6 あなたの瞳を手に入れる
翌日は気候も穏やかな晴天だった。散歩日和と言っていい。
プライベートとはいえ領主が護衛もつけずに出歩いていいのだろうかと疑問に思っていたのだが、アレンいわく『基本的に護衛がいない方が安全なんです。護衛をつけてもギルベルト様にとっては護る対象が増えるだけなので……』とのことで。なるほど、護られる本人が一番強いと周りの人間はどうあっても足手まといになるのだろう。もし何か起こったら、少しでも邪魔にならないよう一目散に物陰に隠れようと決めた。
さて、馬車を分けようかとまた気遣いを発揮してくれていたギルベルトを丸め込み馬車に同乗したセレスティアである。
ギルベルトは普段よりいくらかラフな格好をしている。セレスティア自身も、今日はなるべく動きやすい服装を選んでみた。いつもの三倍は歩けるはずだ。
「この辺りは……王都よりいくらか気温が低いですね」
「そうだね。森の辺りなんかはかなり雪深くなる。あなたは寒いのは平気なたちかな?」
「ええ、問題ありません。王都ではあまり見る機会がありませんでしたが、森の濃い緑も遠くに見える稜線も美しいです」
ここは王国の北端だ。アイゼンベルグ家は国内でも有数の広大な領地を持つが、その実領地の大部分は山と森林が占めている。鉱山地帯を有し、採掘される純度の高い鉱石は装飾品としてだけでなく魔術品としても需要が多い。冬場は交通規制もありいわゆる“閉ざされた土地”となりがちだが、その分人の手が入らない魔力豊かな領域が残されていると言えるだろう。
セレスティアは、事前に予習しておいた情報を頭の中で思い返す。主な産業は鉱石やそれを元にした加工品、山々の自然の恵みだ。魔術的に希少な鉱石や薬草、あとは魔獣からとれる様々な部位が魔道具に使われていたりもする。魔力を持ち魔法や魔術を修める者であれば、この領地で作られたものを何かしら持っているだろう。そんな土地だ。
王都のような華やかさはなくとも、生活や文化の水準は非常に高い。
「おれもこの辺りの景色は好きなんだ。厳しく美しいと思う。あなたにも気に入ってもらえるなら嬉しい」
「厳しく、美しい……ふふ、いいですね」
深い森も、険しい山々も、やがて肌を刺すであろう冬の寒さも。
窓の外を眺めるギルベルトは、やはり一見どこか冷たそうな雰囲気を纏っている。けれど瞳の奥には領地を大切に思う気持ちが滲んでいた。初対面のときの印象が完全に覆されるやわらかいまなざしだった。
そんなギルベルトはセレスティアの笑い声につられるように視線を馬車の中へと戻した。
漆黒の瞳と目が合う。
「…………そんなに見つめられては、少し、恥ずかしいですわ」
「え? あ、ああ……すまない、不躾だった」
セレスティアを視界に収めてもなお、ギルベルトのまなざしの柔らかさは変わらなかった。きっと彼の本質は、この寒さ厳しい土地にあっても穏やかであたたかいものなのだろう。
「いえ、どうか謝らないでください。わたしがギルベルト様の視線に慣れるまでお付き合いいただければと存じます」
「そ、そんなにじろじろ見る気はないんだが……」
ギルベルトが「なんだか意識してしまうとこっちまで恥ずかしい」と赤裸々にこぼすので、本当に全部言っちゃうなこの人……と場違いに感心してしまうセレスティアであった。
なお、セレスティアがギルベルトの視線に僅かな羞恥を覚えたのは本心だが、それを敢えて口にしたのは完全なるポーズである。
やはりしおらしさを見せておくのも大事だろう。搦め手だろうと使えるものは全て使ってやる。
あとは、ギルベルトが素直に絆されてくれることを祈るばかりだ。
街はずれの道で一旦馬車を降り、そこから少し歩いて到着したメインストリートは想像以上の賑わいだった。流れの露天商もしっかりとした店構えの高級店も混在した面白い造りの道だ。
どうやら価格帯ではなく大衆向けか専門的かでエリアが分かれているらしい。自前で工房を持つような鉱石などの細工師は一本二本道を外れたところで商いをするようだ。王都では高級店は専用エリアにしか出店せず、セレスティアももっぱらそのような店を利用してきたのでかなり新鮮な光景だった。
「すごい……! かなり賑わっていますのね」
「有難いことにね。宝飾品の類は王都で買うより選び甲斐があると思う」
「鉱石の加工産業が盛んだとうかがっております。あとは……森の薬草や、魔獣からとれる貴重な部位なども扱っているとか」
「これは驚いた、詳しいな。魔術師の欲しがるものは大体揃うと思ってもらって構わないよ。逆に、海のものは隣国から仕入れた方が早いから貴重でね。特に新鮮なものとなると……鮮度を保つ魔術なんかが必要だな、たぶん」
なるほど、鮮度を保つ魔術。確かそこそこレアなやつだ。割高でも頷ける。
魔法にはカテゴリがあり、魔術には向き不向きがある。法則と、技術。同じ手順を踏めば同じ結果になるのが魔法、同じ手順を踏むことが難しいのが魔術。魔法には知識と発想力が必要で、魔術には鍛錬と想像力が必要なのだ。
たとえるなら、一足す一は誰がやっても二だけれど、オムレツを作るのは同じ材料と手順のつもりでもまったく同じ味にはならない……みたいな。
魔法使いのハイエンドは新たな法則を自分で見つけるし、魔術師のハイエンドは誰にも真似できない技術を極める。座学が得意であれば前者、実践が得意であれば後者の道に進むことが多い。魔力を持たず魔法も魔術もさっぱりなセレスティアのイメージとしてはこんなところである。
ついでに言うと魔力は才能だ。ものすごく才能。ここだけは勉強したって鍛錬したってどうにもならない。
(ギルベルト様はどのような魔術をお使いになるのかしら。……きっと魔法よりは魔術よね?)
