定も基本的にアルカンシェル任せなので、自分が今いる惑星の名前も知らない。その名前も知らない惑星のギルド支部で、いつも通り報酬額だけを確認して任務を受領する。
最初のころはギルドで任務の詳細を聞いていたけど、人と関わる事が煩わしく思えるようになってからは任務データとC3だけ受け取り、内容はアルカンシェルが軌道ステーションを離れてから一人で確認するようになっていた。
今回も同じよう任務データをアルカンシェルに読み込ませ、航路の自動設定を口頭で指示する。行き先がどこであっても到着に要する時間はあまり変わらないので、アルカンシェルが航路設定を終えた事だけを確認して、発進とだけ告げると自室へ引き上げる。いつものルーチンだ。
その時、いつもは気にしないナビゲーション画面がふと目に入った。
[Destination Setting Completed.]
[Destination -Peregis-]
[FTL-Drive Start.]
……ペレジス。
その文字が引き金になって脳裏に浮かんだ、いくつかの光景。
――アッシュブロンドの髪を持つ儚げな少女の面影
――星空の下で碧の輝きに包まれた夜
――鮮烈に輝く優しく気高い姉のフォトンフラッグ
私は思わず息を飲んだ。無意識に避けていた、アイリスと旅した星が次の目的地だなんて。ほんの数秒前まで何も考えていなかったのに、突然すべての感覚があの場所、あの時の記憶で満たされていく。だけど、今さら航行変更も任務の取り消しもできない。すでに超光速航行が始まってしまっている。
……ペレジスであれから何十年経っているのかわからないし、たぶんアリサもたった2週間、共に過ごしただけの私のことなんて忘れているだろう。気にしても仕方ない。自分に無理やりそう言い聞かせ、ゆっくりとナビゲーション画面から視線を外した私は自室へと引き上げた。
さほど時間を掛けずにペレジスへ到着し、いつも通り自動操縦で接舷を行う。軌道ステーションの係員が手続きを進めている間、私はただぼんやりと景色を眺めていた。記憶にあるかつてのペレジスの軌道ステーションは無愛想で失礼な係官ばかりだったけれど……。
「髪の色はシルバー、瞳の色は……おや、珍しい。とても美しい虹色なんですね。どちらも書類通りで問題なし。ギルド章のデータも確認できました。ペレジスへようこそ、シンガーさん!」
今は普通に――いや、むしろとても丁寧で愛想のいい対応をしてくれる。アリサが支部長として頑張って、ここまで変えたんだろうか。
ふと思い立って、支部長の名前を係員に尋ねてみた。けれど返ってきた名前は知らない人のものだった。長命種テロマーであるアリサはさすがにまだ存命だとは思うけど、もうギルドに……いや、この星にいないのかもしれない。少し寂しいけど、どこか安心もした。
ギルドでアリサに会ってしまったら、きっと私はもう感情が抑えきれなくなるだろうから。
手続きが終わり、軌道エレベータに乗り込み地表へと降下する。徐々に見えてくる星都クリスタンティアの街並みは、以前よりもずっと輝いて見えた。……そういえば、アイリスはこの街の光景が嫌いだと言っていたっけ。久しぶりにアイリスのことを思い出し、すり切れかけた心が……少しだけ痛んだ。
……任務が終わったら、また冷凍睡眠しないといけないかな……。そんな事を考えている間に、エレベータは地表に到着した。そしてエレベータの地上ステーションから外に出た私を――。
「おかえりなさい、トワ様」
――柔らかい微笑みを浮かべた、アリサが待っていた。
私にとってはほんの1年ほど前に別れたばかりの友人。でも、アリサにとってはきっともっと長い年月が経っているはず。それなのにアリサは長い年月を経ても別れた時と変わらない姿でそこにいた。
アリサの顔を見た途端、涙が出そうになった。でも、泣くわけにはいかない。大丈夫。私は大丈夫だ。それに、私には……彼女に告げなければならない事がある。挨拶もせずに私は切り出した。
「アリサ、アイリスの事だけど……」
「……存じ上げております」
沈痛な表情でそう応じるアリサ。やっぱり、知ってたんだね……。アリサはギルドの支部長を務めていたと聞いている。なら、ギルド幹部の動静について知っていておかしくないだろう。それなら私から改めて説明することはない。
必要が無いのなら、思い出したくない。
口にしたくない。
認めたく……ない。
「私は、大丈夫だから」
だけどアリサに心配は掛けたくない。だから私はそう口にする。
だが――私の手をそっと握りしめたアリサは、一瞬悲しげな表情をうかべた。アリサの青い瞳に映った私の瞳の色は虹色のまま。大丈夫、私は平静を保てている。だけど、私を見つめたままアリサは小さくつぶやいた。
「トワ様は……瞳でも嘘をつかれるようになられたのですね」
アリサの視線と言葉が、まるで心の奥底を見透かしているようだ。……いや、本当に見透かされているのかもしれない。そんな思いを振り払い、話題を変えるためにアリサに疑問を投げかける。
「どうして、私が来ることを……?」
「私、予知の力が戻ってきたんです。ほんの少しですけど」
そう言うとアリサは微笑んだ。
「私、ギルドの役職を退いてから孤児院を運営していたんです。そんな時に、子供達の事で未来が見えるようになりました」
そういえばアリサは昔、スラムの子供達の事を気に掛けていた。自分が凄惨な状況に置かれている時さえそうだったんだ。今の穏やかなアリサなら、そんな選択をするのも納得が出来た。
「……子供が階段から落ちそうになる未来とか、お手伝い中に怪我をしそうになる未来とか。迷子になった子がどこかで泣いている姿とか。本当に、小さなことが視えるようになって。最初は気のせいだと思ってたんですけれど」
「……そう」
「そして、3年前でした。トワ様が今日この日にペレジスへ戻ってこられる未来を視たのは。そのとき、私は自分に予知能力が戻ったことを確信しました。ちゃんと当たっていたでしょう?私の予知」
満面の笑みを浮かべるアリサ。今の私にはアリサのその笑みは眩しすぎる。
「そして、私の中には……いつの間にかもう一つの新しい力が生まれていました」
「新しい、力?」
「はい。こうやって触れている人の感情が感じられるようになりました」
「……」
「だから、トワ様が……大丈夫じゃないって。泣いておられるって。……私には……わかります」
そう告げた笑顔のアリサの目には大粒の涙が浮かんでいた。
そんなアリサを言葉を聞き、アリサの涙を目にした瞬間。私は思わずアリサの手を振りほどいていた。
やめて……私の心を見透かさないで。
私は、大丈夫なんだ。
「大丈夫」じゃないと、いけないんだ。
だから、そんな目で見ないで。私のために泣かないで。
寂しげな表情を浮かべるアリサに、私は心の中でそう叫んでいた。触れられていなければ、どれだけ心の中で泣いていても気付かれない。それなら、アリサの手さえ取らなければ。
……そうすれば私はまだ、旅を続けられるから。




