11 ウィステリア新たな場所へ
ウィステリアは管理人夫妻に刺繍入りハンカチを渡し、ケーキと焼き菓子でお別れ会をした。
「とても良くしていただきありがとうございました。安定期の内に住む場所を決めたいと思います」
「ずっと一緒にいてくださればと思っておりましたが主は侯爵様です。口を出せる立場ではありませんのでそれが良ろしいと思います。赤ちゃんが出来ると気軽には移動が出来ないものですからね」
「子供が大きくなりましたらお義姉様にお願いしてきっと又遊びに来ますね。お元気でいてくださいね。気持ちがゆったり出来る素敵な所でした」
「賑やかで楽しい時間をありがとうございました。又お会い出来るよう身体に気をつけます。ウィステリア様も元気なお子様を産んでくださいませ」
「ええ、ではまた」
兄とお義姉様には手紙を出した。別荘地の特産のベリーのジャムを贈っておいた。こんなものでは恩返しは出来ないけれどと思いながら。
こうして三カ月を過ごした別荘を後にしたウィステリア達は次の街スコーン市に向かったのだった。今度の馬車は揺れが少ない高級な物を手配した。護衛は兄が以前来てくれた騎士を派遣してくれたので安心出来た。
外側が真っ黒でがっしりとした馬車だった。クッションを沢山敷いて揺れが響かなくなるように工夫した。
もし家を買ったら馬車も買いたいわとウィスタリアはぼんやり考えた。
少しだけ胸の痛みが楽になった様な気がする。見たわけでもないのに、顔がぼやけた少女を抱きしめるデヴィットの姿が時々浮かんでウィステリアを苦しめていた。
報告を聞いた時はまさかと思い、その後でやっぱり若い子が良いんだと思って一晩中泣いた。
親子に親戚なんていなかった。近所とも上手くやれていなかったらしい。
それでも通っていたのがデヴィットだったのだ。
苦しくてやりきれなかった。考えると大声で泣き叫びそうだった。気が狂いそうだった。お腹の子に障る、それだけが冷静になる手助けだった。その度に大きく息をするようにした。
赤ちゃん、赤ちゃん、あなたがいるから母様は生きていられるの。どうぞ元気で生まれて来てね。
ウィステリアはお守りの様に祈りの言葉を口にした。
スコーン市は緑が多く住みやすそうな街だった。高級ホテルに宿を取ってウィステリアと侍女達とスザンヌはスイートルームで同じ部屋に。
護衛達は両隣に泊まって貰うことにした。交代で部屋の前で見張りに付いてくれるという。
家を買ったら引退した護衛の様な人を雇おうかと考えた。女性と子供で暮らすのだ。用心深くならないとと思った。
一週間後街を見回りに行っていたスザンヌが貴族街の外れに丁度良さそうな家があるのを見つけて来た。行って見ると少し手を入れれば住みやすそうな綺麗な物件だった。
不動産屋に聞くと一人暮らしの貴族婦人が使用人数人と住んでいたらしいが年を取ったので、景色の良いところを終の住処にしたいと売りに出したという。買うことにした。
護衛兼庭師を探そうかとこの時ウィステリアは考えた。リフォームが終わるまで二ヶ月はホテルで暮らせば良い。
その間に翻訳の仕事がないかスージーさんに聞いてみよう。最初は絵本くらいから始めよう。無理は禁物だ。未来の為にやることが出来たウィステリアは少しだけ軽くなった気持ちを感じた。
★★★
デヴィットは断種の措置をされて国外追放になった。対外的には病死とされた。
クロウ家は跡継ぎがいなくなり遠縁から十歳の男の子を養子に迎えた。もう語学に拘らないことにした当主は教育と愛情をかけて育てることにした。
デヴィットは父に袋に入った金貨を渡され夜明け前に屋敷を出された。
十六歳の披露パーティーでウィステリアにプレゼントされた時計もピアスも持って行くことにした。繊細な彫り物がしてありプレゼントしてくれたときの得意そうな笑顔を思い出し、涙の膜が張ったのを暗さで誤魔化した。
十七歳と十八歳のプレゼントのカフスボタンとブレスレットも宝物だ。
自己嫌悪の塊になった男はこうしてぬるま湯の生活から放り出された。
「餞別だ。これで当分は暮らせるだろうが、無駄使いすれば直ぐ無くなる。心して過ごせ。楽な方に逃げるな」
「ありがとうございました。不甲斐ない息子で申し訳ありませんでした。失礼します」
二階の窓から母が見ていたのに気付いた息子は頭を下げて去って行った。
平民になったデヴィットは隣国の辺境の地を目指すことにした。自分をもう一度鍛え直すつもりだった。辻馬車を乗り継いで行けば三ヶ月程で着くだろう。路銀に父に貰った金貨を大事に使おうと腹の前の鞄にしっかりとしまった。
謹慎して最初の頃は巡礼をすることが罪の償いだと思っていたが、それでは甘いのではないかと思い始めた。
自分には語学はあったが剣を握ったことはあまりない。貴族令息の嗜みで訓練はしていた。
久しぶりに部屋にあった剣を振ると最初は重かったが、段々軽く感じるようになった。
剣を振っていない時間は自分のやらかしに苛まれた。
皮が剥け血の滲む手の平を見、漸く今までの自分に足りなかったものが分かったような気がした。
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