みだりに他者に明かすものではないので聞かないが、これほど膨大な魔力でもって成立する魔術とはどのようなものなのか。興味は尽きない。いずれ知ることのできる関係性になれれば、と思う。
「さて……何か気になるものはあるかな? セレスティア嬢」
「そうですね、せっかくですからこちらの領地ならではのものが見られればと思いましたが」
それなら細工技師の工房がいいだろう、と案内されたのは、大通りを外れたところにあるこじんまりとした店だった。敷地の大部分は工房だが細工品の販売スペースも用意されており、おそらく一点ものらしき装身具たちが並べられている。
物によっては限りなく魔道具に近い商品もあった。思わず一歩引くと首を傾げられて、苦笑しつつ説明する。
「わたしが近付くと不具合を起こすかもしれませんので、念のため」
「難儀だな……私が代わりに持とうか?」
いえいえ、と遠慮しておく。そういえば外だから一人称が『私』なのだろうか。雰囲気が変わってこれもまたよしだ。
店内を練り歩き、様々な輝きを目で楽しむ。
初老の男性がカウンターの中で作業しながら店番も行っている。声かけはなく、商品は勝手に見てくれスタイルなのだろう。購入したいときだけこちらから声をかければいいらしい。
普段、店員が次々と持ってくる宝飾品を眺めていることが多いセレスティアにとっては、こうして自分の意思でじっくりと品物を見るのは非常に楽しかった。
そんな中でふとセレスティアの目に留まったのが、黒い石の嵌まったペンダントトップだ。
白金の細く編まれた細工が石を抱くようなデザインとなっており、控えめながらもいい仕事だと一目で分かる。光に透かすと遠くにインクルージョンがちらちら瞬いた。石の奥底から光が湧き上がってくるような、不思議なきらめきだ。
何より――。
(なんだかギルベルト様に似ているわ)
瞳の色、あとは冴え冴えとした清冽さを思わせるところがいい。気に入った。
「こちらを購入したいと思います」
指をさすと、隣で見ていたギルベルトは一拍遅れて返事を寄越した。
「……意外なところを選ぶな、あなたは」
「そうでしょうか? 繊細で素晴らしい細工ですし……この石も、他にないような色合いで素敵ですわ。このような加工技術は王都でもなかなか見られないものです」
「ふうん。そういうものなのか。御令嬢にはもっと華やかな色味がいいだろうと思っていたけれど、これも偏見だな」
ではここの支払いはおれが、とごく自然に言われてセレスティアは慌てた。どう頑張ってもアクセサリーを買ってもらうような理由はつけられないと思ったのだが、穏やかな声が鼓膜を撫ぜる。
「いいんだ。我が領民の仕事に称賛をありがとう。とても嬉しかった」
それに、と、ギルベルトは僅かに身を屈めてセレスティアの耳元で囁く。
「あなたは私の未来の妻なんだろう? だったら、理由なんて必要ないさ」
じわりと耳が熱を持つ。まさか保留としていたことをギルベルト自身が蒸し返してくるとは予想外で、期待と緊張に言葉が出てこなかった。
無言のセレスティアにギルベルトは、「……あ。ええと、もちろん『今のところは』という話だから。どうか口実にすることを許してほしい」と慌てて弁明をしてくる。スマートではなくとも誠実な振舞いで、セレスティアにとってはそちらの方がよほど好みだ。ギルベルトが領民のことを大切に思っているのが伝わってきたのも胸にせまるものがあった。ひょっとすると、未来の妻という形式上だけの言葉よりも。
「う――嬉しいです。とても。ありがとうございます……」
ようやく口にできたお礼の言葉に、ギルベルトはただほんの少し目を細めて応えた。静かな笑みだった。
「一生大切にします」
「うん? ああ、定期的に手入れすれば何代かはもつんじゃないか? そんなに気に入っていただけるとは光栄だな」
いまいち『一生』のニュアンスが伝わっていない気がしたが仕方ない。さっさと支払いを済ませているギルベルトを横目に、明日からドレスがどんな色でもこのペンダントを合わせることを決意した。いや、むしろこのペンダントに合わせていずれドレスを新調しよう、それがいい。
セレスティアは、恭しく箱に入れられたペンダントトップを受け取り、箱の側面をそっと撫でた。
小さな箱は、セレスティアの手にしっくりと馴染んだのだった。




