4 まずはキッチンから
その後一日かけて館内を見て回ったセレスティアだが、意外なことがあった。この家の使用人たちからおおむね好意的な反応でもって迎えられたことだ。
自身の体質のこともあり初めのうちはけっしていい感情は向けられないだろうと思っていたのだが、慎重に話しかけてみたところ拍子抜けなほどの好感触。
もしかして体質の説明がされていないのだろうか? と思い改めてそれも伝えてみたのだが、「もちろんうかがっております。不安なことがあればなんでもおっしゃってくださいね」と逆に気遣われてしまった。
「いかが致しました? セレスティア様。何か他に懸念がございますか?」
「いえ……あの、失礼ながら、初めて訪れた場所でこんなに歓迎していただけると思っておりませんでしたので」
「あら。確かにセレスティア様のお傍に寄るのは少し不思議な感覚がありますが、それだけですよ。どうかご心配なさらず、ゆるりとお過ごしになってください」
どこか釈然としないものを感じつつ一安心だ。いずれは邪魔にならない範囲で料理などさせてもらえればと思っている、と伝えればこちらも快諾された。
うーん、あまりに順風満帆すぎる……。
「――どう思う? リリウ」
夕食の前、情報共有を兼ねて部屋へと戻りリリウに一連の流れを説明したところ、リリウの側でも色々と思うところがあったようでそう間を置かず返答がある。
「ここの領主様も特殊な体質をお持ちの方ですから心得があるのでは? 使用人のみなさんから領主様への好感度が高めなので、その客人という扱いのセレスティア様へも友好的なのだろうと見受けられます」
「やっぱりかなり慕われていらっしゃるわよね」
「ですね。新参者が話を聞けた範囲での結論にはなりますが……王都での領主様の評判を聞かれたので包み隠さずお伝えしたところ、かなり憤っていらっしゃいました」
待ってほしい。嫌な予感がする。
「……ちなみになんと伝えたのか教えてくれる?」
「『国境守護の要、素晴らしい武勲は王都まで聞こえております。敵を一瞬で灰燼に帰すさまは冷酷にして冷血、はたして彼に力を与えたのは神か、それとも悪魔か……ともっぱらの評判です』とお伝えしました」
「後半必要だったかしら?」
「使用人が主のために怒ることができるのは主が慕われている一番の証拠でございます」
確かにそうかもしれないが……確かに、そうかもしれないが!
王都の印象が右肩下がりな気がする。
セレスティアが小言を言いかけたのにも、言いたい内容にも察しがついたらしい。リリウはすかさず、「もちろん私共はそのように考えていないことを強調してまいりましたので、王都で生まれ育ちながら領主様に一切の偏見を持たず好意的なお嬢様の信用はうなぎのぼりかと存じます」なんて付け足す。一理ある……のか?
「共通の敵がいるのはむしろ運のいいことでは?」
「そこまで言う?」
「お嬢様を冷遇する王都上層部は嫌いです。悪口を言いまくってきたのですっきりしました」
「ああそう……今後は控えてね……」
+++
その日の夕食の席でのこと。あまり好き勝手に動き回っている印象を与えないように、報告がてら勝手な行動は慎んでおりますアピールをしていたところ、ふとギルベルトがこんなことを言ってきた。
「そういえば、生活する上で何か必要なものや欲しいものがあればなんでも言ってくれ。常識の範囲内で用意しよう」
欲しいもの、と言われて真っ先に思い浮かんだのはキッチンを使う許可だ。一応今のセレスティアの立場であれば、ギルベルトにお菓子や夜食を作って振舞うのもそこまで非常識な行いではないだろう。
しかし、セレスティアにはそれを言い出しにくい理由があった。
「おや。何か言いたげな顔をしているな」
「ええと……これが常識の範囲内かといわれると……実家にはあったのですが……」
「歯切れが悪いぞ。なんでも言ってみなさい」
では、とお言葉に甘えてセレスティアは口を開く。
セレスティアの実家にあっておそらくここにないもの。それは――魔力を用いずとも使えるキッチン、である。
魔力を持つ者であればそれを用いて調理するのが当然だ。特に、このような貴族の館では尚更。着火も火加減の調整も全て魔力で行う。魔力を持つ者にとっては、いちいち器具のツマミを回したりスイッチをつけたり消したりするよりも簡単だからだ。
また、古くからの貴族は敢えて誰でも使えるようなキッチンは置かない傾向にある。力を持つ家柄であれば、使用人も魔力の豊富な筋の者を雇える。魔力に頼ったシステムをどれだけ使えるか、というのは貴族の力のバロメーターでもあるのだ。
セレスティアは生まれつき魔力を持たなかったため、実家にはセレスティアのための小さな調理場があった。元々のキッチンに併設されたものだが、きちんとガスも電気も通っており魔力の少ない者にとっても使いやすい。
実家ではそれが当たり前だったのだが、ここアイゼンベルグ家ではそうもいかないだろう。ギルベルトを筆頭に皆魔力の豊富そうな者ばかりだ。わざわざ誰でも使える設備を置く理由がない。
なので、ぎりぎり常識の範囲内に収まらない要望かと思ったのだ。さすがに新参者のために工事はさせられない。
説明し終えたセレスティアは、まあ当然駄目だろうな……とあさっての方向を向いていたのだが。「そんなことでいいのか? すぐに案内しよう。ついておいで」というまさかの言葉で現実に引き戻された。
「えっ……」
「アレンはついてこなくていいぞ!」
声の主であるギルベルトはさっさとセレスティアの十歩先くらいを行っている。歩くのが速い。
アレンの「まったく……」という深いため息を聞きつつ、セレスティアはどうにか追いつこうと足早に後を追った。